12.人として、竜として

 ――叩き起こしてきます。

 そう言い残すなり、少年は走り出した。遠ざかる背中を見送って、ジエッタは眉をひそめる。

「まさか、あいつ、一人でどうにかするってんじゃないだろうね」

 彼女が低くうめくと、それにすぐさま反応した者がいた。ゼフィアーだ。

「ま、まさかディラン……」

 少女は小さな声で呟いたかと思うと、顔を上げ、青い膜のむこうを見やる。

「無茶だ! あれだけ魂が傷ついた後だというのに、変化体へんげたいで力を使ったりしたら……!」

「どう考えても、あのとき以上に弱ってしまうわね」

 叫びにも近い少女の言葉を、長槍使いの女性が引き取る。ゼフィアーは見る間に青ざめた

 一方、会話の意味がわからない傭兵と隣町の人々は、首をひねっている。困惑しているのははジエッタも同じだったが、彼女は一方で、うすうす事態を察してもいた。――今、彼女たちを覆う青い膜を見れば、彼女の弟子がただの少年でないことは嫌でもわかる。

「やれやれ。あたしゃ本当に、とんでもない奴を拾っちまったみたいだね」

 ジエッタは、微苦笑して肩をすくめる。

 飛び上がる竜の背に、弟子の姿を見つけたのは、その直後のことだった。



     ※



 人々に止める暇さえ与えず飛び出したディランは、空中に懐かしい水竜の影を捉えると、めいっぱい息を吸って叫んだ。

『リヴィエロ!!』

 すると、水竜はぴくりと震えた。地上に視線を落とすなり、彼に気づいて降りてくる。

『……おまえ。何する気だ?』

 水竜は、目をすがめて訊いてきた。それに対しディランは、あくまで不敵な笑みを浮かべ、『言われなくてもわかるだろう?』と切り返す。水竜は、しばらく少年の姿をした同胞をにらみつけていたが、やがて折れた。ため息とともに、地上に降り立って背中を向ける。

『乗れ。地上からじゃ、せっかくの力も届かない』

『うん。ありがとう』

 ディランが言って、水竜の背に飛び乗ると、彼はやれやれとばかりにかぶりを振った。

『その無謀さは、誰に似たのかね』

 同年代のはずである彼の呟きに、ディランは苦笑したが、何も言い返さなかった。水竜も答えを求めていたわけではなかったようだ。ふっと目を細めると、『行くぞ!』と鋭く叫び、翼を打った。

 ぐんぐんと高度を増すとともに、岩のような竜を間近に見ることとなる。暴れ狂う竜の瞳はどこまでもうつろで、深い穴のようだった。

 ディランは竜の背で顔をしかめる。――やはり、強い力は容赦なく叩きつけられる。今のディルネオは、変化体でなければこの場にいることすら難しかったろう。人として過ごした七年間を呪えばよいのか、感謝した方がよいのかわからない。ため息を押し殺し、彼は地竜と正面から向き合った。そのとき、周囲から水竜に声がかかる。

『お、おいリヴィエロ! 貴様、何を考えている!?』

 うわずった声を上げたのは、先ほど、水竜と言い争っていた、小柄な地竜だ。彼は明らかに、ディランをにらみつけている。水竜は、背の上で立つ少年を一瞥した後、鼻を鳴らした。

『何って。手伝ってくれるらしいから、連れてきた。言い出しっぺはこいつだぞ』

『ふざけるな! 人間の力を借りる必要などない!』

『必要とか言ってる場合か? 今は非常事態だ。使えるものはなんでも使う』

 心にもないことを、とディランは苦笑した。そして、ゆっくりと小柄な地竜を見つめ返す。凪のような視線を向けられた彼は、わずかにたじろいだ。

『彼の言う通りだ。今は、理屈をこねくりまわしている場合ではない』

 それを聞いた竜たちは――小柄な地竜に限らず――目をみはる。中には、彼のまとう尋常ならざる気配に気づいた者もいただろう。だが、ディランにとってはそんなことはどうでもよかった。水竜の背を叩き、話しかける。

『リヴィエロ。例の地竜に、もう少し近づけるか?』

『あ、ああ。――少しだけだぞ』

 言うと、水竜はじょじょに地竜との距離を詰めていく。翼の音さえ立てぬよう、慎重に近づいた。けれども、努力もむなしく、暴れる竜の凶悪な目が、ぎょろりと小さな者をにらみつけた。『気づかれた!』と苦い顔をする水竜をよそに、ディランは素早く手を突き出す。

 さっきと何も変わらない。力を引き出し、外へ放つ。忘れていたものを、封じていたものを。きっちり閉じていた蓋を、少しずつ、開けてゆく。


 見えない鎖にがんじがらめにされているのなら、引きちぎってしまえばいい。

 座して滅びを待つのが嫌なら、全力で抗えばいいのだ。


 やがて、少年のまわりに、青い力が放たれた。それは、ゆらゆら揺れる薄布のようである。竜の力で織られた薄絹が、赤子をくるむように地竜を一瞬だけ覆い、すぐに燐光を散らして消える。だが、ディランの表情は穏やかだった。一瞬でも止められたなら、第一撃としては上々だ。

 彼の力を見たせいだろう、まわりの竜たちがざわめきだした。もはや何を言っているか少しもわからない竜語の嵐の中、ディランはいつもどおり穏やかに、けれどいつもよりも毅然とした態度で立つ。

『い、今のって……まさか……』

 竜の誰かが呟いた。その瞬間、ほかの竜たちはぴたりと黙りこむ。

 わずかな静寂の中で、彼を背中に乗せている水竜が、面白そうにまわりを見てから、友に呼びかけた。

『遅かったな。待ちくたびれたぜ――ディルネオ』

 懐かしい声で遠い名前を呼ばれたディランは、唇を歪めて『ああ』と返した。

 再び騒ぎだしそうな竜たちの気配に気づき、彼はとっさに息を吸う。

『みんな。色々と思うところはあろうが、今は狂ってしまった同胞を止めるのが先だ』

 凛とした声が響くと、竜たちはまた沈黙する。

『私は、見てのとおりの変化体だ。まだ、以前ほどの力は振るえない。人間たちには大口をたたいて出てきてしまったが、私だけで彼を止めるのは不可能だ。だから――力を貸してほしい』

 竜たちがどよめく。ディランは彼らを視線で黙らせ、続けた。

『私が人に裏切られ、ゆえに追いこまれたのは確かだ。そのせいで、眷族のみならず、たくさんの竜を動揺させてしまった。我ながら、情けないよ。

 けれどその後、私は七年ほど人として過ごして、人の色んな姿を見た。美しいところも、醜いところも、な。そのうえで、やはり信じたいと思うのだ。おまえたちのことも、彼らのことも。だから』

 彼は一度だけ目を閉じ、深く呼吸をしてから、精いっぱい頭を下げた。

『だからどうか、もう一度、やり直させてくれ。人として、竜として、どちらをも知る者として、歩むことを――一緒に歩んでいくことを、許してほしい』

 竜たちの声は、すぐには返らなかった。だが、ややあって、水竜の一頭が口を開く。

『そうやってすぐ謙虚になるのは、あなたの美徳ですけど、悪い癖でもありますよ。ディルネオ様』

 ディランは目を丸くして、顔を上げた。どの竜も、呆れたように目を細めたり、かぶりを振ったりしている。彼が呆然としていると、すぐそばであの水竜の声がした。

『まったくもって、そのとおりだ。誰が今さらおまえを嫌うかよ。生きて帰ってきただけ上々。胸張ってりゃいいんだ、主竜だろ?』

『リヴィエロ……』

『さ、とっととあの暴れ者をなだめてやろう。具体的には、どうするんだ?』

 水竜は、快活に言って翼を打つ。互いが小竜であった頃から、まったく変わらない態度に、ディランは救われた気がしていた。ごちゃまぜになった感情を押しこめて、気持ちを切り替える。頭が一気にさえわたった。改めて、地竜をにらみつけてみると、彼はディルネオの一撃を受けたせいか、少しだけ大人しくなっていた。

『やることは今までと同じだ。力をぶつけて叩き起こす。私ができる限り弱らせてみるから、みんなは私が合図をしたら、一斉に力を叩きこんでくれ。同胞だからと遠慮はするな。やりすぎたくらいがちょうどいい』

『了解っと』

 軽い水竜の返答にほほ笑んでから、ディランはまわりの竜たちを見た。

『それと――何頭かの竜は、地上付近まで降りて、あの地竜の攻撃に備えてほしい。人間たちのまわりに力を張ってはおいたが、それは地竜に集中しだしたらすぐ消えてしまうだろうから。攻撃をうまく相殺してくれる者がいると、ありがたい』

 これには、集団の中にいた炎竜が、『わかった』と声を上げた。

『アレとやりあうのは荷が重い、という奴も多いからな。そういう竜は地上に向かわせよう』

『うん』

 ディランはうなずいた。そして、暴れる地竜の目を見た。

『さてと。少々手荒になるかもしれないが、許してくれよ』

 ディランはいつもの調子で言って、自分の中の力を練り上げた。

 変化体の負担にならないよう、それを少しずつ空気中に放ってゆく。自然に語りかけるかのように、力をゆっくりと広げた。すると、今まで目に見えぬ細かい粒だった水が、集まって塊となる。塊をいくつか作りだしたディランは、それをためらいなく地竜へ向かって撃った。すぐに、地竜の力がそれを弾き返してしまうが、彼はディルネオのように直接自然を――地面や岩を――操って相手を攻撃できる状況にない。ゆえに防ぎきれなかった水が、巨体に容赦なく打ちつけた。

 水の弾丸は鱗に弾かれはしたものの、地竜にたしかな痛みを与えたようだった。咆哮し、悶える地竜に、ディランは続けざまに水を放つ。

 力と力のぶつかりあい。普段ならありえない、竜どうしの戦いは、大気を揺るがし木々をしならせ、動物たちをざわつかせた。何度か続いた応酬の果てに、ついに拳大の水を顔面に受けた地竜がぐらりと体を傾ける。目ざとく隙を見つけたディランは、仕上げとばかりに力を広げた。塊だった水がつながって、大きなひとつの膜になる。ディランはそれを慎重に操り、地竜の巨体に優しくかぶせた。いきなり水に放りこまれた地竜は、驚いて足と尾を激しくばたつかせる。

『――今だ、放て!!』

 ディランが鋭く叫んだのとほぼ同時に、あたりの竜が一斉に鳴いた。全身を震わせて力を広げた彼らは、炎を、風を、水を、あるいは目に見えない力そのものを、思いっきり地竜に向けて撃つ。水の膜が割れ、しぶきがあたりに飛び散った。十頭をゆうに超える竜たちからの攻撃を一身に受けた地竜は、さすがに耐えきれなかったようだ。一度の咆哮を最後に意識を失い、地上へと落ちていく。ディランを乗せた水竜と、小柄な地竜がすぐさまそれを追いかけた。

 ややあって、轟音を響かせて地面に落ちた巨竜は、ぐったりしているように見えた。なんとかやったか、と誰もが安堵の息を吐く。だが、次の瞬間、ディtランは、はっと息をのんだ。

「まだだ」

 無意識のうちに呟く。その音を打ち消すかのように、巨竜のまわりの地面が盛り上がり、土くれがめくれて硬い玉に形を変えた。それは、まっすぐ水竜たちの方に飛んでくる。

『リヴィエロ!』

『ちっ! あいつ、まだ力があまってんのか』

 水竜が毒づいて旋回し、器用に玉をかわす。だが、いくら避けても攻撃がやむ気配はなかった。

 このままではらちが明かない。奥歯を噛んだディランは、竜に一言声をかける。

『高度を下げてくれ! 降りる!』

『おいおい、まじかよ』

 水竜は呆れたようにそう言ったが、ディランの願いを聞いてくれた。玉を避け、時には尾で砕きながら地上すれすれを飛ぶ。彼が速度を落としたときを見計らって、ディランは竜の背から飛び降りた。水竜はすぐさま飛び上がり、威嚇するような咆哮を上げる。彼の自然な誘導に、ディランは心の中で感謝して、走った。迷わず地竜の方に駆け寄った彼は、盛り上がった地面を器用に飛び越え、巨躯のすぐそばで膝をついた。そのまま、両手を倒れ伏す竜の胴体にかざす。青い波を竜へと注いだ。

 本当は同じ地竜がこれをやった方がよいのだが、今は贅沢を言っていられる状況ではない。ディランは腹を決めた。

『頼む。少しだけ、眠っていてくれ』

 祈りに似た言葉を口にして、ゆっくり力を注いでいく。だが、水の主竜の思いに反し、地竜はすぐに喚きだした。突然注ぎこまれた力に驚き、はねのけようとしている。相手から強烈な力を叩き返されたディランは、よろめいた。目の前で火花が散る。うっ、と低くうめいたが、彼はそれでもやめなかった。這うようにして竜の体にすがりつく。

 力と力の戦いが始まった。これまでとは違う、静かなぶつかりあい。

 抵抗してくる地竜のにごった力を受けながら、ディランは歯を食いしばってその場にとどまる。彼がディルネオに気づけば、あるいは彼の中で暴れ狂う力をうまく鎮められれば、大人しくなるはずだ。何度も何度も言い聞かせ、自分の力を一筋ずつ流しこんでゆく。

 だが、いくらか経った頃。ディランは自分の視界がぶれたことに気づいた。

 ちょうど、ファイネに帰ってきていたときだったろうか。似たようなことが起きただろうと、記憶がささやく。

「おいおい……勘弁してくれよ……」

 視界が薄暗くなったように感じる中で、ディランはいびつに呟く。無情にも、体の末端が冷たくなってきている。無茶をしすぎたのだ。

 指が震える。まずい、と思った。

 そして、全身を悪寒が突き抜けた、次の瞬間。

「ディラン!」

 ひきつった叫び声が彼の耳を打った。温かい感触が、ふわりと背中から彼を包みこむ。その正体は、見ずともわかった。ディランは前を向いたまま、仲間の名前に手を触れる。

「……ゼフィー」

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