11.奮起

 報告を受けたあとの、傭兵団の対応は迅速だった。

 まず、現場に急行する者と町に残る者を分けた。現場組は、首領のジエッタとサイモン以下、数人の精鋭。彼らは直接その場におもむき、何が起きたのかを確かめるという。ディランたちは当然、同行を申し出た。傭兵団としても拒否する理由はなく、あっさり首領の許可がおりた。

 町に居残る者たちは、町の人々の不安を静めて回ることと、治安の維持に集中するという。町民からの信頼も厚いセシリアや、話し上手のノーグもこちらにいる。


『家』を飛び出した現場組は、ラリーを先頭に町の入口まで走った。ちょうど、看板のすぐそばに、黒い髪の壮年の男が立っている。彼は、やってくる傭兵たちに気づくと、はりつめきっていた表情をやわらげた。銀の刺繍がほどこされた、うす青い衣がひらりと揺れる。

「――ああっ!?」

 彼らを見て、同時に叫んだのは、ディランたち六人だった。驚いて肩をびくっとさせる男に構わず、ゼフィアーが彼の前に飛び出した。

「ひょ、ひょっとして! あの村の《神官》殿か!?」

 見知らぬ少女にそう言われたせいか、男はおどおどしながら「そ、そうですけど」と答える。すぐ後に、言葉の意味に気づいたらしく、目をみはった。

「あの村って……君たち、傭兵、だよね。あの村に行ったことがあるのかい?」

「私たちは傭兵ではないが、ジエッタ殿のお手伝いをするのだ。それで、村には行った。あのときは二人しか《神官》殿はおられなかったけどもな」

「そうなのか。ひょっとして、ちょうどバートとヘルマンさんだけになってた頃かな」

 男は納得したようにうなずいた。状況にそぐわない会話をしたおかげで、緊張が少しほぐれたらしい。傭兵たちに向かって、「来てくださってありがとうございます」と頭を下げた。

「驚いた。町に駆けこんできた奴って、《神官》かよ」

 トランスは、やわらかい雰囲気の男を見ながらそう呟く。一方、ジエッタたち『暁の傭兵団』の面々は、突然の展開に目を白黒させていたものの、《神官》とゼフィアーが落ちつくと、すばやく話題を切り替えた。

「それで、いったい何があったんだい? 竜が暴れ出した、と聞いたが」

 そうなんです、と言いながら、男はにじんだ汗をぬぐう。

「事態は一刻を争いますから、経緯は歩きながらお話します」

「……わかった。それじゃ、現場まで案内を頼むよ」

「はい!」

 男はすぐさま、衣をひるがえして走り出そうとする。ラリーがそれをなだめ、なんとか彼が一人で行ってしまうのを防いだ。ひどく焦っている彼の背を追って、傭兵たちと六人の旅人は町を出る。

 吹き抜ける風は冷たい。脇にずっしりと積もる雪を見つつ、彼らは小走りで進んでいた。途中で、《神官》が口火を切る。

「私は少し前から、この西大陸で他の『伝の一族』の末裔たちと連絡をとりあっていたんです。そこへ、数日前に、北大陸の水竜たちが訪ねてきました」

 人々は、出だしから驚いていた。竜などと、平然と口にするこの男に。あるいは、「北の水竜」という言葉が出てきたことに。

 男はそれを知らないまま、話を続ける。

「彼らからすごい話を聞きまして。なんでも、今までの竜狩りで砕けた魂を救う方法が見つかったっていうんですよ。だから、二度と今までのような惨劇を起こさないために、人と竜を説得したい、とも。そして、手伝ってほしいとお願いされまして」

「へえ、そりゃすごい。世界が大きく変わるんじゃないかい」

 珍しく、ジエッタが感心したように言う。ディランたちはなんとも言えない気持ちで顔を見合わせていた。

「私は了承して、竜たちとともに各地を回ったんです。竜の通訳をしていろんなところで説得を続けてきました。そしてつい先日、ファイネの隣町に行ったんですよ。そこは、竜との親交が深い町でしてね。一部の、反人間の竜もその町の人には心を許していたようなのです。そこで、ちょうどその竜たちが来ているところを見計らって、説得を始めました。しかし、手ごたえを感じはじめた頃に、一頭の地竜ちりゅうが乗りこんできたのです。……その地竜は、深手を負っていました」

 息をのむ音がした。ゼフィアーが身を乗り出す。

「まさか、竜狩人に!?」

「そのようでした」

 答えた男は、そりゃまずいな、とうめいたサイモンにうなずいた。

「ええ。仲良くしていきましょう、なんていう話をしているところに、人間に傷つけられた竜がやってきたのです。人間をよく思っていない竜たちは、また私たちに対して、反発してきました。彼らをなだめながら、どうにか竜の治療をしようと思ったのですが……そのとき、彼は力を暴走させてしまったようなのです。おそらく、弱って混乱していたために力の制御がきかなくなってしまったのでしょう。彼はそのまま、土地を荒らしまわりながら東の森まで飛んでいきました。水竜と一緒に追いかけたのですが、手がつけられなくて……」

「悩みに悩んだ結果、近くの町に救援を求めることにした、ってわけか」

 ラリーが後をひきとると、《神官》は恐縮しきって背を丸める。

「勝手なことですが、ファイネ近郊だったのは幸いでした。あなたたちのような腕利きの傭兵団がいる町ですからね、ファイネは」

 ジエッタが苦い顔をした。

「腕利きと言ってもらえるのは光栄だけどね……それにしたって、竜をなだめるってのはちときついよ」

 きついどころの話じゃないでしょう、と弟子は心の中で言った。《魂喰らい》も特殊な一族の力もない人間が竜に挑むなど、無謀にもほどがある。それを引き受ける気でいるらしい傭兵団の意図をはかりかね、ディランは少し困っていた。

《神官》もそのあたりはわかっていたのだろう。さらに背中を丸めて縮んでいる。

「ま、どうせほかに頼るあてもないだろう。だから俺たちに頼んだ、違うか?」

 サイモンが言うと、男はうなずいた。消沈しきった彼を、ラリーが背中をさすって慰めている。その様子を見ながら、ゼフィアーが顎に指をひっかけて、ふむ、と言った。

「町を出て、話を聞いてしまったからにはしかたがない。ジエッタ殿、行くのだろう?」

「ああ。最初からそのつもりだよ。死なない程度にやってみるさ。竜というやつをきちんと見ておきたいし、放っておくわけにもいかない」

 ジエッタは断言した。迷いは感じられない。だが――だからこそ、ディランは眉をひそめていた。


 師匠のことは信じたい。それでも今回ばかりは、引き留めたいと思っていた。竜と対峙することの無謀さを、傭兵団の人たちはまだ知らないのだ。一方ディランたち六人は、暴走の様子を知りたいと思っている。だからその恐ろしさを知っていても、本気で止めることはできずにいる。証拠に、トランスやマリエットなども、先程から苦虫を噛んだような表情でいた。


 ディランは、はあっ、とため息をつき、広げた両手を見おろす。

……最悪、私が出ないといけないかもしれないな。

 声に出さずに呟いた。

 

 ラリーや《神官》が言っていた森とは、竜の意識を封じた十五年後、ディランが気を失っていたあの森だった。胸の奥がざわざわするのを感じながら、ディランはジエッタたちについて歩く。ほぼ裸といってもよい木の枝の先には、白雪が降り積もっていた。ときおり、どさどさと音を立てて積もった雪が地面に落ちる。そのたびに、レビがぴくぴく震えていた。

 しばらく歩くと少しだけ空間がひらける。一行は、足を止めた。止めざるを得なかった。道のまんなかに、竜の巨体が横たわっていたのだから。

「これは、もしかして」

 茶色っぽい、岩石のような鱗に覆われた巨躯を、ゼフィアーがしげしげとながめる。そのとき、空の上から声がした。

『あ、おまえ、本当に応援呼んできたのか! 助かった!』

 快活な竜の声に誘われて、全員が視線を上げた。ディランは目をみはる。

 数頭の水竜と、その他さまざまな竜たちがそこにいた。彼のおぼろげな記憶の中にある者もいる。《神官》の男が、彼らに向かって手を振った。

『なんとか、ファイネの傭兵たちに協力をあおぎました。ところで、地竜の暴走はおさまったのですか?』

 男は竜語で問いかける。傭兵たちが、ぎょっとして彼を見た。だが、当人たちはそれにかまわず話を続ける。先程声をあげた竜が、目を伏せて羽ばたいた。

『とりあえずはな。けど、まだ、完全におさまったわけじゃない。いつまた暴走しだすかわからないよ』

『そうですか』

 はたで聞いていたゼフィアーが、これをこのまま竜語がわからない人々に伝える。すると、サイモンとジエッタが顔を曇らせた。

「退却するか、ここに残るか、決めづらいな。どうする、ジエッタ」

「ふむ……」

 老傭兵の問いに、ジエッタは曖昧な声を返す。

 ちょうどそのとき、そばの茂みが揺れた。師弟とサイモンがそろって茂みの方を見ると、顔をひきつらせている人々と目があった。

「おや。隣町の奴らじゃないか。ここまで来たのかい?」

「そういうあんたは、ジエッタさんじゃないか。あんたが来てくれたなら、少しは安心できる」

 町民のひとり、若い男性がそう言って、顔をほころばせた。ジエッタは肩をすくめて「どうだかね」と言っている。そばで彼らのやりとりをながめていたディランはしかし、響いた声に驚いて、振り返った。

『――これ以上、人間をあてになどできないぞ』

 そう言ったのは知らない声だ。けれど、北の水竜たちでないことは確かだった。ぱらぱらと、同意の声が上がる中、《神官》と話をしていた水竜が小柄な地竜をねめつける。

『めったなことを言うな。その人間たちがここにいるんだぞ』

『どうせ俺たちの言葉など理解できぬだろう。そこなつたえの連中でもなければな』

 怒りのこもった水竜の言葉を、地竜は鼻であしらった。そして、《神官》の男を空中からにらみつける。

『だいたい、奴が話をしだしたとたん、この騒ぎだ。おまえたち、あの人間に利用されていたのではないか?』

『そんなわけがあるか! あいつは、《大森林》を見守ってきた村の人間だぞ!』

 水竜が激しく翼を打った。だが、地竜は冷やかな目をしたままだった。

『だが、おまえの友はその村人に裏切られたのだろう。違ったか?』

『……っ、やめろ!!』

 水竜が地竜の声をさえぎるように叫んだ。その目はわずかな間、地上にいる「友」を、ディランをとらえていた。目を向けられたディランは、めまいに襲われたような気分で立ちすくんでいた。雨の中、遠ざかってゆく青年の背中を思う。もとは部外者だったとはいえ、村の者に裏切られてしまったのは、否定しようのない事実だ。だが――

『だいたい、おまえたちはディルネオ様の名を出したが……あの方が生きているという証拠はどこにある。いなくなった者の名を勝手に使っているだけではないのか?』

『違うよ! あんたらには感じ取れないかもしれないけど、あいつは本当に生きてるんだ』

――自分の存在そのものが、同胞の足かせになるとは思っていなかった。

 怒りにも悲しみにも似た何かが、彼の胸に染みだしてくる。

「お、おい、大丈夫なのか」

 茂みの方で隣町の誰かがささやいた。

「俺たち、竜に見限られるんじゃ……」

「まずいぞ」

「だいたい、そうなったら、あの竜たちとおっさんが持ちこんできた話はどうなるんだよ」

 ささやきは、波紋のように広がる。それを耳にしたゼフィアーが、眉をひそめた。

「こちらも不安そうだな。どうしたものか」

 そう言ったゼフィアーはしかし、すべて言い切る前に口を閉じた。彼女は、唇をかんでうつむくディランに気づいていた。レビやチトセも戸惑ったように顔を見合わせている。竜の言葉を解する人間の少女は、しばらく固まっていた。が、あるときひとつうなずくと、たっと駆けだす。


『待て!』


 突然竜語で叫ぶなり、周囲の驚きを無視して、言い争う竜たちの間に、割って入った。

『お互い、思うところはあるだろうが、今はけんかしている場合ではない! まずはあの地竜をどうにかしなければ』

 大声で、しかも早口でそう言い、竜たちの反論を封じたゼフィアー。彼女は、誰かが口をはさむより前に、水竜たちに問いかけた。

『怪我の治療は済んでいるのか?』

『……傷はふさいだ。本当は魂まで治してやりたいけど、あれはほかの誰かが治せるようなものじゃないんだ』

『うむ、そうか。ならとりあえず、安全なところまで運んでやった方がいいかな。竜狩人に見つかってはことだ』

 どんどん話を進めるゼフィアーに、竜たちは不思議なものを見るような視線を向けつつも喉を鳴らした。文句を言っていた地竜などは、気圧されているようにも見える。「すごいわ、あいつ」などと呟くチトセをよそに人と竜はようやく、まとまって動きだしたかに見えた。

「あたしらも、なんか手伝うか。とはいえ竜のことはあんまり知らないんで、何か指示をくれると助かるよ、《神官》さんとやら」

「は、はいっ」

 今まで傍観しているしかなかった『暁の傭兵団』の人々も、それぞれに横たわる地竜の方へ歩いていく。彼らより先にそばへ行ったのは、水竜たちだった。

 地竜をなだめようとしていた雄の水竜が、その顔をのぞきこむ。

――彼が来るのを待っていたかのように、地竜の体がぴくりと震えた。薄目を開いた竜を見て、同胞たちも人間も、声を上げる。

『気がついたのか。大丈夫か?』

 水竜が声をかけたが、応じる声はない。巨竜はうつろな目で、宙を見ているだけだった。ちょうどそばにしゃがみこんだディランを含め、誰もがその様子に戸惑いを隠せない。水竜がもう一度『おーい』と声をかける。

 瞬間、地竜はと目を見開いて、体を大きく震わせた。

 ディランは背に寒気が走るのを感じ、反射的に飛びすさる。

「――離れろっ!!」

 彼はとっさに叫んだ。その声に人々が反応し、距離をとる。言葉がわからなかった竜たちも、声に打たれたようで、とっさに高く飛び上がっていた。天高く舞った竜たちを追いかけるように、地の巨竜が起きあがる。彼は翼を広げると、力の限り咆哮した。大気が震え、木々がしなる。

「おい……これはまずいよ、どう考えても」

 低い声で言ったジエッタが剣に手をかける。同時に、傭兵団の者たちへ「下がれ!」と怒鳴った。

 女傭兵の指示にかぶさるように風がうなる。地竜が飛び上がったところだった。彼は空中で暴れ回り、ぎらついた目であたりを目的もなくにらみつけている。狂った姿を見れば、何が起きたのかは、地上の人たちにさえ理解できた。

「暴走ね」

 マリエットが答えを示す。落ちついている彼女を、たまたまそばにいたサイモンが横目で見た。

「あんた、竜には詳しいのか」

「それなりに」

「なら訊く。あのでかぶつは、どうやったら大人しくなる」

「そうね……」

 マリエットはそこで一度言葉を切った。それから鞘のついた槍を、暴れている竜に向けて「あなた、今何か、ものすごい力みたいなものは感じる?」と問うた。サイモンは首をひねったあと、曖昧にうなずいた。

「今、すごく肌がひりひりするんだが。これか?」

「たぶん、それね。それは、竜の振るう自然を操る力」

 そう言うと、マリエットは、つい、と槍を動かした。穂先が示す地面に、いつの間にか大穴があいていた。

「暴走した竜をおさえるには、彼の力と同等かそれ以上に強い、別の竜の力を叩きつけるしかないの。ある風竜の子いわく『ちょっと叩いて目を覚まさせる』のだそうよ」

「――さらりととんでもねえこと言いやがるな。それだと、俺たちにできることがないんじゃないか」

「残念ながら、そういうことになるわね」

 渋面になる老傭兵に向かいさらりと言って、マリエットが宙を見る。彼女の視線の先ではすでに、凶暴化した地竜を止めるために、他の竜たちが集まっている。だが、彼らは岩石のような巨竜に近づくことすらかなわないようだった。

 力の差がありすぎるのだ。ディランにはそれがよくわかった。ほかの竜たちが水や熱をぶつけようとしても、彼の地の力があまりにも強すぎてすべて打ち消してしまう。単純な力だけでいえば、あの竜は地の主竜フェルジオにも劣らぬだろう。

「ずいぶんと強い竜なのだな」

 空をにらんでいたゼフィアーが呟く。そのとき、彼女のそばの地面が、いきなり錐のようにもりあがった。少女は「おっと」と言って、飛び出した土の錐を跳んで避けると、ディランのそばまでやってくる。

 その間にも、地竜の力の暴走は続いた。大地に穴をうがち、隆起させる。そのうち、雷鳴のような音が遠くから響いた。

「あっち、でっかい岩場のある方角なんだけどね。……まさか、崩れたか」

 そう言ったのはジエッタだ。彼女は言い終わると同時、剣をにぎって地面を蹴る。「師匠!」とディランが制止の声を上げるも、彼女は止まらなかった。地竜が高く飛び上がったところを狙い、裂帛とともに剣を振るう。刃は、竜の前足の、ちょうど鱗のない部分を切り裂いた。が、竜はするどく鳴いただけで、ひるみもしなかった。ジエッタは一度、大きな舌打ちをして竜から距離をとる。

「やっぱりでかいってのは、それだけでやっかいだね!」

「剣をかすらせただけでも、すごいと思うけどな」

 軽い口調で言いながら、トランスも弓を構えて矢を放つ。だが、白い羽の矢は、強靭な翼に打ち払われた。

 地面がもろく崩れ去り、あるいは硬い凶器となって生き物を襲う。あまりの事態に、隣町の人々が悲鳴を上げて逃げ惑っている。――これでは竜狩人が出てくるのも時間の問題であるし、何より人々に竜への恐怖を植え付けてしまう。誰もが、危機感をおぼえていた。そして、当の竜狩人の少女が、ついに刀に手をかけた。

「こうなったら、これで」

「だ、だめだよ!」

 彼女の声を聞きつけたレビが、慌てて止める。が、チトセは強く出た。

「そんなこと言ってる場合!?」

「場合だよ! 魂が砕けたらどうするんだ!」

「そうならない程度に加減するのよ!」

「よけい刺激しちゃうって……!」

 言い争いを続ける二人の間に、マリエットが「落ちつきなさい、二人とも」と静かに割って入る。二人とも、口をつぐみはしたものの、チトセはいまだ刀から手を離していなかった。殺気にも似た緊張が走る。状況がわからない傭兵たちは困惑するしかないし、状況がわかっていても、どうすることもできない。竜の咆哮がまた響いた。


 かつてない混乱の中、ディランは立ち尽くす。破壊の音はやけに小さく聞こえる。彼は暴れる竜に目をやって、拳をにぎった。

「ディルネオ」が出ていけば、あの地竜を止めることができる。だがそれはあくまでも、彼が万全の状態で力を発揮できた場合の話だ。今の彼は、力も記憶も不完全で、中途半端な存在。でしゃばっても、何かができるとは限らない。けれど、それでも、と思ってしまう。

「ゲオルク」

 かつて慕った人の名が、口をついて出た。

「……おまえだったらこんなとき、どうする?」


 目に見えぬ鎖にがんじがらめにされて。それでもあがくしか方法はない。何もできなければ、ただ、滅びを受け入れることになるだけ。


 なら、やることはひとつだろ?


 声が聞こえた。それは、『彼』の言葉だったのか、己の心の声だったのか、ディラン自身ですらわからなかった。けれど言葉は最後のひと押しとなる。ディランの口に、不敵な笑みが浮かんだ。


 一歩を踏み出す。不安も苦悩も後悔も、今は後ろに捨てていって。そうして逃げ道を断てば、自然と肝が据わるものだ。彼は静かに歩いていく。そして、ジエッタの姿を見つけると、すれ違いざまに声をかけた。

「――師匠。いったん、人々を一か所に集めてくれませんか? 隣町の人も含めて」

 ジエッタは目をしばたたいたものの、すぐ傭兵たちに指示を飛ばし、また隣町の人々も誘導した。ゼフィアーたち五人を中心にして、人間たちが一か所に集まる。不安げに固まる人たちの姿を確かめたディランは、竜たちの方を向いた。

「いっそ、このまま避難させた方がよくないか?」

 ラリーの声がするが、ディランは首を振った。「そうすると、かえってあの竜の標的にされかねない」と返す。

 すると今度は、ジエッタが問いかけてきた。

「じゃあ、どうするんだ。……いや、ばか弟子、何をする気だい?」

 鋭い師の問いに、弟子は密かな笑みをこぼす。そして、目を閉じ、みずからの内側に意識を集中させた。


 自分の力を、するり、するりと引き出していく。いつもやっている、記憶の汲みだしと同じだ。少しずつなら、難しいことではない。

 水をつかさどる、竜の力。それは脈打ち、流動し、やがて外へ流れ出た。


 ディランは波のような力を静かに操る。それはやがて、集まっている人間たちのまわりを覆うと、青い膜に形を変えて、彼らを包みこんだ。傭兵たちが目を見開く。それと同時に、ディランは言った。

「――ちょっと、あれを叩き起こしてきます」

 人としての言葉。だが、その中にひそむのは、まぎれもなく、気高き竜の意思だ。

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