幕間Ⅲ

3-1 つながる命

 その日、村で新たな命が生まれた。


 粗末な丸太小屋の中であがった元気な産声うぶごえは、集っていた人々を安堵させる。はりつめていた空気が弛緩し、母親が弱々しく笑み、父親が涙を流して喜んだ。赤ん坊はそのときもまだ、母の腕の中で泣いていた。

 

 大騒動となった出産から少し後。母子ともに、落ちつくとまではいかないまでも、当日のような慌ただしい空気はしぼんできていた。その頃になって、青い衣をまとう人に連れられ、ある青年が母子のもとへ顔を出した。彼が、青年ひとの姿をした母なる森の守護者であることに気づいた人々は、慶事を彼に報告する。そして母親が、興味深そうに赤ん坊を見ている青年へ声をかけた。

「名前を、つけてくださいませんか?」

 母親はそう言った。青年は、目を瞬く。

「私が? いいのか、おまえの子だというのに」

「もちろんです。むしろ、あなたから名をいただきたいんです」

 母親が目を細め、かたわらの父親を見上げる。父親も、力強く、うなずいた。両親の了承を受けた青年は、産着にくるまって寝息を立てる赤ん坊を見おろした。ふむ、と考えこんでから――「ジゼル、はどうだ?」と、呟くように言った。それを聞いた青い衣の男性が吹き出す。

「それは女子おなごの名ですよ」

「おっと、そうか。この子は男子だものな」

 すまない、と頬をかいた青年は改めて考えて――赤ん坊の寝顔を前に、優しく笑った。

「なら、バートはどうだ」

「『明るく輝く』という意味があるそうだぞ。リヴィエロから聞いた」と彼が続けたとき、赤ん坊が目をさまし、青年を物珍しそうにながめた。



 若き《神官》である青年は、久々に故郷の地を踏んだ。しんなりとした下草の感触にほっとする。

「実に二十日ぶりか……ヘルマン殿が村のことに大変らしいから、と聞いて帰ってきたけど……確かに、長く留守にしたな」

 青年はひとりごちて、頭をかいた。

 北大陸の《大森林》、その手前の村は『つたえの一族』の村だ。現在にいたるまで、村人の中から選び抜かれた《神官》がまとめ役を買って出ている。今は全部で六人の《神官》がいるのだが、各地で勃発する人と竜の争いの対処に追われ、村をあけていることがほとんどだった。この青年もまた、二十日あまりよそへ仲裁に出かけていた身である。

 青年がため息をこらえて顔を上げ、村の柵を越えたとき、前から明るい声がかかった。

「やあ、バートじゃないか」

 見ると、そばに桶を抱えた青年がいる。銀色の髪に緑の目、この村では唯一の色をもつ彼は、名をフランツと言った。いつも穏やかな笑みを絶やさない彼は、この日も明るい表情だった。しかし、なんとなく疲れが見えるような気もする。《神官》の青年は、わずかに首をひねった。

「フランツ。どうも、今戻りました」

「うん。きっとヘルマンさんが泣いて喜ぶよ」

 彼はいつものやわらかい声で、そう言った。冗談めかして笑う彼に乾いた笑みを返し、青年は話題を切りかえる。

「ところで、何かあったのですか?」

「……うん? ああ、わかる?」

 おどけたように言う彼を見、青年は目を細めた。フランツは、嫌そうにする彼を見て、肩をゆすって笑った。

「焦らない焦らない。言っておくけど、悪い知らせではないんだよ。むしろ、とてもめでたいことだ」

「めでたいこと?」

「うん。――赤ちゃんが産まれたよ」

 さりげない告白に、青年は目を見開いた。

 

 この村には若者が少ない。今までの最年少は、ずっとこの青年とフランツの二人であった。それでも、村に流れてきた年若い同族の夫婦がいた。そして、ほがらかな妻が子を身ごもったことを、青年も知っていた。出産には立ち会えないだろうということも。


「そうですか」

 ため息とともに青年が声を吐きだす。すると、フランツが「悔しい?」と茶化すように問うた。青年は適当に言葉を濁してかぶりを振る。

「まあいいや。君も、報告ついでに顔見ておいでよ」

 フランツはそう言うなり、青年の腕をひっぱった。うす青い衣のすそがひるがえる。

「ちょっと……」

「ほら、こっちこっち」

 青年は抗議の目を向けたものの、フランツは意に介さずどんどん突き進んでしまった。

 やがて、二人が行き着いたのは、集会所の向かいに佇む丸太小屋だった。そこには件の夫婦と、幾人かの村人がいた。その中に、年老いた《神官》の姿を認め、青年は目を丸くする。かたわらにいる銀髪の彼は、それもわかってここへ連れてきたのだろう、と今さら気づいた。

「まあ、バートさん。お帰りなさい」

 人々の輪の中心にいる女性が、青年の姿を見て微笑む。年下相手に敬語なのは、《神官》だからだろうか。それとも彼女の気質のせいか。青年はぼんやり考えたが、彼女の腕の中に抱かれている存在に気づいて、思考を打ちきった。

 産着にくるまれた赤ん坊は、今はすやすや眠っている。赤ん坊というのは、どうしてみんなこんなにかわいいのだろうか、と不思議になった。頬をつついてみたい衝動を、青年は無言でこらえる。フランツが肩を震わせているのが目の端に映ったが、無視した。

「ちょうどよかったわ」

 無言の葛藤を知らない女性が、おっとり切り出した。青年ははっと、彼女の方を見る。

「ねえバートさん。この子の名前、あなたにつけていただこうと思っていたんです」

「え?」

 青年は目を大きく見開き、それから、うろたえた。

「ぼ、僕などが名前を……? いいんですか、あなたの子どもなのに」

「あら、いいんですよ。《神官》様に名づけていただけるなんて、光栄だもの。ねえ」

 女性はそう言うと、かたわらの男性を見上げた。男性も強い言葉とともにうなずいていた。

 多少の差はあれど若い彼らのやり取りに、周囲の大人が懐かしそうに目を細める。が、当事者たちは知らない。

 それからふた言、三言みことを交わしたあと、青年の方が折れた。寝息を立てる子を見つめながら、今までになく真剣に考えこむ。聞くところによると女の子らしい。いくつも、いくつも名前の候補を思いついては弾きだすことを繰り返す。そのすえ、彼はぽつりと言った。

「……ジゼル」

 その場が止まった。青年と、そばで見ていたフランツはそのように感じていた。

「ジゼルは、どうでしょうかね」

 青年は、珍しく照れながら繰り返した。まわりの人々が顔を見合わせていることには気づいていない。

 女性は、小さく名前を呟いたあと、自分の子と《神官》の青年を何度も見比べた。夫とも目を配りあった。それから、いつもの優しい笑顔を咲かせる。

「素敵な名前だわ。それじゃあ、この子は今日からジゼルね」

 女性がそう言ったとき、赤ん坊が小さな声を上げながら目をさました。知らない大人がたくさんいたせいだろうか、彼女はすぐ泣きだしてしまう。かといって慌てるでもなく、母となった女性は、子をゆっくりとあやしはじめた。

 優しく、優しくあやしながら、女性は青年を見上げた。

「ありがとう、バートさん」


 それから青年は、フランツとともに村の中を少し歩くことにした。途中、フランツが思いついたように問うてくる。

「そういえば、バート。君、自分が誰から名前をもらったか知ってる?」

 唐突な問いに驚いて、青年は足を止めた。

「いえ。考えたこともありません。まさか、君が知っているんじゃないでしょうね」

「そのまさかなんだけど。ヘルマンさんから聞いた」

 おどけて眉を上げて見せるフランツに、青年はため息をつく。

 そしてそのとき――ふいに、おぼろげな記憶が脳裏に浮かび上がった。まだ何も定まっていないはずの目に、妙にはっきり、人の顔が映りこんでいる。とても優しい目をした人だ。不思議な、人だった。

「気になる?」

 穏やかな声に意識を引き戻された青年は、「まあ、それなりに」と、ぼんやりしながら答えた。

 フランツは気づいているのかいないのか、いつもどおりの表情で続ける。

「なら、ヘルマンさんに訊いてごらんよ。いろいろ、おもしろいことも教えてもらえるかもよ」

 からかうような口調にむっとしたものの、青年はすなおにうなずいた。自分の出生時のことなど、今まで考えもしなかったが、そういう話を聞くのも悪いことではないかもしれない。そう思うと、なぜだか足取りが軽くなる。

 そんな青年の背中を目で追っていたフランツが、ぼそりと呟いた一言を、彼は結局、聞かなかった。

「ジゼル――『約束』、ね。不思議なものだ」



 そしてこのひと月後、「彼ら」は互いを知らぬまま、忘れたままに、再会を果たす。

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