24.希望の種

 しんしんと冷える書庫の中。梯子の右隣の本棚を、角灯の火がゆらゆらと照らしている。そんななか、ひとりの少女は真剣に、手袋をした手を本棚の中にさしいれていた。資料を脇へと寄せて、その隙間を確かめる。何もなかったら手を引いて、さらに右隣へさしいれる。そんなことを繰り返しているうちに、少女の手が、異質な乾いた紙をつかんだ。彼女は息をのんでそれを引き抜く。ずるずると出てきたのは折りたたまれた大きな古紙で――その内側には、円を基礎とした奇妙な図形と、堅苦しい文字列が踊っていた。

 内をのぞきみた少女は、そっと紙をたたみなおすと、背後を振り返った。

「あった。これだ」

 少女、ゼフィアーの声は静かなものだったが、堪え切れない喜びと高揚感に満ちている。

 すぐそばにいたディランは彼女の隣にしゃがみこむと、ひも閉じの本の隙間からのぞいていた冊子をひっこぬいた。変色したそれをまじまじと見て、水竜の少年は息を吐く。

「よくもまあ、こんなものをたった一人でまとめたな」

 書庫の中を漂う言葉は、ここにいない人へ向けられたものだった。ディランはふっと目を細め、その直後に梯子の方を仰ぎ見た。ほかの人々も、その視線の意味に気づく。

「みなさん。そろそろ日が沈む頃ですので、帰っていただきたいのですが」

 そんな、きっぱりとした言葉とともに、《神官》の若者が降りてきたのだ。彼は角灯を一行の方へかざすと、その手に持っていたもののせいだろうか、目をみはっている。

「っと、もうそんな時間なのか。しかたねえな」

 トランスが後頭部を支えるように手を組んで、ぼやく。ゼフィアーが慌て出した。

「ま、待った! その前にこれを書きうつさせてくれ。持ち出されるのも困るだろう?」

 そう言って少女は誰の返事も待たず、図面と手順書の複写を始める。それは、六人全員を巻き込んだ大作業となった。一気に騒がしくなった書庫の一角を見て、若者は重いため息をついた。

 

 資料の複写を終えた六人は、急ぎ足でフランツとともに彼の家へ戻った。彼が暖炉の火を強めた頃には、すでに外はまっくらになっていた。食事を手早く済ませてしまうと、ゼフィアーが暖炉の前に資料を広げはじめる。

「さっきは見ている時間がなかったからな」

 そう言うなり、紙とにらみあいを始めた少女の腕をディランはぽんぽんと叩いた。

「燃やさないようにしろよ」

 とりあえずそれだけ言っておいてはみたが、ゼフィアーが聞いているかどうかは怪しいところだ。ディランは他の五人やフランツと目を配りあい、解読に没頭している彼女の横から、乱雑に広げられた紙をのぞき見る。さすがに、手順書の内容を丁寧に読むのは難しかったので、彼らの視線は陣の方へ吸い寄せられた。小さな円を大きな円が囲んでいて、その間に古代の文字が書き連ねてある。さらには、円周上に不思議な記号が見て取れた。

「内側の円の方にいるのは、竜のようだけれど。外側の記号は何かしらね」

 マリエットがぽつりと呟いたとき、はかったかのようにゼフィアーが顔を上げた。

「これは、どうも、竜の力と……人の魂を使う方法のようだな。それでもって、陣に力を与え、砕けた魂を天に還すことができる」

 ゼフィアーは、さらりと言った。

 それを聞かせられた人々は、ぎょっとしてその場に凍りつく。

「人の魂!? そ、それって」

「生贄を使うってことじゃないわよね」

 まっさおになるレビの横で、チトセが眉をひそめた。が、ゼフィアーはかぶりを振る。

「そうではない。人の魂から放たれる、微弱な力を借りるのだ」

 彼女の言葉を即座に理解できた者が、何人いたのか。明らかに訝しがるような空気が小屋じゅうを覆ったのを感じ、ディランは苦笑した。

「ほら、生き物はみんな目に見えない力を持っている、っていうだろ。気とか波動とか、呼び方はいろいろあるけど。そういうものなんじゃないか?」

「そうなのだ。竜や『伝の一族』の間では、それは魂から放出される力といわれていてな。《儀式》の際にはその力を借りる必要があるらしい。たちあった人間は疲れはするが、死ぬわけではないようだから、安心していいと思う」

 大げさにうなずいたゼフィアーは、図面に目を落とす。大きな古紙の表面を指で叩きはじめた。

「でも、なんで人の魂も使う必要があるんですか?」

「補強のためだろうな。何せ、この陣をまともに動かすには、主竜二十頭分の力が必要になるようだから」

 古代文字をなぞりながら淡々と言う少女に、その場にいた人たちはぎょっとしたような視線を向ける。主竜二十頭分、と言われてもはっきり想像できないものではあるが、彼らがこれまでの経験から、それがどれほど大きな力かを悟るにはじゅうぶんなようでもあった。

「あともうひとつ。竜や人間は、他の動物と違って、意識して陣に力を送りこむことができるからな」

「言われてみればそうね」

 話を聞きつつも手槍を見つめていたチトセが、神妙にうなずいた。

 暖炉の奥で、大きな音を立てて薪が爆ぜる。それすら、遠い音のようだった。

「ともかくこれで、ちったぁ希望が見えてきたってわけだな」

 静かになりかけた空気を引きとめるように、トランスがことさら大きな声を上げる。誰かも同じことを思っていたのだろう。苦笑とともに、温かい空気が流れはじめた。が――それを断ち切るような冷徹な指摘も、またあった。

「でも、喜んでばかりもいられないんじゃない」

 ぼそり、と。ささやくように言ったのは、チトセだった。彼女は手槍に鞘をはめて、近くの壁に立てかけると、一行に厳しい目を向ける。

「その《儀式》とやらをやるだけじゃ、何も片付かないわよ。だって、人と竜の対立がおさまってないもの。どうにかして、反人間派の竜と、竜狩人たちを説得しないと、同じことを繰り返すだけでしょ」

「そ、それは確かに……」

 レビが、圧倒されたように顔をひきつらせた。一方ディランは、冷静にうなずいた。――ディルネオとしての自覚が戻りはじめた頃から、気がかりなことではあったのだ。彼の、憂いと鋭さを帯びたまなざしに何かを思ったのだろうか。チトセはさらに、言葉を続ける。その目は一瞬だけ、己が佩いた刀を見ていた。

「しかも、この《儀式》の情報がどこかに漏れれば、間違いなく竜狩人の妨害がある。竜の存在そのものが許せないって連中も多いからね。竜なんていなくても世界は回るし、俺たちはやっていける、っていうクチ」

「やっていけていないからこその、今なのだけれどね」

 マリエットが、微笑みながらも辛辣な一言を口にする。だが、それはまた、事実でもあった。チトセは気まずそうに彼女を一瞥したあと、再び刀に目を落とす。

「……ちなみに、うちの首領もそのクチだよ」

 凍えるような口調に、五人の表情がこわばった。事情を知らぬフランツだけが、首をひねっている。

「チトセは、いいの?」

 ややあって、切り出したのはレビだった。チトセはしばらく考え込むそぶりを見せたが、見つめる目は鋭くて、答える声は乾いていた。

「あたしは、別に。ただの私怨だったし。首領やオボロさんみたく、高尚なこと考えてるわけじゃない」

 魂が還るのは、勝手にすれば、って感じ。彼女はそう言い切ったっきり、暖炉の火を見つめたまま固まって、黙りこんでしまう。いつのまにか図面から目を離していたゼフィアーが、彼女の横顔を見つめて真剣な顔をしていた。やがて少女は、ふいっとその目をディランに向けた。

 何かを問うような、あるいは確かめるような目。今まで何度か、そんな目を見てきたが、今回はいつにもまして鋭利な視線だった。

 けれど、彼は揺らがない。その目が問おうとしていることに、気づいているから。

 だからただ、こたえるように微笑を返す。琥珀色とも金色ともつかぬ瞳が、安堵したように細められた。

「ならば、説得すればいい」

 力強い声が響く。チトセが、我に返ったように振り返った。他の人々の視線も声のもとに集まる。

 ゼフィアーは図面を折りたたみながら、落ちつき払って言葉を続けた。

「同じことの繰り返しになるのを防ぐなら、説得すればいいし、しなければならない。人も竜も、けんかをするのはもうやめようと、手をとりあって共存してゆく道を探ろうと、訴えていかなければ」

「――正気? 口でいうほど、簡単なことじゃない」

「そうだな。簡単じゃないとわかっていたから、少し前までなら、思ってはいても実際にやろうとは思わなかった」

 ゼフィアーの口の端に、自嘲的な笑みが浮かぶ。

 いくら『伝の一族』の末裔といえど、たかが放浪者の小娘ひとりが訴えようとも世界は動かない。彼女は己の小ささを、無力さを、少しだけれど知っている。だからこそ今までは踏みとどまっていた。

「けどもな。今は違う」

 不思議な色の瞳が、旅路を共にしてきた人々の顔をなぞる。みな、ただ真剣なまなざしを彼女に返した。そしてやがて――少女と竜の視線が、交わる。何度目かはわからない。彼らはただ、いつものようにうなずきあった。

「今はみんながいる。それに何より、かつて単身で世界を変えるために奔走した竜殿が、ここにいるのだ。彼が今また踏み出そうとしているのに、それを知っている私たちが踏みとどまっていてどうする?」

 からかうような少女の口調に、ディランは思わず吹き出した。

 あの頃はただ必死だったのだ。争いをなくすためにただ必死だった。記憶は不完全でも、胸を焼くほどの強い思いはこびりついて離れない。そして、それに突き動かされているのは、今も変わらない。かつての失敗を取り返せるとは思っていない。ただ、自分のやることは変わらないと、思っているだけだった。彼はにやりと笑うゼフィアーを見て肩をすくめ、口を開く。

「――竜の方は、俺が働きかけてみるよ。単身じゃ全員を説得するのは無理だけど、眷族や他の竜の力を借りることができれば、あるいは……少しは道が開けるかもしれない」

「じゃあ、人の方はどうするの? 数も多いし、竜みたいに純粋じゃないわよ、人間っていうのは」

 チトセが気まずそうに問うと、考えこむような空気が流れる。その中で、ぽつりと声を上げた者がいた。

「確かに、世界中の人間を説得して回るのは難しいけど……世界中に影響力を持つ人に働きかけたら、どうかな?」

 六人が振り返ると、むしろに座って話を聞いていた銀髪の青年が、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 彼の言葉に、何人かは納得し、何人かは当惑する。

「えっと。それって、偉い人ってことですか?」

「別に、王侯貴族のような地位の高い人じゃなくてもいいよ。それよりかは、大商人や有名な旅芸人の一座、名のある傭兵なんかがいいんじゃないかな。世界中を回っているわけだし、彼らの言葉が人々に与える影響は、すごく大きいと思うんだ。あ、教会の司祭様とかでもいいかもね」

 淡々と述べる彼の顔は穏やかで、聞く者の不安を静めてゆく力を秘めているようだった。

――実際、ディランたちはそれぞれに、胸のうちの不安が薄らいでいくのを感じていた。思わず笑みをかわしあう。

「それなら案外、いけるんじゃねえか?」

 トランスが、にやにやしながら言った。その視線が主にディランやレビに向いているのは自然なことだろう。目を向けられた彼らは、強くうなずきあう。

「そうだな。やってみるか」

「はい!」

『彼ら』ならきっと、未だ非力な若者たちの言葉にも、真摯に向き合ってくれるだろう。そんな安心感が、どこかにある。

 レビの弾けるような笑顔を見て自分も笑ったディランは、気分を変えるように伸びをした。

「それじゃあまずは、『ディルネオ』の眷族に会わないとな。事件以来、ずっと気をもんでるだろうし」

「そうそう。いい加減安心させてやれよ、お人好し竜め」

「その後は計画を練らないと。どこから手をつけるか」

 いつもどおりの騒がしさを取り戻した一行に、馴染みきれない少女が冷たい目を向ける。

「ほんと、馬鹿」と呟く声は、彼女自身が思っているよりは、優しかった。



どれだけ時間がかかっても。どれだけ苦しい思いをしても。

とりあえず一歩を踏み出して、声を上げて、歩いてゆく。希望の種をまいていく。

それは、いつかきっと芽を出して、美しい花を咲かせるはずだから。

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