23.書庫に眠るもの

 旅人たちが書庫の話を切り出したのは、ヘルマンが落ちついたあとだった。改まって頼まれた《神官》ふたりは、今度こそ本当に困ったように、目を合わせる。

「ディルネオ様の頼みとあっては、我らとしても断りづらいものだがな……」

「しかし、外部の人間にまであそこの資料を見せてしまうのは、いかがなものかと思いますが」

 ためらいを見せる老人へ、いまだ驚きからさめない若者が、苦い顔で言う。それを聞いていたゼフィアーが両手を顔の前で合わせた。

「私たちが入るのがだめというのなら、最悪ディランだけでもいいのだ! とにかく《儀式》の情報がほしい!」

「もしかしたら、書庫に入って記憶が戻るってことも、あるかもしれませんし」

 ディランが横で、落ちついた声で付け足す。切り替えの早い水竜は、すでに少年としての態度と口調に戻っていた。人の姿のときはこちらの方がしっくりくる、という個人的な好みもある。ヘルマンたち《神官》はそうでもなかったようで、やりにくそうに身じろぎした。ややあって、若者の方がこわごわと口を開く。その目は、竜の感性を内包する少年へと向いていた。

「あの書庫に特殊な《儀式》についての記述があった……この話は、間違いないのですか?」

「それは違いない」

 ディランは竜の口調で切り返したあと、遠い目をしてつかのま天井をあおいだ。

「そういうものがあった、ということは辛うじて思い出せる。《聖域》からの帰り道に、考えに考え抜いてこの有様だが」

 言った彼は、自嘲的に笑った。自分で封じた記憶であるというのに、それを引き出すのにここまで難儀するとは、と考えて情けなくなる。なんと言ってよいかわからない、という具合の表情をする《神官》たちへ再び目をやった。

「中途半端な俺が単身で行くよりも、あるていど知識のある人たちが来てくれた方が、俺としてはありがたいんですが。人手も多いに越したことはないし。――だめ、ですかね?」

 うかがうように言うと、《神官》たち、特に若者の方は顔をしかめた。

 しばらくの間、重い沈黙が漂う。それは時間にしてみれば短いものだったが、感覚としては終わりが見えないほどに長いもので、レビがぎゅっと棒をにぎりしめたくらいだった。それほどの熟考の果てに、重い口を開いたのは、ヘルマンの方だった。

「わかりました。書庫への立入を許可しましょう。ただし、資料の取り扱いは慎重にお願いしますぞ」

「よいのか!?」

 ゼフィアーが目を輝かせて、前のめりになった。ディランは、放っておけばそのまま倒れこみそうな彼女の首根っこをつかんで引き寄せる。それから《神官》を順繰りに見やって頭を下げた。

「ありがとうございます」

「お気になされますな。わずかな希望に賭けたい気持ちは、我々も同じです」

 ヘルマンが穏やかに言う。その横で、若い《神官》が動きだし、奥の机に歩み寄り、無造作に置かれていた角灯を持ちあげた。それから、客人たちを振り返る。

「案内は僕がします。ついてきてください」

「今から行くんですか?」

「早い方がいいでしょう」

 レビの素っ頓狂な声に、若者はあくまでも平然と返す。放っておいても地下へ向かってしまいそうな勢いの彼を、六人は慌てて追ったのだった。彼らとともにここまで来たフランツは、満面の笑みでそれを見送った。

 

 集会所として使われている建物の奥までいくと、机と木箱の陰になって目立たない場所に、小さな扉がある。それを開くと、人が三、四人入るのがやっとといった広さの小部屋に出た。そして、地下へとつながる入口は、そこにあった。四角くくりぬかれた床板から、長い梯子が下へ向けて立てかけられている。

「こちらです」

 若者は、ディランたちに短く告げると、彼らを先導した。古びて頼りない梯子を慎重に降りていく。ディランは途中、足を滑らせかかったレビが、チトセに強引にひっぱられる姿を目撃した。

 全員が無事に降り立ったのを確認すると、若者は無愛想なままで歩きはじめた。あきれつつ彼を追いかけるディランは、そのついでに書庫を見回した。

 地下にある大きな書庫には、当然光はさしこまない。壁も床も石でできている空間に、大きな棚がびっしりと置かれていた。いわゆる「本」は意外と少なく、巻物や石板が目立つ。古い書物が多いからなのか、独特のにおいがこもっていた。

 暗く、冷えこむ地下書庫に、人数分の靴音だけがせわしなく響く。本棚の間を通りすぎてゆく途中、おぼろげな記憶に頭を刺激されてぼんやりしていたディランは、唐突に振り返った《神官》の目を見て、我に返った。

「最初に見た書物が、どのあたりにあったか思い出せますか?」

 彼は、顔をしかめながら訊いた。態度を決めかねているようだった。ディランはあえてそれを追及することはせず、宙に視線を泳がせて考えこむ。

 よみがえる音や風景には、雑音と霧が常につきまとっているようで、そこから情報を拾い出すのにはたいへんな努力が必要だった。頭が痛くなりそうなほど考えこんだ彼は、ゆっくりと、書庫の奥を指さした。

「たぶん……あっち、ですかね」

 頼りない声で彼が言うと、《神官》はうなずくだけうなずいてから、その方につま先を向ける。

 角灯の明りがぼんやり揺らめく中、ディランはある棚の前で動きを止めた。すぐに気づいたマリエットが、視線を投げかける。

「あら。ひょっとして、ここなの?」

 なぜか楽しそうな問いかけに、ディランは曖昧にうなずいた。本棚と正面から向き合うと、無造作に手をつっこんだ。若者が焦りの色を見せたものの、ディランは無用な探りを入れず、太いひもでまとめただけの薄い本を取り出した。人がひとりで書き、ひとりでまとめたものだ。かなり古いものだから、紙は黄ばんでインクと思しき黒はところどころでにじんだりかすれたりしている。

「これが……ディルネオが最初に見つけたものなのか?」

「そうだ。うん」

 ゼフィアーの問いに、自分に言い聞かせるようにして答えた彼は、ぱらぱらと手書きの薄い本をめくってゆく。その手が途中で、ぴたりと止まった。

「ほら、ここ」

「……って言われても、俺たちには何が書いてあるのかわかんねえけどよ」

 のぞきこんだトランスが顔をしかめる。

 楔形文字がところどころに入り混じった奇妙な字は、ずっと昔に使われていたものだ。今の時代にこれを読める人間はほんのひとにぎりであると、ディルネオの意識は知っていた。そして、その「ほんのひとにぎり」の人間が声を上げる。

「『いずれ力は失われてゆく。そのときのために、何をすべきか。そう考えて辿り着いたのが、先祖たちが一時期研究に心血を注いだという、竜の魂を清める儀式の研究とその成果だった。『伝の一族』のみに頼らず、この世に安寧をもたらすための研究は確実に進んでいたが、人手が足りなかったことにより頓挫してしまったらしい』……この先は、字が消えていて読めないわね。あと、ところどころに固有名詞みたいなものが見えるけれど」

「いや、古代文字をさらさら読めるって。あんたどんな人生送ってきたわけ?」

 小首をかしげるマリエットにそんな指摘を飛ばしたのは、今まで無言だったチトセだ。その鋭い口調に《神官》がたじろいだ様子を見せるも、すぐに咳払いする。

「それはおそらく――かつての《神官》が残した手記でしょうね」

「ああ。

……そうそう、確か、仲の良かった奴の手記だったからって懐かしんで見てたら、その記述を見つけたんだよ」

「え、それじゃあ本当にたまたまだったんですか?」

「たぶんな」

 幼さの残る声を地下に響かすレビに、ディランは答えた。頭を抱え、言葉を濁すのは、記憶に自信がもてないせいだった。

 彼は気をとりなおして、手記の一ページに指をすべらせる。

「問題は、この手記にはこれ以上、《儀式》に関する記述がないことだ。ほかの固有名詞は、人名や書名だったと思う」

「それを手がかりに調べ物を進めようとしたものの、だんだん抗争の鎮静に追われて時間がなくなった、ってところか?」

 トランスの言葉に、ディランはうなずいた。

「ならば、今からそれをすればいい! この文字なら、頑張れば私も読めるから手伝うぞ!」

「いや本当、みんなどんな人生送ってきてるんですか?」

 はりきりはじめたゼフィアーを前に、レビが呆れたように肩を落とす。そのやりとりに少し笑ったあと、六人は調査のために書庫の中へ散ってゆく。そして、それを見届けた《神官》の若者は、「では、僕は上に戻っていますね」とディランにのみ言い置いて、去っていった。

 

 ディラン、トランス、チトセの組とゼフィアー、レビ、マリエットの組にわかれて調べてまわってみることにした。古い《神官》の手記から読み取れる固有名詞を手がかりに、書庫を端から端までひっくりかえすようにして見ていくが、《魂還しの儀式》そのものに触れた記述はあっても、すべては『つたえの一族』が中心となって行うものだ。その方法の多様さはわかっても、彼らの求めるものはなかなか見つからなかった。

「ここにもないわね……」

 慣れない手袋をはめた手で、おっかなびっくり古い本を棚に戻したチトセが、ため息をつく。横で、トランスもゆるゆると首を振る。彼らを見て肩を落としたディランの手には大量の紙がある。それは、役に立つかもしれないと思った情報を適当に書き連ねたものであった。その紙を、トランスが指さした。

「いっそ、それをもとに、ゼフィーに陣とやらを開発してもらう、ってのはどうだ? おまえもいることだし」

「それ、何年かかるのよ」

 チトセが目をすがめ、長身の男をにらみつける。それにディランは苦笑した。

 また新しい本棚に取りかかりかけたところで、トランスが思い出したように、ディランを見た。

「そういえば、さっきの手記を書いた《神官》ってどういう奴だったんだ?」

 今の資料検索とは関係のないように思える問いに、しかしディランは懐かしむような目をした。

「不思議な奴だったよ。《神官》になる前から感覚とつながりが強くて、《聖域》に迷い込んでしまったこともあった。優しくて温厚ではあったんだけどな……ころころ表情が変わって、いつまで経っても子どもみたいでさ」

 探し物をする手は止めない。けれど、竜の昔語りを、男と少女は魅入られたように聞いていた。特にチトセは、一語一語に揺さぶられているのか、目をみはったり肩を落としたりと忙しい。

「ああ、そうそう。頭もよかったから、文書にわざと暗号を混ぜ込んだりして、ほかの《神官》たちを困らせてたこともあったっけ」

「そりゃなんつーか、すごいな」

「だろ?」

 トランスの率直な感想に笑ったディランはけれど直後に、はっとして手を止めた。自分の言葉を心の中で反芻し――吐息のような声をこぼして、トランスたちに背を向けた。

「あっ、おい、ディラン!?」

「レビたちのところに行ってくる。手記はあいつらが持ってるだろ」

「そうだけど、あれを見てどうする気?」

 チトセが必死な様子で声を潜めたその瞬間、ディランの目の前にふらりと人が躍り出る。角灯の明りに、驚いた少年の顔がぼんやり照らし出された。

「……ディラン? どうしました?」

 レビは焦ったディランの顔を見て、こてん、と首をかしげる。その手には、古びた手記が大事そうに抱えられていた。

 ディランは一度、短く息を吐き、肩を落として心を落ちつける。

「レビ。ちょうどよかったけど――一人なのか?」

 問うと、彼はうなずいた。そして、古びた手記を差し出してくる。

「さっき、なんの気なしにあの頁のはしっこを見たら、変な文字みたいなものがあったんです。ゼフィーもマリエットさんも、読めないっていうので、ひょっとしたらディランなら……って」

 向けられた声に、ディランは息を詰めた。予感は正しかったのだと、思った。

 彼の尋常ならざる雰囲気に誘われたのか、トランスとチトセの二人もそろそろと歩み寄ってきた。

 レビへ向けてうなずいたディランは、手記を受け取るとはやる気持ちをおさえて頁をめくる。先程開いた場所で彼が手を止めると、レビが身を乗り出してきて、「ここです」と指をさした。子どもの指が示したのは、見開き頁の左下だった。そこには確かに、見逃しそうなほどの小さな文字の列が、数行続いている。事実、ディルネオだった頃には完全に見逃していたのだろう。ほかの文字に比べるとわずかに新しい感じがした。

「確かに、変な文字だな。手記の一部にしちゃ、不自然だし」

「これも古代文字? 全然読めないんだけど」

 背後からのぞきこんだ二人が、それぞれの感想をこぼす。が、ディランはろくに聞いていなかった。無我夢中で文字を追い――すべてを読んだ瞬間、今は亡き《神官》に感謝した。

「――梯子の右隣の棚、三段目」

「え?」

 ディランの口からこぼれた無機質な呟きに、その場の者たちが目を瞬く。きっと鋭い表情をしたディランは、その三人に鋭く言い放った。

「そこに、陣の図面と《儀式》の手順書がある」

 彼の声は静かだった。

 けれど、それを聞いた三人は雷に打たれたようにひるんだあと、一斉に動き出した。

「ぼく、二人に知らせます」

「頼んだレビ坊! おら嬢ちゃん、いくぞ!」

「え、あたしも探すの?」

「あたりまえだ!」

 またたく間に遠ざかってゆく彼らの声を追い、ディランも小走りで梯子の方へ戻ってゆく。

 


 ディルネオ様へ

 きっとあなたなら、この記述を見つけて、興味をもたれることでしょう。

 梯子の右隣の棚の、三段目を見てください。そこに、ぼくなりにまとめた陣の図面と儀式の手順書を隠しておきます。

 あなたの夢の実現の、一助となれば幸いです。

 


 閉じられた手記、小さな文字の向こう側から声が響く気がする。

 ようやく脳裏によみがえった彼の顔は、驚くほどに鮮明だった。

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