25.再会と、その先

 ミルトレはため息をついて、目の前の竜たちを見回した。

 そのほとんどが自分よりも年上の竜である。ミルトレは、北の水竜のなかでも特に若いのだ。だから本来、竜の常識に照らせば、彼らは敬ってしかるべき存在である。

 けれど今は、そんな年功序列などあってないようなものと言わんばかりに、彼女はふんぞり返って呆れたように吐息を漏らしていた。あるいは、他の水竜たちがそろいもそろってうなだれているので、彼女がふんぞり返っているように見えるだけかもしれない。

『まったく……いつまでうじうじしてるんですか』

 今は、そんなことはどうでもいいか。思いながら、ミルトレは先輩たちを見回した。

『確かに、ディルネオ様の眷族とあろう竜たちが暴走して人間を殺しそうになった、というのはこれ以上ない失態かもしれません。実際、私だってぶちきれそうになりました』

 臆面もなくそんなふうに言い放つミルトレを前に、竜たちは困惑して視線を交わす。若き雌竜めすりゅうは、いらだっていた。

『けれど、それをいつまでも引きずっているというのも、どうかと思いますよ。例の兄弟の刑も決まったそうですし、気持ちを切り替えていかないと。あるじ様に合わせる顔がないです』

 彼女は、藍玉のような目をふっと曇らせる。ここにはいない、主のことを想う。

――今、どこで何をなさっているのだろう。あのお方のことだし、人間に殺されてはいないと思うけど……。

 信じてはいたが、不安はぬぐえない。

 ミルトレの、胸のうちに気づいたのか。ある水竜がはっと目を見開いた。伝の少女に言づてをした竜だ。

『あの、ミルトレ。その主様のことなんだけど……』

 が、彼らが何かを言う前に、ミルトレが異変に気づいた。余所にいっていた彼らは今、拠点である《大森林》へ戻っていたところだったのだが、ちょうど目的地が見えてきたところである。そして、《大森林》を眼下にとらえれば、当然その変化に気づく。

『あら? 森が、前よりも元気になっているような』

 言いかけて、けれど彼女はそこで言葉を切る。翼が不安定に震えた。同時にあたりの眷族もざわめきだすが、ミルトレは気づかなかった。彼女の意識は、ただ《大森林》の方に、そこから自分の方へ流れこむ、懐かしい力に向いていた。

『ディルネオ様……!』

 主の名を呼んだのが誰だったかは、わからない。

 けれど、まっさきに《大森林》めがけて飛び出したのは、間違いなくミルトレだった。

 

 

 図面を前に、これからのことを話しあった次の日。さっそく、一行は《大森林》へ向かうことにした。

「でも、どうしてあの森なわけ? あんた以外に竜がいるようには思えなかったけど」

 道すがら、チトセがぞんざいな口調で問いかけてくる。ディランはうなずくように小さく顎を動かした。

「昨日はな。だけど本来、眷族たちの拠点も《大森林》だ。森に入って待ってれば、そのうち誰かが気づいて寄ってくる」

「適当な」

「そういうものなんだよ」

 まとまりのない会話をしている竜と竜狩人に、周囲の人々は生温かい視線を送るが、二人ともそれを気にしてはいなかった。

 やがて、彼らは昨日と同じように、《大森林》へいたる。今日はフランツもついてこなかったので、誰にも見送られることなく森の中に踏みこんだ。森は昨日より、少し元気になっているように見えた。今のところ、ディランは森の奥、《聖域》以外に手を加えてはいない。しかし、以前のように、知らないうちに流れ出ている力が森に影響を及ぼしているのだろう、と結論付ける。

 誰からともなく口をつぐみ、湿り気を帯びた土を踏む。靴音が何度か、みずみずしい木の葉に跳ね返る。むっと鼻をつく草のにおいが漂ってきて、少しばかり道幅の広いところに出た。そのとき――何人かの鋭敏な耳が、異質な音をとらえた。

「あら、これって……」

 一番に呟いたのは、マリエットだった。緑の隙間から見える空をあおぐ。確信のこもった女性の呟きにディランはうなずく。

 そして――

『ディルネオ様っ!』

 叩きつけるような高音が響いた。人間たちはそろってすくみあがる。覚悟していたディランでさえ、少し顔をしかめた。

 やがて、遠かった音が、翼がくうを打つ音がどんどん近づいて。狭い空を、青い群が覆い尽くす。喜びに顔を輝かせる竜たちは、ある者は森の中に着地して、ある者は低空でとどまった。そして――先程声を放った若い雌竜が、飛び付くようにしてディランのそばまでやってくる。

『ディルネオ様! ディルネオ様ですよね? この気配は間違いないわ』

 唖然とする人間たちを無視してまくし立てた雌竜に、ディランは苦笑した。

『落ちつけ、ミルトレ。そんなに何度も呼ばなくとも大丈夫だ』

『あ、ああ……やっぱり!』

『心配をかけたな』

 ディランが、ディルネオとしてそう言うと、雌竜は瞳を潤ませる。まわりの竜たちも感極まったかのようだった。そんな竜たちをあおいで、水竜はいつものように微笑んだ。

『みんなも。長く留守にしてしまって、すまなかった。……《大森林ここ》に留まっていてくれて、ありがとう』

 なめらかな竜語ドラーゼが森に響く。

 瞬間、竜たちは歓喜の声を上げた。

『謝らないでください、ディルネオ様。生きて帰ってきてくださって、よかったです。それだけで、じゅうぶんです……』

『それに言ったでしょう? 長く留守にしても、《大森林》は守ると』

『にしても主様、ずいぶんかわいらしいお姿になりましたね』

 きゃいきゃいと騒ぎだした竜たちを、ディランは微妙な心地で見回した。困ったような、恥ずかしいような、嬉しいような。けれどそれは、日だまりのように温かい感情だった。

「すっげえな、この光景」

「ディランが竜語ドラーゼを普通に話しちゃってますね……」

 ひそひそと交わされる会話にも、興味深そうな視線にも気づいていたが、眷族たちへの対応に忙しくて、反応を返す余裕はなかった。

 しばらくすると、とりあえず竜たちは落ちついた。けれど次に、そのうちの何頭かがぎょっとしたように喉を鳴らした。その理由は、ディランにも、ほかの五人にもすぐわかる。――彼らを見て驚いたのは、水幻洞すいげんどうのそばで暴走した竜たちだったのだ。

『あのときは、どうもすみませんでした!』とまた平謝りを始めそうな眷族たちをどうにかなだめ、さらに竜狩人チトセのこともどうにか「今は敵ではない」ということだけ伝えて、ようやくもっとも話したかったことを切りだすことができた。

《魂還しの儀式》についてディランとゼフィアーが話すと、竜たちは顔を輝かせる。

『以前おっしゃっていた儀式のことですか。方法、見つけられたんですね』

『うん。どうも、とても大きな力が必要なようだから、ほかの主竜たちに協力をあおがないといけないかもしれない』

 感慨深そうに言う一頭の雌竜へ、ディランが笑いかける。その後、横からゼフィアーが身を乗り出した。

『それだけではない。今後、惨劇を繰り返さないためにも、人と竜をどうにかして説得しなければならんのだ。だから、お主らの力を借りたいと思う。協力してくれないだろうか?』

 うかがうような少女の質問に、竜たちは顔を見合わせる。憂いを見せたのはほんの一瞬で、ディランがそれに気づいた頃には、彼らは爽やかな表情になっていた。ミルトレが、力強く喉を鳴らす。

『わかったわ。私たちも、できる限りのことはしてみる。こういう説得はずいぶん前からやっていることだしね』

 ミルトレのさっぱりとした承諾に、ゼフィアーは安心したように目を緩めた。

『――恩に着る』

『ふふ。そう言ってくれるのなら、《儀式》をしっかり成功させてちょうだいね』

 ミルトレは、少女に向かってそう言った。一方、ディランの方を大きな竜が見やる。

『このあたりの竜たちのことは、我々にお任せください。ディルネオ様は、ひとまず、人間たちの方を頼みます』

『わかった。みんなと一緒に、やってみる』

 ディランは手短に答えると、会話を聞いているだけだった四人を振り返った。竜の言葉を理解している者も、そうでない者も、どんなやりとりがあったかは察したらしい。強いうなずきが返ってきた。

「さて。それじゃ、俺たちは『影響力のある人』のところに行かなきゃならんわけだな」

「ということは、西大陸ですね」

 楽しげに呟くトランスの横で、レビが小さく拳をにぎる。彼ら――特に、はじまりから旅をしている三人は、誰に話を通すかすでに目星をつけていた。一行に加わったばかりのチトセは話について行けていない様子だったが、後から質問すればいいとあきらめているようでもある。

 ミルトレが、人間たちを見おろして翼を打った。

『海を渡るの?』

 彼女は、ゼフィアーにそう訊いた。少女が三つ編みを揺らして首肯すると、水の雌竜は頭を持ち上げ、喉を鳴らす。

『それなら、運んであげる。ディルネオ様がいらっしゃるなら、あの厳しい空域もどうにか越えられそうだし』

『いいのか? ありがとう!』

 力強いお礼の言葉に、竜は再び喉を鳴らして答える。

 

――やることは決まった。ディランたちは、ミルトレと海のそばで落ちあうと取り決めて、《大森林》を出た。



     ※

     

     

 やはり、人と竜では距離感は異なるものだ。空を飛べるか飛べないか、という大きな違いがあるので、しかたがない。

《大森林》手前の村から少し歩いたところに大きめの岩がある。ミルトレが指定してきたのが、その岩の前だった。空から見ていてもわかりやすいからだという。

「海からだいぶ遠いですけど、いいんでしょうか……」

 無愛想に佇む岩を見上げながら、レビがこぼす。トランスは「翼がある竜には関係ねえよ」と軽く返している。そのとおりなので、ディランは何も言わずに空を見ていた。が、ふいにその視線を下げて、自分の背後を見やる。

「それにしても……わざわざ、こんなところにまで見送りに来てくれるとは思いませんでしたよ」

「主竜様とお客人の旅立ちを、見送らないわけにはいかないでしょう」

 言いながら振り向いたディランのそばには、銀髪の青年フランツが立っていた。いつもと変わらぬ笑顔だ。

 揺るがないなこの人は、と思いながら、ディランは肩をすくめる。フランツとヘルマン以外の村人は、最後まで一行に戸惑いのこもった視線を向けていたというのに。

 とりとめのないことを考えていると、馴染みのある重い音が、風に乗って響いてきた。全員の視線が、自然、上に向く。うすい雲がかかった空に、青い竜の姿が見えた。ミルトレだ。

『お待たせ。行きましょう』

 彼女はそう言うなり、かたい大地に向かって降りてくる。翼を広げ、地上すれすれで滞空した彼女は、人々に「乗って」と視線だけで訴えていた。六人は視線を交差させる。

 荷物は持った。図面と手順書の写しも、もちろんのこと、だ。

 どういう経路で人々を訪ねるか、下話も済んでいる。あとは西大陸に渡るだけ。

 それを目で確かめあった彼らは、順番に竜の背へ飛び乗る。全員が乗ったことを確認すると、ミルトレは翼をゆっくり動かして、舞い上がった。

「気をつけてね」

 地上から声がかかる。フランツが、いつものように手を振っていた。

「うまくいくことを祈っているよ。僕らも、周辺の村の人たちに話を広げてみる」

「ええ。お願いね」

「ありがとう」

 マリエットの言葉に便乗して、ディランたちも礼を述べる。

 次の瞬間、ミルトレは一息に高度を上げた。色のない大陸が見る間に遠ざかっていく。

「あっ」

 背後から、誰かの声が聞こえた。ディランが振り返ると、竜の背にしがみついているレビが下を見ている。

「みんな、あれを……」

 ささやくような声に誘われ、六人は下を見て――レビと同じように驚いた。

 フランツからは少し離れたところで、伝の村の人々が固まって、手を振っていたのだ。琥珀色とも金色ともつかぬ特有の瞳は、彼らをやわらかく見つめている。竜の背に乗る旅人たちは、誰からともなく微笑んで、手を振り返した。

『さ、行きましょう。目指すは西大陸東部、砂漠の近くですね』

 ミルトレの声が響く。ディランはよくとおる声で『ああ』と言った。

 冷たい風が、刹那に吹き抜け。雌竜は南に向かって飛び出した。

 

 ディランが視線を巡らすと、遠くの空に散ってゆく、青い竜たちの姿が見える。

『……いつもいつも、世話をかけるが。頼んだぞ』

 水の主竜でもある彼のささやきは、北の風に流されていった。

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