14.奇妙な関係

 木々がそよぐ。獣たちの息遣いも、鳥のはばたきの音も、今までと何一つ変わらない。そしてここに、人はいない。主たる竜にとって、異質たる青年にとって、それが幸運か不運かはわからないし誰も知らない。ただ、変わらないはずの森の中に、鋭い戦場の空気がたちのぼりはじめているのは、確かだった。

 ナイフの柄を両手で強くにぎったゲオルクは、鋭く息を吐いて飛びかかってくる。ディルネオは彼の姿を見、目を細めた。故郷とやらで何をしていたかは知らないが、戦うことには慣れているらしい。ナイフの握り方から身のこなしまで、無駄がなく自然だった。――惜しむらくは、「敵」である竜を前にして冷静さを欠いていることだ。

 そして、付け加えるならばもうひとつ。

「その刃物ひとつで、私にかなうと思うか」

「ふだんなら思わねえな。けど、今はわからねえだろ」

 ゲオルクは叫び、歯をむき出しにして笑った。戦いの中に入ったせいか、憎むべき相手を前にしているせいか、気が高ぶっているらしい。ディルネオはため息をつくと、無造作に刃を手で叩いた。ナイフと青年の体ががくんと揺れるが、ゲオルクはためらわず刃を突きこんでくる。

 そしてナイフは、ディルネオの腕を貫く――ことはなく、跳ね返った。かたい何かに弾かれたかのように。

「なっ……!?」

 ゲオルクは反射的に飛びすさり、唖然とした。対して、ディルネオはあくまで穏やかな視線を注ぐ。

「変化というのは、いわばだ。皮膚に見えるものも性質は鱗とまったく同じ。意識すれば人のそれに近づけることは可能だが、完全な再現はできないな」

「くそったれ!」

 ディルネオがみなまで言う前に、言葉の奥にひそむ意味をくみとったのだろう。ゲオルクは、顔を歪めて吐き捨てた。けれど、得物は手放さない。瞳の奥の闘志は揺らがない。ディルネオにとってはそれが、うらやましくもあり、少しだけ悲しくもあった。

 彼がわずかな感傷に浸っている間に、ゲオルクはまた踏み込んでくる。ナイフが音を立てて突き出される。鈍色にびいろに光る刃先が狙ったのは、腹だった。ディルネオは身をひねってそれをかわすと、再び腕を振った。が、かたい手がナイフを叩き落とす前に、ゲオルクが逃げるように後退する。再び、厚刃あつばがディルネオの胸から腹にかけてをなぞるように見た。

 もとから鱗に覆われていない部分を狙えばいい、と判断したようだ。

「なるほど、道理だ」

 確かにそれなら、《魂喰らい》の武具でなくとも竜に傷をつけることはできるだろう。当たれば、の話だが。

 休みなく繰り出される攻撃を、ディルネオは器用にかわしつづけた。隙をみて刃物をとりあげて終わらせよう、とは思うのだが、相手もなかなか俊敏で勘が良いので、思うようにはいかなかった。今もまた、振り下ろした右手がくうを切る。

 ディルネオが困ったようにナイフを見ていると、満ちる殺気がわずかに弱まった。ゲオルクはナイフをにぎったままで、けれど呆れたような視線を竜へ向けている。

「……あんたさ、なんでそんなに人の体に慣れてるんだよ。郷士団の奴よりうまいよけ方しやがって」

「ふむ?」

 声を落として投げかけられた問いに、ディルネオは首をかしげる。それから、両手をしげしげとながめた。

「なぜと言われてもな。まあ、よくこの姿に変化しているからだろう」

「はっ。人に化けて人を騙して、何がおもしろいんだよ」

「騙しているつもりはない。あの村の者たちも、私がよく顔を出す近くの集落の者たちも、私の正体を知っている。人の姿をとるのは、怖がらせないためだ。

それに、元の体は人里におりるには大きすぎるのでな」

 淡々と返すとゲオルクは声を詰まらせて黙り込んだ。渋いものを食べてしまったときのような顔に、ディルネオは思わず笑ってしまう。相手をおとしめて黙らせようとしたはずなのに、自分が正論に黙らされてしまった。その悔しさが、表情にありありとあらわれていて、少しおかしかったのだ。

 それならば、ここで仕上げといこうか。

 ディルネオはいつもの表情と態度のままに曇天を見上げたあと、いくらか殺気のゆるんだ青年に向き直る。

「ところで、ゲオルク」

「気安く呼ぶな」

「ここが、誰の家か知っているな」

 冷たいゲオルクの声をさらりと無視して、ディルネオは言った。相手の青年は露骨に顔をゆがめつつ、それでもまじめに答えを言った。

「あんたの家だろう」

「そう。私と水竜たちの棲むところだ。――それはつまり、どういうことか、わかるか?」

 回りくどい問いかけに、ゲオルクはいまいましげな目をする。が、直後に目をみはった。ディルネオの言わんとしていることに気づいたのだ。

 まるでその瞬間を見計らっていたかのように、森の奥の方から、重々しい音がする。翼が、宙を叩く音。こんな大げさな音を出す鳥は、《大森林》にはいない。いるとすれば鳥ではなく――

「それ見ろ。さっそく、一番口うるさい奴が来た」

 わざと、うんざりしたような態度をとって、ディルネオは振り向いた。ゲオルクが青ざめていることには気づいていたが、あえて彼には構わない。構っているひまもない。もうすでに、青い竜の影が見えている。

『ディルネオ様、ここにいらっしゃいましたか』

『よかった。お帰りが遅いから、何かあったか寄り道しているのかと』

 なじみ深い竜語が耳に届く。若竜たちの姿と声を認めて、ディルネオはのん気に片手をあげた。

『やあヴァレリオ、それにミルトレも一緒か。……本当に私を信用していないな?』

『そうですね。あなたが時折見せる気まぐれ、というただ一点に関しては』

『手厳しい』

 ヴァレリオの淡々とした言葉に、ディルネオは肩をすくめる。そのとき、呆然と竜たちの会話を見ているゲオルクの姿を、目の端にとらえた。そして同時に、苦笑いのような表情で竜のやりとりを見守っていたミルトレの、視線が下がる。

『あら? あの人間、確かこの間村に来た……』

 ミルトレの声につられるように、ヴァレリオの視線もそちらに向いた。目が自分を見たことで、竜が自分に気づいたとわかったのだろう。ゲオルクがぎょっとして飛び退った。同時に、竜たちが彼の手に光る刃物を見つけ、顔色を変える。鋭さを宿す竜の瞳を前に、ディルネオはため息をついた。

 さて、どうしてこの状況を丸く収めようか――そんなことをちらりと思ったディルネオが、口を開きかけたとき、ゲオルクが先に動いた。

 大きく舌打ちをしたかと思ったら、ナイフを腰帯の鞘に収めたのだ。そして、踵を返して駆け去ってしまった。土を踏む音と、青年の影が遠ざかる。

 あまりにあっという間の出来事だ。去りゆく人を、竜たちは無言で見送った。少し時間が経ってから、二頭の竜が、今は小さな主を見下ろす。

『ディルネオ様』

『……あれ、放っておいていいんですか?』

 深い深いため息とともに放たれた、ヴァレリオの呼びかけ。そしてミルトレの無邪気な質問。

 そのふたつにディルネオは、一言で答えた。

『心配せずともよい』


それからしばらくは、報告された竜狩りの情報収集や『審判』への参加などがあり、ディルネオはせわしなく世界じゅうを飛びまわることになる。ただ、その間にも《大森林》や伝の村の様子を見にいくことは欠かさなかった。いつもどおりの日常。そこに、ささやかな非日常があるとすれば――村で暮らすようになった、身寄りのない青年の存在だろう。

「あんた、また来たのかよ」

 それは、珍しく晴れたある日のことだった。伝の村へ顔を出した、その帰り道。蔓を編んでつくられた籠を抱えた、青年姿のディルネオが《大森林》へ向かいはじめたとき、背後からとげのある声がかかる。この村でディルネオに対して、そんな声がけをする人間など一人しかいない。その先にあるものを予想しながら、ディルネオは振り返った。

 案の定、視線の先には手袋をはずしながら立っているゲオルクの姿があった。村へやってきてからもうじき半年。さすがに、この世間から隔絶された村の雰囲気に馴染みはじめているようだ。最初に見たときより、いくらかやわらいだ顔つきに、ディルネオは安堵する。が、青年が竜へ向けるきつい視線はあまり変わっていない。

「ゲオルクか。村にはもう慣れたか?」

 それでも、ディルネオは他の誰かにそうするのと同じように、青年へ声をかけた。ゲオルクはそれが気に食わなかったのか、あからさまに眉をひそめた。

「こっちの言葉に答えろ、化け竜」

「そこまで言われたのは久しぶりだな。私がこの村に来るのはよくあることだぞ。いちいち怒っていたら疲れる」

「……ふつう、自分でそれ言うか?」

 罵詈雑言をあっさり受け流されたうえ、やや自虐的な冗談で返された青年は、自分が竜につらくあたっていたことを忘れたように半眼になる。それからすぐ、目が覚めたような顔をして唇を尖らせた。その変化は、ゲオルクには悪いが見ていておもしろく、ディルネオは声を立てて笑ってしまった。やはり、ゲオルクの目が鋭くなる。ディルネオは大げさに慌てたふりをして、笑いをひっこめた。

「ったく。あんたと話してると調子が狂う。毒気が抜かれそうだ」

「……うん?」

 ゲオルクが小さく呟いたが、それはディルネオには空気の音のようにしか聞こえなかった。首をひねって訊き返してみても、青年は「なんでもねえ」というだけで答えてはくれない。しかたない、と追及をはなからあきらめたディルネオは、そこで抱え込んだ籠の重さを思い出した。目を輝かせ、彼は竜不信の青年に籠を示す。古い布がかぶせてあるので、それだけでは中身がわからないのだが。

「そうだ。おまえのところのネルから、土産をもらった!」

「土産?……ネルさん、なんでわざわざそんなことするんだ」

 お世話になっている人の名を出されたおかげか、ゲオルクは嫌そうな顔をしつつも珍しく食いついた。

「で、土産って何。毒入り団子?」

「竜にそこらの毒は効かぬぞ。しかし、おしい。団子はあっている」

「団子なのかよ」

 ゲオルクの勢い任せの声を受けながら、ディルネオは軽く布をめくった。中から、やや緑がかった肉団子をつめた箱と、大量の薬草が顔を出した。草の束が、もさりと頭をもちあげる。だが、竜と青年の視線は隣の肉団子に釘づけになっていた。

「こ、これって……激甘肉団子」

「なんだ、知っているのか」

「一度食べさせられたことがある。ネルさんの部族の伝統的な料理らしいな。……あんた、これ食えるのか?」

 何かを恐れるようなゲオルクの一言に、ディルネオは怪訝に思いつつうなずいた。

「私は好きだ。それに、人間の料理の中ではじめて食べたのがこれだから、思いいれもある」

 正直にそう答えると、ゲオルクから憐れむような視線を注がれた。その意味がわからずますます首を傾けながらも、ディルネオは布をかけ直した。「トランスがいれば一緒に食べられたのだが」と懐古の呟きが漏れる。自分がかつて面倒を見た少年ならこれを食べてくれるだろうと、信じて疑っていなかった。

 そんなディルネオの態度に思うところがあったらしい。ゲオルクはため息をついた。

「本当に、変な竜だな。あんたは」

 言う彼は、いつの間にか仏頂面ではなくなっていて。困ったような苦笑いを浮かべて佇んでいた。

 ディルネオは相好を崩し、彼に微笑む。

「よく言われるよ」


 それ以降、ディルネオは村を訪ねたとき、必ずゲオルクの様子を見に行くようになった。時には、村人に彼の様子を聞くようになった。その折、彼が村の外の人々とも関わるようになったという話を聞き、なんともいえぬ喜びを覚えたものである。

 だが、そうして明るい方へ向かっていく事がある裏で――竜と人の争いは、おそろしいほど苛烈なものになっていった。

 

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