15.破滅の足音

 特に冬場は日照時間が少ない北大陸全土であるが、局地的な気候変動などはめったに起きない。大水竜ディルネオの安定した守護があるからだともいわれるし、単にその他の条件がいいからだともいわれる。真実など知りようもないし、知ろうとする人さえいない。

 だからこそ、おかしいのだ。大陸の一か所だけが、まるで空に穴があいたかのように晴れている、などというのは。

 ふだんこの大陸にいるうちはお目にかかることのない、暴力的な太陽の光が、雲の穴から降り注いでいるというのは。

 この異変が起きはじめたのは二か月前だ。太陽光をじかに受ける村の人たちは、戸惑い、おそれおののくように空を見上げる。そしてあるとき、一人の男が、紅い鱗をもつ竜の群を、目撃してしまったのである。

 竜の主は、イグニシオでもフレミエでもない。拠点をもたず世界中を放浪している別の竜であるはずだった。彼らは爬虫類に似た目をぎらつかせ、悲鳴をあげながら自分たちを指さしている人々をにらみつけた。

 同胞の恨み、と誰かが小さく呟く。――三カ月と少し前、この村のある若者たちが竜狩りに加担していたことが知れたのだ。しかもなかには、炎竜や彼らを逃がそうとした風竜を直接手にかけた者もいたという。情報をもたらしたのは『伝の一族』で、彼らは善意でそれを伝えたのだが、一報はたまりにたまっていた竜たちの不満を爆発させてしまったのである。

 くらい炎を目にたたえた竜たちは、誰からともなくあぎとを開いた。ずらりと並んだ牙はかすかに光り、その奥に、紅い力がたまってゆく。太陽の熱を受け、彼らになじみ深い火の力で満たされたこの場で竜たちは、破壊活動を行おうとしていた。口腔こうこうにたまってゆく紅色は、やがて火炎のように村へ降り注ぐことだろう。

 が、そうなる前に、声が響いた。

 

「離れていろ!」


 よくとおる人の声。竜たちの何頭かが動きを止め、下を見た。村人たちの方へ駆けてくる人がいた。黒髪を振りみだし、鋭い声で彼らを遠ざけようとしたのは、若者だった。――否、若者にみえる者だった。

「柵のあたりまで行け! 危ないぞ!」

 村人たちは戸惑いながらも、鋭い声に押されて人々は村を囲う柵の方へ後退してゆく。それを確かめた若者は、きっと空を見上げた。

 その両目を見て、炎竜のうちの何頭かは、気づいた。

『あれは』

 だが、その言葉がすべて終わる前に――青年の体を青い光が包み込む。光は、その体をすっぽり覆うまでじわじわ広がったあと、一気に強くなった。青年が地面を蹴ると同時に、光はしぼむように薄らいでいく。その向こうから現れ、空へ飛びだしたのは、巨大な青い竜だった。

 流れる水のごとく空をすべってゆく竜を見ていた村人たちの中からため息にも似た声があがる。そして、その中で老人がひとり、呟いた。

「ディルネオ様……」


 ディルネオは炎竜たちに向かいながら、意識して力を放出させる。見る人が見れば、青い膜のようにも映るであろうそれは、ゆらゆらと踊るようにゆらめきながら、空気を、雲を包み込み、激しく猛っていた熱をゆっくり冷ましていった。

 竜たちはその姿を見て、ひるんだように動きを止めた。顎は閉じられて、ふくれていた力はわずかな白煙とともに、ふしゅう、と音を立てて消えてゆく。

『なぜ止める』

 炎竜のうちの一頭が、ディルネオをにらみつけて問いかけた。ディルネオのよく知る顔だった。

『逆に、止めぬ理由がどこにある? 人を死なせるわけにもいかぬし、自然が乱れても困る。おまえたちが罪を犯すのもそうだ』

『部外者であるおまえにとやかく言われる筋合いはない。それに――』

 炎竜の紅い目がちらりと動く。刹那、光る鋭いものが二頭の竜の鼻先をかすめていった。不気味で危険な力の残り香を感じ、ディルネオは首を巡らせる。そして、つかのま絶句した。

『狩人か』

 村の倉の裏手から、弓を構えた青年がこちらを見据えている。

『竜狩りに加わっていたのは、同胞を殺した者たちだけではなかった、ということだ』

 淡々と言う炎竜の声を聞きながら、ディルネオはざっと村を見回した。よく見てみれば、あちこちの建物の陰から、武器を構えた若者たちが顔をのぞかせている。彼らは、炎竜たちが来ることを予期していたのだろう。そして炎竜たちもそれを承知のうえで、村を壊しつくそうと考えたのだ。何も知らなかったのは、他の村人たちで、彼らは今も柵のそばに固まって、青い顔で若者たちを指さし、何かを叫んでいる。

――自分を呼ぶ声を聞き、ディルネオは顔を上げた。炎竜の群のうしろから、眷族たちが固まってやってくる。彼らは炎竜たちを厳しい目でにらんだあと、狩人の存在に気づいて身をすくめた。今も、弓矢や投げ槍が、彼らを狙っている。

『この状況を水竜だけでどうにかするつもりか?』

 せせら笑うように、一頭の炎竜が問う。ディルネオは目を細めた。

 けんかを売っている場合ではないだろうに。

 そう吐き捨てたくなったのをこらえ、彼は息を吸う。炎竜たちをなだめることと、狩人たちを遠ざけること、ふたつを一度にやらねばならない。それを眷族に伝えるべく、竜語を放とうとあぎとを開いた。が、そのとき、西の方から日だまりにも似た力の塊が近づいてくるのを感じる。ディルネオはそれに気づくと、思わず微笑んだ。

 どうやら、間に合ったようだ。

『案ずるな』

 彼は炎竜に声をかけた。

『なんだと?』

『どうもはこうなることも織り込み済みだったようだぞ。年の功、というやつか。まったく、かなわない』

『何を言って……』

 声を荒げかけた炎竜。だが、その言葉は尻すぼみに消える。

 突如、建物の陰から竜を狙っていた若者たちのそばで、光が弾けたのだ。光は、二度、三度、四度と立て続けに弾け、そのたびに若者たちの悲鳴がこだまする。それを、唖然としている炎竜たちとともにながめたディルネオは、いっとう大きな翼の音に反応して首を動かした。

『やあディルー! 助太刀するよー!』

 明るい声とともに飛んできたのは、黄金の鱗におおわれた巨竜。世界各地を放浪する、光竜こうりゅうクレティオだ。

 年上のくせに子どものように無邪気な彼へ、ディルネオは微笑みかけた。

『助かった。クレティオ』

 彼の声にこたえるように、空に無数の光の球が舞いあがる。――クレティオの眷族たちだった。

 

 その後、光竜たちの協力もあって不埒な狩人たちは無力化できて、炎竜たちもなんとかなだめられた。後処理を終えたディルネオは、先に帰ったはずの眷族たちを追うように空を駆けていた。ふと、耳の奥に、高い声がよみがえる。

『気をつけた方がいいよー、ディル。最近勢いづいてる狩人連中が、こっちに渡ってくるつもりみたいなんだ』

 別れ際に聞いた、クレティオの話だ。やっかいな相手なのか、となんの気なしにディルネオが問うと、クレティオは首をかしげていた。

『僕も詳しいことは知らないけどね。構成員の出身地も目的もばらばらのようだけど、竜を狩るのは結構派手にやるみたいだ。ほら、この間北であった炎竜狩りも、その集団のしたっぱが起こしたものらしいし』

『――あの事件か。いよいよ本隊が到着する、というわけだな』

『うん。たぶん話の通じない相手だから、出くわしたらためらうな、とだけ言っておくよ』

『……わかった』

 そのとき、ディルネオは神妙にうなずいた。クレティオの言葉は自分の性格を見抜いてのものだろうとわかっていたからだ。実際、争いごとを好まないディルネオの気質を、クレティオは常に心配していた。いずれはそれが、弱点になるまいかと。だが今は、年長の主竜の予感が形をもつことはない。


『……む?』

 空を滑るように飛んでいたディルネオは、途中で村を見つけて速度を落とした。《大森林》からそれほど遠くなく、昔からある村だ。ディルネオも何度か顔を出したことがある。けれど、そんな村落なら、北大陸にはごまんと存在する。ディルネオの目を引いたのは、村では異質な人影だった。

 村の入口に立つ、黒い髪の青年。

『ゲオルクではないか』

 青年の名を呟いたディルネオは、少しその場にとどまることにした。体を器用にかたむけて、その場でゆっくり翼を動かしながら、ゲオルクを観察する。

 よく見ると、彼の隣には別の人がいた。彼と同じくらいの年頃の、若い女性だ。うすい亜麻色の長髪を背中に流し、よく見かける女性用の長衣をまとっている。上空からでは表情はわかりづらいが、穏やかに何かを話しているように見えた。

 その女性とゲオルクは、しばらく談笑していた。その終わりに、女性の方が軽くゲオルクの肩を小突き、彼はそれに対してうろたえた様子を見せている。ただ、無愛想に突っぱねているというよりはむしろ、照れ隠ししているかのようだった。上から見ていてもわかるくらいゲオルクの顔はまっ赤になっている。

『ほう』

 その意味を察したディルネオは、思わず目を笑みのかたちに歪めていた。

『まあ、あいつもよい歳だからな。異性に興味が向くのも当然だ』

 笑い含みの声で呟いたディルネオは、その場で体を半回転させ、また飛びはじめる。ただし、今度は小さな村からのびる道へつっこむように、下降していた。


 道に降り立つと、ちょうど、視線の先からゲオルクが歩いてくるところだった。着地と同時に青年の姿になっていたディルネオは、愛想よく片手をあげる。

「ゲオルク。元気か?」

 すると相手は、ぎょっとして半歩下がった。幽霊でも見るかのような表情だ。それにディルネオが吹き出すと、彼は苦々しい顔をしつつ近づいてくる。

「なんだ、ディルネオかよ。おどかすな」

「悪いな。上を飛んでいたら、おまえの姿を見つけたものだから」

「そうなのか? 気づいてなかった」

 ゲオルクは首をかしげながら言う。その手には、大きな籠を抱えていた。おそらく中には、貴重な豆か何かが詰まっているのだろう。

 最近、ゲオルクは、村の者たちに代わって外の人々のもとへ行くことが増えているようだ。物や情報を交換し、得たものを村へ持ち帰る。少し前までは、ネルと数人の村人のみがこなしていた仕事に、彼も加わっているというわけだ。そして、それが影響したかどうかは定かではないが――ディルネオをはじめとする竜たちに、とげとげしい視線を向けることも少なくなった。

 二人はどちらからともなく、並んで道を歩き出す。すると背後から、必死な声が追いかけてきた。

「ゲオルク! ゲオルクー!」

 女性の声だ。ゲオルクが、肩を震わせ振り向いた。邪魔はよくない、とディルネオはあえて横の方へよける。

 するとそこへ、亜麻色の長髪を振りみだしながら、若い女性が走ってきた。よほど必死に追いかけてきたらしく、汗だくになっている。

「アラナ。どうしたんだよ、そんなに慌てて」

 少し曲げた膝に両手をついて、荒い呼吸をくりかえしている女性へ、ゲオルクがおずおずと話しかける。彼女、アラナはその姿勢のまま顔を上げた。穏やかな目もとをふにゃりと緩めて、微笑む。

「ごめんなさい。渡し忘れたものがあったのに、気づいて……」

「だから走って追いかけてきたって? 無茶すんなよ」

「でも、大切な薬草だから……」

 えへへ、と照れ笑いをしたアラナは、まだ荒い呼吸をしつつも手際よく背負っていた籠を下ろし、なかから薬草を取り出した。村で見かけるのとはまた違った種類だ。よその大陸から仕入れたものかもしれないな、と、ディルネオとゲオルクはくしくも同じことを考えていた。

 ゲオルクが礼を言って薬草を受け取る。アラナは嬉しそうに彼を見ていたが、やがてその目が横へ動いた。女性が自分を見ていることに気づき、ディルネオは目を瞬く。ゲオルクも、彼女の視線を追うように竜を見て、あ、と言った。

「あら? ひょっとして、ゲオルクのお友達ですか?」

「うん。まあ、そのようなものだ」

 ディルネオは曖昧にうなずいた。どうやら、彼女はディルネオが竜だと見抜いていないらしい。ならばわざわざ正体を知らせることもなかろう、と判断する。ゲオルクも、何も言わなかった。アラナだけが嬉しそうにして、丁寧に頭を下げる。

「私、この先の村に住む、アラナといいます。ゲオルクにはいつもいろいろ買ってもらったり、話し相手になってもらったりしているんです」

「ほう」

 興味を引かれて身を乗り出したディルネオは、そのまま「よろしく」と頭を下げた。気まずそうに目をそらしたゲオルクがアラナを見る。

「買ってるのは俺じゃなくて村だよ」

「でも、いつもあなたが来てくれるわ。私、楽しみにしてるんだから」

「ったく、しょうがねえやつ……」

 ころころと屈託なく笑う女性を前に、青年は顔をしかめる。だが、引き結んでいるように見えてゆるんでいる口もとからして、まんざらでもなさそうである。

 またしばらく、和やかに談笑しだした男女を、ディルネオは温かく見守っていた。

 その後、ディルネオも交えてアラナと世間話に花を咲かせたのち、別れた。また、ディルネオとゲオルクは二人で歩く。籠を抱いて黙りこんでいる青年へ、水竜は弾んだ声で話しかけた。

「よい娘だな。おまえが彼女を好くのもわかる気がする」

「すっ――!? お、俺は別に、そんなんじゃねえ!」

「ならばなぜ、顔がまっ赤になっているのか」

「おまえ天然か!? それともわざとか!」

「さあ、どうだろうな。それで、今はどういう関係なんだ」

「今はも何もねえ! 出会ったときからずっと、それなりに話せる相手ってだけで……」

 事を楽しむディルネオの声と、慌てふためくゲオルクの絶叫が、薄い雲のかかった空に響く。

 薄絹のような白雲の下を、数頭の風竜が旋回していることにディルネオは気づいていたが、このときはさして気にとめなかった。


――気にとめていれば何かが変わっていただろうかと、二十二年後の彼は思う。

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