13.異質な客人

 ヴァレリオと語らいながら飛ぶことしばし。ディルネオの青瞳せいどうは、色のない大陸に突然あらわれる緑の森をとらえ、嬉しそうに細められた。

 二頭の竜は顔を見合わせたのち、森に向かって飛んでゆく。

 どのくらい前からか――ディルネオが主竜となって以降、棲みかとしている《大森林》。もともとは地衣類がぽつぽつ生えている程度の、ほかと大差ない場所だったのだが、彼が棲みつきはじめてからどんどん木の芽が出て成長し、あっという間に森となってしまったのだった。彼のなかからたれ流される――勝手に放出される力が、自然環境に影響を与えてしまったのである。ちょうど、イグニシオの住まう山脈のまわりが砂漠であるのと同じ原理だ。この環境変化は竜自身の努力でどうにかできることでもないので、『禁忌』とはみなされていないものの、ディルネオは少しの申し訳なさを感じている。

 胴を傾けて森の方へ降りてゆくと、二頭の姿を見つけたのか、森の方から青い竜の群が飛んできた。その数、五十は下らない。みなディルネオの眷族だった。

『ディルネオ様ー!』

 彼らは無邪気に主の名を呼び、向かってくる。中にはヴァレリオを一瞥してひるんだように止まる者もいた。彼のまじめさは、良くも悪くも有名なのだ。なかなか先輩の眷族と打ち解けきれずに憮然とする若竜に苦笑しつつ、ディルネオは竜たちの出迎えを受けた。

『留守を任せてすまなかったな』

『大丈夫です!《大森林》は、びしっと、守り抜きました!』

 先陣切って飛んできた一頭の竜が、誇らしげに首をそらす。ふだんから明るく自信に満ち満ちた性格の竜だ。歳はディルネオとさほど変わらないはずなのだが、なぜかまわりの竜たちからは弟か息子を見るような目を向けられている。そんな彼にディルネオは笑みを浮かべた。そして、今度はやってきた眷族たち全員に問う。

『私がいないあいだ、森や人の村に変わったことはなかったか?』

 竜たちは視線を交差させる。全員が、少しの間、考えこむように黙った。それから一頭の雌竜めすりゅうが目をみはる。

『あ、そういえば』

 思わず、といったふうに声を出した彼女は、直後に慌ててあたりを見回す。ディルネオが気にせず続けろとばかりに無言でいると、彼女はおずおずと続けた。

『悪いことは何もなかったんですが。変わったことが、ひとつだけ。

つたえの一族の村に、外の人間が来たんです』

『外の人間が? 珍しいこともあるものだな』

 ディルネオが目を瞬くと、竜たちはざわめいた。みな、沈んだ顔をしている。発言した雌竜も力なく羽ばたいた。

『悪いひとではなさそうなんですが……どうも、禁忌を犯した竜に襲われたあとみたいで、すごく私たちを警戒していて……』

『――ほう』

 ディルネオは、ちかりと目を光らせる。しばらくその場でばさばさと翼を動かしたのち、大きく喉を鳴らした。

『うん。ちょっと様子を見てみよう。ちょうど今から、村の者たちと話をしようと思っていたところだったし』

 主の言葉を聞き、眷族たちはさざめきのような笑い声をあげる。しかたないなあ、と言いたげな顔をしていた。それは、すぐ隣のヴァレリオも例外ではない。ただし彼に限っては、きっちりとディルネオに釘を刺した。

『念のために申し上げておきますが、あまり近づきすぎぬよう。相手を刺激しても困りますゆえ』

『……おまえは、私を信用していないな?』

『“近くで見たい。あわよくば話を聞きたい”と顔に書いてありますよ、ディルネオ様』

 茶々を入れたのは、ヴァレリオではなく別の竜だった。その言葉にディルネオは、すねた子どものように顔をそらす。それでも一応、「相手になるべく見つからないよう、こっそり様子を見てくる」と眷族たちに言い残して、彼は『伝の一族』の村へ向かった。

 

《大森林》の手前、わずかにその恩恵を受けている緑の地を住処とする人々がいる。村と呼べぬくらい小さな集落の住民は、ほとんどが『伝の一族』の末裔だ。かつては、暴走してしまった竜の力を鎮める能力を有していた一族。だが今は、時代とともに血が薄まってしまったようで、その力を持つ者はいなくなってしまった。彼らはそれでも、今もなお竜を知り、竜語ドラーゼを学び、竜とともにあろうとしてくれている。琥珀色とも金色ともつかぬ彼らの不思議な瞳を見るたび、水竜たちはそのことに深い安堵をおぼえるのだ。

 集落は狭い。木々に囲まれたわずかな空間のみで形成されたそこには、丸太を組んでつくられた小さな家がぽつぽつ佇んでいるだけだ。道も広場も何もない。それでも人は生きている。今日も変わらず静かな村を、一人の青年が静かに歩いていた。二十代前半に見える若者で、髪は青みがかった黒。目はいつも穏やかだが、常人離れした空気をまとっている。彼は村でもっとも大きな建物の前へ行くと、その扉を叩いた。扉はすぐに開いて、中からうす青い衣をまとった初老の男が顔を出す。彼は、いつもは険しい目を喜びに輝かせた。

「ディルネオ様、お久しゅうございます。お帰りになっていましたか」

「うん、久しぶりだ、ヘルマン。眷族たちと揉めたりはしなかったか?」

 青年――に変化したディルネオが、冗談めかして問いかけると、ヘルマンは豪快に笑ってみせる。

「ええ。我々が竜たちと争うはずがないでしょう。あなた様の眷族ともなれば、なおさらです」

「それはよかった」

 ディルネオは言い、ヘルマンに招かれるまま丸太小屋の中に入った。集会場としても使われる建物に、今は数人の《神官》がいる。いずれも行儀よく座して主竜を出迎えた。久々にディルネオに会えたとあって、彼らは喜びを隠しきれず頬をゆるめている。そんな彼らに当のディルネオは声をかけ、最近の村の様子などを世間話まじりで聞いた後、本題に入った。

「それで――私が不在の間、この大陸で起きた竜狩りと同胞の掟破りの件数は、わかるか」

《神官》のひとりが沈痛な面持ちでうなずく。

「正確な統計はとれていませんが、大陸中の同胞と情報を共有しておりますから、おおよその数字は出せております」

 そう前置きし、《神官》は主竜の質問に答える。彼らの口から出た数字と、詳細な状況を聞いたディルネオは眉を寄せた。

「多いな」

「……はい」

 竜の率直な感想に、人々はうなだれる。

――実際、報告された竜狩りの件数は、昨年の同じ時期と比べても明らかに多かった。二倍、いや三倍くらいに増えているだろうか。誰にも知られず行われた竜狩りを含めると、その数は跳ねあがることだろう。そして、それにともなう竜の報復行為もわずかずつだが増えている。

 報復行為。つまり、掟破りだ。自然を、そして竜魂を操る力を過剰に振るい、自然環境を激変させる。湖を干上がらせ、時期外れの嵐を招き、地震を起こして大地を崩す。それは人や動物を、同胞を、自然界を冒涜する行為だ。だからこそ竜たちはそれを『禁忌』と呼び、掟によって禁忌を犯すべからず、と定めた。人と竜が争うようになる前は、ほとんどの竜が忠実に掟を守り、自分たちの役目を粛々と果たしていたのに。

「ずいぶん、変わってしまった」

 ため息混じりにディルネオが言うと、《神官》たちは誰からともなくうなずく。彼らの暗い表情を見渡したディルネオは、気を取り直すべく少し大きな声を出して訊いた。

「北大陸にて行われた炎竜狩りについて、何か把握しているか? 先程、イグニシオの眷族たちからその話を聞いたのだが」

「そうですね……直近の情報は……」

 ヘルマンが呟いて考えこむ横で、女性の《神官》が立ちあがり、奥へと駆けてゆく。記録をとってきてくれるのだろうと一瞥して判断したディルネオは、とりあえず目の前の《神官》たちとの情報交換に集中することにした。

 情報を突き合わせているうちに、イグニシオの眷族たちが訴えていたのが、半月前に大陸西端の地域で行われた竜狩りであることが判明する。最近活発に動いている竜狩人の集団で、この村の人々も警戒を強めている相手だった。なるべく彼らを刺激しすぎないようまずは慎重に、狩りの詳細と動機を調べることで一致して、ひとまず会合はお開きとなる。ディルネオは《神官》たちに礼をいい、丸太小屋を出た。

 そのとき――彼の目が見慣れないものをとらえる。

「ん……?」

 首をひねって、思わずそれを凝視した。

 それとはずばり、人間だった。襤褸ぼろのような服の上から、毛皮でできた上衣をまとった、なんとも不自然な格好の人間。二十歳になるかならないか、というくらいの若い男で、真黒い髪を短く切りそろえている。どう見てもこの村の人間ではない。が、ディルネオはそんなことよりももっと別の部分にひきつけられた。

 目だ。黒髪の下の双眸は、ディルネオが息をのむほど強い光を放っていたのである。

「ああ、ゲオルクですか?」

 ディルネオが立ち尽くしていると、後ろからのん気な声がかかる。はっとして振り向けば、ヘルマンが立っていた。彼は複雑な面持ちで、ある家の前の草をむしっている青年を見ている。ディルネオは、青年と初老の《神官》を見比べた。

「ゲオルク……」

「ついこの間、村のそばで倒れていたのをネルが発見しましてね。そのまま、村で面倒をみることになったのです。今はああして、ネルの家の手伝いをしていますよ。彼女ももとは外の人間ですから、少しは気を許せるだろうと思うのですが」

「ああ……」

 ネルは、この村と交流をはかっている部族出身の女性だ。銀髪に緑の目と、容姿は村の中で明らかに浮いているのだが、活発でよく働くのですぐに村の一員としてなじんでしまった。それでも確かに、一目で異質とわかる『伝の一族』の人よりも、彼女の方が接しやすいだろう。そこまで考え、ディルネオはふと眷族の話を思い出した。

「ひょっとして彼が、竜に襲われたという外の者か?」

「ご存知でしたか」

 ディルネオが呟くように問うと、ヘルマンは目をみはった。それから、黙々と草むしりを続ける青年に目を向けて、痛ましそうにかぶりを振る。

「正確には、彼の村が風竜たちの力に巻き込まれて壊滅したのだそうです。直接竜の牙にかかって死んだ者もいたとか……」

「そう、か」

 ディルネオは目を伏せる。なんとはなしに、己の両手を見つめた。

 私の牙や爪が、誰かの命を奪うことはあるのだろうか。

 ふと、そんな考えが頭をよぎり、嫌な気分になる。胸にたまったおりを吐きだすようにため息をつくと、《大森林》の方角へ足を向けた。

「では、私が近づいても怖がらせてしまうだけだな。早々に退散するとしようか。……また来るよ」

「はい。お待ちしております」

 恭しいヘルマンの声を背に受けて、ディルネオは歩き出す。静かな村に草を踏む音が響いて消える。

 そして――草むしりをしていた青年は、ふとその手を止め、去ってゆく人の影を目で追った。

 

《大森林》にさしかかると、むせかえるほどの緑のにおいと、静かな熱気がおおいかかってくる。目の前に広がる濃淡いりまじった広葉樹の道がなければ、熱帯雨林に来てしまったかと錯覚するほどの空気だ。ディルネオはそれを妙なことだと思いつつも、森の空気は嫌いではなかった。みずからの『家』であることが実感できるからだ。それにもとより、ディルネオ自身の力が引き起こした異変の結果である。

 遠くから、チチチと鳥の声が聞こえ、草葉が音を立ててそよぐ。木々をあおいで満足げに息を吸った彼は――大きな木の根をまたいだところで、足を止めた。土の乾いた音の終わりに、静寂が訪れる。しばらくその場に佇んだディルネオは、やがて、前を見たまま口を開いた。

「私の後をつけるとは、なかなか肝の据わった若人わこうどだな」

 独り言にしては大きな声で言う。と、彼のすぐ後ろの草むらが揺れた。振り向けば、濃い緑色の草むらの中から、険しい目をした青年が踏み出してくる。強い目をした黒髪の青年。たしか、ゲオルクと呼ばれていたはずだ。

「――いつ気づいた」

 青年は、ディルネオの前に踏み出すなりそう言った。

「うん。ヘルマンと別れた少し後から、気配を感じた。草むしりを終わらせてから来たのだろう、律儀なことだ」

「馬鹿にしているのか?」

「いいや。律儀なのは悪いことではない。過ぎれば害にもなりうるが」

 低い声に肩をすくめ、ディルネオは飄々と返す。この場に彼の眷族のうちの誰かがいれば、「どの口がそれを言いますか」とすかさずまぜっかえしたところだろうが、今、森のただ中にいるのはディルネオと青年――ゲオルクのみである。

 ゲオルクはディルネオののらくらした態度にいらついたのか、眉をひそめる。それでも息を吸っていらだちをおさめると、ゆっくり一歩を踏み出した。

「あんた、村の者じゃないな」

「うん。正確には、そうだな」

「それどころか人間ですらない」

 すかさず切り返した青年にディルネオは何もいわず、また身じろぎひとつしない。そんな彼にゲオルクは厳しい視線を投げつけた。

「この森を守護する北の大水竜だいすいりゅう。――あんたが、そうだな?」

 ひときわ強い風が吹く。女子おなごの悲鳴にも似たその音だけが、ここが厳しい北の地であることを知らせるようだ。

 瞳を苛烈に輝かせて立つ人の子を前にして、ディルネオは口の端を不敵にもちあげた。

「ほう。この姿に惑わされず、正体を見抜くとは」

 おもしろがるような彼の言葉に、ゲオルクは眉を動かしたが、あくまでも静かに言った。

「ただの人間にしちゃ、あんたは

「変化しているときは、『伝の一族』にすら竜と気づかれぬときがあるのだが。おまえは、そうとう特殊な感覚をもっているようだな」

 ディルネオは今までと変わらず、穏やかだった。けれど一方で、自分のすぐ前に立つ青年がまとう敵意がふくれあがっていることに、気づいていた。さりげない足どりで一歩下がり、同じ口調で問いかける。

「それで、私の正体を確かめてどうするつもりだ?」

「決まってるだろ。こうするんだよ」

 鋭く、ささやくように言い放ったゲオルクは、次の瞬間には地面を強く踏みしめて、前へ出ていた。腰帯にさし、後ろに回して隠していた刃物を抜き放つ。それは、狩りのときに弓などと組み合わせて使われる、鋭利で厚い刃をもったナイフだった。それをゲオルクは、一分のためらいもなく、ディルネオの方へ突きつける。

「――竜は、敵だ」

 彼がそう宣言すると、今まで目の奥に潜んでいた強い感情がむきだしになる。怒りと憎しみの炎が青年の両目にちらついた。が、水の主竜はそれを正面から受けてもひるまない。

「おもしろい。肝の据わった若人だ」

 肩をすくめて、困ったように、前に放ったばかりのせりふを口にした。

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