10.そして終わりが訪れる

「と、いうわけで。《大森林》に入る許可がおりた」

 フランツの家の前。ゼフィアーの頭を時折ぽんぽんやりながら、ディランは告げる。その後の苦々しい沈黙が、一番の返事だった。三人はそれぞれに唖然としたり感心したりしていたが、すぐにおのおのの驚きからさめる。

「こうもあっさり立入許可をとってくるとは思わなかったぜ。おっさん呆れたわ」

「二人とも、すごいですね」

「知らない間にそんなことをしていたなんてね。びっくりだわ」

 立て続けに呆れと感心のこもった言葉をかけられ続けて、ディランは居心地が悪くなって目をそらした。そしてゼフィアーと目が合う。彼女も苦々しい顔をしていた。きっと自分も似たような表情なんだろうな、と思い、ディランは苦笑する。その笑みに何を思ったか、ゼフィアーもぎこちなく微笑んだ。

 五人とフランツが妙な空気の中にいると、突然、がさっと草が鳴る。マリエットが、持っていた槍の石突いしづきで地面をつついたのだ。

「どうするの? まだ日は高いから、今から森に入れば一日で帰ってこられると思うけれど」

――もちろん、どこまで行くかにもよるが。マリエットがのみこんだであろう続きの言葉を共有し、一行は顔を見合わせる。ややあって、全員がうなずいた。

「善は急げ、だな。行くか」

「うむ」

 ディランの言葉にゼフィアーがうなずくと、五人全員の気持ちはそちらへ向く。それぞれが、自分の荷物を取ってこようと動きだした。そのとき、背後から草を踏む音が響くのを聞き、ディランは振り返った。

「《大森林》へ行くの?」

 いつの間にか、ディランとゼフィアーの後ろに、女性が立っていた。初日に村の入口で出くわした、逃げ足の速い女性である。その後も何度か五人とすれ違ってはいるが、ろくな会話がなかった。四日ぶりに聞く彼女の声に戸惑いつつ、ゼフィアーがうなずいた。

「うむ。……《神官》殿には許可をもらっているし、不要な手を加えるつもりはないぞ」

「そこは心配していないけど。おすすめしないよ。家主がいない竜の家に行くなんて」

 言葉の終わりに、女性の視線が鋭利になる。ゼフィアーと、立ち聞きしていたレビがひるんだように息をのんだ。だが、ちょうど視線の先に立っていたディランは肩をすくめて微笑んだ。なんだか不思議な気分で、女性に向かって手を振る。

「ご忠告、ありがとう。――でも、確かめたいことがあるんだ」

「……そう」

 向けられた青い瞳に何を感じたのか。女性がわずかにたじろいだ。それから彼女は、何かを見極めるような目で一行を見ていたものの、やがて結った髪を振りながら踵を返す。

「気をつけて」

 相手を見ずに、無愛想な言葉だけを残して女性は去った。そして、残された三人はそれぞれの表情で立つ。ゼフィアーとレビから怪訝そうな視線を向けられてもなお、ディランは静かに佇んでいた。意識は、これから行く森だけに向いている。


 一行が《大森林》の入口に立ったのは、若者と老人から許可をもぎ取った数時間後のことだった。

 看板も何もないそこへ辿りついたところで、フランツが、五人に割って入るように踏み出してくる

「どこまで行くつもりか知らないけど、気をつけて。あと、あまり奥へは行かないようにしてほしい。万が一《聖域》に入られたら、さすがに困るから」

「《聖域》?」

 棒を携えているレビが、首をひねる。フランツにかわってトランスが答えた。

「ディルネオの棲みかだよ。竜の力で守られていて、許された者以外が入ると、迷って二度と出られない――なんて言い伝えもあるらしい」

 最後の方で、彼はあえて声を低くした。それを聞いたレビが、ぶるりと震えあがる。

 彼らのやりとりに、銀髪の青年が肩を揺らして笑った。

「まあ、今はその竜の力が失われているから、そんな大事にはならないと思うけれどね」

 フランツが、笑みを消さないまま言う。だが、声音ににじむ苦さは消し切れていなかった。ディランはちょっと眉を寄せ、ゼフィアーを見る。彼女はなぜか、とても真剣な表情でディランを見ていた。

 そのときだ。トランスがさりげなく、近くの小屋を見やった。彼は剣呑に目を細め、それから何気ないふうを装って、ディランの方へ歩いた。押し黙っている彼の肩を叩く。ディランは弾かれたように顔を上げ、トランスを見た。

「なんだ?」

 言葉少なに問うと、男は無言で立てた親指を、先程見ていた小屋へ向ける。ディランはその指を追い――目を細め、うなずいた。

「なるほどな」

 納得して呟くと、トランスの目が動く。問われていることに気づいたディランは、少しのあいだ、虚空に目をやり考えこんだ。小屋と《大森林》を二度ほど見比べたあと、男に向かって手を振る。

「まあ、いいよ。好きなようにさせておこう」

「――本当にいいのか?」

「トランスがどうしても気になるっていうんなら、考えるけどな」

 ディランは言う。その声はそっけなかった。トランスが、うなるような声をかすかに上げる。そしてそののち、彼はしかたないとばかりにうなずいた。

「わかったよ。今回は、ディランに従ってみよう」

「うん。ありがとう」

 ディランは短く礼を述べると、再び森へ意識を向ける。そんな彼を見たトランスが、一瞬、思案するような顔をした。だが、ほかの四人が《大森林》のことに集中しているため、彼もわずかな影を押し隠して仲間の会話に入っていった。

 男の背中を、小さな人影が追う。


 入口までついてきてくれたフランツに礼を言い、一行は《大森林》の中に踏みこんだ。

――とたん、葉がそよぐ音と、今までよりずっと濃密な緑のにおいが押し寄せてきた。あまりに急激な変化に、トランス以外の四人がひるんで、つかのま足を止める。けれど彼らは、その衝撃を振りきるようにして、また一歩を踏み出した。

 森は、どこまでも深く、みずみずしい緑に満ちていた。時折鳥のさえずりが響き、舞い降りた葉が乾いた音を立てる。土はほどよく湿っていて、ところどころに太い木の根が張り出していた。

 まるで別世界。北大陸どころか、世界中どこを探しても、このような森は見つからないだろう。

「うわぁ……」

 こんもりと葉をつけた木を見上げたレビが、感嘆の声をもらす。

「すごくいきいきしてますね。とても、竜の力がなくなったとは思えません」

「そうね」

 マリエットが短く返し、ゆっくりと周囲を見渡していた。一方、トランスは感慨にふけるような表情をしており、ゼフィアーは空を見上げている。

 頭上、木々の向こうに広がるのは、村にいたときと同じ曇天だ。だというのに、森を行く人たちの目には灰色の空はとても遠く感じた。それこそまるで、見えない壁で隔てられているかのように。

「こうしてみると、確かに竜の守護があったと実感できるな。……というより、レビの言葉を借りるようだけども、本当に守護は失われたのか?」

 地面から伸びた長い草をまたぎながら、ゼフィアーが首をかしげた。その横で、トランスが「さあなあ」と呟く。そしてディランは――ただ、黙ってまんなかを歩いていた。

 そこは間違いなく、自然豊かで、特別な森だった。鳥の鳴き声は聞こえるが地上の獣の姿がないことに、旅人たちは違和感を抱いたものの、そのときは森の威容にばかり気が向いていたので、すぐに忘れてしまったのだ。

――そして、しばらく歩いた先で。彼らは異変を目撃する。


 まっさきに気づいたのは、レビだった。

「あれ……?」

 言って、彼は立ち止り、上を見た。トランスが少年の背に声をかける。

「どうした、レビ坊」

「いえ。あの、なんだか葉っぱが少なくなっているような気がします」

「何?」

 トランスが眉を寄せ、周囲を見渡した。他の三人も、つられてきょろきょろする。

「本当だ」

 ゼフィアーが吐息のような声を漏らした。

 レビの言葉どおり、木の枝を彩る葉の量は目に見えて少なくなっている。それだけでなく、葉にみずみずしさがない。土も下草も、元気がなくくすんで見えた。急激な、そして露骨にすぎる変わりように、ディランも顔をしかめる。

「これが『竜の力が失われた』影響か」

 無意識のうちに呟いていた。ほかの四人も、苦い顔をしてうなずいている。彼らはそれ以降、あたりの様子に注意を払いながら森を進んだ。

 神経を研ぎ澄ましていると、森が生命の輝きを失っていくさまが、よくわかる。しなびていた木の葉や下草は、しだいに緑から茶色に変わり、落ちた葉や枝が目立つようになってきた。木を見上げれば裸に近いものが増えていて、寂しさをかきたてられる。

 しだいに、五人を取り巻く空気も重苦しくなってきた。そんななかでマリエットがゼフィアーに話しかける。

「どう、ゼフィー? 何か感じる?」

 すると、ゼフィアーは眉を曇らせる。

「なんというか……森を覆っていた強いものが、どんどんしぼんでいくような感じがある。ディルネオの力かな」

「そう……。ほかには?」

 マリエットが続けて問うも、ゼフィアーは軽くかぶりを振っただけだった。

 彼らのやりとりを脇見しつつ歩いていたトランスが、そこで足を止める。

「なあ。どこまで行く? きっと、《魂還しの儀式》の手がかりは、ここにはないぜ。奥に行ったって、ディルに会えるわけじゃない」

 彼は、全員に視線を投げて、問うた。

 熟考しているがゆえの沈黙が降りる。けれど、誰もが黙りこんでいた時間は短いものだった。思考のすえ、ゼフィアーが口を開いた。

「もう少し、奥へ行ってみよう」

「ほんとに?」

 まるで、何かを探るように、男が問う。その目には不快感すらにじんでいるようだった。だが少女は、動じずうなずいた。

「うむ。もっと奥へ行けば、たぶん何かわかる。そんな気が、する」

 言ったとき、彼女はトランスを見ているようでいて、その実まったく違うものを見ていた。まわりの人たちにはそんなふうに思えた。けれど、それがいったいなんなのかは、誰にもわからぬままだった。

 

 それから、どれほど歩いただろうか。土の上に落ちる葉は、そのほとんどが乾ききってしまっていた。五人の足が、枯れ葉を踏んで前に行く。かろうじて残っている、大きな木の根をまたぎこえる。その先で、彼らはぴたりと歩みを止めた。

「これは――!」

 マリエットが、珍しく大きな声を上げた。反対に、子どもたちは声をなくして現れたものに見入っている。ディランとトランスは、やわらかな吐息をこぼしながら、目を細めた。

 森を進んだ先、突然あらわれた、ひらけた空間。そこには、大樹が根を張っていた。太い幹は岩のように固く、それでいて腕のように伸びる枝はしなやかだ。ついている葉の数こそ少ないものの、周囲の木の葉と違って、まだ鮮やかな緑を保っている。堂々たるたたずまいに、誰もが言葉を失う。

 そうしてしばらくながめた後。誰からともなく、樹に歩み寄った。その中で、トランスが大樹を見上げて声をこぼす。彼の横顔を見たレビが、目をみはった。――彼は、今にも泣きそうな顔で、樹を見つめていたのだ。

「トランスさん……?」

「この樹、懐かしいなあ」

 トランスは、震える声で言った。

「あの頃は、毎日見てた」

 そこにあるのは、温かい感情とほんのすこしの悲しみ。

 彼の言葉の意味を悟った、『伝の一族』の少女が、驚愕しつつ樹をあおいだ。

「じゃ、じゃあ……ここは……」

「――少なくとも、俺の面倒を見てくれていた頃は、ディルはずっとここにいた。たぶんもう、ここは《聖域》だった場所だ」

 飄々としているときとも、毅然としているときとも違う。どこか力の抜けたような表情で、男は樹の前にたたずむ。レビとゼフィアー、そしてマリエットは、困ったように、あるいは見守るように彼の背中だけを見ている。そんな中で、ひとり樹のすぐそばまで踏み出したのが、ディランだった。つかのま過去を思い出していたらしいトランスが、少年の気配に気づいて目を動かす。ディランはそれすら意に介さず、大樹の枝を覆う葉を見上げ、笑うように目を細くした。

「そうか。ここが、そうなんだな」

 呟く声からは、なんの感情も汲み取れない。いや――ディラン自身も、何も考えないまま、言っていた。

 手をのばす。指を広げる。彼は、導かれるように大樹の幹に触れた。静かに瞑目し、闇に沈み、ささやく声を探り出す。

 

 浮かびあがってくるものはない。

 もはやそれは、彼の意識と溶けあっているから。

 

「――えっ?」

 誰かが呆けたような声を上げた。声にひかれるようにして、彼はそっと目を開けた。

 幹に触れた五指から、見えない力があふれて流れ、幹をつたい、地面へ落ちていっている。そしてそれは、ほかの木々へと注がれる。まるで、大河がいくつかの細い川に枝分かれするように。今のディランは、それをはっきり感じていた。それでも彼は、振り返る。何が起きているのか自分の目で確かめる。この数年間、そうしてきたように。

「あれ? どうなってるんですか? 木が……」

 レビが目をみはり、口を開けてきょろきょろしている。隣では、マリエットがいつになく真剣な顔をして上を向き、木々を見回していた。

「緑が、戻ってきている」

 静かに言ったのは、ゼフィアーだ。

 彼女の言うとおりだ。大樹を中心とした五人のまわりの、元気を失っていたはずの木々が、急に活力を取り戻していた。しおれかけていた葉はつやを得てぴんと張り、裸になっていた枝の先からは芽が出て、それはあっという間に葉となり、あるいはつぼみから花へ変化する。乾きかけていた空気は湿気を帯びて、土の中から小さな芽が顔を出す。あわせて、今まで聞こえなかった甲高い獣の声が、息遣いが、森を包みこんだ。

 突然の再生。本来の輝きをまとってゆく森の姿は、まるで緑の波があたりに広がっているかのようだった。

「なんだよ、これ――」

 人間たちは呆然として、変わりゆく森を見ていた。が、そこで、少女と男が息をのむ。

 

 元来の姿になってゆく森とは別に、あたりの空気が変質したことに気づいたのだ。

 糸を張るように。あるいは、凍りつくように。ぴりりと張った見えない力が、森の一部を包みこむ。

 

『伝の一族』の少女が、呆然としたのち、真実を言い当てた。

「《聖域》が、復活した」

 感動と驚きに満ちた一声にひかれ、その場の人々がゼフィアーを振り返る。その中で、一応は冷静さを取り戻したらしいマリエットが「あらあら、世紀の瞬間じゃないかしら」などと軽口を叩いて微笑んだ。一方、慌てたのがレビだった。わずかに青ざめて、すっかり生命力が戻った森をきょろきょろと見る。

「え?《聖域》ってあれですよね。許されていない人が入ると二度と出られないっていう」

「うむ。それなのだ。トランスの言ったことは事実だ」

「だ、だだ、大丈夫なんですかそれ!? 第一、どうして《聖域》が復活したんです、竜がいないのに!」

 混乱し、うろたえはじめたレビをトランスが「どうどう」となだめる。二人を見て、ゼフィアーが咳払いをした。彼女は、少年の疑問にひとつずつ答えを提示する。

「《聖域》が復活したのは、ここを守る竜が生きている証拠だ。森の守護者は、姿をくらませていただけで、どこかで生きのびていたのだろうな。それと、出ることについては心配ないと思う」

「な、なんで言いきれるんです?」

 レビが唾をのみこんで言うと、ゼフィアーは真剣な顔でひとつうなずいて、くるり、と体を反転させた。ふたつの三つ編みが、少女にあわせて踊る。

「なぜなら――私たちが『許されていない人間』ならば、最初から森の主は私たちをここに入れないはずだからだ」

 言った少女は、大樹を振り返り、見た。正確には、大樹のそばに今もたたずんでいる一人を。

「なあ、そうだろう。ディラン」


 なじみ深い視線を感じ、『彼』は微笑む。

 そこにあるのは、訪れようとしている瞬間に対する安堵であり、喜びであり――一抹の寂しさだ。

 だが、ともなう感情がなんであろうとかまわない。結末は変わらない。

『ディラン』という少年は、彼の七年におよんだ旅は、ここで終わるのだから。

 静寂の森でそれを告げるのは、凛として響く少女の声だ。


「いや。もう、本当の名で呼んだ方がいいかな。――水竜ディルネオよ」

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