4.追跡者の寧日

 だるくなってゆく足を、気力だけで動かす。止まっていたら止まっていたで凍えてしまうだろう、と彼女の勘が告げていた。

 やがて、道とすら呼べない野の先に、小さな湖と、湖畔に佇む村が見える。湖はすでに凍ってしまっているのではないか、そんなふうに考えて、チトセは眉をひそめた。

 北大陸の閑散とした港におりたったのが、およそ七日前。そこからずっと歩き通しだった彼女は、疲れきっていた。けれど不思議と、頭だけはさえわたっている。いつもどおりの仏頂面の少女は、もう一か月以上前の出来事を思い出していた。



     ※

     

     

 それは、彼女がイスズや旅人たちと水竜の暴走を食い止め、移転したばかりの臨時の拠点に戻って、すぐのことだった。

 考えごとをしながら廊下を歩いていると、ぞんざいな声に呼びとめられる。顔を上げれば、すぐ前に、羽のついた帽子をかぶった男がいた。

「オボロさん」

 チトセは驚き、そしてやや身構えながら、男の名を呼んだ。

 カロクの副官ともいえる男。作戦立案は、もっぱら彼の仕事だ。カロクの幼馴染らしいのだが、チトセは詳しいことを知らなかった。ただ、ときどきカロクよりも怖い目をする人だ、という印象がある。一言でいえば苦手な相手。

 オボロは、チトセの反応を気にとめた様子もなく、帽子をつまんで下げる。それからいきなり、言い放った。

「任務だ。チトセ」

 チトセは目をみはった。

「任務? 今から、ですか?」

「そうだ。カロクと俺からの、任務だ」

 首領の名を出されたことで、自然と少女の背筋も伸びる。彼女の面構えがお気に召したのだろう、オボロはにやりと笑う。

 いつもどおり、淡々と、告げるべきことを告げた。

 

「おまえが今回行動をともにした旅人たち。奴らを、追え」


 オボロの目が、恐ろしいほど冷たく光った。



     ※

     

     

 詳細も、理由も告げられず。ただ任務のみを言い渡された彼女は、もやもやした気分のまま行動に出た。必死に情報をかき集め、彼らが北大陸の方へ向かったと知るやいなや、北大陸行きの船便に飛び乗った。途中、嵐にもまれて死ぬかと思ったが、なんとか生きてここまで来た。

 チトセはため息とともに、丸太でできた村の門をくぐる。目深にかぶっていた頭巾を払い、蒸れた空気を追いだした。

「おや、外の人か。こんな時期に、こんなたくさんのお客さんがくるなんて、珍しい」

 正面から大きな、女性の声がする。あまりに突然で、チトセは思わずびくついた。おそるおそる顔を上げると、主婦だろうか、恰幅のいい女性が、チトセを見て目を見開いていた。彼女が自分を見たと気づくやいなや、女性は大股で歩いてくる。

「すっごく汚れてるね。ゆっくりしていきな!」

 女性はそう言って、ふくよかな手でチトセの頭をばしばし叩いた。無遠慮な対応にチトセは眉をひそめるが――そろそろやめてくれ、と言おうとして顔を上げ、ぎょっとした。

 彼女の目が、印象に残る色だったからだ。

 琥珀色とも金色ともつかない、鮮やかな虹彩こうさい。それは、前に会ったひとりの少女を彷彿ほうふつとさせ、彼女の警戒心をかき起こした。

「『つたえの一族』、の末裔?」

 言ってしまってから、しまったと口を押さえる。うかがうように女性を見てみれば、彼女はひどく驚いた顔で固まっていた。

 チトセは思わず回れ右をしようとしたが、続く声が細い足を縫い止める。

「いやあ! まさか、私たちを知っている人が来てくれるとはねえ! 嬉しいもんだ!」

「え?」

「とりあえず休みなよ! 食いもんも寝どこも、あんまり上等じゃないけどな!」

 チトセがおろおろしているうちに、閑散としていた村に人影が見え始める。どうも、女性の大声を聞きつけたらしい。

 結局、竜狩人りゅうかりうどの少女は、竜との対話が許されていた一族の集落で一晩を過ごすことになった。

 

 煉瓦でできた暖炉の奥では、まっ赤な炎が揺れている。

 壁をくりぬいて作られた、小さな窓のむこうには、暗い夜空が広がっていた。チトセはなんともいえない気分で、肩からかけられた分厚い布を抱くように寄せる。そこへ、女性が木の椀を運んできた。見たことのない野草の入ったスープが、ほかほかと湯気を立てている。

「どうぞ」

 荒っぽくも優しい声にうながされ、チトセは木の椀を手に取る。ぬくもりと、独特の匂いとほのかな塩気が、全身にしみわたった。

「……おいしい、です」

「本当か? お口に合うか心配だったけど、それならよかった」

 女性はそう言い、高らかに笑った。

 チトセは目を伏せる。――故郷の村で老婆と語りあった夜のことが、つかのま、思い出された。


 村の人にもみくちゃにされたすえ、チトセは、最初に会った女性の家に泊まることになった。彼女の家は――というより、この集落の家すべてが――丸太を組んだだけの小さなものだ。女性によれば、そういった村は、特に『伝の一族』の村落には珍しくないらしい。

 チトセを家に招き入れた女性は、村でつくっているもののこと、住民のことなどを楽しげに語ってくれた。そしてその合間に教えてくれたのが、『伝の一族』の末裔として、世間から隠れて暮らす、穏やかですこしさびしい日々のこと。

「竜信仰がさかんだったころは、あたしらの先祖も、大陸じゅうを駆けまわって大忙しだっただろうけどね。今となっちゃ、竜様のほとんどは人里離れた場所にお隠れになってしまった。あたしらも、伝のことを部外者に知られぬよう、そして一族の子に語り継ぐために、細々と生きているだけさ」

 色とりどりの星が散らばる夜空をあおぎ、女性は実感のこもった声で、そう語った。チトセの見つめる先で、その目がふと、楽しげに緩む。

「だからね。少し前に、旅の一行にまぎれて同胞の娘が来てくれたときは、嬉しかったよ。久々に、村の全員で焚火を囲んで、宴会したさ」

「同胞の……娘?」

 チトセは、冷水を浴びせられたときのようにすくんだ。脳裏に、ふわりと舞う二つの茶色い三つ編みがよぎる。彼女は思わず、身を乗り出していた。

「そ、それって! ちっちゃくて、茶色い三つ編みで、スカーフ巻いた女の子!?」

 勢いよくチトセが訊くと、女性は「おやまあ」と明るい声を上げた。

「ひょっとして、お知り合いか? そうそう。その子だよ。ほかにも、外の大陸から来たっぽい四人と一緒だったねえ」

 チトセは、叫びだしたい衝動にかられた。頭の中に激情が突き上げ、興奮が満ちる。けれど表情には出さず、あくまでもいつもの仏頂面で問うた。

「そいつら、どこに行くとか、言ってた?」

 慎重に問うと、女性は首をかしげる。

 幸い、疑われている様子はない。知己ちきを追いかけていると思われているようだ。

 暖炉のむこうで薪が爆ぜる。乾いた音が、やけに大きく響き、チトセの心をいらだたせた。ややあって、女性がぽんっと手を打った。

「はっきりしたことは言えないが、確か……《大森林》へ向かうと言っていたね」

「《大森林》」

「大陸の北にある、でっかい森さ! 水竜様が守護しているとされていてねえ」

 女性はその一言を皮切りに、濁流のように、《大森林》について語りだす。けれどチトセは、そのほとんどを聞いていなかった。一度だけ出てきた、覚えのある竜の名前に、かすかに眉を上げた程度である。

《大森林》。それが、奴らの目的地。

 今どこにいるかはわからなくても、先回りしてそこへ行くことができれば、奴らと接触することができる。

 チトセは、小さく拳を固めた。

 

「あの。この大陸の地図……とかってある? 簡単なものでいい」



 簡易な地図をもらったチトセは、翌朝、逃げるように村を出た。

 彼女を温かく見送る不思議な色の目が、印象に残ったが、彼女は良心の呵責かしゃくをはねのけるかのように首を振り、最寄もよりの街を目指して歩を進める。

 裏でからみあう意図も、待ちうけるものも知らず。少女は、混沌の中へ足を踏み入れようとしていた。

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