5.思いの行く先

 トランスは、昔から変わらぬ煉瓦造りの家が並ぶ通りのただ中で、目を細めた。行き交う人の声も、ところどころから聞こえる楽器の音も、うっとうしいほどの人混みも、あのころから何一つせずに残っているように感じられる。

「不思議なもんだね」

 感慨にふけっていると、呟きも自然に漏れる。彼の視線は、導かれるように細い通りへ向いた。ぼろきれをまとった、煤だらけの子どもが数人、荒んだ目で表の通りをにらんでいる。その華やかさをうらやむように。そちらへ行けない自分たちに対する絶望を叩きつけるかのように。トランスは一瞬、胸の奥に鋭い痛みが走るのを感じたが、わずかな感傷をふりきって、視線を子どもたちから引きはがした。

 かつては自分こそがあの立場だったのだ。暗くて汚い通りの先。崩れそうな小屋が居並ぶ道の切れ目から見える世界は、ひどくまぶしくて、うるさい場所に映ったものだ。けれど同時に、息をのむような、胸を焼くような、強い憧憬しょうけいを抱いていた。その自分が今、きれいな大通りのまんなかを歩いているのだから、本当に人生はどう転ぶかわからない。

 もっとも、今でも身分を保障されない流れ者には変わりないが。

「いや、すごいなトランスは」

 陽気な声が背を叩く。後ろを見ると、アントンとその部下たちがへらりと笑みを浮かべていた。

「さっきから、足取りに迷いがないからさ。俺だったら迷子になってるね!」

「そりゃ、子どもの頃に、さんざん街を走り回ったからな」

 トランスは肩をすくめて笑ってみせる。

 一歩一歩、先へ進むたびに思い出がよみがえる。ぼろきれをかきあわせながらうずくまった民家の軒先。パン屋からかっぱらってきたパンを抱え込み、仲間と逃げ回った、曲がりくねった裏道。みんなで身をよせあい、朝靄あさもやに浮かびあがる河を見た、防波堤の上。ろくでもない思い出も多いが、今となっては宝石のようにきらきらと輝いている。

 そして、アントンたちが目指している仲介所の場所も、ちゃんと覚えていた。やたら大きな看板がぶら下がっているし、あたりには豪商の館がぽつぽつ建っているため、印象に残りやすかったのだ。

 南北にからみあう通りを抜け、街を東へ進んでゆくと、一気に道幅が広くなる。その先にそびえたつ、いっとう大きな赤煉瓦の建物こそが、盗賊狩り集団お目当ての仲介所だった。仲介所の文字と、やたらと凝った剣の紋章を刻んだ、茶色く大きな看板がかすかに揺れる。看板の下を戦慣れした気配をまとう人々がひっきりなしに出入りしていた。

「おおーっ、着いた!」

 アントンがいきなり前に踏みだして、明るく叫ぶ。彼の大声に驚いた周囲の人々が、迷惑そうな視線を向けているが、本人はまったく気にしていない。仲介所の堂々たるたたずまいに感動し、少年のようにはしゃぎ回っていた。部下の者たちも止める気はないらしく、かしらに生ぬるい視線を送っている。

 やれやれ、と呟き、短剣の鞘を叩いたトランスは、踵を返した。

「お、行くのか?」

「おう」

「そうか! どうもありがとうな! ディランたちにも、よろしく伝えておいてくれ!」

「わかってるよ」

 ぶんぶんと両手を振る男を見て、トランスも小さく手を振り返す。

 そんな、湿っぽさとは無縁なやりとりを経て彼らと別れたトランスは、ひとり、ごちゃごちゃとした通りを歩く。

 ふと視線を脇道に投げれば、なめし皮で作った靴を売っている男の姿が見える。彼は路上に薄い布を広げ、その上に靴を並べ、自分は商品の前で座っていた。まるで瞑想でもしているかのようだ。あれじゃあ客も寄りつかない、と吹きだした彼の横で、人のよさそうな商人が、小さな子どもから花輪を受け取り、子どもに銅貨を差し出している。

 籠いっぱいに花を詰めた女性が、愛想笑いを浮かべて話しかけてくる。それを無難にあしらったトランスは、雲の途切れはじめた空を見上げ、息を吐いた。

「本当、変わらねえ」

 繁栄を勝ち取った商業都市らしい、雑多な風景。それにぬくもりを見いだすのは、やはり故郷だからだろうか。

「とはいえ、あんまり長居してもいらんねえな。知り合いに会っても面倒だし。あいつらのところに戻るか」

 ひとりごちて、トランスは足を速めた。人混みをすり抜け、四人が向かっているはずの宿屋を目指す。

 そして、雲間からかすかに注ぐ陽光を浴びながら歩くこと、しばし。少し前に見たばかりの、うす青い壁の小さな家が目についた。宿屋を示す簡素な看板が、入口のひさしにぶら下がっている。目的地に辿り着いたことで、男は肩の力を抜いた。

 ディランたちと合流して、今後のことを話しあって。そうしたら、半日ほどノルドパテラを案内しようか。それくらいの寄り道は、彼らも許してくれるだろう。

 トランスは、扉に向かって歩きながら、のんきなことを考えていた。

 宿屋の裏手から、矢のような勢いで、見覚えのある金髪の少年が飛び出していくのを見るまでは。



     ※

     

     

 アントンたちやトランスと別れてから、宿屋に残った四人はまどろむような平穏の中にいた。

 ディランは剣を磨いたり、地図を確認したりしながら適当に時間を潰していた。一方、体力がありあまっているゼフィアーと好奇心旺盛なマリエットは、すすんで宿屋探検に繰り出していく。レビも、はじめこそ部屋で大人しくしていたが、やがては「ちょっと散歩してきます」と言い残して出ていってしまった。

 ひとり、寝台に腰かけて、無心で剣を研いでいたディランは、扉の開く音を聞いて顔を上げた。見ると、宿屋の探索から戻ってきたらしいゼフィアーとマリエットが、すっきりしたような笑顔で部屋に入ってくる。

「なかなかおもしろかったぞ! 大陸が変わると、宿屋の雰囲気も変わるのだな!」

「そうかそうか。楽しそうで、何よりだ」

 突撃してきたゼフィアーを片手で受けとめたディランは、剣を鞘に収めてから、茶色い頭をなでる。部屋の机上きじょうに広げられた地図を一瞥したマリエットが、さらりと切り出した。

「この宿屋、小さいけど、厨房を貸してもらえるそうよ。また私が夕飯を作ってあげましょうか?」

 すると、ディランにじゃれついていたゼフィアーが、彫像のように固まった。ぎこちない動きでマリエットを見上げる。瞳には、喜びと恐れが入り混じっていた。

「そ、それはいいけども……甘いの、甘いのだけは勘弁してほしい」

「あら残念」

 料理上手な、しかしときどき甘すぎる謎の一品を作り上げる女は、おどけたように眉を上げた。ディランも便乗するように笑い声を漏らす。

「本当にな。俺はあれ、好きなのに」

「二人の味覚はどうなっているのだ! 三日前にも、アントンとレビが涙目になっていたではないか!」

 ゼフィアーは拳を振り上げながら、マリエットの甘い料理を唯一食べられる少年に向かい、怒鳴る。だが、その途中ではたと動きを止めた。なくした物を探すように、きょろきょろと部屋を見回す。

「そういえば、レビはどこへ? 棒は置いてあるようだが」

 ゼフィアーの見た先、木造の壁には、確かに棒が立てかけてある。ディランは剣を腰にさげながら答えた。

「ああ、散歩だってさ。だいぶ前に出ていったけど……二人とも、見かけなかったか?」

 なんの気なしに問うたつもりだったが、女二人は瞠目どうもくして顔を見合わせた。

「見たか?」

「いいえ。ゼフィーも見かけてない?」

「まったく」

 淡々とした応酬に、一番に眉をひそめたのは、ディランだった。いたばかりの剣の感触を確かめると、立ち上がる。

「……遅いな。まさか何かに巻き込まれてはいないだろうけど、一応探すか」

「私たちも手伝おうか?」

 ディランは呟くなり、歩きだした。ゼフィアーの声が前から後ろへ流れてゆく。彼は扉に手をかけながら言った。

「俺ひとりで行ってくるよ。二人は、部屋の番をしててくれ」

 不服そうに唇をとがらせるゼフィアーの横で、地図をながめていたマリエットが少し視線をあげ、「わかったわ。気をつけて」と応じた。

 

 所在不明の少年探しは、思ったよりは手間取らなかった。

 彼が「散歩」と称していきそうな、街が一望できる二階の窓辺や小さな食堂などをひととおりのぞいたものの、彼の姿がなかったため、ディランは捜索の方法を変えた。宿屋の人や、同じ宿泊客に聞いて回ることにしたのだ。ほどなくして、一階の木の椅子でまどろんでいた、二十歳ほどの女性から話が聞けた。

「ああ。その子なら、裏に歩いて行ったわよ」

「裏?」

「そ。この宿屋、裏が小さな庭になってるの。こんな気候だから植物も植えられないし、あんまり気持ちのいいところじゃないけど、静かだから落ちつくにはいいかもね」

 そう言ってから女性は、指で「あっち」と奥の扉を指さした。そっけない長方形の扉が裏へ続くものらしい。ディランは礼を言って、さっそく扉を開けた。冷たい空気が吹きこんでくる。彼は慌てて外に出て、後ろ手に扉を閉めた。

 白く塗られた木の柵に囲われ、確かにそこは庭のようになっている。街の石畳がむきだしになっていて、草の一本も生えていない。まわりを四角く囲む柵には切れ目があり、そこから表へ出ていけるようだった。ディランは、無造作に積まれた樽の横を通り過ぎたところで、足を止めた。

 無味乾燥な庭の隅。うす青い宿屋の外壁を背にして、一人の少年がうずくまっている。少しくせのある金髪が、なぜか、いつもよりくすんで見えた。

 顔をしかめたディランは、慎重にレビへ近づく。そして、近すぎない距離で立ち止まった。

「レビ」

 つとめて穏やかな声で呼びかけると、レビは弾かれたように顔を上げた。ディランの姿を認めると、ほっと、ひきつっていた目もとを緩める。

「どうかしたか? 具合悪い?」

 さりげなく問いかけると、少年は首を振った。

「すこし、考えごとをしていたんです。大丈夫です」

「そっか。あんまり外にいて凍えてもまずいから、いいとこで中に入れよ」

 ディランが言うと、レビはすなおにうなずいた。が、表情からは影が消えない。もう少しひとりにしてやった方がいいか、と判断したディランは、彼に背を向け、中へ戻ろうとした。が、彼が足を踏み出しかけたとき、一声がそれをとどめる。

「あっ……!」

 それは、悲鳴に近いひきつった声だった。怪訝に思ったディランは振りむき、固まる。

 膝を抱えていたレビが姿勢を崩し、後ずさりするような格好になっていた。まっさおな顔でディランの方を見て、小刻みに震えている。明らかに普通でない様子に、ディランは思わず身をひるがえして、小走りでレビの方へ行っていた。

――恐怖に揺れる瞳が、自分に向けられていることを忘れて。

「レビ、どうした?」

 慌てて歩み寄り、彼の肩に触れようと手をのばす。

 その直前、レビは大きく震え、とっさに自分の手をあげた。

 

「来るなっ!!」


 乾いた音が、静かな庭に響く。

 のばした腕は、小さな手にはねのけられた。

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