幕間Ⅱ
2-1 老傭兵の見る風景
「あっ! おい待て!」
突然、奥の方からそんな声が聞こえた。
「……あ、あれ」
「その皿はもっと高いとこにやるもんだ! ほかのやつと混ざったらまぎらわしいだろ!」
「でも」
「大体なぁ……皿はいいからテーブルふいとけって言ったじゃねえか」
頭を抱える男は、苛立たしげだ。ラリーほどではないが若い。子どもと接した経験もあまりないと見えるから、どう教えていいかわからず困っているのかもしれない。
だが、さんざん若者に怒鳴りつけられた少年の方はというと、ふてくされるわけでも、泣くわけでもない。困ったように首をかしげながら、自分の体を見下ろしている。が、若者が思わずといったふうにため息をつくと、いつもの戸惑ったような無表情で、ぺこりと頭を下げた。
「すまない。セシリアに雑巾借りてくる」
「ああ、そうしてくれ……。あ、皿貸して」
子どもは言われた通り皿を若者に預けると、厨房の方に走っていった。
一部始終を見ていたサイモンは、煙管をそっとしまいながら、ひとりごつ。
「よくできたガキだよなあ。不気味なくらいだ」
二か月ほど前、巡回の者が見つけて、首領の判断により『暁の傭兵団』で引き取ることになった少年。身寄りがなく、さらには記憶もないらしい彼は、首領ジエッタにディランと名付けられ、ここでの生活を始めた。
そこで問題になったのは、この少年があまりにもふわふわしていたことだ。
ふわふわ。サイモンにはそうとしか表現できなかった。世間知らず、というほどではなさそうなのだが、どこかおぼつかない。浮世離れしている、というのも違う気がする。気がするだけかもしれないが。
ある程度の常識はある。知識も、まあそれなりにある。気になったのは、読み書きできるものが非常に偏っていたことだろうか。最初から一部の文字は読めるのに、それ以外はさっぱり、という具合だった。
教育に関してはセシリアがどうにかしてくれるだろうから、サイモンは心配していない。
非常によく働くし、気を回そうと頑張ってもいる。が――時々、突拍子もない行動に出ることがある。今だって、台すら使わず棚に皿を戻そうとしたところで、若者に止められていたのだ。
子どもらしい、無知ゆえの無茶だといえば、それまでかもしれない。けれどサイモンは、彼の行動が、ただの無知からくるものとは思えないのである。
「――届くような、気がしたのだ」
夕方。勉強も剣の訓練もひと通り終えたディランと、サイモンが一緒にたわいもない話をしていたとき。酒の代わりにお茶を淹れてもらった少年が、ぽつりと呟いた。
唐突な言葉に、杯を持ったサイモンの手が止まる。
「どうした、急に」
「昼間。見ていただろう」
「……ああ」
皿を持ってきょとんとしていた彼の顔を思い出し、サイモンは乾いた笑いを漏らした。が、すぐに、少年の言葉の違和感に気づく。彼がそれを問う前に、カップの表面を見つめているディランが、言った。
「届くような気がしたのだ。わざわざ、気をつかって低いところの仕事をくれなくても、私ならこれくらい届くって。今思うと、なんだか、変だな」
「そうだな。おまえ、ラリーより小せえのにな」
「うん」
うなずいたディランは、消沈した様子でカップに口をつける。仕事を間違えて怒られたことに落ち込んでいるというよりも、自分の認識と実際との
サイモンはその様子を見ながら、目を細める。
その齟齬は、ひょっとしたら、彼の記憶喪失に関係しているかもしれない。ちらりとそんなことを思ったが、口には出さない。代わりに、あとでジエッタの奴に報告しておこう、と頭の中に予定を書きこんでおく。
――背を丸めながら茶をすすっている少年を見ると、なんだかあわれになってきた。サイモンは無言で手を伸ばすと、彼の頭をわしわしなでる。
ディランはびっくりして肩を跳ねさせたが、サイモンは構わなかった。なんとなく、自分の気が済むまでなでまわして、手を離す。すると、ディランは目をいっぱいに見開き、混乱した様子で傭兵を見上げてきた。
「え、うぇ?」
おそらく、この少年の頭の中は今、疑問符で埋めつくされているであろう。目を回すディランに向け、サイモンは、にっと笑いかける。
「おまえ、ここに入ったばかりだろう。で、その前のことは何一つ覚えてねえときてる。そりゃ、わかんねえことや間違えることが多くて当たり前だ。だからこれから覚えりゃいい。ゆっくりでいいから、まわりを見て、連中に聞いて、少しずつ慣れていけばいいさ。
むさいおっさんばっかでやりにくけりゃ、セシリアやお師匠様に泣きついちまえ」
少年は呆然としている。サイモンはもう一度手を伸ばし、今度は頭を軽く叩いた。
「その妙な違和感も、そのうちなくなるだろ。気になるようだったら、また俺に話しに来いや、な?」
ディランはしばらく彫像のように固まっていたが、やがて、無表情のままうなずいた。
それがなんだかおかしくて、サイモンは思わず声を立てて笑う。機嫌がよくなったせいか、無造作に煙管を取り出していた。まっすぐな子どもの視線に断りを入れるように、手を振る。
「安心しな。草は入ってねえ」
「くさ? というか、それはなんだ?おもしろいな」
ディランは煙草を嫌がるどころか、見たことのない管がおもしろいのか、目を輝かせて身を乗り出している。サイモンは、さすがに気づいた。
「……
「ん。初めて訊く。どういうものだ?」
さすがに、純粋無垢な目でそんなことを聞かれれば、老傭兵といえど答えに
「ディランがもう少しでかくなったら、教えてやる」
「本当か! 楽しみにしてる!」
「……あと、ジエッタとセシリアがいいって言ったらな」
女二人の壁は高い。思いながら、サイモンは煙管をくわえた。
※
そのとき手にした管がなんであるか、サイモンが彼に教えたのは、彼が旅に出る少し前だった。教えたときには、初めて煙管のことを訊かれたときの会話はあまり覚えておらず――彼がそれを、驚愕と
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