43.飛翔

 太陽が傾きはじめたころ、チトセとイスズは安宿を出た。空にはまた雲がかかりつつあるも、それは白っぽく薄い雲だ。灰色の嫌な雨雲ではない。空気も乾いてきているようだった。これが本来の姿なのだろう。少女たちはしみじみ思う。

 人通りの多い石畳の道を歩いていると、今思いついたようにイスズがぼやいた。

「あー。最後くらい、あの白い竜に一発入れてやればよかったかな」

 彼女は言いながら、穂先に鞘のついた手槍を軽く振る。チトセはそれを冷めた目でながめた。

「やらなくてよかったんじゃない。下手したらあたしたちの方が怪我するし」

「もう。わかってるわよ」

 冗談にまじめな返しをされたイスズが、頬をふくらませる。友人の、変わらない態度に口もとをほころばせたチトセは、しかしすぐに穏やかな表情を消した。

「なんか、変な一日だったな」

 呟いて、腰に手をやる。揺れた刀が硬質な音を立てた。

 竜狩人の自分が、竜を殺すためでなく生かすために動いていたという事実は、少女に妙な感慨と少なくない衝撃を与えていた。竜など、見た瞬間に斬り殺したくなるとばかり思っていたのに、水竜たちに再び対面したときは、あまりそう思わなかったからだ。短い時間を共にした人々と――白い竜の姿が、ぬるま湯につかっているかのような、それでも不快ではなかった時間のことが、まだ脳裏に焼きついている。

「ねえ」

 ぽつりと、声がこぼれる。自分の声だと、イスズが振り返ったことで気づいて、チトセは息をのんだ。

「なあに?」

 少女が首をかしげる。長い赤毛がさらりと揺れる。チトセは、唇をかみしめて、しばらく震わせた。

「……なんでも、ない」

 喉元まで出かかった問いをのみこむ。チトセは足を速めようとした。

 が、前に現れた人に気づき足を止める。

「なんだ、まだこの町にいたのか。探したぞ」

 淡々とした声に、チトセはぎくりと固まった。そんな彼女とは対照的に、イスズは目を輝かせる。

「オボロ様!」

 嬉しそうな少女の呼びかけに、羽飾りのついた帽子をつまんだ男は、顔を上げた。何をしているんだ、と吐き捨てながら二人を順繰りに見やる。

 チトセは何も言えなかった。無意識のうちに刀に手をかける。

 自分を見た瞬間、オボロの眼差しが、暗くて冷たいものになった気がした。

 

 

     ※

     

     

『シルフィエ様の気配がつかめたわ!』

 蒸し魚が載った大皿を前にして、ルルリエが羽をばたつかせた。興奮したような声だったが、まわりに聞こえぬよう潜められてはいる。

 熱のこもった竜の言葉に、全員がつかのま、食事の手を止めた。ゼフィアーが、「居場所、わかったのだな」と言いなおす。

「そりゃ、よかった。これで一応の目的地が決まるってことだよな。……で、シルフィエは北にいたのか?」

 トランスが小皿を片手に問うと、ルルリエは小さく鳴いた。

『ええそうよ。今の時点で、大陸の南端にさしかかったところだったわ。今も気配をつかんでいるから、いつでも追えるわよ』

「なら安心ね。問題は、どうやって海を渡るか、ということだけれど」

 マリエットが、小鳥に向かって微笑んだ。

 彼女が見つけた小さな食堂は、時間帯が外れているせいか人はあまりいない。それでも、憩いの場として人気のある場所のようで、商売人と思しき人々が杯を片手に話しこんでいる姿が散見された。客を見守る店員の目もどこかのんきだ。

 食事に手をつけながら、旅人たちは今後の道行きについて話し合う。その中で、ディランはそっと二人の子どもの様子を確かめた。一度はディランに妙な態度をとったゼフィアーとレビだが、今は別段いつもと違うところはない。ディランにも、いつもどおり話しかけてくる。その「いつもどおり」が、どことなく、むなしく感じられた。

「さて、おまえら」

 トランスの大きな声に意識を引き戻され、ディランはふっと前を見た。

「わかってると思うが、宿に戻ったら、いつでも出発できるようにしておけよ?」

 そう言って頬杖をついた彼の目は、悪戯っぽく光っている。

 ディランを含む四人は、苦笑しつつもうなずいた。

――もう一泊してから宿場町を出て、海の方へ向かうことで、話は落ちついた。



 極限まで深まった夜は、それからじょじょに明けてゆく。うす青い闇に沈んだ宿の一室は、心地よい静寂に包まれていた。窓辺にとまっている鳥は、目を閉じて、彫像のようにじっとしている。どこか遠くから風が吹いてきて――そのとき、目を閉じていた鳥は、かすかに羽を震わせた。目が開き、鮮やかな緑色が闇の中の灯火のように光る。鳥は小さく羽ばたいて、天井付近を飛んだあと、寝台で横になっている一人の少年の顔のうえへ体を滑らせ、止まる。

『ディラン』

 鳥は、竜の言葉でささやく。すると少年は薄目を開けて鳥を見た。彼の目つきは、寝起きの呆けたものではない。鳥は続けた。

『《魂喰らい》が近づいている』

「ああ」

 ディランは闇の中で鋭く応じるなり、流れるように起きあがった。旅衣を身にまとっていて、剣も佩いたままだ。彼は手縫いの鞄を無造作に引き寄せかついでから、大きめの声を上げた。

「みんな」

 すると、薄い闇の中で人影がうごめいた。身支度を整えた状態で寝台に横になり、あるいは床に座って目を閉じていた同行者たちが、さっと動きだす。ディランは口もとをほころばせると、するりと寝台からおりて、鞄の口を開けながら言い放った。

「逃げるぞ」

 白い鳥が、吸い込まれるように鞄の中へ入っていく。


 音を極力立てぬよう階下に行くと、開店準備をしている宿の主人に出くわした。彼は、慌ただしく出立しゅったつしようとしている一行を見て、不敵に口を歪めた。

「やあやあ。早くに出るかも、とは聞いていたが、本当にこんな早くに出るとは思わなかったな。おもしろい連中だ」

「騒がしくするかも。ごめんなさいね」

 槍を持ちなおしながらマリエットが言う。主人は、追い払うように手を振った。

「金はもらってる。話もすでに聞いた。だから構わんよ、好きにしろ」

 投げやりにも聞こえる言葉に礼を言いながら、五人は外へ飛びだした。

 町の夜は明けていない。乾いた空気は冷えきって、通りは静まり返っている。ディランたちは、町の出口までまっすぐにのびている太い道の上を無言で駆け抜けた。人の声ひとつしない道に、五人分の足音はよく響く。灯火さえなく薄暗い道を行く。

 少しして、視界の向こうに丈の低い草が見えた。石畳は草の手前ですっぱり途切れていて、宿場町がそこで終わっていることを示していた。五人は視線を交わすまでもなく足を速める。そのとき、夜明け前の静寂を切り裂いて、後ろの方からけたたましい足音が聞こえてきた。おさえているつもりだろうが、彼らの耳にはしっかり届いた。

「来たな」

 トランスが呟き、口の端を不敵につりあげる。なぜか楽しそうな男を横目に、ディランは自然にに剣を抜くと、空中で振った。澄んだ音を立て、どこからか放たれた矢が刃に打ちつけられて跳ね返った。矢は速度を失い、石畳に落ちる。目の端に赤い矢羽をとらえて、ため息をつきたくなった。走りながら、並ぶ家いえを見上げる。

「飛び道具を使うのはいいけど、後始末もちゃんとしろよな」

 わざと大声でそう言った。射手に届いているかどうかはわからないし、どうでもいい。これはただの自己満足だ。ディランは前を向きなおして走る。

 靴をとおして伝わってくる地面の感触が、ふいに、やわらかいものになった。石畳が途切れて土と草を踏む。町の外に出た。瞬間、背後から迫る足音が大きくなった。一気に、怒声とおぼしき声が遠くから叩きつけられる。ディランは鞄に手をやった。ルルリエがすくんでいるような気がする。

「チトセたちも、いるんでしょうか」

「わからないな」

 浅く息を吐きながら子どもたちが言った。それでも足を止めない。ディランは前を見たまま鞄に向かって声を放つ。

「昨日と同じ方角に向かえばいいんだよな!」

『ええ。でも、あの子たちが関わってるんなら、狩人たちも私たちの進路を予想しているはずだわ』

「構わないさ! やるべきことは変わらない!」

 言うなり、ディランは強く地面を踏みしめて、前へ飛び出るように走る。下草がしなって乾いた音を立てた。



     ※



 竜狩人たちは、薄明はくめいの中、たった五人を追いかけて走っていた。宿場町を通ったときは分散していた人々が、外に出ると同時に合流し、二十人を超える大規模な集団となっている。先日、ゼノン山脈に向かった同業者が狩り損ねた風竜の情報を受け取った彼らは、我先に、とばかりに、競って走り続けていた。執念深く追跡した甲斐あって、もう竜をかくまっているらしい旅人たちの背中が見えるほどに近づいている。先頭を走っていたひとりの男が、にやり、と笑った。

「よし! おい若いの! もうすぐで竜に手が届くぜ!」

 男は振り返らず、すぐ後ろを走っているはずの若者に声をかけた。彼は確かにいた。すぐ、「おう」とおもしろがるような声で返事をする。今回、風竜を追ってきてたまたま居合わせた若い槍使いなのだが、陽気でのりがいいので、男とすぐに意気投合したのである。

「ぜってー竜を狩ってやるんだ!」

「気合入ってんだな、すげえや」

「あたりまえだろ!」

 男が勇んで言うと、若者は相槌を打ったようだった。高揚した気分のまま、男はさらに口を動かそうとする。思うままに、言葉を吐きだそうと息を吸って――

 

「そりゃ残念」

 

 背中に強い衝撃を受けた。

 吸った息が、妙な音を立てて吐きだされる。

「あっ……?」

 枯れた声を漏らしながら、男は前方に倒れた。自分の体がやけにゆっくり傾いたように感じ、土のざらつきと冷たさに意識を引き戻される。

 男が倒れたことに気づき、周囲の竜狩人が訝しげに足を止めた。背中の痛みをこらえながら、男は顔を上げ、自分のすぐ後ろに立つ若者を見る。彼は、いつもどおりの明るい笑みを浮かべながら、片足をあげていた。男の背を蹴った直後の姿勢のままそこにいたのだ。

「お、おまえっ!」

 男の声を受けた若者は、肩をすくめて足をひっこめる。ほかの竜狩人たちがざわめきはじめる中――自然な動作で、槍を構えた。唖然としている男を見ながら、彼は明るい声で言う。

「気合入ってるのは結構だけど、それはぜひ別のところにぶつけてくれ」

 遠回しな宣戦布告。

 その瞬間、呆けている男を放って、他の竜狩人たちが若者に飛びかかった。だが、この若者は巧みに立ち回り、瞬く間に、自分より一回り背の高い、むさくるしい男たちを打ちのめしてしまう。振りまわした槍の先にはめられた鞘は、最後まで抜かれることはなかった。

 若者はふっと息を吐くと、倒れ伏す男たちを睥睨する。最初に蹴倒された男は、怒りに体を震わせながら、若い槍使いをにらんだ。

「ラリー、てめえ!」

 若者は野太い罵声にも動じない。返ってきたのは、爽やかな笑顔だった。

「悪いねえ。でも、かわいい弟分の邪魔してもらっちゃ、困るんだよ」

 彼のまとう分厚い外套の下で、赤銅色の首飾りがしゃら、と音を立てる。それを知る者はいない。

 直後、集団の後方からも、断続的に悲鳴が聞こえてきた。若者は、愉快そうに鼻を鳴らしてから脇道を一瞥する。低木の枝のうえにいる、旅装束の痩身の男が、かすかにうなずいた。



     ※



 水竜の暴走はおさまったはずだが、このあたりに漂う空気はやはり湿気を帯びている。比較的海に近いからかもしれない、とディランは考えた。走り続けてい彼は、けれど、尋常でない悲鳴を聞いた気がして、一瞬だけ足を止める。

「なんだ?」

 疑問の声に、ゼフィアーが答えた。

「うむ。どうも、追手たちが揉めているようだ」

「揉めて? なんだよそれ」

 ディランが肩をすくめる横で、マリエットが、「でも、よかったじゃない」と笑い含みの声で言った。同時に、鞄の中から竜語が響いてくる。

『このあたりでいいわ。今は追手も止まってるんでしょ。ディラン、出して』

「はいはい。頼むよ、風竜様」

 有無を言わさぬ言葉に苦笑し、ディランは鞄の口を開ける。海へはまだまだ距離があるのだが、人間と竜ではやはり距離感が違うようだ。白い小鳥は滑るように空へ舞い上がり、大きく弧を描いて飛んでから、その姿を白いあかりに変える。光はみるみる大きくなり、あたりに風が巻き起こった。薄らぐ光が、人間たちへ向かって飛んでくる。

『さあ、乗りなさい!』

 風竜の声にうなずき、五人はそれぞれ地面を蹴って、一息に彼女の背へ飛び乗った。乗りそこねかけたレビの手をつかんで引きあげたとき、ちょうど光がおさまり、白い翼が深い色の空をなぞる。

 五人が背に乗ると、ルルリエは旋回してから一気に高度をあげた。刃のような冷たい風が、空をゆく彼らにふきつける。

 低くうなる風の中、竜は激しく羽ばたいて、前へ上へと飛びつづける。

『このまま、気配を辿って、シルフィエ様のもとへ行くわ!』

「えっ!?」

 ルルリエの高らかな宣言に、レビが困惑の表情で身を乗り出した。

「北大陸までってことですよね。距離がある、どころじゃないですよ」

『何を言ってるの。距離なんて関係ないわ。私の翼で、ひとっ飛びよ!』

 白い体が風に乗る。雲につっこみ、すぐに抜けた。

 その先の、眼下に広がるのは――深く、青い海だ。視界を埋め尽くす青は、竜の起こす風にあおられ、かすかな波を立てている。感じる風にも潮の香りが入り混じっているような気がして、ディランは思わず笑みを浮かべた。ふわふわの毛をなでる。

「任せた、ルルリエ」

『ええ。――あ、そうだ。ひとつ言っておくけど』

 翼を休めないまま、ルルリエは世間話でもするかのような調子で切り出す。首をかしげた五人に、さらりとあることを告げた。

 

『北大陸周辺にね、常に気流が乱れている空域があるの。だから、無事に着陸できる保証はないわ』


 竜語を理解した三人が、凍りつく。ディランは空気にひびが入った音を聞いた気がした。


 あなたたちを死なせないよう全力は尽くすけど。

 そう続いたルルリエの言葉は、人々には届かない。レビとトランスに内容を問われたゼフィアーが彼女の言葉を端的に訳す。すると、取り残されていた二人もみるみるうちに青ざめた。

 沈黙の先、辛うじて、紡げた言葉はただひとつ。

 

「そういうことは先に言え!」


 絶叫の四重奏しじゅうそうと、鈴を転がすような笑い声が響いて消える。

 騒ぎだした人と竜を出迎えるように、深い青色の空の東端が、黄金色に染まりはじめた。

 

 

 

(第二部「人と竜」・完)

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