42.違和感

 名前を呼ばれた、ということに気づくと同時、ディランは胸の奥からせり上がってくるものを感じて激しく咳きこんだ。体が要求するままに、まぎれこんだ異物を吐きだそうとする。ややあって、口からぬるい水がつたい落ちた。そして、うっすらと目を開ける。視界を覆うのは曇天、端から少女と男がのぞきこんでいる。

「お、気がついたみたいだぞ」

「ディラン、よかった……!」

 おどけたようないつもどおりの声がけと、不安定に揺れる涙声。霞がかかったような意識の中、ディランはぼうっとした声で彼らの名を呼んだ。

「トランス……ゼフィー……」

 二人はなぜかずぶぬれで、湿った髪の毛を顔にはりつけている。たぶん、自分もそれは同じだろうと、ディランは思った。なんでこんなことになっているのか、と、しばらくの間、宙を見つめて考えた。考えて、考え抜いた先――脳裏に、いくつかの風景が閃く。目の前を覆う濁流と、つかんだはずの小さな手。青い水と、その中で聞いた不思議な声。弾けて消える記憶の映像とともに、何があったのかを思い出したディランは、はっと息をのんだ。肺がひりひりと悲鳴を上げたように感じ、急に思考が明瞭になる。

「そうだ、俺、竜の水柱にのまれて……」

 呟きながら彼は、濁流の中を浮き沈みしていた金色の髪、その主のことに思い至る。

「――っ! あいつは、レビは!?」

 叫びとともに起きあがったとき、くらり、と目の前が歪んだ。とっさに頭を押さえる。トランスの呆れたような声が聞こえた。

「こらこら、無理に起きなさんな。慌てなくてもレビ坊は無事だ」

「……よかった」

 ため息とともに声を吐きだす。そろりと顔を上げると、マリエットや、竜狩人の二人も彼の方に集まってきているのが見えた。そして。

「ディラン!」

「おおっ」

 明るい声とともに飛びついてくる子どもが一人。レビだ。慌てて受けとめると、彼は水にぬれた顔を上げて笑った。

「ぼくは元気ですよ、大丈夫です。助けてくれて、ありがとうございます」

「元気ならそれでいいよ。安心した」

 ディランは言って、しっとり湿った金髪をなでる。そのころにはもう、不快感もおさまっていた。水の中にいたせいか、全身にまとわりつく気だるさは抜けきっていないが、動くのに支障はないだろう。じゃれあう少年たちのそばに、マリエットがそっと寄ってくる。

「レビが巻きこまれたあとね。正気を取り戻した水竜たちがどうにか仲間たちを静めようとしたのだけど、間にあわなくて、全員が水にのまれかけたの」

「ああ、それでみんなぬれてるのか」

「そう。でも、その瞬間、怒り狂っていた竜たちが突然はっとしたような顔になって――正気に戻ったのね――それと同時に、水の渦もどんどん小さくなって、おさまったわ。消えてゆく渦の中から出てきたのがあなたたちだった。あなたに抱えられていたレビはすぐに目を覚ましてね。しかも、この中の誰よりも元気だったのよ」

 さらりと響いたマリエットの言葉に、ディランは目を瞬き、しがみついている少年を見おろした。レビは、自分でも不思議だ、といわんばかりに首をかしげている。

「腹立たしいったらありゃしないわ。みんな、水にもみくちゃにされて多少なりとも疲れてたのに、こいつだけぴんぴんしてるんだから」

 うっとうしそうに黒髪を払いのけてチトセが吐き捨てる。イスズが隣で苦笑した。

 ディランとレビは顔を見合わせる。

「妙だな。なんで、レビだけなんともなかったんだ?」

「わかりません……。ディランが守ってくれたんですかね」

「俺にそんな超能力はない」

 気の抜けた会話をしながら、互いに首をかしげる。いくら考えても答えが出ないので、やがて、ディランは考えることをあきらめた。こちらをながめる人々を見上げ、誰にともなく問う。

「そういえば、ルルリエと水竜たちは?」

 返ってきたのは、押し殺したような笑い声。ディランが首をひねると、イスズが口もとを押さえながら宙を指さした。

「あそこ」

 彼女の声につられたディランは上を見て、それからこのうえなく間抜けな顔になった。

 

『いい成竜おとなが、手を焼かせるんじゃないわよ! 私はともかく、なんの関係もない人間まで巻きこんで!』

『す、すまん』

『だいたいねえ。ディルネオ様の眷族を名乗るんなら、もう少し落ちついて行動しなさいよ! わかる!?』


 黄色い声をあげる風の小竜と、彼女の向かいでうなだれる水竜の群。実に奇妙な絵面だ。

 ディランが呆然としていると、肩を揺らして笑いながらゼフィアーが言う。

「水の暴走がおさまってから、ルルリエはずっとあの調子でな。もう、私たちがなにか口を挟む必要はないんじゃないかと思えてくる」

「――はは」

 もはや、乾いた笑いをもらすことしかできない。

 悪さをした子どもを叱る母親のようにぷんすか怒っていたルルリエだが、間もなく説教は打ち切られたらしく、地上の人々の方を振り返った。そして、目をみはる。

『ディラン! 起きたのね!』

 言うなり彼女はくるりと反転し、つっこんできた。

「お、おい待――」

 あの巨体に突撃されたらまずい。そんなことを思ってディランは声を上げたが、彼女は滑空中に光に包まれて縮こまり、少年の額につっこんできたときには、白い小鳥になっていた。飛びながら変化へんげするとは器用なものだが、痛いものは痛い。鳥に激突されたディランは額を押さえてうずくまる。

『あ、大丈夫?』

「大丈夫じゃない……」

 くちばしでつつかれなかっただけましだ、と思うことにした。

 

 その後、ルルリエは定位置、つまりディランの肩にとまって落ちついた。そこへ水竜たちが降りてくる。一行の中で唯一、竜語ドラーゼを完璧に話せるゼフィアーが、何かを言われるまでもなく前に出た。

 平謝りする水竜たちを落ちつけたあと、ゼフィアーは問う。

『ところでお主ら、シルフィエがどこにいるか知らないか?』

『シルフィエ様か……いや、わからないな……』

 まっさきに我に返り、ルルリエの名を叫んだあの水竜が、申し訳なさそうに言う。そこへ、小鳥姿のルルリエが割って入った。

『大丈夫よ、ゼフィアー。このあたりは海が近いし、こいつらの暴走もおさまったから、もう少ししたらシルフィエ様の居場所は探れるようになるはずだわ』

 鳥の言葉に水竜たちがうなずく。だが、そこで、先程の竜がはっと目を見開いた。

『そういえば。私たちが出発するとき、仲間たちがシルフィエ様の噂をしていた。もうすぐいらっしゃるらしい、とかなんとか』

 ゼフィアーとルルリエが、えっ、と声を上げた。

『じゃあ、北大陸に向かわれたということ?』

『おそらく。現在地ははっきりしないが、北を重点的に探れば気配をつかめるはずだ』

『わかった。ありがとう』

 ルルリエが力強くうなずいた。その横で、ゼフィアーがディランたちの方を振りかえり、竜の言葉を翻訳して伝えてきた。

 今までで一番大きな収穫に、竜狩人をのぞく四人がほっとした顔になる。

 ゼフィアーは向き直り、さらに質問を重ねた。

『それともうひとつ、訊きたいのだが……。《魂還しの儀式》を知っているな』

『ああ、もちろん』

『儀式を、私たち一族の力に頼らず行う方法があるらしい、というのを聞いた。何か知らないか?』

 竜たちが顔を見合わせる。

 断片的に拾えた単語から、話の内容を察したディランは、息をのんだ。彼らはディルネオの眷族だ。もしかしたら主からなにかを聞いたかもしれない、とゼフィアーは踏んだのだろう。

 竜たちは少しの間、何事かをささやきあっていた。が、やがて、先程の竜より小柄な別の水竜が、前に出てくる。

『主様から、少しだけ、そのような話を聞いたことがあるわ』

「本当か!?」

 ゼフィアーが、竜語をかなぐり捨てて竜たちの方へ身を乗り出す。発言しためす竜は目を白黒させたが、すぐに気を取り直して話を続けた。

『ええ。でも、そのとき私が聞いた話はほんのわずか。主様も、おもしろそうだし、ためになりそうだから、もう少し調べてみるとおっしゃっていたころだし。行方不明になる何年もまえのことだから、それ以降に新しい情報を仕入れられた可能性はあるわね』

 会話に集中しているゼフィアーにかわり、マリエットが訳してディランたちに話を伝える。それを聞きながらディランは思った。彼らの主、ディルネオは、いったいどんな竜だったのだろうか、と。

『詳しいことは何も聞けなかったの?』

 ルルリエが問うと、竜は小首をかしげたあと、言った。

『うーん……例の一族の能力のかわりに、竜の力の一部を使うんだと、おっしゃっていたような……』

「竜の、力」

 ぽつり、と呟いたゼフィアーとマリエットの声が、重なった。

 雌竜はそれからしばらく記憶を探ってくれたが、先に聞いた以上の情報は出てこなかった。みんなでお礼を言い、ルルリエと水竜が情報交換するのを見届けたあと、人々は水竜たちに別れを告げて、町へ戻ろうとした。

 が、その直前になって、竜の一頭がゼフィアーへ近寄ってきた。ディランの隣を歩いていた少女は、不思議そうにその竜を見上げる。

『どうかしたか?』

『えっとね。君に、お願いがあるんだ』

 竜は照れくさそうに言った。

『お願い?』

『うん――』

 怪訝そうにするゼフィアーに、竜はなにかをささやきかける。すぐ近くにいたにも関わらず、ディランには、彼が何を言ったか聞きとれなかった。だが、やけに長い竜の言葉を聞いたゼフィアーは、ものすごく驚いた顔をしている。

『確かに、伝えたからね』

 少女が唖然としている間に、竜はくるりと反転し、群へ向かって羽ばたいた。その背に、遅れてゼフィアーが叫ぶ。

『ま、待て! 待ってくれ! それはいったい、どういう――!』

 だが、竜は振り返らない。やがて群そのものが遠ざかってしまった。

 残されたゼフィアーは、何も言わずに立ち尽くしている。その背に、ディランはおそるおそる、声をかけた。

「ゼフィー」

 スカーフを軽くひっぱりながら呼びかけると、ゼフィアーはびくっとすくんでから振り返った。

「何、言われたんだ?」

「……あ。いや、その……」

 ゼフィアーは、しばらくもごもごと何かを言った後、むっつり黙りこんでしまう。かわりに、ディランをじいっと見つめてきた。これまででもっとも長い時間、真剣に。

 不思議な色と輝きをたたえる瞳は、少年の奥の奥を見すかそうとしているかのようで、ディランはなぜか、落ちつかない気分になった。

「あの、ゼフィー?」

 しばらく経ってから声を出すと、ゼフィアーは息をのむ。それから急に、ぎこちなく笑った。

「うむ! す、すまない! 大したことではなかったのだ、気にしないでくれ!」

 あからさまな大声で言い残すと、彼女はそのままディランの脇をすり抜けて、駆け去ってしまう。

「あ、おい!」

 呼びとめても振り返らなかった。遠ざかっていく三つ編みを、変な気分でながめる。

「なんだ、あれ」

 変なゼフィアーだ。どうしたのだろうか。疑問に思いはしたものの、本人は何を言う気もないようなので、胸中を確かめるすべはない。それに、いつまでも呆けているわけにはいかなかった。釈然としない中で、ディランはルルリエを肩に乗せたまま、仲間の背を追い、歩き出した。

 

 灰色の雲がとぎれがちになり、隙間から陽の光が筋のようにさしこんでくる。

 水竜の暴走の影響が、おさまりはじめたのだろう。空はじょじょに明るくなって、人と町を包む空気も、重く湿ったものではなくなっていた。天候が安定してきたおかげか、石畳の道には人の気配が戻りつつある。宿場町へ戻ってきた一行の前を、旅装束の痩身の男があわただしく通りすぎた。潮騒しおさいのようなざわめきを耳にして、ディランたちは顔をほころばせた。

 家並みを通り抜けて宿屋へ向かおうとしたところで――いきなりチトセとイスズが立ち止まり、「さて」とわざとらしく声を上げた。五人と一羽は声を聞き、振り向く。

「ここからはあたしたち、別行動でいいでしょ?」

「といっても、行先は同じなんだけどねー」

 ぶすっとしているチトセと、なぜか楽しそうなイスズ。二人の言動に、五人とルルリエは唖然としたものの、すぐに苦笑した。

「唐突ね」

「そう言うだろうとは思ってたけどな」

 マリエットとディランが言うと、少女たちはばつの悪そうな顔をする。

 ディランたち一行は、彼女らがここで別行動を切り出すだろうという考えを暗黙のうちに共有していた。『破邪の神槍』の一員である二人が、必要以上の慣れ合いをしたがらないというのは、予想していたのだ。

「ご自由にどうぞ。今度会うときは、どうせやりあうことになるだろうから、湿っぽいのはいらねえぜ」

「その言葉、そのままお返しするわ」

 突き放すように言ったトランスに、チトセがとげとげしく返す。少女たちはそれぞれ「ま、今回は世話になったわ」と、あっさりした言葉を残すと、ディランたちを置いて安宿へ向かった。

 湿っぽいのはいらない。その言葉どおりの、そっけない別れ方だ。

 五人と一羽はそれぞれに、なんともいえない表情で、ふたつの背中を見送った。

 

 わざと、チトセやイスズが宿屋に入ってしばらく経ってから、彼らも例の安宿に戻った。とにかく疲れたから、と短い仮眠をとったあとは、自由に過ごすことになる。ルルリエは部屋の窓から飛びたっていった。シルフィエの気配を探るため、宿の近くを飛び回ってみると、ディランに言い残して。

 仲間が好ききに自分の時間を過ごしている間、ディランは部屋でぼうっとしていた。何を考えていたわけでもない。ただ、時折、青い水の強烈な記憶が頭をもたげた。

 そうしてどれくらいの時間が経ったのか。ディランが剣の手入れでもしようかと思いいたって、愛剣を手にしたとき、部屋の扉が叩かれた。

「どうぞ」

 簡潔に言うと、すぐに扉が開いて、隙間から少年が顔をのぞかせる。

「なんだ、レビか」

「あ、よかった。ディラン起きてました」

 レビは笑いながらそう言って、いそいそと部屋に入ってくる。寝てると思われてたのか、とディランがおどけたふうに言うと、レビはふふっと声を上げた。

「どうした?」

「いえ。よさそうな食堂を見つけたから、みんなでご飯にしましょうってマリエットさんが。それで、ぼくが声をかけて回ってたんです」

「へえ」

 思いがけない誘いにディランは目を瞬く。ご飯にしよう、と言われてはじめて気づいたが、町を出る前に朝食をとって以降、何も口にしていなかった。意識すれば、空腹感が襲ってくる。レビも同じことを思ったのだろう。照れたような笑みをかわしあう。

「そういうことなら、行くか」

「はい。あ、ルルリエは、ゼフィーのところにいるみたいですよ」

 レビの言葉を聞きながら、ディランは剣を鞘におさめてから、腰につりさげる。手縫いの鞄を無造作につかんで、立ち上がった。レビと目が合う。

 次の瞬間だった。

――ガタン! と大きな音がする。

 音にひるんだディランは、レビが飛びすさった拍子によろめいて寝台にぶつかったのだと、遅れて気づいた。彼に声をかけようとして、しかし眉をひそめた。

 レビの目は、変わらずディランを見上げている。が、顔からは穏やかな雰囲気が消えうせて、とにかくひきつっていた。何に驚いたのか、あえぐように口もとを震わせている。顔面蒼白で冷や汗すらかいていた。

「ど、どうかしたか?」

 唐突にして異常な反応に戸惑いながら、ディランは尻もちをつきそうなレビに手をさしだす。が、彼は出された手をとらず、怖がるように後ずさりした。

 ディランは渋い顔で、さしだした手を見つめてからひっこめた。――何かがおかしい。訊いても答えてはくれないだろうと思い、ディランは黙って、レビが立ち直るのを待った。狙いどおり、すぐにレビは正気に戻ったようで、深呼吸を繰り返す。それから、ごしごしと両目をこすってディランをながめた。

「なんだよ。俺、なんかに憑かれてる?」

 レビの表情はまるで幽霊を見たかのようだった。だから、冗談めかしてディランはそう問うた。レビは無言で首を振る。それから、沈んだ声で言った。

「……ちょっと、違和感があったんです。でも、たぶん、ぼくの勘違いですね」

 ゆっくりと言葉を口にした彼は、ディランに笑みを向けた。力が抜けて、弱々しい笑みだった。

「びっくりさせてごめんなさい。さ、行きましょう!」

「あ、ああ」

 吐息のような返事を待たず、金髪の少年は扉の方へ歩き出す。落ちこんでいるようにも見える小さな背中を前にして、ディランは黙りこんでついていくことしかできなかった。

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