30.風の小竜

 鋭い拳の一撃が、竜狩人の顎を砕いた。彼が取り落とした手槍をありがたく頂戴したディランは、それをまっすぐに投てきする。遠くの方で、ぎゃっと短い悲鳴が聞こえた。狙い通り、敵に当たったのだろう。まわりが静かになった。彼は、ため息をつく。

 ゼフィアーと離れ、一人で戦いはじめてから、どれくらいの時間が経ったのか、わからない。乱戦にのまれてすっかり迷子になってしまった。どう行けば仲間たちと合流できるのか見当もつかない。一応、太陽などから方角は知れるが、今の状況ではほとんど役に立たなかった。

「どうしたもんか……」

 ディランは、抜き身の剣を持ったまま呟く。今の心情を表すのに、これほど適した言葉はほかにないだろう。人の気配が消えた道を、しばらく行ったり来たりする。引き返せば、見覚えのある場所に出られるだろうか。浮かんだ考えを、すぐに打ち消した。灰色の岩しかない山は、どこもかしこも似たような景色だ。あてにはならない。

 とはいえ、立ち止まっているわけにもいかない。ディランはしかたなく、歩きだした。

 先には細い道が伸びている。慎重にあたりを見ながら歩いていると、ところどころが大きくえぐれて、穴か、もしくは谷のようになっていることに気づいた。深さはまちまちだが、落ちたら痛い思いはまぬがれない。運が悪ければ即死だ。

 神経を尖らせる。こんな場所で不意打ちを食らったら、厄介だ。気を張ってしばらく歩き続けたディランは、遠くにまた穴が見えるところで、立ち止まった。

 人の気配はない。けれど、何か、異質な生き物の存在を感じる。

「なんだろう」

 呟きながら歩を進める。靴が岩を蹴り、静寂の中に乾いた音を響かせた。一歩、一歩、確かめるように進んだ彼は、再び見えた穴の前で足を止めた。落ちて死ぬほどではないが、そこそこの深さがある。のぞきこめば、恐怖を煽る薄暗がりが広がっていた。けれど、少年の目は、さらに奥にいるモノを捉える。

 ディランは目をみはった。

 下にいるのは、白い生き物だ。犬か何かのような、ふわふわの毛が全身を覆っている。そのせいで、一瞬、毛玉と見間違えたほどである。毛玉のような生物は、しかしそれよりもずっと大きく、翼のようなもの見て取れた。

 暗いせいか、生物の体勢のせいか、なんであるかすぐには判断できなかった。ディランが無言で見下ろしていると、生物の頭がぴくりと動き――美しい、緑色の瞳が彼を見た。

 両目の澄みきった輝きに、ディランはつかの間見とれる。だが、その直後、細められた目に明らかな警戒の色が浮かんだ。

『来るな!』

 甲高い声がほとばしる。ディランは、驚いて半歩下がった。何を言っているかはわからない。ただ、拒絶されたことは理解できた。彼は少し考えて、放たれた声を思い出し、息をのんだ。いつまで経っても意味のとれない言葉。けれど、その響きは耳と記憶に残っている。

竜語ドラーゼ……!」

 ディランはうめいた。そして、もう一度、白い生物を見下ろす。竜語ドラーゼを使ったということは、ソレの正体は竜、ということだ。

「もしかして、竜狩人たちが躍起になって探してるのは」

 口の中で呟いたディランは、思わず一歩を踏み出していた。先ほど、拒絶されたことを忘れかけたままで。また近づいてきた彼を見た竜は、今度こそ、敵意をもって人をにらんだ。

『来るなと言ったでしょう!』

 高く細く、竜が鳴く。次の瞬間――真正面から、刃のような突風がディランを襲った。

「うわっ!」

 彼はとっさに腕で顔を覆う。それでも風はやまず、とうとう、少年の腕に細い傷が走った。

 自然のものにしては暴力的すぎる風。その猛烈な勢いを前にして、彼は初めて、自分が竜の『力』を受けていることに気づいた。

 とりあえず、落ち着かせなければ。傷が少しずつ増えていく腕を見ながら、彼は唇を噛んだ。何か言おうと口を開きかけたとき、まるでそれをふさいでくるかのように、強い風が吹きつける。

 直後、耳障りな音が聞こえて視界がぶれた。

「え?」

 足場がなくなる。刹那の浮遊感。胸が、引きつったような感じがして、世界がわからなくなる。

 風を感じる。耳が、きん、と痛んで、次には衝撃が襲ってきた。

 突然すぎて声も出ない。低いところに叩きつけられたディランは、かたい岩場を転がった。ようやくでこぼこの地面が見えたところで、鈍い痛みがやってきた。耐えられないほどではないがつらい痛みにうめく。

 少しして、彼はゆっくりと起きあがった。上を見ると、崖にも見えるいびつな穴。

「……ああ」

 ディランは納得して、うなずいた。風に煽られた上に、足を滑らせて転落したのだ。深いところじゃなくてよかった、と安堵の息を吐く。だが、間もなくその顔はこわばった。何かの息遣いを感じたのだ。

 ディランは気配の方へゆっくりと目を向けながら、竜の存在を思い出す。果たして、緑色のつぶらな瞳が見えた。白い竜は、ディランを気まずそうに凝視して、身じろぎすらしない。ディランもまた、へたりこんだ姿勢のままでいた。お互い、微動だにしないまま、無言の時を過ごす。

 刻々と緊張が高まる沈黙の中で、ディランは必死に頭を回転させ、言葉を探していた。固まって竜を見続けていた彼は、ふと竜の足に目をやり、違和感を覚える。よく見てみれば、白い毛にまぎれるようにして、ちらちらと赤色がのぞいていた。それは、傷だった。血はとっくに止まっていて、傷口自体ふさがりかけていたが、痛々しい痕は残ったままだ。

「怪我してるじゃないか」

 思わず声をあげ、身を乗り出す。が、竜の声にとどめられた。

『なんなの!? 来ないでよ!』

 高く響いた金切り声に顔をしかめる。

 やはり、落ち着いてもらわなければどうにもならない。判断したディランは、数歩分、竜から距離をとった。それから息を吸って、言葉を吐く。

「人の言葉は、わかる?」

 ゆっくり、そしてはっきりと。意識して声を出す。それを聞いた白い竜は、軽く目をみはった。わずかに視線を逸らしたが、ややあって、小さく答える。

「すこし」

 返ってきたのはたどたどしいながらも、耳慣れた言葉だ。安堵したディランは、口もとをほころばせて、続ける。

「俺は……敵じゃないんだ。たまたま、君を、見つけただけ」

 伝わるだろうか。かすかな不安を抱えながら、声を出す。ディランがまっすぐに見ていると、竜は目を細めた。ふい、とそっぽを向く。落胆しかけたディランの耳に声が届いた。

『信じられない。だって、どこを見ても怖い顔をした人間たちばっかりだったもの。……でも』

 流暢な竜語で呟いた白い竜は、自分を見上げている少年に向き直った。

「あなた、魂、壊す武器、持ってない」

 魂、壊す武器。つまりは《魂喰らい》の武具のことだろう。声に抑揚がないせいで、質問なのか、断定なのかはわからない。どちらだったとしても誤解されないよう、ディランはきっぱりうなずいた。すると、竜の敵意が緩んだ、ように思えた。ディランは今度こそ、そっと近づいた。攻撃も威嚇もない。そして、自分の痛みも引いてきている。

 背筋をのばしたディランは、訊いた。

「平気?」

 竜は喉を鳴らす。ディランもうなずき、けれど念のため、続けて確認をしてみた。

「魂は?」

 竜狩人の武器は、「魂」を傷つけるという。その話を聞いたばかりだからこその確認だったが、竜はとても驚いたようだった。目を見開いて固まってしまったのだ。ディランが焦り、視線を泳がせていると、竜の目がかすかに笑った。

『狩人でもないのに、魂のことを知っているなんて。変な人間ね』

「え?」

 ディランは首をひねった。かろうじて、狩人という言葉だけわかった気がしたが、気のせいだろうか。そう思っていると、竜は、ぐっぐっ、と二回だけ低く喉を鳴らした。

「きかないで」

 たどたどしい声が重なる。

「なるほど、今ので否定なのか」

 納得したディランは、ぱんっと手を打つ。要は気にするなと言いたかったのだろう。いつもなら、余計に言葉の内容が気になったところだろうが、今は竜への理解が深まった喜びのおかげで、どうでもよくなっていた。

 ディランの独り言が聞こえたのか、今度は竜が首をひねる。彼は、肩をすくめて笑い、ごまかした。なんだか不思議なやり取りだ、と思う。

 現状を忘れてしまいそうな、温かくて平和な空気が流れる。けれど、それは長続きしなかった。上の方から、かすかに怒号にも似た声がする。ディランと竜は、同時にぴくっと震えた。

『この感じ……狩人だわ』

「近いな」

 お互いの言葉はほとんど通じていないのだが、不思議なことに、会話のようなものが成り立った。くっと顔を上向ける竜を見て、ディランは立ち上がろうとする。が、腕と足に質の違う痛みを感じて顔をしかめた。

 小さくうめいて、よろめく。痛みは引いたと自身では思っていたが、完全におさまったわけではなかった。腕に細かい切り傷がたくさんできているのは見ればわかる。足は、滑らせたときに岩に打ちつけるか、こするかしたのだろう、とディランは想像した。つらいと思ったのは一瞬で、慣れてしまえばどうということはない。改めて、しゃんと立つ。

 竜と目が合った。

「だいじょうぶ?」

 竜は、そうっと訊いてくる。少女のような声は、改めて聞いてみるとかわいらしい。ディランは困ったようにほほ笑んだ。

「大丈夫」

『……ごめんなさい』

 竜はうなだれた。伏せられた目が、自分の腕に向いていることに気づき、ディランは遅れて竜語の意味も察した。かぶりを振って「気にしないでいい」と言い添える。状況が状況だ。気が立って、攻撃的になってしまうのはしかたがない。むしろ、反省すべきは、不用意に近づこうとした自分の方だろうと、彼は考えていた。

 粗野な声が近づいた。ディランは竜から視線を外し、狭い空を仰ぎ見る。

「さて。どうしようか」

 どうにかして、竜ともどもここから離れなければ。思いはしたのだが、いい方法が思い浮かばない。ディランも竜も、万全とは言い難い上に、現在地もわからないときている。付け加えるなら、敵はまだまだ残っているだろう。傷をかばいあいながら、どこまで切り抜けられるか。

 思考すればするほど、不安な部分ばかりが浮かんでくる。ディランは肩を落とした。だが、落ち込んでばかりもいられなかった。

『あっ……』

 かすかな竜の声がする。振り向けば、白い竜は驚いた様子で上を見ていた。視線を追ったディランも同じように、目を大きく開く。

 いつの間にか、彼らから見える位置に人が立っていた。

 女性だ。銀色の長髪を風に遊ばせている。ディランのそれに似た、分厚い外套がひるがえり、下から薄手の青い布と、革鎧に覆われた細い足がのぞく。手には、華奢な見た目に似合わない、無骨な槍がにぎられていた。穂先は天を向いているが、彼女の目は、えぐれた岩場に向いている。

 見られた、と思うと同時、ディランは背筋が冷えたように感じた。

 ――切れ長の目は、無表情に、少年と竜を見下ろしている。

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