31.青銀の槍使い

 竜と向かいあって息をのんだディランは、また、そうっと穴のふちを見た。秀麗な顔立ちの女性と目が合う。けれど、彼女の瞳は感情を映していない。硝子がらすのような冷たさは、おもに、ディランへ向けられているようだった。喉が鳴り、冷や汗が背をつたう。

『あの槍、ただの槍だわ。《魂喰らい》の気配がしない』

 突然、竜が言った。ディランが弾かれたようにそちらを見ると、竜は困ったふうにして、言いなおす。

「狩人じゃない」

 ディランは思わず首をひねった。「そうなのか?」とかたい声で言い、もう一度、佇む女性を見やる。そして、驚いた。今まで硝子のようだった彼女の瞳が、おもしろがるような光を宿している。一文字いちもんじに引き結ばれていた唇は、笑みのかたちに緩んでいた。

 女性が何かを呟く。ディランは耳を澄まそうとした。しかし、直後にぎょっとして後ずさりした。足が痛みを主張して、不格好によろめいてしまう。――一方の女性は、とん、と軽く地面を蹴って、穴の方へ飛びこんできた。

 人がとびおりるには危険な高さである。が、彼女は軽やかに着地してみせた。風にあおられた外套がばさりと舞って、すぐに、体に吸いつくように戻る。陽光を反射した槍の穂先が、一瞬、光った。微笑をたたえた女性は、呆然としている少年と竜に近づいた。

 そこで、ようやく、口を開く。

「竜狩人と鉢合わせてしまったかと思ったのだけれど。見た限りでは、竜に何かをするつもり、というわけではなさそうね」

 視線はまっすぐディランの方を向いている。

「そ、それは、まあ」

 彼はどぎまぎしながらうなずいた。すると、隣で、竜が鼻先を女性の方へと突き出す。

『そういうあなたは、何者なの』

 竜語ドラーゼが、とげを宿して飛びだす。女性はあら、と呟くと、髪の毛を軽く手で払った。

「私はね、竜の研究をしながら旅をしているの。途中でときどき、悪い狩人さんたちを懲らしめながら、ね」

『――どういうこと?』

「『研究』は難しかったかしら? 危ないことをするわけじゃないわ。安心して。あなたたちがどういう生き物で、どんな力と文化をもっているのか。それを、見ているだけよ」

 言葉のやりとりは、なめらかに行われた。ディランは驚いて、つい、銀髪の美女をまじまじと見てしまう。

竜語ドラーゼが、わかるんですか!?」

「ある程度は」

 さらりと答えた彼女は、唖然としているディランに笑みを向けると、少ししてから付け加えた。

「聴くのは得意だけど、話すのは苦手。彼らの言葉って、発音が独特なのよ」

「は、はあ」

 ふてくされるように言われたが、ディランは適当な相槌を打つことしかできなかった。彼にとってはどちらも難しい。この竜とのやり取りをしていると、ゼフィアーに竜語を習っておけばよかった、という後悔の念がわいてくる。

 渋面になって黙りこむディランをよそに、女性は険しい表情になった。

「あなた、怪我をしているのね。何があったの?」

 竜はためらうようなそぶりを見せてから、ぽつぽつと、事情を語っていた。あまり言葉がわからないディランは、棒立ちになっているしかなかったが、ところどころの「あるじ」や「狩人」という単語は聞きとれた、気がした。

 やがて、竜の声が途切れると、女性はねぎらうような言葉を口にして、竜の頭を軽くなでた。それから、ディランを振り返る。

「置いてきぼりにして、ごめんなさいね」

 そう言うなり、彼女は自分の言葉で竜のことを説明してくれた。

「彼女、炎竜イグニシオに会ってきたのだそうよ。それで、主竜しゅりゅうのところへ帰ろうとしたのだけれど、途中で竜狩人に見つかってしまったの。いしゆみのようなものを足に受けて、ここに墜ちてしまったから、傷が治るまでじっとしていたらしいわ」

「な、なるほど」

 うなずいたあと、ディランは固まった。あまりにもさりげなくて受け流しかけたが、今、イグニシオに会いにいった、と言わなかったか。炎竜の話が頭の中によみがえり、ディランは思わず身を乗り出す。

「っていうことは、君がシルフィエの眷族なのか?」

『シルフィエ様を知っているの?』

 竜は驚いたように返す。続けて、竜ではなく女性に目で問われたディランは、しおれるように勢いを失いながらも、なんとか説明をした。

「い、いや。本人――竜を知ってるわけじゃなくて……イグニシオに、聞いた」

 後半はほとんどささやきだった。言っているうちに、これは言ってはいけないことだったかもしれない、と思ったのである。案の定、竜も女性も目をいっぱいにみはって、少年を見ている。

 まずいことをした、とうろたえるディランに、彼女たちは容赦なく詰め寄った。

『イグニシオ様に!? 会ったの!?』

「よく生きていたわね。坊やの方こそ、何者かしら」

「……坊やって」

 ディランはとうとう肩を落とした。レビがトランスに「坊」呼ばわりされて嫌な顔をする気持ちが、少し、わかった。どうこの状況を切り抜けよう、と少年が悩んでいるうちに、女性は気持ちを切り替えたらしい。厳しい目で、穴をあおいだ。

「まあ、その話は追々聞くことにしましょう。まずは、今の状況をどうにかしないと。狩人さんたちも、躍起になってあなたを探しているわ」

 言ってから、女性は風竜を見る。竜は、神妙な顔でうなずいた。

『そうでしょうね。でも、あなたたちが先に逃げた方がいいわ。狩人たちに敵と見なされたらやっかいよ』

「あら、そんなの今さらだわ。さっきも、こちらに向かっていた人たちを叩きのめしてきたところだもの。逃げるなら一緒に、よ」

 そこで、ディランは気づいた。先程まで聞こえていた声が、いつの間にか消えている。この女性が黙らせたのだろう。疑わしげに人間たちを見比べる竜へ、ディランも、うなずいた。

「俺もだな。何人、斬って殴ったか、数えるのも面倒なくらいだ」

「あなたも物好きね」

「最近、よく言われます」

 茶化してきた女性に肩をすくめて返す。奇妙な窮地にあって、まったく動じていない二人の姿を見て、竜も信じる気になったのかもしれない。その目つきが、少しやわらいだ。

『ありがとう。でも、私と一緒では目立ってしまうんじゃないかしら』

「そうね。あなたの今の姿では、とても目立つでしょうね」

 女性はうなずき、それから、あっけらかんと続けた。

「だから、あなた、変化へんげできる?」

 今までよりゆっくりと、女性は問うた。竜の目が見開かれる。ディランは首をかしげた。

『変化、ね。できるけど……』

「なら、それで小さな生き物に化ければいいわ。その方が、体を休めるにも都合がよいでしょう?」

『それは』

 竜はしばらく、考えこむようなしぐさをしていたが、女性がじっと見守っていると、喉を鳴らした。了承したようだ。そして、たどたどしい発音で、二人に「下がって」と言う。ディランと女性が一歩下がると、竜はゆっくり顔を上げた。

 わずかな間のあと、竜の首のあたりに、ぽっと白い光が灯った。光はじょじょに広がっていき、やがて竜の全身を覆う。ディランが唖然としているうちに、光は強くなり、そして集束した。あっという間に消えた光の後に残っていたのは――

「……鳥?」

 ディランのてのひらに乗りそうな、小さな鳥だった。

 鳥はぱたぱた羽ばたくと、強気な緑色の目を彼に向ける。

『私よ』

「うわっ!」

 飛び出た竜語に、目を丸くする。彼の反応に、女性がくすくすと笑った。軽やかな笑い声のおかげで我に返ったディランは、まじまじと小鳥を見つめる。

「驚いた。本当に化けたんだな」

「ええ。小さな生き物になればなるほど、使える力が小さくなる一方で、魂を守れるらしいわ。だから、竜狩りを生きのびた竜は、変化をして休むこともあるそうよ」

「……へえ」

 ディランは感心しきってうなずいた。仲間とはぐれて以降、新たに知ることばかりで驚きっぱなしだ。うなっていると、鳥が飛んできて、ディランの肩に乗った。驚いて振り返った彼は、こわばった顔を緩める。

「あれ? 意外と痛くない。本当の鳥じゃないからか」

 鳥が胸を張ったように見えた。気のせいかもしれないが。女性が、また微笑む。

「あらあら。彼が気に入ったのかしら」

『そ、そんなんじゃないわ! たまたまよ!』

「へえ?」

 おもしろそうにする女性へ、鳥になった竜が威嚇するように鳴く。とりあえず、彼女が竜をからかったことはわかったディランは、ため息とともに頭を押さえた。そして、話題を強引に軌道修正する。

「それで、ここから逃げるんですか」

「そういうことね」

 女性は笑みを消してうなずいたあと、ディランをじっと見つめた。彼が目を瞬くと、彼女は、訊いてくる。

「あなたは、どうするの? 山に用事があるのかしら?」

 つかのま、言葉に詰まったディランは、すぐに自分の状況を思い出した。ゆっくり深呼吸してから、今度は言葉を選んで、事情を語る。

「連れがいるんです。三人。多分、今頃、竜狩人相手に大立ち回りをしています。あいつらと、合流しないと」

「なるほど。じゃあ、とりあえず、狩人さんから逃げながらその人たちを探すとしましょうか」

 彼女が言うと、竜が目をみはった。それから、渋い顔になる。明らかに不審に思っているらしい竜に、女性が言った。

「彼の仲間だもの。信じられると、思わない?」

 小鳥の竜は、首を回してディランを見る。ディランも、鳥を見る。二人の視線が交差して――折れたのは、竜の方だった。

『わかったわよ』

 ふてくされたように言う竜。女性は、その返答に満足して微笑した。そして、ディランたちに歩み寄る。槍の石突が岩場に当たって、かつん、と音を立てた。

「それじゃあ、よろしくね。

――私は、マリエット。あなたは?」

 言いながら、女性、マリエットは手を差し出す。

「ディランです。よろしくお願いします」

 ディランは、傷がない方の手で、相手の手を握った。お互い、握手した手を軽く振る。

 その様子を見ていた鳥が、羽ばたいた。二人の視線がそちらへ向くと、彼女は言った。

『ルルリエよ。風竜シルフィエ様の、眷族』

 マリエットがうなずいた。

「ルルリエね。よろしく」

 鳥は、そっぽを向いてひと鳴きした。


 ディランとルルリエは、マリエットの手も借りながら、穴から脱出した。明るいところに出た途端、足をにらんで顔をしかめたディランを見て、マリエットも眉をひそめる。

「ディラン、あなたも怪我をしているわね。足は打撲のようだけれど」

『……どっちも私のせい』

 呟くようにルルリエが言う。マリエットは、あらまあ、と、おどけたふうに返した。小竜の言葉がわからないディランは、苦笑して、マリエットの指摘にだけ答える。

「すみません。たぶん、すぐ治るので、大丈夫です」

 言いながらさりげなく、竜の風を受けた腕を確かめた。細かい切り傷は、ふさがってきている。うっすらと痕だけが見えた。その変化の早さに気づいたであろうマリエットが眉をひそめる姿を、目の端にとらえる。だが、彼女はありがたくもそれ以上の追及をせず、少年に背を向けて槍を回した。飾り気のない、つややかな黒い柄を両手でにぎる。

「それならいいけれど。治るまで、下がっていてちょうだい。私が先頭に立つから」

「え、でも」

 言いながら、マリエットの肩越しに竜狩人の姿をとらえたディランは、反射的に剣の柄に手をかける。けれど、彼が抜剣する前に――マリエットの槍がうなった。

 ぞっとするほど鋭い槍頭そうとうは、疾風のごとく突き出され、相手の胸を貫いた。肉が裂けて、骨が砕ける音とともに、血が飛ぶ。くぐもった悲鳴が空に響いて、直後、竜狩人はあおむけに倒れた。

 どさり、と。むなしく響いた音を聞きながら、ディランは剣から手を離す。槍を軽く振って血を落とした彼女は、槍頭にかぶせるのだろう、鞘を手にしかけてやめた。道の向こうから人の塊が見える。ディランはルルリエと目を合わせたあと、軽く手を振った。

「本当に、任せていいんですか?」

「ええ。私、強いのよ。……それに」

 正面に向けられた穂先が輝き、それを映した瞳もまた、好戦的にきらめいた。

「今の私は、はりきっているから」

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