29.山中の騒乱

 上り坂と下り坂、どちらがよいか。

 この質問に対する答えは、人それぞれだろう。明確にどちらがいいとは言えない人もいるかもしれない。

 けれど、少なくとも、ディランが今、同じ質問をぶつけられたら、はっきり答えられる。『この環境ではどっちも変わらず地獄だ』と。


「うわああっ!!」

 絶叫とともに、少年が大きくよろめく。彼は、なんとか足に力をこめたうえで、棒を支えにしてどうにか踏みとどまった。先を歩いていたディランは振り返り、荒い息をしている彼に、問うた。

「無事か?」

「な、なんとか……」

 返る声には覇気がない。ぐったりとしている彼の髪を、また強風がなであげていく。レビのすぐそばで、高い声があがった。悲鳴を出してしまったゼフィアーは、慌てた様子で頭巾の端をつかんだ。

 風にもてあそばれている子どもたちを見て、布袋を肩に担いでいるトランスが、顔をしかめた。

「おいおい、どうなってんだよ、こりゃ。高所だから、じゃ説明できないぜ」

 しかし、次に出てきた言葉は、子どもたちに対して何かを言うものではなく、天候への文句だった。強風をやりすごしたディランは、乱れた髪をかきあげる。

「そんなの、俺たちに言われたって困るよ」

「だよなあ」

 トランスはのんきに肩をすくめる。軽いやりとりをする二人を見て、レビがとうとう、甲高い声をあげた。

「二人はどうして、そんなに冷静なんですか!」


 炎竜イグニシオと別れ、山を東にくだりはじめてから二日。相変わらず、厳しい山越えを続ける四人に、その日は朝から容赦のない風が襲いかかってきている。ただでさえ気を張る山の中、風にあおられ崖下に転落するかもしれない、という恐怖と戦いながら、彼らは急な傾斜をおりつづける。


「ただでさえ、暑さと砂まみれの空気でつらいのになあ。イグニシオは、俺たちをいじめたいのかね」

「イグニシオが意図的にやってるわけ、ないじゃないですか……。それは禁忌だ、って話を聞いたばかりですよ」

 どうにかディランたちに追いついたレビが、まなじりをつりあげて言う。トランスは、生真面目な少年の指摘を、軽く手をあげただけで受け流した。

 漫才のようなやりとりができているだけ、余裕があるということだろう。判断したディランは、苦笑しながらも足を止めずにいた。そして、ふっと横を見て――呟きをこぼした。

「お、すごいな」

 短い感想は吐息のように漏れる。ディランの言葉につられてか、ゼフィアーも彼の視線を追った。スカーフを口のあたりにまで持ち上げながら、目を見開く。

「わあ! いいながめだな!」

 眼下に広がる風景に、少女は無邪気な歓声をあげた。

 風にまじる砂の隙間から見えるのは、どこまでも広がっているかのような砂漠だ。ぽつぽつと、水場らしきくぼみが見て取れる。さらに、ずっと遠くには、オアシスらしき集落の影も見え、わずかな緑がこんもりと、砂の中から顔をのぞかせていた。

 山脈の東の砂漠。それは、越えてきた西の砂漠に似ているようで、少しだけ違うおもむきを、旅人たちに見せている。

「これが砂漠じゃなけりゃ、おっさんもっと、はりきったのに」

 感慨にひたる少年少女の横で、トランスがぼそっと呟いた。げっそりとしている男に、レビが「最近、トランスさんって、よく『おっさん』を自称してますよね」とつっこみを入れていた。

 その後も、彼らは、時折強い風に苦しめられながらも、順調に進んでいた。だが、途中でゼフィアーが足を止め、きっと空を見上げる。

「竜……?」

 少女の口から、声がこぼれた。レビが首をひねる。

「竜ですか? でも、ここはまだイグニシオの領域だから、竜がいてもおかしくないですよね」

「い、いや。そうなのだが。なんというか、彼の眷族とは、雰囲気が少し違うというか……」

 ゼフィアーはそこで、口ごもる。なんと説明していいかわからず、困っているかのようだった。ディランは一度、足を止め、彼女の言葉を待っていたが――ふいに、うなじのあたりが痺れるのを感じて、剣に手をかけた。

 瞬時に抜剣して、勢いよく空中を薙ぐ。すると、わずかな手ごたえとともに、剣が何かを弾いた。澄んだ音を聞いて、ほかの三人も顔をこわばらせる。

 高い音を立てて灰色の岩の上に落ちたのは、針に申し訳程度の小さな持ち手をつけたような、暗器あんきだ。先が不自然に光っている。薬のたぐいが塗ってあるのだろう。

「誰だ」

 威嚇するように、ディランは言う。声にこもる怒気におされたのか、近くの大きな岩の陰から、ひとりの男が姿を現した。彼は、ひるみながらも、大ぶりのナイフを四人の方へ向けて、叫ぶ。

「な、なんだ、おまえら! ひょっとして、おまえらも横取りしに来たのか! ええ!?」

 かすかに震える声を聞き、四人は揃って顔をしかめた。

「横取り? なんの話だ?」

 サーベルに手をかけながら、ゼフィアーが問う。けれど、男は答えなかった。答える前に――背後から現れた巨漢に、背中を思いっきり殴りつけられた。彼はつぶれたカエルのような悲鳴を上げて、倒れこむ。加減をされたのか、重症ではなかったようだが、間もなく巨漢につかみあげられてしまった。

「ひ、ひいっ」

 顔を引きつらせた男は、あわれなほど細い悲鳴をもらした。それをかき消すような巨漢の怒声が響く。

「おい、おまえ! 正直に言え! どこで白い竜を見たって!?」

――その一言に反応したのは、部外者であるはずの旅人たちだった。激しく首を振る男と、彼を揺さぶる巨漢。二人を冷たく見据えたトランスが、さりげなく子どもを振り返る。

「レビ坊」

「了解です」

 トランスの低い呼びかけに答えたレビは、音もなく棒を構え、お互いに集中している男たちへ、そっと歩み寄る。ふっと手をぶれさせたかと思えば、華麗に棒を回して、彼らの急所を一発ずつ突いた。さすがに、男たちは、少年の力で絶命まではしなかったが、突然襲ってきた激しい衝撃と痛みに、地面を転げ回った。

 声さえ出なくなっている彼らに、ふたつの影が静かに近寄る。男たちを、穏やかに見下ろしたゼフィアーとトランスは、サーベルと短剣を突きつけたあと、にこりと微笑んだ。

「白い竜が……」

「なんだって?」

 竜、という一語におそろしく敏感な二人の前で口を滑らせたのが、運の尽き。

 ディランは、顔も名も知らぬ男たちをほんの少しだけあわれむと、ため息をついて、彼らの方へ歩いていった。


 ゼフィアーとトランスの見事なまでの脅しにより、見知らぬ男たちから情報を引きだした一行は、先程までとは打って変わって、急ぎ足で山をおりていく。そして、響いてきた怒号と金属の音により、深刻な事態になっているということを、受け入れざるを得なくなった。

 横から飛びだしてきた、これまた知らない男の鼻に拳を叩きこんだディランは、続いて剣を一閃させ、反対から突っ込んできた別の一人の腕を切った。聞こえる悲鳴を無視して駆けていると、すぐ横をかすめた弓矢が、正面で隠れていた一人を仕留めた。

「あいつらの言ったとおりのことが起きてるな。まいった、まいった」

 最後尾で弓を引くトランスが、ぼやく。

 道なき道に姿を現した男たちは、装備も雰囲気もばらばらで、けれど、一部には統一感も見られた。複数の集団がぶつかりあい、争っているのだろう。

「人とは、こうも醜くなるものなのだな」

 サーベルの握りで、襲い来る者の顎を殴打おうだしたゼフィアーが、しみじみと呟く。

――竜の取り合いをしている、と。男たちはそう言った。

 どうも、白い竜の目撃情報を頼りに、いくつもの竜狩人の集団がゼノン山脈に集まり、鉢合わせてしまったらしい。そして、実際に竜に向けて矢を放ったとか、足を切ってやったとかいう、出所不明の情報が飛びって混乱を招き、功を競っているうちに、気づけば人間同士で争いを始めてしまったという。

 呆れた話であるが、肝心の竜の状況がわからぬ以上、わらってばかりもいられない。ゼフィアーとトランスが竜狩人たちを見逃すはずもなく、彼らはみずから、騒動の渦中に飛び込んでしまったのだ。

 とはいえ、どのみち通る予定だった山道である。ディランたちにとっては、竜狩人たちの方が邪魔者だ。

「おい! 気ぃ抜くなよ! どいつもこいつも、本物の竜狩人だ!」

 トランスが弦を引き絞りながら叫んだ。その声は、三人ともの耳に届く。ディランはそれを、前から切りかかってきた竜狩人の肩を斬った直後に聞いた。わずかによろめいた男を蹴り飛ばし、まとまって走ってきていた竜狩人たちへぶつけてやる。

 背後で、肉の切れる音がした。ディランが素早く振り返ると、腹をざっくり斬られて血しぶきをあげ、崩れ落ちる人が見えた。その姿をさえぎるように、彼の視界に少女が躍り出る。

「間違いない。彼らは全員、《魂喰らい》の武具を持っている」

「《魂喰らい》?」

 馴染みのない言葉に、ディランは眉をひそめた。サーベルの血糊を振り落としたゼフィアーが、振り返らず答える。

「イグニシオの説明に出てこなかったか? 竜を狩るのに使う武器の総称だ。文字どおり、生き物の魂を喰らう――砕く力がこもっている、という。あれにちょっと切りつけられただけでも、魂が傷つくそうだぞ」

 二人の前に、それぞれ、敵が飛び出してきた。ディランは相手の鳩尾を殴りつけ、ゼフィアーは投げナイフでひるませたあとに、サーベルで急所をついた。自然、彼らは背中合わせに立つ。

 そのとき、背中越しに、ゼフィアーがささやいた。

「トランスも前に言っていたが、《魂喰らい》の武具は威力が高い。そして、それ以上の危険がある。

だから……ディランは特に、奴らの攻撃を受けぬよう、気をつけるのだ」

「なんで」

 正面から突きがくる。かがんでかわす。前を見ると、長い槍をにぎった壮年の男と目が合った。

「まだ、誰にも話していないことだが」

 ゼフィアーのささやきを聞きながら、ディランは槍を受け、ときに体をひねってかわす。

「ディラン、お主、ファイネで倒れただろう?」

「ああ」

 鋭い一撃をかわしたついでに、ななめ後ろから殴りかかってきた男の腕を押し、力を流す。後方によろめいた竜狩人は、直後、ゼフィアーの振るったサーベルの刃を受けた。

 前の槍使いも、いらだちを見せはじめる。

「あのとき、トランスから夢の話など、もろもろ、聞いてしまったのだ。本人に断りなく、その話をしてしまったことは謝る。けども、そのとき、私はひとつ推測を立てた」

 二人はそれぞれ、前方へ飛びだした。ディランは、槍使いの懐に飛び込み、彼の体を切り上げる。ゼフィアーは、別の竜狩人の首を狙って蹴りを突きだした。

 二人の背中が、また、ぶつかる。

「ディランがおかしな夢を見たのも、倒れてしまったのも、カロクの槍を受けてしまったあとだ。だから、もしかしたら、カロクの《魂喰らい》の武具によって、魂が傷つけられてしまったのではないか、という推測だ」

「魂、を」

 夢の内容は、もう思い出せない。ただ、強烈な気分の悪さと激しい痛みを、かすかに覚えているだけだ。血なまぐさい戦場の中にあって、ディランは、馴染みのない言葉に首をひねった。

「ただ、これだと、チトセの一撃を受けているはずのレビがなんともないことの説明がつかない。それに本来、人間は魂を傷つけられても、よほどのことがないかぎり、体に影響は出ない。――人間は、竜や敏感な野生動物と違って、魂をほとんど認識できないからだ」

 私だって、そうだ。付け足したゼフィアーが、勢いよくサーベルを振るう。ぱっと、空中に薄く血が飛んだ。二人はそれに見向きもせず、得物と、体を動かし続けた。

「だからこの話はあくまで推測だ。けども、どうか、気をつけてくれ」

「――わかった。善処する」

 そのやり取りを最後に、二人は離れた。ディランは大きく踏みこむと、回し蹴りを放って二人を気絶させた。ほんの少しだけ息を吐いて、また、すぐに敵の姿を確かめる。

 戦いの中にいる以上、攻撃を受けないと断言することはできない。傷つかない保証はない。だが、今この場で、オルークやファイネのときのような状態になれば、群がってくる竜狩人に殺されてしまうだろう。

「命は惜しいからな。頑張ってみるか」

 おどけたふうに呟いて、ディランはまた、片手で剣を構えた。


 ゼフィアーは、なだれこんでくる竜狩人たちを打ち倒し、ときに隠れてやりすごしながら、細い山道を進んでいた。いったいどこから、これだけの人々が竜めあてに集まったのだろう、と思いをめぐらせてみる。うんざりすると同時に、おぞましさを感じた。

 一人を殴って気絶させ、ついでに《魂喰らい》の剣をとりあげて、遥か先からやってくる人の群に投げつけたところで、彼女は足を止めて、あたりを見回す。

「む。ディランと離れてしまったな」

 こちらが一人、ということは、おそらく向こうも一人で戦っているのだろう。ディランはそう簡単にやられる人ではないが、今回は相手が悪い。《魂喰らい》による影響が出ないだろうか、と、どうしても心配になった。

 ゼフィアーがつかのま、ぼうっとしていたとき。後方から、戦いの音がした。振り返ると同時に、大柄な男が飛ばされてくる。少女は、さっと横に避けた。そして、道の向こうから現れた二人を見て、頬を緩ませる。

「レビ! トランス!」

 名を呼ぶと、おのおのに武器を構えていた二人が、ほっと緊張を解いた。まわりに敵がいないことを確かめて、駆け足でゼフィアーの方にやってくる。

「ゼフィー! 会えてよかったです!」

 棒を片手に、無邪気にはしゃぐレビ。隣で、トランスがきょろきょろする。

「お? ディランは?」

「すまない。はぐれてしまった」

 目を瞬いた男に向かって謝罪をし、彼女はぺこりと頭を下げる。すると、二人の顔がみるみるうちに曇った。

「大丈夫ですかね。一人ってことしょう?」

「そうだな。まあでも、あの少年はたくましいから。うまくやってるでしょ」

 言ったあと、トランスは、眉を下げているゼフィアーを見下ろす。

「とはいえ、放置すんのもまずいな。来た道、戻ってみるか?」

「……うむ」

 消沈しつつうなずくゼフィアー。トランスは苦笑して、彼女の頭をぽんぽん叩いた。いつもディランがそうするように。そして、気を取り直した彼らは、ディランを探すための一歩を踏み出そうとした。が、そのとき。

 ゼフィアーとトランスが同時に目を細める。細い指がサーベルの柄にかかったとき、男は矢をつがえて振り返った。視線の先には人の集団。その先頭に、殺伐とした場にそぐわない小柄で華奢な人の姿を見つけ――三人は、顔をこわばらせた。

「おいおい、なんの冗談?」

 頬をひくつかせながら言ったトランスは、つるに指をかけようとして、やめた。矢をしまい、弓を下ろして、短剣を抜く。ゼフィアーとレビは臨戦態勢をとった。

 一方、三人の姿を目にしたその人も、とびきり嫌そうな顔で吐き捨てる。

「それ、こっちの台詞よ。何、また邪魔しに来たわけ?」

 いらだたしげにつま先で地面を叩いた少女は、言い終わるやいなや、刃の湾曲した刀を抜く。問答無用、とばかりに、三人の方へ突きつけた。ゼフィアーがそれを見て、サーベルを前に出す。

「そうだとも言えるし、そうでないとも言える。お主たちに遭遇したのは偶然だが、この状況を黙って見すごすわけにもいかぬ。それにもとより、私たちは山を越えたかったのだ」

「あっそう。先にこっちが邪魔したって言いたいわけね」

「好きなように解釈してもらって構わない。お主はやはり、『仕事』としてここに来ているのだな、チトセ」

 ゼフィアーが目を細める。瞳に、稲妻のような光が走った。

 対峙するチトセも、「あたりまえ」と面倒くさそうに言って、いつでも飛びかかれるよう構える。

 油断なく細められた目もとは、けれど、ふいに緩んだ。

「……あれ? 今日は、あいつ、いないわけ? 変わった髪の剣士」

 チトセの一言に、三人の表情が凍りついた。

 それを肯定と受け取った少女は、にやりと不敵な笑みを浮かべる。そして、構えを解いて、後ろの人々を振り返った。

「あんたたち。こいつらの相手、しておいて。あたしは竜を探す」

 彼らはチトセの味方なのだろう。威勢よく、荒っぽく返事をして、それぞれの武器を構えた。刀を収めたチトセは、あっけらかんと言葉を足す。

「そこそこ強いから気をつけなよ。――最悪、殺してもいいから」

 無感情な声は、無彩色むさいしきの山にはっきりと響いた。

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