26.希望と絶望

 竜ににらまれたディランは、その場に凍りついた。

 何か言わなければ、と思う。けれど、喉はひりひりと渇きと痛みを訴えるだけで、言葉が出てこなかった。一応、万が一問われたときにどう事情を説明しようか考えてはいた。が、圧倒的な脅威の前では、そんなものは意味をなさない。

 赤と青は、しばらく交差して――

 やがて、イグニシオの目がかすかに見開かれた。

 ディランは、ふっと緊張が抜けたことに気づいて口を開こうとしたが、ゼフィアーに先を越されてしまう。

「そ、その、実は……」

 少女の瞳が彼を見た。ディランは出かかった言葉をのみこんで、うなずく。

 イグニシオにはディランの記憶喪失について、素直に明かした。どうなるかまったく予想がつかなかったが、この場合、黙っている方が状況は悪くなる。厳かに沈黙し、話に耳を傾けていたイグニシオへ向けて、最後にゼフィアーが呼びかけた。

「ディランの記憶の手がかりになれば、というのも本当のところだが、竜と竜狩りについて知りたいのも、また事実だ。……水竜の死を、黙って見ているしかできなかったことも、あるから……」

「ふむ」

 イグニシオは、これといって大きな反応を示さなかった。むしろ、後ろの眷族たちの方が困ったようにざわめいたほどである。イグニシオは彼らの存在に気づくと、頭を振って下がるよう命じた。散り散りに、小さくなってゆく竜たちをながめながら、彼は口を開く。

「話はわかった。……おまえたち、地竜の兄弟を助けた者たちだな」

「えっ?」

 素っ頓狂な声を上げたのは、レビだ。隣でトランスが膝を打つ。

「へえ! あの二頭、兄弟だったのか」

 ゼフィアーとイグニシオのやり取りを見ているうちに、竜たちに気を許したのだろう。彼はすっかりいつも通りの調子だった。また、彼のおかげでレビも茶色い巨竜を思い出し、納得の声を上げた。

 イグニシオが、鼻を鳴らした後、ばつの悪そうな顔をする。

「同胞が迷惑をかけた。奴らに代わって、詫びよう」

「そ、そんな! 詫びなどと……! 私が、勝手に突っ走っただけだぞ」

「命を救ったのは事実であろう」

 慌てるゼフィアーに淡々と言葉を返したのち、イグニシオはディランを見る。「で、おまえ」とぞんざいに呼びかけた。

「記憶がなく、唯一の覚えはその怪しい男、というわけだな」

 ディランは、戸惑いながらもうなずく。トランスのように警戒してくるだろうか、と身構えたが、イグニシオは冷静なままだった。

「ふむ。しかし、狩人ではなさそうだ……いや、それどころか、おまえは……」

 イグニシオは、ぶつぶつと呟きながら、ディランをなめるように見た。なんとはなしに彼の両目を見やったディランは、息をのむ。

 瞳の奥には、喜びとも、悲しみとも、怒りともつかぬ感情が、湛えられている。それをなんと呼ぶのか、少年にはわからなかったが、竜がただの人に向ける感情でないことは、確かだ。

 竜のあぎとが開く。かすかに音がもれる。けれどそれは、形になる前に、消えた。

「イグニシオ?」

 思わず、名前を呼んでしまう。

 イグニシオは、我に返ったように頭を上げると、かぶりを振って、短く喉を鳴らす。

「悪いが、俺はおまえを知らぬ。もともと人と関わらぬたちゆえ、人に知り合いがおらぬのだがな。

 ……とはいえ、狩人のような禍々しい気配もない。そもそも、その可能性を気に病んでいる時点で、我が同胞を手にかけるような愚か者の仲間ではなかろうよ」

「そ、そうか。すまない、ありがとう」

 ディランは、落胆とも安堵ともつかない気持ちを抱えつつ、全身の力を抜いた。視線を感じて振り返れば、トランスが苦笑まじりの視線を向けてきている。ディランも、思わず微笑を返した。お互い色々言いたいことはあるが、それはここを離れてから存分に話せばいい。

 とりあえず、ディランは一歩退いて、ゼフィアーと並んだ。

 その態度を見て、彼が納得したと判断したのか、イグニシオの方から話題を変えてくる。

「それで? 竜の現状、とは言ったが、一体どのようなことを知りたいのだ?」

 トランスとレビが、ディランたちのそばに寄ってくる。

 ゼフィアーが炎竜の質問に答えようとしたときだ。いきなり、風の流れが変わった。イグニシオがさっと空を見上げる。

『何事か』


『――イグニシオ様!』


 引きつった声がする。

 四人が竜の視線を追ったとき――空を舞う砂塵をかきわけて、東から二頭の竜が飛んできた。いや、突っ込んできた。どちらも紅い竜であり、どちらも翼と胴に傷を負っている。人間たちは息をのんだ。

 初めて、イグニシオの目に動揺の色が浮かぶ。

『アグニオ、戻ったか! しかし、なんだ、その有様は』

『め、面目ありませぬ、あるじ様……』

『謝罪はいらん! 墜ちる前にとっととこちらへ来い!』

 二頭の竜は、よろよろと、イグニシオの隣に着地した。疲れ果てたのか、着地と同時にそのうちの一頭が地面に伏せる。アグニオと呼ばれた方は、気遣わしげに彼を見た後、イグニシオを見上げた。

『ご命令どおり、暴走しかかっていたフレミエ様の眷族を止めにいってまいりましたが……事態は想像以上に深刻なものでして……』

 少しうなだれたアグニオは、無言で続きをうながすイグニシオに向けて、事情を語った。

『というのも、私が到着した頃には、すでにほとんどの竜が、狩人に殺されてしまっていたのです』

『何っ!?』

『かろうじて、このバルジオだけは助けることができ、彼とともに逃げてきたのですが……途中で、追ってきた狩人の攻撃を受けました。その後、あの方の助力があり、切り抜けることができたのです』

『そうか。奴ら、《魂喰らい》の武具を使ってきたのだな』

 イグニシオの問いかけに、アグニオは消沈した様子でうなずいた。状況を理解した炎竜は、眷族のうち数頭を呼び、彼らを安全な場所へ避難させようとする。が、運ばれていく前に、アグニオの方はディランたちへ目をとめた。

『こ、この人間たちは?』

『客だ。狩人ではない』

 イグニシオはぞんざいに答えた。そののち、目をしばたたく。

『――そうか。こいつらなら、情報を持っておるかもしれぬな』

 おもしろそうに呟いた彼は、そこでようやく、言葉を人語に切り替えた。

「騒がせた」

 それだけ言われて、ディランたちは困惑した。自然、一行を代表して、ゼフィアーが口を開く。

「え、ええと……これはいったい、どういう状況だ? 彼らが竜狩りに遭ったのは、なんとなくわかったが」

「そのとおりだ」

 喉を鳴らしたイグニシオは、これまでの状況を、改めてわかりやすく、また人の言葉で説明した。それでおおかた納得したディランたちは、お互いを見た後、イグニシオとアグニオを見比べる。

「で――その、フレミエとやらの眷族をことごとく殺したうえに、君らに鉄球をぶつけてきた狩人って、どんな奴らなんだ?」

 厳しい声で訊いたのは、竜狩人に敏感なトランスだ。

 それを聞いたアグニオが、ためらいがちに、イグニシオに何かを言う。それを受けたイグニシオが、答えた。

「複数人いたようだな。全員、竜を貫くような槍の印が刻まれた胸飾りをつけていたそうだ」

 四人は、絶句した。

 竜を貫く槍――それは、嫌でもある集団を連想させる。

「『破邪の神槍』……!」

 歯を食いしばって、ゼフィアーがうなった。「知っておったか」と興味深そうに、イグニシオが首をもたげる。怒りを必死でこらえているゼフィアーに代わり、レビがおずおずと口を開いた。

「え、と。地竜たちを殺そうとしていたのも、その傭兵団の人たちだったんです」

 レビの言葉に、今度は竜たちが固まった。

 ディランは、人知れずため息をこぼす。怒りに震えるゼフィアーの頭をぽんぽんと叩いた後、男が近づいてくるのに気づき、顔を上げた。

 トランスは、暑さすら忘れて厳しい顔で状況を見る。

「どう思うよ、少年」

「どうって。嫌になるほど積極的だな、としか思えない」

「話を聞く限り、カロクも、あのチトセって子もいなかったみたいだが」

「あと、センもな。あいつらだけでいつも狩りをしてる、ってわけでもないんだろ」

 ただ、と、トランスは目を細めた。苦い顔でいるイグニシオに、視線を向ける。

「どうも、竜の方にも問題があったみたいだぜ」

 すると、すぐ後に、イグニシオの目が彼らを捉えた。会話が聞こえていたのだろう。ため息まじりの声が響く。

「察しがいいな。

 ……そうだ。おまえたち、竜と竜狩りについて知りたいと言っておったな。せっかくだ、話しておこうか」


 イグニシオは、アグニオに休むよう指示を出したらしい。

 おかげで、彼らのまわりには誰もいない。ただ、砂混じりの風だけが吹いている。イグニシオはディランたちを順繰りに見た後、口を開いた。

「人間たちが行う竜狩りには、大きく分けて三つの種類があるといえる」

「三つの種類? どういうことだ」

 ゼフィアーの問いに、イグニシオが喉を鳴らした。

「ひとつは、理由もなく殺す竜狩り。特に、七百年前や二十年ほど前など、竜狩りが激しかった時代には、無差別な虐殺はよくあることだった。

 もうひとつは、『物』を求める狩り。竜の鱗なども、人間たちにとっては価値のあるものなのだな。それを求める無法者も、時代が下るごとに増えてきた。

 そして最後のひとつが――報復のための狩りだ。おまえたちが言っていた傭兵団とやらがやる狩りは、このたぐいだろう」

「報復って……どういうことだ」

 思わず声を上げながら、ディランはカロクたちの言動を思い出す。

 まるで、自分たちこそが竜に痛めつけられたのだといわんばかりの態度に、違和感を覚えてはいたのだ。

 イグニシオは、ため息をついた後に、問うてきた。

「おまえたちが、先日助けたという地竜の兄弟……奴らが、狩人に狙われる前に何をしたか、知っているか?」

 当然、四人ともが首を振る。

 すると炎竜は、さらりと答えた。

「わざと、人里のそばで大規模ながけ崩れが起きるように、しむけたのだよ。……死者も、出たようだ」

「なっ――!?」

 驚愕の声は、誰のものだったのか。

 けれど、そののちに問うたのは、ディランだ。

「わざとがけ崩れを起こすって……そんなことができるのか!?」

「できる。できてしまうのだ。自然を操る竜の力を使えばな。だからこそ、竜たちの間では、意図的に力を使って天候や環境を変えることは、最大の禁忌とされている」

 レビが、痛みをこらえるようにして、棒をにぎりしめる。

「禁忌って……なら、どうして、あの竜たちは」

「それこそ、報復だ」

 竜の声は冷たい。

「何年か前になるのだが。一度に複数の地竜が、狩られたことがあった。しかも、その狩人どもは、殺した竜の鱗や牙を奪っていった。以降、地竜の中には、人間に対する強い不満をためこんだ者が集う一派ができてしまったのだ。

 いな、地竜に限った話ではない。先ほどのフレミエの眷族も、殺された竜の仇討と称して、湖を干上がらせようとしていたのだ。まったく、馬鹿なことを……」

 その場にいる誰もが、あたりが闇に閉ざされてゆく感覚を抱いて立っていた。

 負の連鎖、とは、まさにこういうことを言うのだろう。

 報復に続く報復はやまず、長くのびる鎖のように、どこまでも、どこまでも、連続していく。

 きっとそれは、どこかで誰かが断ち切らねば、止まらないのだ。片方が、滅ぶまで――

「けども」

 ゼフィアーの声が、響く。竜は黙って彼女を見た。

「だからと言って、狩人たちを簡単に許すわけにはいかないだろう。このまま、竜が狩られ続け、彼らの魂が砕け続ければ……世界は、壊れてしまう」

 イグニシオは目を伏せる。

「違いない。竜と人間がお互い、馬鹿なことをやめて、その上で砕けた魂を還すことができるのが一番だが。たやすいことではないだろう。今の状況で、人と竜が手を取り合えるとは思えん」

 それを聞いて、今度はゼフィアーがうつむいた。

 彼女が落ちこんでしまった理由に思い当たったディランたちは、押し黙る。問題は、人と竜の関係だけにとどまらない。

「魂を還すことも、もう、できない。力も方法も、ほとんど失われてしまったから……」

 雨の中の無力感を、彼女は忘れていなかった。

 散りゆく青い魂を、ひきとめることができなかった瞬間。空を切った自分の手。逃れられない記憶が、今また、よみがえって痛みを訴える。

 だが――意外なことに、イグニシオは同意しなかった。首をかしげたのである。

「そうか? 確かに、つたえ自身だけで儀式を執り行えなくなってしまったかもしれんが、その力だけに頼らずとも儀式を行う方法があると、以前、聞いたことがあるぞ」

 灰色の岩を見つめていた少女の瞳が、驚きに見開かれた。

 彼女は跳ねるような勢いで顔を上げ、イグニシオに詰め寄る。

「本当か!?」

 さしもの大炎竜も、少女の勢いに気圧されたようで、わずかに頭を引いていた。

 けれど、ディランにはゼフィアーの気持ちもよくわかった。魂を還すことができない、というのを、嵐から逃れた小屋の中で、彼女の口から聞いていたから。彼は思わず、レビたちと目を合わせて頬を緩めていた。

 希望がついえていなかったことを、知った。

「本当だ。しかし、俺は肝心の方法を知らぬ。何せ、ずいぶん昔に、ほかの竜から聞いたことなのでな。それに、人間のことには疎い」

 彼は一気に言いきると、疲れたような顔をする。ゼフィアーは「知らない」という彼の言葉にうなだれて、大人しく引き下がった。

 後を引きとるように、レビが言う。

「ど、どの竜さんなら、ご存じなんでしょう?」

「さあな。『伝の一族』と……人間と、情報交換をするほど深く関わっている竜は、それほど多くない。風のシルフィエか――」

 言葉を切ったイグニシオが、苦々しそうに吐き捨てる。

「ああ。水のディルネオなら、あるいは、知っておったかもしれんな」

 思いがけない名前を聞いて、ディランとゼフィアーが同時に目を瞬いた。ディランにとっては、自分の名前の由来となった竜だ。面識はなくても、不思議な思い入れがある。

「ディルネオ。水の主竜だな」

 少年が自分の両手をながめていると、ゼフィアーの明るい声が耳に飛び込んできた。。

「ディルネオですか。どこにいるんでしょう?」

「ふむ。確か彼の棲みかは、北大陸の《大森林》だった気がするぞ」

「北大陸!? 遠いじゃないですか!」

 ゼフィアーとレビが、盛り上がる。

 予想もしなかったいい情報をつかめたおかげか、子どもたちの声は弾んでいた。ディランも二人の様子を見て、やわらかく苦笑する。

 だが、彼らの明るい気分にイグニシオが水を差した。

「ディルネオは、今、《大森林》にはおらぬ」

 子どもたちが、落胆して炎竜を振り返る。ディランも弾かれたように竜を見た。彼は渋いものを食べたような顔をしていた。

 トランスの眉が跳ね上がったことには、誰も気づいていない。

「え? で、では。どこにいるのだ?」

 ゼフィアーが、問う。するとイグニシオは、くすんだ空を仰いだ後、氷よりも冷たい声で吐き捨てた。

「さあ? むしろ俺が知りたい。

 奴は――二十二年前に竜狩りに遭ってから、行方知れずのままだ」

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