27.見えたもの

 その日は、朝から、気味が悪いほどの雨が降っていた。

 約束の時間になっても現れない友を叱りつけてやろうと、空を駆けていた炎竜は、向かった先で――巨大な槍に貫かれ、林にちていく友を見た。

 悲鳴のような高い咆哮とともに、力を失ってゆく青いからだ。ぼろぼろになった翼。

 それを、炎竜は、見届けることしかできなかった。その場に辿り着いたときは、すべてが終わっていた。

 炎竜は、泣いた。

 天に怒りの声をぶつけた。

 激しさを増す雨のしずくを全身に浴びれば、友の顔が浮かんだ。

――私は、人間の話を聞くのが好きでな。

 うっとうしいほど、人間について話しては笑っていた彼は、いつも、穏やかだった。優しかった。彼らの恨みを買うようなことは、何一つしなかった。

 それなのに。

 この結末は、なんだ。

『見ろ、ディルネオ』

 赤黒い瞳に、炎が灯る。

『これが、おまえが信じた人間の、本性だろうが……!!』

 彼は、叫んだ。

 のちになって、彼が人間に復讐しなかったことは、もはや、奇跡としか言いようがない。他の主竜に止められなければ、彼はためらいもなく、狩人を殺す道を選んでいただろう。


 友が落ちたはずの林に行ってみると――そこには、薄く輝く青い玉だけが、音もなく浮かんでいた。

 青い光の玉は、すぐにしぼんで、消えた。



     ※



「行方不明……狩られ、て?」

 呟いた声は遠い。

 ディランは、それが自分の声だと、すぐにはわからなかった。

 燦々さんさんと、陽光が照りつけているはずなのに。彼らのまわりだけは、氷に閉ざされたかのように冷え切っていた。

 ややあって、イグニシオが言い添える。

「生きているのか、死んでいるのかは、はっきりしておらぬ。ただ……世界じゅうどこを探しても、その足跡そくせきすらないというのは、事実だ」

 よく聞けば、彼の声は震えていた。長く生きた竜にしては珍しく、こみあげてくる感情を必死になって押し殺しているような感じがある。

「そんな……」

 すぐ下から声が聞こえ、ディランはレビを見下ろした。少年は、ハシバミ色の瞳を涙でうるませて、彼を見つめ返した。どうしていいか、なんと言っていいか、わからなくなっているようだった。

 手がかりが、また、手をすり抜けていってしまった。

 それだけでなく、また、竜狩りにあった竜のことを知ってしまった。しかも、今度は、主竜だ。

 ぐるぐると考えていたディランは――あることに気づき、顔をあげた。

「二十二年前?」

 浮かびあがった数字は、かつて開いた本の記憶をはじき出す。

 竜狩りの激しかった時代。地形が変わるほどの大洪水。それは、確かに、二十年あまり前に起きたことと、記されていた。

 ディランは、寒気を覚えて首をすくめる。

 主竜とは、大きな力をもつ竜。自然を保つ役割の大部分をになう存在。その主竜が狩られると、そういうことが起きるのだ。考えただけでも恐ろしい。

 あまりの衝撃と暗い感情に打ちひしがれて、ディランたちが立ち尽くしていると――突然、すぐそばで、やかましい音を立てて何かが落ちた。はっと音の方を振り向くと、ひとりの男が弓を落として、呆然としている。彼の両手はわなわなと震えていた。

「トランス?」

 ゼフィアーが訝しげに名を呼ぶ。トランスは答えなかった。ただ、引きつった顔をイグニシオに向けた。

「……冗談、だろ……」

 漏れ出た声は、かすれている。ふだんのトランスからはかけ離れた様子に、ディランも顔をしかめた。けれど、男はそれすら見えていないようだった。震えの止まらない指を、にぎりこむ。

「あいつが、竜狩りにあっただと? なんだよそれ、笑えねえな、おい」

 イグニシオすら唖然としているなかで、トランスは、振り絞るように叫んだ。


「ディルネオが……ディルが、そう簡単にやられるタマかよ、くそったれ!」


 叩きつけるような叫びに、三人は目をみはる。

 一方、イグニシオは、何かに気づいた様子でうなずいた。

「――以前、ディルネオが《大森林》で、死にかけていた人間の子どもを保護したことがあったな。俺は、何をやっているんだと呆れたものだが……。そうか、おまえだったか」

 それを聞いて、ディランも察した。以前、トランスが聞かせてくれた身の上話とかさなる。竜に助けられた、と、彼は言っていた。

「じゃあ、もしかして、トランスさんを助けてくれた、人間好きの竜って」

「そうだよ。ディルネオが、そうだ」

 自暴自棄になったような声がむなしく響く。問いかけたレビは、目を伏せて押し黙ってしまった。

 トランスが、自嘲的に口の端をつりあげる。

「ディルへの恩返しだっつって、竜狩人を止めるために動いていたはずなのに……俺がふらふらしている間に、当のあいつが竜狩人の手にかかるなんてな。――笑えねえよ、ほんとに」

 言葉は刃のようだった。竜狩人へ、そして自分自身へ向けられた怒りの刃。

 どうしてよいか、わからずに、ディランたちは視線をさまよわせる。

 その果てに、また、イグニシオを見た。

「……ともかく、そういうわけだからな。ディルネオに助力を請うことはできぬ。

もともと、人と竜の和解のために、もっとも必死になって駆けずり回っていたのはあいつだった。あいつがいなくなったことで、対立は激化したのだ」

 気まずそうに、彼は言う。

 それはそうだろうと、ディランは思った。人間好き、と、トランスにからかい半分で言われるくらいの竜だ。人と竜が対立する状況をどうにかしようと奮闘していたはずである。なぜ、人間たちはそんな竜を殺そうとしてしまったのか。不思議で、しかたがなかった。

 考えこみそうになったディランの耳に、再びイグニシオの声が届いた。

「しかし、他の大陸――北か、東に行けば、儀式についての情報は得られるかもしれぬ。何しろ、伝の末裔の集落が多いからな。奴らから文献のひとつでも借りれば、わかることはあろう」

「なるほど……そうかもしれないな!」

 ほかでもない、「伝の末裔」であるゼフィアーが、ことさらに明るい声をあげて手を打った。その後ろから、レビが控えめに言った。

「で、でも。ディランのことは、どうしましょう」

「俺はいいよ」

 ディランは、ほとんど反射でそう言った。振り返った子どもたちに向けて、微笑む。

「あてがないのはいつものことだ。魂を還す方法を探すついで、くらいで構わないよ。どちらにしろ竜に関わることだから、調べているうちに、思い出せることもあるかもしれない」

 それに、と呟いた彼は、トランスを見る。彼は衝撃から立ち直ったのか、いつもの表情で肩をすくめてみせた。

「イグニシオの口から、竜狩人じゃないだろうって聞けただけでも、よかった」

 炎竜の、鼻を鳴らす音が聞こえた。ゼフィアーとレビも、微笑みあっている。

 気を取り直したトランスが、弓を拾って言った。

「じゃ、問題は経路だな。戻るか、進むか」

 彼の言葉に、イグニシオが目を見開いた。ふと、東の空をあおぐ。あいかわらず砂の靄がとぎれない空には、生き物の気配はない。けれど彼は、この空を飛びさっていった竜の残像を、空に見いだした。

「――少し前に、風の小竜ガキが来た。シルフィエの眷族だ。東に飛んでいったから、おおかた主のところへ帰るのだろうよ。今から追えば、会えるかもしれぬ」

「そうなんですか? シルフィエって、さっきも言ってた竜、ですよね?」

「ああ。あいつも、比較的人間寄りだからな。俺よりは伝のことにも詳しいだろう。

それに、アグニオたちのことがあったゆえ、奴の安否も気にかかる」

 言って、イグニシオは羽ばたく。眷族以外の竜も気にかけるあたり、そう恐ろしいだけの竜でもないのかもしれない。四人は、苦笑した。そして、意志を確かめあう。

「そういうことなら、その風竜を追ってみるか」

「山越えだな。やれやれ、引き返すのとどっちが楽だか……」

 気合を入れるゼフィアーと違って、トランスは疲れを思い出した様子だった。一気に元気がなくなる男に歩み寄ったディランとレビは、彼の肩と腕をそれぞれ叩いた。

「安心しろよ。どっちも大して変わらないって」

「どっちにも砂漠はありますし。一度越えてきたぶん、次は楽かもしれませんよ?」

 調子のいい少年たちをにらんだ男は、「慰めになってねえよ」と吐き捨てた。

 彼らの様子を見ていたイグニシオは、軽やかに喉を鳴らす。

「おもしろい人間たちだな。竜に肩入れするだけのことはある」

 呟いた彼は、大きく翼を打った。羽ばたきの音を聞き、ディランたちはいっせいに彼を見る。ゼフィアーが、三つ編みを揺らしながら、彼に歩み寄った。

「ありがとう、イグニシオ。いきなりお邪魔してすまなかった」

「構わぬ。人は好きではないが嫌いでもない。長居は困るが、来るならいつでも来るがよい。眷族たちにも、威嚇せぬよう言い含めておく」

 イグニシオの言葉に四人は笑った。彼もまた、にやりと目を細めると、空へと舞いあがる。

 遥か上から、重い竜語が響いてきた。

『それではな。健闘を祈っているぞ』

 竜語はわからない。そのはずなのに、ディランには、その意味がわかるような気がしていた。彼は仲間たちとともに、大きく、大きく手を振った。


「――あー。すまなかったな」

 イグニシオの姿が見えなくなったころ。トランスが、唐突に言った。三人の子どもたちは、目を丸くして彼を見る。

「どうしたんですか、急に?」

 レビが怪訝そうに問うと、トランスはがりがりと頭をかく。

「さっきだよ、さっき。取り乱して悪かった。驚いただろ」

「……ああ」

 なんのことかわかった三人は、たちまち、神妙な顔になってうなずく。ゼフィアーが、ゆるゆると首を振った。

「私たちは、大丈夫だ。一番つらいのは、トランスだろう? お主こそ、もう平気なのか?」

「……平気か、っていわれたら、平気じゃねえけど」

 トランスは、ふっと笑って、短剣の鞘を二度叩く。乾いた音が鳴った。

「いつまでもくよくよしてたら、ディルに叱られそうなんでな。とりあえず、今は目の前のことに集中するさ」

 ディランは、顔をしかめた。思わず胸を押さえる。

 なぜだろう。いつかのように――自分が、悲鳴を上げている気がした。

 しかし、ディランの変化に気づかなかったトランスは、表情を取り繕って、太陽を仰ぎ見る。

「さ、行こうぜ。いつまでもこんなところにいたら、暑さでひっくり返っちまいそうだ」

「うむ」

「ですね」

 ゼフィアーとレビが笑いまじりに答え、我先にと歩き出したトランスの後ろへ続く。去りゆく背中を少し見つめたディランは――何も考えず、叫んだ。

「トランス!」

 男が、驚いたように振り返る。その目を見て、ディランも慌てた。続けて言うことを考えていなかった彼は、直後に、心に浮かんだままのことを口にした。

「まだ、死んだって決まったわけじゃない」

 ますます、トランスの目が見開かれる。彼はしばらく、訝しそうにしていたが、やがて困ったように微笑んだ。

「そうだな、うん。ありがとよ、ディラン」

 困ったような、悲しそうな声を残して、トランスは再び前を向く。ぼうっとしかけたディランは、急いで彼らのあとを追った。

 どうか、悲しまないで。嘆かないで。

 そんな声が、胸の奥に響いた。



     ※



 ゼノン山脈――ロンズベルクより、やや北の山。羽を休めたイグニシオは、雲の多い青天をあおいで、目を細めた。不満げな顔で、言葉を吐く。

『そんなところでこそこそと、何をしている?』

 いらえはない。イグニシオは、語気を強めた。

『クレティオ。出てこい』

 声が空気を震わせる。まるで、空気の振動に打たれたかのように、直後、何もなかった空の上に光の球が現れた。ふわふわと、たったひとつ浮いた球は、かすかに揺れて細い音を鳴らす。

『怖いなあ、イグは。そんなに威嚇しなくてもいいじゃないか』

『貴様が、道化どうけのようなまねをするからだろうが。変な名で呼ぶんじゃない』

『えー』

 クレティオは不満そうに言うと、鳥よりも自由にイグニシオの周辺を飛びまわる。

『ディルネオをディルって呼んだら喜んでくれたのに』

『……そんなもので喜ぶのはあいつだけだ』

 つまらなそうにイグニシオは言う。直後、クレティオが固まった。しゃん、と音が響く。

『あれ、今日は怒らないんだ?』

 痛いところを突かれて、炎竜は黙りこむ。クレティオは、彼の苦い顔が見れただけで満足、だったかどうかはわからないが、それ以上追及せずに笑う。笑声しょうせいにいらだったイグニシオが、低くうなった。

『だいたい、主竜のくせにこんなところで何をしている。――光竜こうりゅうクレティオ』

 クレティオは、そう呼ばれてもまったく変わらなかった。態度も、姿も。

『そんな言い方しなくても。アグニオとバルジオを助けたのは僕だよ。感謝の言葉くらいくれても、いいじゃないか』

『貴様が介入することは想定していた。どうせ、砂漠ネズミの丸焼きを用意しろだのと言ってくるだろう、ということもな』

『おおっ、さすがゼノン山脈の大炎竜様! 話が早くて助かるね』

『俺にそんなふざけた要求をするのは貴様くらいだ。ディルネオでも、もう少しましなことを言った』

 イグニシオは、吐き捨ててから、思い出したように続ける。

『貴様がここにいるということは、少なくとも奴らを追い払った、ということだな』

 クレティオは、調子よく答えた。

『うん。脅かし続けたら、ひるんで帰ってくれたよ。使える力は小さくなっちゃうけど、便利だねえ、この姿』

 竜だって、すぐには気づかれないし。そう言って、クレティオは体を鳴らす。だが、イグニシオが白い目をしているのを見ると、ぴたりと止まった。無言で、なんだよ、とばかりに彼をにらむ。といっても、表情はないが。

『――あの人間どもに俺の居場所を教えたのも、貴様か』

 クレティオは、少しの間、固まったままだった。けれど、なんのことかわかると、あっけらかんと言う。

『ああ、そうだね。彼らに、というよりはディランに、だけど』

『ディラン?』

『青っぽい子』

『ああ……』

 イグニシオは吐息のような声を漏らす。クレティオが、またしても意外そうに訊いた。

『怒ってないんだ』

『今回はな。むしろ、感謝している』

 クレティオは、しゃあん、と大きな音を響かせた。驚いている証だ。感謝、などという言葉が、尊大な炎竜の口から出てくるとは、思っていなかったのだ。

『へえ、そりゃまた。いいことあった?』

『貴様は……気づいていないのか?』

 イグニシオは、目を丸くして光を見上げた。問いかけられた光竜は、不思議そうに『なんのこと?』と問い返す。イグニシオは、人間たちが去っていった方を見やってから、ささやくように、言う。

『自覚はないらしいが、あいつは、おそらく――』

 続いた言葉に、クレティオは、愕然として固まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます