25.炎竜、猛りて

「や、やっと……着きました~」

 棒にすがりついてぐったりしているレビが、情けない声をあげた。ディランはふらふらの彼を横目で見つつ、無言のままうなずいた。

 四人の目の前には、灰色の山がそびえている。ずいぶん近づいてしまったせいで、頂上は見えない。けれど、緑がまったく見当たらないこの山は、見た目だけでどれほど無味乾燥で過酷な場所か想像できてしまう。しかも、彼らがいるのはまだ砂漠の上。容赦のない日光と、乾ききった風は容赦なく襲ってきていた。まだ朝が早いから、気温が少し低いのがせめてもの救いだろうか。

「……砂漠がとぎれたと思ったら、ここからさらに山登りか。今さらながら、とんでもない道程だな」

「俺としては、暑さが少しでもやわらぐんならなんでもいいけどなあ」

 神妙な顔をして呟くゼフィアーに、疲れきった表情のトランスが、よろめきながら追いつく。暑さに弱いこの男は、全身に汗をぐっしょりかいて、覇気を失ってはいるが、目だけはしっかり前を向いていた。

 彼らが今いるのは、ちょうどロンズベルクのふもとにあたる場所だ。彼らが立っている乾いた岩の上から少し離れた場所に、坂道が、何度もうねりながら、続いている。ただし、それは、道なき道といってもいいような有様で、ならされてもいなければ整えられてもいない。複雑にうねる灰色の地面に、石や岩がごろごろと転がっていた。

「そもそも、こんなところにある山をわざわざのぼろうって物好きな奴は、そういないからな」

「でも、大陸の東側に行きたい人は、山を越えるんじゃないですか?」

 目的地を目の前にとらえ、元気を取り戻しつつあるトランスを、レビが見上げる。彼は男に質問してすぐ、したたり落ちてきた汗をぬぐった。トランスは肩をすくめる。

「ここからもうちょい南に下ったところに、商人や旅人がよく使う横道があるんだよ。そこもまあ、山と大して変わらないから、渡るのは大変なんだけどな。道ができてるぶん、まだましさ」

 トランスの解説に、少年は、へえっとうなずいた。

 一方、ディランはゼフィアーに目をやり、短く問いかける。

「ゼフィー、どうだ。わかるか」

 先程から真剣な顔で山をにらんでいた少女は、ひとつ、うなずいた。

「うむ……。竜の気配は、ある。しかも、数が多いな。ゼノン山脈がイグニシオたちの棲みかというのは、確かだろう」

「そうか……」

 ディランは深呼吸をして、改めて、山を見た。

 細く、長く、複雑に続く道。ここをのぼっていけば、竜と出会えるかもしれないと思うと、自然と心身も引き締まる。どこか心地よい緊張感に背筋を伸ばした彼は、暑さにへこたれつつある同行者たちを振り返った。

「まずは、少し休むか。それと荷物の点検もしないとな」

「ああ。そんで、一番暑い時間になる前に、山に入っちまおう」

 とうとう自分の髪の毛をもちあげはじめたトランスに、ディランはうなずく。

 彼の言葉どおり、少しの間、岩の陰で体を休め、水を飲み、荷物をたしかめた一行は、気を取り直して山へと挑む。

「よし! がんばりましょう!」

 最後尾のレビが、みずからを鼓舞するように声を上げて、山道さんどうとすら呼べない岩場へ踏みこんでいく。

 そして、彼らの足跡だけが砂の上に刻まれた頃――その場所に、いくつかの赤い光が現れた。彼らは、炎のように揺らめいたあと、ささやきを交わす。

『人間だ』

『人間だな……狩人か?』

『わからない。奴らがあるじ様と出会ってしまう前に、確かめねば……』

 低く潜められ、ぼそぼそと響いた会話は、彼ら以外の誰にも聞かれず、砂の上を滑って消えた。


 山に入ったからといって、劇的に暑さがやわらぐわけではなかった。刺すような、時に殴りつけるような日差しは、岩の上を歩いている最中でも、おかまいなしに小さな生き物たちを襲う。むしろ、道に傾斜がついたぶん、砂漠の中の行軍よりもつらいかもしれなかった。

 そろそろトランスが干物にならないかな、と心配しつつ、ディランはゆっくりとを進めた。足もとに大きな岩を見つけ、すぐに避ける。もう、今までに何回、このようなことがあったか、数えるのもやめてしまった。

 時折、自分の体と相談して、あるいは仲間たちを振り返って、小休憩をはさみながら進んでいく。じりじりと強くなっていく光と熱が、太陽が近づいていることを――山登りをしているのだということを、実感させた。

 無言の道行きの途中、ほんの少し、傾斜がゆるくなる。ちょうどそのとき、気分転換のつもりで、ディランはゼフィアーを振り返った。彼女も顔に疲れは見せているが、まだまだ足取りはしっかりしている。

「やっぱり、イグニシオって力の強い竜なのか?」

 なんとはなしに、そう訊いた。ゼフィアーは、額ににじんだ汗を拳でぬぐってから、答える。

「強い、は強いだろうな。なにしろ、主竜と呼ばれる竜の一頭だ。それに、力の強さは、この気候が証明している」

「しゅりゅう? なんですか、それ?」

 後ろから、レビの声が聞こえてくる。しかし、ゼフィアーが何かを答える前に、トランスが口を開いた。

「竜の中でも、ずば抜けて力の強い奴らの呼び名よ。この砂漠と暑さでわかると思うが、自然界に直接およぼす力も、けた違いに大きい。だから、自然を保つっていう役割のかなりの部分を、主竜がになっているとも言われてんのさ。で、主竜たちは、同じ性質をつかさどる竜のいくらかをまとめることもしているらしい。そいつらは、主竜の眷族、なんていわれ方もするな」

「眷族……」

 思いがけず、ディランとレビの声が重なる。純粋に、耳慣れない言葉に首をひねっているレビとは対照的に、ディランは眉根を寄せて考えこんでしまった。眷族、その呼び名を、以前どこかで聞いたような気がしたのだ。

 けれど、それがいつの、どこでのことだったかをディランが思い出す前に――

「で、ゼフィー。どうよ」

 弱々しく揺れるトランスの声が、問うた。

 暑いのはうんざりだ、といわんばかりの男の声に、ゼフィアーが元気よく返す。

「うむ。竜の、炎竜の気配が、少しずつ濃くなってきた。これは案外、あたりかもしれないな」

「あたり、か」

「そりゃーよかった。ここまで来て、収穫なしとか言われたら、おっさん立ち直れないぜ」

 噛みしめるように呟くディランとは別に、トランスが声を上げる。彼の言葉は心からのものだった。けれど一方で、調子のいい発言とは裏腹に、わずかな緊張も見て取れた。ディランにもその気持ちはよくわかるし、レビも張りつめた表情で棒をにぎりしめている。そんな中、ディランはふと、昨夜のことを思い出す。

 クレティオと名乗った、丸い光。なぜ、あれは竜たちの居場所を知っていたのか。

 ひょっとしたら、イグニシオとなんらかの接点があるのかもしれない。不思議生物の正体は不明のままだが、そう考えれば、いろいろと納得のいく部分はある。

 また会おう、と言っていたから、質問はそのときにすればいいだろう。ディランはそう結論づけて、「行こう」と言った。

 再び暗い雰囲気になりかけたところで、彼らは山登りを再開した。わきあがってくる緊張感をごまかすように、黙々と足を動かす。

 やがて、降り注ぐ太陽の光が、弱まったように感じた。四人は揃って足を止め、暗黙のうちに、ここで休憩をしようと取り決める。が、彼らが足を休めかけたとき、ゼフィアーが厳しい目つきで虚空を見上げた。

「ゼフィー?」

 まっさきに気づいたのは、ディランだった。彼が名を呼ぶのと同時に、レビとトランスも少女を見やる。彼女は、はじめは落ちついていたが――じょじょに、緊迫した表情へと変わってゆく。

 風が、一瞬だけ強くなって、すぐ弱まった。地の底から這い上がってくるような、不気味な低音が、どこからか聞こえてくる。尋常でない空気の中に、少女の声が落ちた。

「来る」

 いつもより低く、かたい声は、オルークで竜に気づいたときの彼女を思い出させた。

 レビが、唾を飲みこむ。

「あ、あの、来るって何が」

 彼は言いかけたが、その声はさえぎられた。ボボッ、という、蝋燭ろうそくに火が灯るような音に。

「な、なんだ!?」

 突然、四人の目の前に、無数の赤い球体が現れた。火の玉にも似たそれは、不規則に揺らめいている。ディランはとっさに、剣の柄に手をかけたが、抜剣しかけた彼をゼフィアーの声が止めた。

「待て! 彼らを刺激してはいけない!」

「っ、それはどういう」

 少年がすべてを問う前に、異変が起きる。

 揺らめきつづけていた赤い球体のまんなかに、ぽっとあかりが灯る。そして、みるみるうちに球体を光が包みこんだ。くすんだ空が、不自然な赤い光に煌々と照らされる。向かいあう人間たちは、思わず目を覆った。

 やがて光は弱まっていき、それと同時に、じわじわと圧迫感がその場を包んだ。

 光がまったく感じられなくなった、とわかって、ディランはそっと腕を顔からはずした。目の前のものを確かめて、凍りつく。

 それは、レビやトランスも同じだ。ただひとり、ゼフィアーだけが、苦い顔をしている。

 無数に灯っていた赤い光は、紅い鱗の竜の群に変わっていた。


 ばさ、ばさ――

 翼が空を打つ音が、やたら大きく響いている。紅い竜たちは、ロンズベルクを登ってきた人間たちを、品定めするような目で見ていた。何頭いるかすらわからない竜たちは、誰も、何も言わない。敵意と、殺意が、ひたひたとその場を満たす。

 信じられない光景を前に呆然としていたディランは、どさっと何かが地面に落ちた音で、我に返った。音の方を振り返ると、少年が顔を引きつらせて尻もちをついている。手足が小刻みに震えているが、それでも棒を手放してはいなかった。

「……レビ」

 名を呼んだディランは、竜たちを気にしつつもしゃがみこむ。彼らに背を向けることの恐ろしさはあったが、少年を放ってもおけなかった。

「立てるか?」

 手を差し出すと、震える指が、その上に重ねられた。

「ディラン……こ、これ、って……」

「落ちつけ。大丈夫だ」

 何度、彼に言ってきたかわからない言葉。けれど、今の言葉は、それまでの中で一番穏やかに響いた。

 震える小さな手をそっとにぎり、立たせると、ディランはレビの体をそっと自分に寄せて、幼子をあやすように、背中を叩いた。レビを落ちつかせてから、彼はゼフィアーを横目に見る。小さなうなずきが返ってきた。

 情けないが、この場では彼女だけが頼りだ。自分たちでは竜に信用してもらえるかどうかわからない、というのもあるが、そもそも竜語ドラーゼが理解できない。

 竜との対話を託されたゼフィアーは、静かな表情で先頭に立つ。そのとき、ようやく、竜のうちの一頭が口を開いた。

『人間よ。何をしに、ここへ来た』

 放たれた竜語が重く響く。ゼフィアーは、すぐ返した。

『お主らのあるじ、イグニシオに会いにきた』

 すると、竜たちがざわめいた。彼らが警戒を強めたことは、竜の言葉を理解できない三人にもわかった。息をのんで、事を見守る。

『イグニシオ様に? なにゆえだ』

『話を聞きにきた。主竜たる彼でなくては、わからぬこともあろう』

『なんの話を聴くというのだ』

『竜狩りと、竜の現状について。どうしても教えていただきたいのだ』

『人間が竜に、それを問うと?』

『うむ。そのとおりだ』

 淡々としたやり取りには、予断を許さぬ空気が漂っている。竜たちの眼光は鋭いが、ゼフィアーはまったくひるんでいない。そのうちに、別の竜が言った。

『貴様たちが狩人でないことを証明できるか?』

『私がいる。それでは、証明にはならないか?』

 問いに答え、その上で質問を重ねる。ゼフィアーは、とん、と靴で岩場を叩いた。

 ゼフィアーに問いかけた竜は、つまらなそうに鼻を鳴らす。

『馬鹿め。貴様がつたえのふりをして近づいているかもしれぬだろうが。本当に伝であることを証明したくば、力を示してみせろ』

 竜に冷たく言われて、さすがのゼフィアーも言葉に詰まる。血は継いでいても、彼女に力は使えない。見た目で信じてもらえなければ、みずからの身分を証明する手立てはないのだ。

 はたで見守っていたディランたちも、状況がよくないことに気づいた。いつ、何があっても動けるよう、ディランはレビやトランスと視線を交わしあう。

「炎竜どもが、ここまで石頭とはねえ」

 心底あきれた、といわんばかりのトランスの呟きは、誰にも聞かれることなく消える。

 一方、竜たちの方では、先頭の竜が、毒舌を吐いた竜をにらみつけていた。

『言葉が過ぎるぞ! 第一、今の伝の末裔たちに力が残されていないことは、おまえも知っているはずだろう!』

『ならば貴様は、この小娘を信じるのか? 後ろの不審な人間ともども』

『それは……!』

 顔をしかめる竜と、鼻を鳴らす竜。二頭を、ゼフィアーは困惑のまなざしで見比べていた。

「むむ、どうしたものか。まさか、こんなかたちで足止めを食らうとは」

 思わず、人の言葉で呟く。

 そのとき。上空から、今まででもっとも大きな羽ばたきの音が聞こえる。


『いい加減にしろ、眷族どもっ!!』


 同時に、野太い怒鳴り声が山肌に叩きつけられた。人間たちはもちろんのこと、炎竜たちまで、その場ですくみあがる。空気がびりびり震え、地面さえもかすかに揺らした大声は、しばらく痛いほどの余韻を残していた。

 誰かが何かを言う前に、山に大きな影が舞い降りる。ディランは見上げて、今度は自分が尻もちをつきそうなほど驚いた。ずっと彼のそばにいたレビも、蒼白い顔で固まっている。トランスですら呆然と口を開けていた。

 上空に、竜の腹と、紅い尾が見える。人と竜が慌てて下がると、大きな炎竜は、彼らの間に降りたった。図体のわりに着地は軽やかで、音のひとつも立たなかった。翼を畳んだ炎竜は、まずは厳しい瞳で背後の竜たちを振り返る。

『朋友の子孫すら見抜けぬとは、貴様らの目は節穴か! それと、俺に無断で来客を追い出すようなまねをするな! ここは、あくまで俺の領域だ!』

『も、申し訳ありません……』

 ものすごい剣幕でまくしたてる主を前に、炎竜たちは、反射的に、縮こまって謝罪をする。

 言葉のわからないディランたちは、彼らを呆けたように見ているしかなかった。理解できるゼフィアーも、竜の怒りと大声におされて、会話を聞くどころではない。

 ひとしきり竜の説教を終えた、紅き巨竜は、興奮冷めやらぬ目で人間たちを見る。彼らは揃って、一歩後ずさりをした。かろうじて目をそらさなかったゼフィアーが、震える唇を動かして、問う。

『イグニシオ……か?』

『いかにも』

 炎竜、イグニシオは、尊大な態度で言ったあと、一度息を吸った。そして――

「こちらにあわせる必要はない。俺には人の言葉がわかる。不本意ではあるがな」

 流暢な人語を話した。前に出会った地竜と比べると、彼の方が、あきらかに言葉が達者だ。四人は驚いて、まじまじと竜を見上げてしまった。気まずい沈黙が流れかけて、慌ててゼフィアーが言う。

「そ、そうか。ありがとう」

「礼はいらん。それと、おまえと眷族どものやり取りは聞こえていた。――が」

 イグニシオの目が、細くなる。

、聞かせてもらいたいところだな」

 今までよりさらに低くなった声に、ゼフィアーはびくりと震えた。視線は外さずに、けれど戸惑って言う。

「本当の、とは? 私は、嘘をついてはいない……」

「確かに、嘘はついておらぬ。しかしだ」

 空気が、張りつめた。

「竜狩りと、竜の現状。もっとも俺に尋ねたいのは、そんなことではないだろう?」

 血の色にも似た赤黒い瞳は、鋭く光り――やがて、少女の背後にいた、青い目の少年をとらえた。

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