24.熱砂の大地と赤の瞬き
ナイフは、ひゅっと音を立てて飛ぶと、かたい地面の上をうごめいていた虫の体に突き刺さった。虫は、一瞬大きく震えた後、しばらく細かく
虫が動かないのを確認すると、ゼフィアーは近寄って、丁寧にナイフを引き抜いた。一度、
「うむ。こいつは毒のない虫だな。焼いて食べるとおいしいぞ」
「へえ」
「えっ!? た、食べるんですか!?」
うきうきと声を弾ませるゼフィアーを、背後から二人の少年がのぞく。ディランは感心したように虫を見つめ、レビは気持ち悪そうに後ずさっていた。
「君ら、ほんと元気ねえ。俺感心」
灼熱の中で騒ぐ子どもたちの後ろから、トランスがよろよろと歩いてくる。頭と体を覆う厚い布をわずらわしそうに見ている彼に、ゼフィアーは虫の足をつかんで見せつける。レビがぎょっとしていたが、彼女は気づいていない。
「暑いからこそ、しっかり食べて元気を出さねばな」
「ああ、確かに、それ食ったら少しはましになりそうだ」
ぼんやりしながらうなずくトランスに、レビが慌てたように声をかける。
「と、トランスさーん! 大丈夫ですか! 暑さにやられておかしくなってないですか!?」
「いやいやレビ坊。こいつをなめちゃいかんよ。砂漠の貴重な栄養源だぜ」
「正気だった!!」
虫を前にして、飽きもせずに騒ぐ三人を、ディランは生温かい目でながめていた。涙目で絶叫しているレビの肩に手を置く。
「あんまり叫ぶと、喉が渇くからな」
そう助言してやると、少年はたちまちしぼんだ。ディランは苦笑した後、目を細めて空を見上げる。布の先に見える黄色くくすんだ空は、憎らしいほど晴れていた。
四人は今、砂漠の真ん中にいる。砂地と岩場がまじりあったような砂漠には、昨日出会ったレッタ民の言葉どおり、水場が点々と存在していた。が、それでも殺風景な環境に変わりはなく、その水場でもなければ、サボテン以外の植物は見られない。ただただ、白と茶色の大地が延々と続いているかのように思われた。
レビが、腰に下げた革の水筒を手にして、水を少し口に含んでいる。ディランも水を飲んだ後、水筒をトランスに回した。今のところ、もっとも水を欲しているのは彼なので、念のため、「ちょっとにしてくれよ」と釘を刺しておく。トランスは、聞こえているのかいないのかわからない表情で、うなずいていた。
かすむ空を切り裂くかのように降り注ぐ太陽の光は、この上なく暴力的だ。みるみるうちに、人の体から水分と体力、気力までをも奪っていく。
食事――結局、例の虫を焼いて食べた――と水分補給を済ませた後、レビがディランを見た。
「それで、その……ロンズベルクっていう山でいいんですよね?」
「……うん」
ディランは、複雑な表情でうなずいた。
砂漠に出発する前、レッタの宿屋でディランは、ロンズベルクという山を目的地にしようかと提案したのである。あの、不思議生物ことクレティオについては伏せておいた。ゼフィアーは何かを知っているような口ぶりだったものの、実際に見たのは、ディラン一人である。そのため、いきなり言っても信じにくいだろうし、ファイネでのこともあって、どこかおかしいのではないかと心配されるのも面倒だったのだ。
霧の中にいるような、不安定なディランの心境を知らないゼフィアーが、外套の頭巾を
「まあ、比較的のぼりやすい山のようだしな。それに、レッタから近い」
ゼノン山脈と砂漠は、大陸を縦に割るように細長くのびている。だから、何もレッタだけが玄関ではないのだ。調べる山によっては、大きく北か南へ移動しなければならない可能性もあった。
「妥当と言えば、妥当だな」
食べて飲んだおかげで、少し冷静さを取り戻したらしいトランスが、弓を抱え直しながら呟く。その声に、ディランは安堵の息を吐いた。感謝すべきは、クレティオかイグニシオか、わからないのだが。
「さて。なるべく早くロンズベルクのふもとに着けるよう、頑張るか」
「この砂漠って、大きいのか?」
「縦に長いのだ。山を目指すならそんなに日はかからないはずだ」
太陽を見上げながらディランとゼフィアーがやりとりをした後に、四人は無言で歩きだす。
砂漠は、どこまでも静かだ。彼らの足音と、かすかな風の音しか響かない。今のところ、空模様は安定していて、砂嵐の気配もない。
道行きは、静かに過酷だった。容赦のない日光と、岩と砂だらけの土地との戦いだ。時折、水を口に含みながら、そしてわずかな水場を見つけては水筒と水袋に水を足しながら、ただひたすらに歩く。うっかり迷子にならないため、ゼフィアーは地図を、ディランは太陽の位置をまめに見ながら進んだ。
そして、陽が傾きはじめた頃。茶色っぽい岩が点在する場所で、眠るための準備を始めた。レッタもそうだったが、砂漠というのは、寒暖差が激しい。今の時期は特に、夜になるとおそろしく冷えこむのだ。昼間の灼熱地獄ともあいまって、何もせずにいるとそれだけで凍えるか、体がおかしくなるかしてしまう。完全に日が沈んでしまう前に、やることをやって、寝てしまうのが一番だった。
少し大きめの岩を探しあて、その陰で堅焼きパンを水で流しこんだ四人は、空が暗くなってゆくのを見ながら、外套に軽くくるまって、砂の上に寝そべった。
「ね、寝れるんでしょうか、ぼく……」
などとレビは心配そうにしていたが、それは杞憂に終わる。四人とも、砂地に転がって間もなく、寝入ってしまった。昼間の強行軍で疲れきってしまっていたのだ。
だから彼らは気づかない。薄明の空に、赤い光の球が舞っていたことに。
ディランがそれをわずかに目撃したのは、翌日の明け方だった。目ざめて、起きて、体についた砂をできるかぎり払い落した後のこと。ゼフィアーとともに、なんの気なしに東の空を見上げたとき。違和感を抱いて、目を瞬いた。
「あれは、一体」
ゼフィアーが
まだ暗い早朝の空に、赤い光の粒が舞いながら消えてゆく。一瞬、星かとも思ったが、それにしては大きすぎる。並びも不自然だ。ちろちろと、不規則に明滅しながらどこかへ流れてゆく赤は、むしろ火の
「なんだ、あれ。気味が悪いな」
「うむ。しかしあれは、凶兆、というよりは――」
ゼフィアーが、ふっと口をつぐんで顔をしかめる。珍しく歯切れの悪い物言いだ。ディランは、どうしたのかと聞こうとしたが、直後、トランスとレビに呼ばれてしまい、会話を中断せざるを得なくなる。
立ち上がったついでに、また東の空を見てみたが、そこにはもう、赤い光の瞬きは見えなかった。
陽が昇る前に、また堅焼きパンと水を口に詰め込んで、それを飲みこんだら、荷物や衣服に虫がまぎれこんでいないか点検。そしてすべての準備が終われば、また灼熱の中を延々と歩く。
そんな、単調で過酷な日々も、四日目を迎えたとき――彼らはとうとう、地平線の上に、黒々とした山並みの影を捉える。
※
起伏の激しい岩場の、わずか上を、二頭の竜が飛んでいる。普段の何倍も速度を上げている彼らは、風に乗り、ただひたすらにある場所を目指していた。
二頭の目の中を、無愛想な岩場が、流れるように通りすぎていく。翼で宙を打ちつけながら、竜のうちの一頭が、忌々しげに背後をにらんだ。
『狩人め……我が同胞を、あのような目に遭わせるとは……』
吐きだされた声には、烈火のごとく激しい怒りがこめられている。もう一頭の竜は、そんな彼を気の毒そうに見た後、けれどすぐに、責め立てるような視線を送った。
『しかし、おまえたちもおまえたちだ。なぜ、あんな馬鹿なことを考えた。俺が止めにこなければ、あの地域一帯は干上がってしまっていたぞ』
『それが必要だったのだ! 我らの存在の意味を忘れるような愚かな者どもには、一度くらい痛い目を見てもらわねば……!』
『――愚かなのはどちらだ』
『なんだとっ!?』
静かに吐き捨てた竜に、先ほどから怒鳴り散らしている竜が、かみついた。けれど、詰め寄られた方は、あくまでも冷たい目で彼を見る。
『そもそも、俺たちは見返りを求めて、自然を保っているわけではないだろう。それに、故意に力を操るのは禁忌だ。あのフレミエ様が、禁忌を犯すことを許すと思っているのか?』
自分の主の名を出されたせいだろうか。片方の竜が、言葉に詰まった。
二頭とも、言い争いをしつつも翼を休めることはしない。高く、時に低くうなる風の音があたりを包む中で、友を見つめた紅い竜は、ぽつりと言った。
『とにかく今は、イグニシオ様のもとへ急ぐんだ。ここからだと、おまえの主様のところへ帰るより、ゼノン山脈へ向かった方が早い』
『――ちっ』
怒っていた竜は、苦々しさをこらえるように、冷静な竜から顔を逸らす。それでも、飛ぶ方向は同じだ。必死に焦りを押し殺し、けれどできる限り早く、主竜の一角が住まう地を目指す。そして、彼らは間もなく、視界に山々をとらえた。どちらからともなく、ほっと安堵の息を吐く。
が、その瞬間。すぐ後ろから勢いよく何かが飛んできて、怒っていた竜の左翼に直撃した。
悲鳴のような咆哮があがり、高音が空を震わせる。
『バルジオ!』
竜は慌てて旋回して、ぐらついている炎竜の体を太い尻尾で支えた。バルジオが、きつい瞳で彼をにらむ。
『アグニオ、余計なまねは……』
『言っている場合か! 奴らに追いつかれたぞ!』
気が立っているバルジオの反論を許さず、かぶせるようにそう言ったもう一頭の炎竜――アグニオは、目だけで背後をうかがった。わずかに離れた岩場の上に、赤い髪をなびかせて少女が立っている。彼女は、華奢な印象に似合わぬ投石機の上に、鉄の球のようなものを乗せて、構えていた。
アグニオもバルジオも、あれがただの鉄球でないことには気づいていた。体勢を立て直し、苦々しく呟く。
『なんということだ。《魂喰らい》の凶器を、量産しているとは』
『いちいち腹の立つ連中だ!』
『こらえろ、バルジオ。今はとにかくゼノン山脈だ。主の領域に入ってしまえば、奴らも簡単に手を出せない』
『わかっている!』
バルジオの怒声を最後に、二頭はまた飛ぶことに集中する。しかし今度は、《魂喰らい》の力のこもった鉄球が、二度、三度と続けて飛んできた。岩を避け、凶器を避けながら、それでもなんとか飛び続ける。灰色の山肌が、じょじょに近づいてくる。だが、そのときアグニオは、視界の端に一人の男を捉えた。
分厚い衣を着こみ、羽飾りのついた帽子をかぶった、冷たい目の男。彼と視線がかち合った瞬間、アグニオは、背筋を冷たいものが突き抜けるのを感じた。
『いかん――』
叫びかけたとき、風に乗って人間のやりとりが聞こえてくる。
「オボロ様、いけそうですか!?」
「まだだ。もう少し、奴らの体力を削いでからでなくては、仕留め損ねる恐れがある」
「で、でも、ゼノン山脈が結構近いじゃないですか!」
「焦りは禁物だ、イスズ。当たらなくても構わんから、球が尽きるまでやってくれ」
「っ……! 了解です!」
バルジオが顔をしかめる横で、アグニオは戦慄した。隣の友と違い、彼には人間の言葉がわかるのだ。だからこそ、のちの展開も予想ができた。『高度を上げるぞ!』バルジオに向かって叫ぶ。
けれど、彼らが高きを飛ぶ前に、先の鉄球がまた撃ち出された。今度は、先ほどより発射の感覚が短い。
翼と胴体の向きを微妙に調節しながら避けてはいたものの、それでもすべてをかわしきることはできず、アグニオとバルジオ、それぞれの体を鉄球がかすめていった。
『ぐっ……!?』
体に裂傷が走る。
が、それ以上に竜たちを痛めつけるものがあった。
体のもっとも深いところ――魂にひびが入るのを感じる。アグニオは、恐れた。
がくん、とわずかに景色が傾く。そのとき、目の端に、太刀を構える男の姿が映った。陽光を受けて鋭く光る刃もまた、《魂喰らい》だ。
『あんなものを食らったら、俺も、バルジオも、ひとたまりもないぞ……!』
狩人の恐ろしさは、話に聞いていた。同胞たちを止めにいく前にも、イグニシオから、狩人に気をつけろ、とは言われていた。けれど、話に聞くのと実際に遭遇するのとは、わけが違う。
このままでは、山に辿り着く前に墜落してしまう。大きく隆起した岩場を使い、踏みこむ準備をしている男を見ながら、アグニオはうなる。傷が広がるのを覚悟のうえで、さらに上空を飛ぼうと体を上に向けた。
そのとき。突然、視界の真ん中で、純白の光が弾ける。
「何っ……!?」
「きゃっ!」
人間たちの悲鳴が聞こえる。光が灯ったその瞬間に目を閉じた二頭の炎竜は、風の流れと、音を頼りに、飛び続ける。その中でバルジオが、訝しげな声を上げた。
『一体なんだ、この光は?』
彼の疑問に答えたのは、アグニオではなかった。
どこからか聞こえてきた、別の声だ。
『ここは僕が引き受ける。君たちは、早くイグニシオのところへ行くといい』
誰のものでもない声は、さながら子どものようだった。
炎竜たちは、一瞬だけ不信感に揺らいだが、すぐに声の主の正体に気づくと、飛ぶ速度を上げた。
『――かたじけない!』
『これも何かの縁だ。埋め合わせはあの堅物にさせるから、気にしなくていいよ』
笑いを含んだ幼い声は、そっと、彼らの背中を押す。
こうして紅き竜たちは、突撃するかのような勢いで、山脈手前の砂漠へさしかかったのである。炎竜イグニシオの領域までは、あと少しだった。
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