22.帰る場所

 闇に閉ざされていた意識が、ふっと浮かびあがる。

 音が聞こえる、空気を感じる。重さをともなった覚醒は鈍いものだが、時間が経つにつれ、音は大きくなっていき、感覚は鋭くなってきた。

 何かに誘われるように目を開ける。組み木がぼんやり映りこんで、すぐ明瞭になった。

 ディランはしばらく仰向けになっていた。やがて、自分がじっとり汗をかいていることに気づいて、額をぬぐう。自分で自分の体を触ったおかげか、はっきりと目が覚めた。

「うー……」

 小さくうなりながら、体を起こす。掛布を払いのけると、冷たい空気が容赦なく襲いかかってきた。だが、少年は、そのすべてを受け入れるように、しばらく寝台の上でぼうっとしていた。気だるさがまとわりついていて、すぐには動けそうにない。

 けれど、頭痛もなければ吐き気もない。体調はすこぶる良好、とまではいかないまでも、悪くはないようだ。

 宙を見つめていた彼は、その後、細く長く息を吐きだした。それからやっと起き上がり、するりと寝台を下りる。木の床に足をつけると、頭にかかっていた靄が少し晴れた。うなずいて、あたりを見回す。畳んである服を見つけると、何も言わずにそれを着た。靴を履いて、立ち上がる。

 確かめるように数歩歩いた後、そっと部屋を出た。

 扉を開けると、小さなざわめきが聞こえてくる。いつもどおりの、朝の『暁の傭兵団』だ。苦笑したディランは、声に吸い寄せられるように階段の方へ歩き、そのまま下りはじめた。まだ、少し、ぐらつくような感覚は残っている。慎重に一段ずつ下りていた彼はけれど、急に立ち止まった。ばたばたと騒がしい足音が向かってくる。

 同時に、何かが投石機から発射された石のように飛び出してきて、急停止した。むこうも、ディランに気がついたようだ。驚きからさめた彼は、突然現れた「何か」の正体を確かめて、目をみはった。

 揺れるふたつの三つ編みを、ずいぶん久しぶりに見た気がする。舞い上がって体に戻った上着は、いつもどおり、見ているとほっとする紺色だ。

「ゼフィー?」

 考えるより先に言葉が出た。いつの間にか、まん丸のついの瞳が、視界のまんなかにある。蜂蜜みたいだな、などと、ディランはのん気なことを考えていた。一方、唐突に彼と遭遇したゼフィアーは、目と口を同時に開けて、呆然として正面を見つめる。彼女は何度かまばたきすると、口を震わせながら開いた。

「ディラン、なのか?」

 まるで幽霊でも呼ぶかのような声音。なんとなくおかしくなって、ディランは苦笑した。言葉で答えず、頭をなでる。すると少女は、じゃれつく犬のように、勢いよく彼に抱きついた。ディランは、前からの強い衝撃にたたらを踏んだ。

「うわっ!」

「もうどこも痛くないか? 苦しくないか? あ、いきなり起きてきても大丈夫なのか!?」

 ディランが引きつった声を上げたところに重ねて、ゼフィアーは矢継ぎ早に質問をする。制止の言葉を口にしかけたディランは、そのまま固まってしまった。よく見たら、少女は笑いながら泣いている。嬉しそうに細められた目から涙がぽろぽろつたい落ちていて、顔はくしゃくしゃだ。

 ディランは無意識のうちに唇を噛む。それまで押しこめてきた何かが、一気にこみあげてきた。

 こんなになるまで、心配してたのか。

 胸のうちだけで、そう、問いかけて――ディランは静かに、片手で少女の背中を支えると、片手でまた、頭をなでた。

「大丈夫。もうなんともない。心配かけて、ごめん」

「うむ。まったくだ。どれだけの騒ぎになったと思っているのだ」

「――申し訳ありませんでした」

 少女の弾んだ涙声に答えて、ディランはうなだれる。対してゼフィアーは踊るように反転した。青い上着をひるがえし、少年を振り返る。

「大丈夫なら下におりるか? みんな、いるぞ」

「ん。そうだな」

 ディランは小さくうなずいて、ゼフィアーとともに階段を下りる。すると、一気にざわめきが大きくなった。

 傭兵たちは朝食を終えた後らしい。ばらばらと散らばって、武器を磨いたり、地図を確認したり、仕事の準備をしていた。セシリアとラリーがテーブルの上の皿を片づけて回っている。

 広間のような一階に満ちる空気は、穏やかだ。ディランは歩きながらほほ笑んだ。が、視界が突然、ぐん、とぶれた。足が空中をかいて頼りなくぶらさがっている。持ちあげられている、と気づいた彼は、振り返って――いびつに笑った。

「なーに勝手に起きてきてるんだ。ばか弟子」

 ディランの襟首をひっつかんでぶら下げているのは、ジエッタだった。さて、これからどう叩きのめしてやろうか――そんな考えがちらつく目で、つかんだものを見下ろしている。向けられた視線から、あ、まずい、と直感した弟子は、その体勢のまま頭を下げた。少しだけ喉が詰まった。

「すみません、師匠」

「まったくだ。帰ってくるなり迷惑をかけやがって」

「う」

 ディランが再び落ち込みかけたそのとき、ジエッタは乱暴に彼を放り投げる。とはいえ、それほど高く持ち上げられていたわけではなく、彼もとっさに受け身を取ったので、床で仰向けになる程度で済んだ。

「それだけ反応できるなら大丈夫そうだな。よかった」

「……師匠」

 ディランはジエッタを見上げる。困ったように、けれど不敵にほほ笑む師匠に対して、彼はわざと目をすがめた。

「乱暴です」

 苦言を呈する。が、師匠は悪びれなかった。

「今に始まったことじゃないだろう。それともげんこつ食らう方がよかったか」

「いえ。頭痛がぶりかえしたら困るので、勘弁してください」

 言うなり拳を固める傭兵に、素早くディランが切り返すと、彼女は今度こそ笑った。師弟の言い合いが終わるころには、まわりの人たちも少年の存在に気づいたらしい。それぞれに作業の手を止め、わらわらと集まってきている。

「相変わらず手厳しいね。首領ボスは」

「もう、首領! 病み上がりの人にまでそういうことをするのはよしてください!」

 にやにやしているノーグの横で、セシリアが腰に手を当て仁王立ちをしている。珍しく声を荒げている彼女は、少し怒っているようだった。ジエッタは勘弁してくれとばかりに手を振って、反論する。

「あたしの弟子が、こんなことで壊れるもんかい」

「そういう問題じゃありませんし、ディランは繊細ですよ!」

「そりゃ、ここの連中に比べたらねえ」

 そのまま、傭兵団の、たった二人の女たちが言い合いを始めてしまった。口論の中心になっているはずのディランは、疲れたように彼女たちを外から見守る。傭兵たちの声がけに、ひとつひとつ答えながら、セシリアの師匠への追及が終わるのを待っていた。が。

 人だかりをかきわけて、誰かが現れた。と、ディランが思っていたら、その誰か――レビは、ゼフィアーと同じようにいきなり飛びついてきた。彼女を上回る勢いのよさに目を白黒させながら、ディランは小さな体を抱きとめる。

 彼は泣きながら少年の名前を呼んだかと思ったら、いきなり小さな拳で胸を叩いてきた。レビは彼に驚く暇すら与えずに、しゃくりあげながら叫ぶ。

「いきなり倒れるから、びっくりしました!」

「――ごめん」

「わけがわからなくて、怖くて、大変だったんですよ!!」

「うん、うん。心配かけたな。悪かった」

 ディランは、小さな背中をさすってやる。そこでようやくレビが顔を上げ、まっ赤になってしまった目を彼に向けた。それからほほ笑んだ。

「戻ってきてくれて、よかったです」

 大げさな。と思いはしたものの、弟のような少年の、無邪気な笑顔の前に口をつぐむ。ディランはただ、うなずいた。

 二人の前に影が差す。ディランとレビは、同時に見上げて、頬を緩めた。

「あ、トランスさん」

「トランス。どこに行っていたのだ」

 先ほどまで騒ぎにもまれていたゼフィアーも、二人のそばに駆けよってきて、正面の男を見上げる。トランスは「散歩よ」とぞんざいに答えた後、ディランを見て、片目をつぶった。

「よ、少年。おはようさん」

「……おはよう」

 昨日も聞いた言葉に、昨日とは違う心地で答えたディランは、ようやく立ち上がった。


 これ以上ファイネにいても、情報は得られない。四人の意見は一致した。

 ディランが抜けた後も、傭兵団は彼の記憶の手がかりを探しまわってくれていた。本人もそれを知っていた。だからこそ、『暁の傭兵団』の顔の広さにわずかな期待をこめてみたものの、ジエッタも傭兵たちも、目新しい情報をつかんではいなかったのだ。

「それどころか、謎が増えた」

 同行者の三人になぜか文句を言われて、ディランは眉をひそめた。寝込んでいた最中にあったことを彼は知らない。けれど、ジエッタが昔話をしたことは、セシリアやトランスの口からそれとなく聞いた。

「情報を集めてみたはいいものの、俺の不審者ぶりが浮き彫りになっただけ、ってわけか」

「残念ながらそういうこった。……いてっ」

 ディランの自嘲に、トランスがあっさり同調した。何も取り繕わなかった彼は、言った直後に、ゼフィアーに思いっきり腕をつねられてしまう。大げさに飛びのいて腕を押さえている。レビがそれに、呆れたような視線を送った。ディランはその光景を不思議な心地でながめていた。

『家』の隅で繰り広げられる奇妙なやり取りは、今のところ、誰の目にも触れていない。

「でも、そうすると……これからどうしましょう?」

 愛用の棒を持ったレビが、不安そうに三人を見回して問う。彼らも互いを見て沈黙した。

 結局のところ、みな同じことで悩んでいたのだ。ファイネまで来て完全に行き詰まってしまった。この先の指標になるようなものは、何も得られていない。

「ゼノン山脈に行ってみたらどうだい?」

 はきはきとした声が割り込んでくる。ディランたちが視線を巡らせると、『家』の奥の方から、ジエッタが歩いてきていた。レビが棒をにぎりなおしながら、彼女に問う。

「ゼノン山脈? また、どうしてですか?」

「だってあんたたち、今、竜について調べているんだろう」

 ジエッタはそう言って手を振る。レビはまだ首をひねっていた。が、ゼフィアーとトランスは、おもしろそうにうなずいている。

「ふむ、そういうことか」

「はっはあ、なるほどね」

 理解を示し、うなずきあう二人。その奇妙な連帯感に、対抗心を刺激されて、そして戸惑って、レビがわたわたと二人を見比べた。

「だ、だから、どういうことですか!」

 自分が置いてきぼりにされる状況が我慢ならなかったらしい。レビがとうとう、叫ぶ。だが、彼の問いに答えたのは、ゼフィアーでもトランスでもない。

「『竜の息吹に枯れた大地、来訪者を拒むがごとく広がる砂漠の先に、そびえるは緑なき山々だ』」

 少年の声が、うたう。

 ディランは、懐かしい日々を手繰り寄せるように目を閉じた。

 息を吸い、声を出す。穏やかなが、空気を叩いた。

「『高く、低く、立つ山々は、荘厳にして、凶悪。密かに住まう生き物の姿を、静かに確実に、隠し続けている。

 怒りのしゅ、炎の竜、偉大なる主竜しゅりゅうイグニシオよ。

 彼に従いし炎熱の竜たちよ。

 その紅き姿は、いずこに――』」

 それは、どこかの探検家が書いた手記だという。

『暁の傭兵団』への護衛の依頼に対する報酬のひとつとして、団が貰い受け、以来、忘れられたように、書庫に収められていた。

 セシリアは、ディランに文字を教えるとき、そういった本を引っ張り出してくることも多かった。そして、心幼く無知だった彼は、無名の探検家の手記を妙に気に入った。特徴は、竜についての記述が多いことくらいだが、そこにディランは食いついた。彼ののめりこみ具合を見てとるなり、セシリアは繰り返しこの手記を読み、ときには読ませた。

 だから、今でも文章と少女の声が、鮮やかによみがえってくる。

 ゼノン山脈にかかわる文を引きだしたディランは、呆然としているレビを振り返った。

「ゼノン山脈のいずれかの山に、炎の竜たちが棲んでいるっていう言い伝えがあるんだよ。あくまで言い伝えの範疇だから、信憑性は薄い……って一般にはいわれているけどな」

 言いながら、ディランはゼフィアーを見る。彼女は、下を向いて考えこんだ。

「私も実際に行ったことがあるわけではないから、確かなことは言えないな。けども、まっ赤な嘘というわけでもないと思う。足を運ぶ価値は、ある」

 砂漠越えは難儀だがな、と、ゼフィアーは肩をすくめた。その横で、トランスがまじまじとディランを見ている。その視線の意味を問うように、ディランが見つめ返すと、彼はようやく口を開いた。

「にしても、ディランよ。ほかの竜の知識はないくせに、それは知ってるんだな」

「本の内容を丸暗記しただけだ。師匠の話を聞いて久々に思い出したくらいだし」

 さらりと返したディランは、ジエッタがおもしろがるような目で自分を見ていることに気づいて、眉をしかめた。

「というか、師匠。狙いましたね?」

 かわされるのはわかっていたが、ついつい指摘してしまう。案の定、ジエッタは取り合わなかった。まったく動じずに「どうだかねえ」とはぐらかした後、真剣な顔つきになる。

「ただ、たまにはそういう言い伝えにすがってみるのも悪かないと思っただけさ。あんたたちの話を聞くに、竜の存在は確かなもののようだし。偉い竜さんは、人の言葉もわかるというじゃないか。もしも話を聴けたなら、ディランの記憶についての手がかりをつかめる可能性も、ないわけじゃない」

 ――本当に、ゼノン山脈にいたとして、その竜は人に干渉しない性質の竜だ。山脈周辺の閉ざされた環境からそれがわかる。情報が得られる可能性は、限りなく低いだろう。けれど、れいではないはずだ。

 ならば、今できるのは、残されたわずかな希望に賭けること。

 無言の中で、四人の考えはひとつになった。

「っし!」

 トランスが気合の入った一声とともに、短剣の鞘を叩く。

「なら、今度はゼノン山脈あたりまで行ってみるか! 炎竜イグニシオを探しによ」

 彼の言葉に、三人はうなずいた。

 そうして気合を入れ終わると、彼らの思考はいきなり現実的になる。まず、レビがうなだれた。

「にしても、今度こそ大変なことになりそうですね。砂漠ですか」

 ゼフィアーとディランは顔を突き合わせながら、砂漠と山脈について考える。

「まあ、砂漠の方は水と日差しに注意していればどうにかなるだろう。そう広いところでもない」

「あとは毒虫な。それと、山脈のふもとに着いてからが問題だ。どこに竜がいるかがわからない」

「運よくイグニシオに会えたとして、まともに取り合ってくれるかどうかは怪しいな。人間嫌いで怒りっぽい、というのは有名だ」

「いきなり攻撃されたら、どうしようもないですよね……」

 言えば言うほど、課題は出てくる。問題点と、対症療法的な解決策。それを淡々と議論していく二人と、時々口を挟むレビを見守りながら、トランスが肩をすくめた。

「おいおい。そこらの大人よりも、よほど真面目じゃないか。どうなってんだ、最近の子どもは」

「というよりまあ、旅なんてしてると、自然とそういう思考回路なるんだろうよ。あんただってそうじゃないのかい?」

「俺はあいつらほど考えてなかったな。今までは」

 からかうような女傭兵の言葉に、男は参ったとばかりに手を挙げる。答える声は苦々しく、けれどやわらかかった。


 その日一日は、『家』で休ませてもらい、次の朝早くに出発することとなった。

 全員が問題なく起床して、手早く荷物をまとめ、入口に集まると――

「うおっ」

 なぜか、傭兵団の面々も集結していた。見送りはあれど、団員総出ではないだろう、と思っていた四人は驚いた。冷静なトランスが、変な声を出してしまうほどである。

「みんなね、寂しいのよ」

 一行の前に出てきたセシリアが、そう言ってほほ笑む。すると、背後の団員たちが好き好きに何かを言いはじめた。それは、鼓舞するような言葉であったり、激励であったり、どちらでもない一見ばかばかしいことでもあった。彼らが騒ぐ姿は、ディランが数年前、『暁の傭兵団』を抜けたときのことを彷彿とさせる。少年は懐かしさに目を細めた。

 やがて、彼らの声がけが収まらないとわかるなり、集団の先頭にいたジエッタが手を叩いて、騒ぎを静める。彼女はゆっくりとした足取りで、四人の前まで来た。

「気をつけていくんだよ。あそこの砂漠は、広くはないけど過酷だ、というからねえ」

 ま、イグニシオの領域だから当然だが。言って彼女がにやりと笑うと、四人とも苦笑を返した。

「いろいろ、お世話になりました! ジエッタさん!」

「『暁の傭兵団』は、いい人たちばかりだったな。ありがとう」

「ま、たまにはこういうのも悪くねえだろ」

 三人がそれぞれにジエッタへ言葉をかける光景を、ディランはどこか遠い風景のように見ていた。が、自分の頭に手が置かれたことに気づくと、顔を師匠の方へ向ける。彼女は、数年前と同じ、温かい目をしていた。

「無茶するんじゃないよ、ばか弟子。あと、もっとこまめに連絡を寄越せ。これからは『破邪』のこともあるしな」

「……はい」

 ディランが小さな声で返事をし、頭を下げると、ジエッタは彼の胸をどつく。不意打ちによろめいた彼の肩に、女傭兵のごつごつした手が触れた。

「いってらっしゃい」

 短い一言とともに、手も離れる。

 胸に、陽だまりのような温かさがこみあげてくる。ディランは唇を軽く噛んでから、ジエッタの背後の団員たちを見回した。

「かーっ、これでうちも静かになるなあ!」

「せっかく女の子が増えたと思ったのに……」

 わざとそんなことを大声で言う団員たちに、サイモンが笑う。

「ま、仕方ねえさ。若いうちは色んなところに行って、色々経験した方がいいしな」

 そして、セシリアがことさら大きな声を上げた。

「みんな! また来てね!」

 首領の制止がないのをいいことに、また騒ぎ始める彼らに呆れながらも――ディランは、精一杯の笑顔で、応えた。

「いってきます!」

 彼の一言を合図としたかのように、四人は傭兵たちに背を向けて歩き出す。見送りの歓声は、徐々に遠ざかってゆく。

 荒くれ者の町は、まだ静かだ。昨日の騒乱と言う名の日常を刻んだ道には、ごみや果物の芯と思しきものも目立つ。それらすべてを、朝の風がなでてゆく。

 まだ明けきらぬ空を仰いだ後、ゼフィアーが、ディランを見やってその腕を叩いた。

「帰る場所がある、というのは、いいことだな」

「――ああ」

「ディランを見て、『暁の傭兵団』に関わって、そう思った」

 ゼフィアーが、恥ずかしそうに笑う。彼女が何を考えているのか察したディランは、茶色い頭を軽く叩いた。

「おまえも、たまには故郷に帰ったらどうだ?」

 ゼフィアーはうなずく。

「色々片付いたら、みんなを案内するぞ」

「お?そりゃ、楽しみだねえ」

「ゼフィーの故郷……どんなところでしょうか……」

「結構暗くて静かだぞ。退屈しないとよいけども」

 横から口を挟んできたトランスやレビにも、彼女は明るく笑いかける。「故郷に帰る」ことを本気で考えはじめているゼフィアーがほほ笑ましくて、ディランは思わず吹き出した。しかし、すぐに笑みをひっこめた彼は、東の空をあおぐ。空の端、地平線の上に、淡い光が灯っていた。

「そのためにも、色々思い出さなきゃな」

 焦っていた頃とは違う、静かな決意を秘めた言葉は、あけぼのの空にそっと昇っていった。



     ※



「さて」

 ディランたちの姿が完全に見えなくなった頃、ジエッタは、落ち着いた団員たちを振り返る。散ってゆく傭兵たちの中から、彼女は数人を呼んで引きとめた。

 その中で、まずは一人――サイモンが、みずから踏み出した。

「で……『破邪』や竜狩りのことは、昨日聞いたので全部なのか?」

「ああ」

「じゃあ、俺は二十二年前の大洪水以降の竜狩りの詳細をあさってみるさ」

「頼んだ」

 彼に短く頼んでから、ジエッタは、思い出したように付け足す。

「どうせ調べるなら、細かいところまで徹底的に、頼む。ただし、誰かに気づかれないように、だ。ディランと関わりのあった奴が、必ずしも表だって行動していたとは限らない」

 サイモンはうなずいて、しかし直後に、顔をしかめた。

「さすがに、一介の傭兵じゃ限度があるぜ。竜に関することを細かく調べようと思えば、王立図書館の禁制資料まであさらなきゃなんなくなる」

 苦々しく考えこむサイモンに向けて、ジエッタは、にやりと笑いかける。

「だからこそ、あんたに頼んだんじゃないか。そこは人脈と情報網を使いまくってもらわなきゃ、ね」

「そういうことかい」

 あんたなら、お偉い人間とのつながりともあるだろう。『烈火』は、暗にそう言っていた。彼女の容赦のない言葉に、サイモンは肩をすくめる。それから「わかったよ」と請け合った。彼自身、最初からこうなることはわかっていたのだ。

 サイモンの返事に満足したジエッタが、続いて指さしたのは、痩身の男だ。

「で、ノーグ」

「へいっ」

 威勢よく返事をしたノーグに、ジエッタは無造作に指示を出した。

「あんたは、『破邪の神槍』について探りな。傭兵団そのものから、現在の団員たちの詳細まで」

「了解っす」

「ただし、表には知られてない連中だからな。彼らとつながりのある傭兵に探りを入れるか――最悪、本人たちに近づいてもらうこともあるだろう」

「えっ!?」

 それまで元気よくうなずいていたノーグは、最後の言葉で、直立不動の軍人のように固まった。それから、さっと青ざめる。

「あのおっかねえ連中のところに入りこめって!? むりむり、無理っすよ!」

「焦んな。あくまで最終手段だ。それに、万一潜入ってことになっても、ノーグなら平気だろう?」

 ジエッタの投げやりな言葉に、サイモンが神妙な顔でうなずく。

「確かに。こいつ、妙に悪運強いしな」

「そうそう。丈夫だし。逃げ足速いし。どうにかなるって」

「お二人とも、ひどいっす!」

 自分などまるでどうでもいいかのように言う二人に、ノーグはとうとう悲鳴を上げた。本当に嫌そうな彼を見て、ジエッタたちは苦笑する。

 だが、『破邪の神槍』への接近を考えておかねばならぬのも、また事実だ。ジエッタは彼ら二人だけでなく、ほかの傭兵たちにも改めて指示を飛ばした。

「とりあえず、普段の仕事の合間に探ってもらう程度で構わない。ただし、少しでもわかったことがあったら、すぐあたしに言うことだ。いいね!」

 首領に選び抜かれた傭兵たちは、威勢よく返事をして散っていく。

 その後ろ姿をジエッタが黙って見ていると、隣にセシリアがやってきた。彼女は、不安そうな瞳をジエッタへ向ける。

「首領……」

「わかってる。調べる、ってだけだ。あたしはあいつの味方だよ」

 細く、弱い声に、ジエッタは強く返す。

 ディランが竜狩りに関与していたとは思えない。

 また、カロクがなんの理由もなしに竜狩りを行っているとも考えにくい。あの、冷徹で頭の切れる男が、竜を殺すことの危険性を理解していないわけがないからだ。

「だからこそ、知らなきゃいけないのはあたしらも同じだ。そうだろう、セシリア」

「……はい」

 セシリアが、首肯する。

 あの不思議な少年を人々の中に解き放ったのは、ほかでもない彼女たちだ。だからこそ、さらされる真実から目を逸らしてはならない。あるいは、彼とともに向きあわなければならないかもしれない。

 大きな不安はある。けれど、逃げてはいけない。水の名を背負う小さな少年が、立ち向かおうとしているのだから。

 ジエッタとセシリアは、それぞれの胸中を確かめ合うように小さく手を打ちあうと、『家』の中へと戻っていった。

 かくして、『暁の傭兵団』は、旅人たちの知らないところで、失われた足跡そくせきを辿りはじめたのである。

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