21.ほころび

「――それ以降だよ。あいつが、ときどき、ぎらついた目をするようになったのは。なんというか、ものすごく焦っているようだったんだ。見ているこっちが苦しくなるくらい、自分の記憶がないことに恐れを抱くように、執拗にいろんな場所や、過去の事件をかぎまわるようになったのさ。

そんなことが一年くらい続いたかね。とうとう、あたしだけじゃなく、傭兵団の連中まで『見てられない』って言いだした。そこであたしは、あのばか弟子に言ったんだ。『傭兵団を抜けて、あちこち回ってみたらどうだ』ってね」

「ディランは、その提案を受け入れて、本当に旅に出た、ということか」

 ジエッタの言葉が、ふっと途切れたときを見計らって、ゼフィアーは呟いた。隣でレビも、ふんふんとうなずく。深刻そうに考えているのはトランスだけだ。年少の二人は以前、似たような話を聞いていたからである。

 ゼフィアーは、目を細めた。

『――深刻に考えた俺は、そのころ、ずいぶん無茶をしたよ』

 かすかに笑いを含んだディランの声が、耳の奥によみがえる。彼もまた、言っていたのだ。焦って、いろんなことをかぎまわったと。そして、少なくとも今は、師匠であるジエッタがそれを苦く思っていたことにも気づいていた。

 けれど、なぜなのだろう。なぜ、それほどまでに、焦るようになったのだろう。

「記憶、戻ってたんじゃないのか?」

 男の声が響く。ゼフィアーは弾かれたように顔を上げた。トランスが、真剣な顔でみなを見ている。自分に視線が集まったのが意外だったのか、気まずそうに言葉を続けた。

「少なくとも、熱を出してうわごと言ってたときは、自分が何者か、少しでも思い出してたんじゃないだろうか。で、治ったらそれを忘れちまった。けど『このままではいけない』っていう感覚だけは残ってて、その感覚があいつに無茶をさせた。そういうことだろ」

 さらりとした言葉が、『家』の喧騒の中にまぎれていく。そこで、レビが首をかしげた。

「ん? でも、そのとき少しでも思い出してたんなら、なんで今は忘れてるんでしょうね。ほんの断片でも、記憶が戻っててもいいと思うんですけど」

「レビ坊、そりゃ俺に訊くことじゃない。記憶喪失なんて、なったことないんだから」

「それはそうですけど」

 トランスがのらくらと追及をかわしてしまうと、レビはすねたようにそっぽを向いた。彼らのおふざけにも思える――本人たちにとっては真剣な――やり取りの横で、ゼフィアーはふと、思ったことを口にする。

「なんだか、矛盾しているな」

 ジエッタの目が自分を見たことに、少女は気づかなかった。

「思い出したいのに、思い出したくない。記憶を自分から閉ざしている。今の話を聞いていると、そんな感じがしてならない」

 思いすごしだといいのだが。そう、ゼフィアーは呟いた。本当に思いすごしであってほしかった。自分で閉ざそうとするほどの記憶は、よっぽどひどいものに違いないのだから。取り戻すことが、よいこととも限らない。

 彼女の言葉を聞いて、何か思うところがあったようだ。重い沈黙のあとに、口を開いた。

「あたしは、あんたたちの話を聴いて思い出したことがあったんだ。

不思議な子どもを拾った日に、そいつの全身にあった傷跡のことさ」

 わずかに低くなった声に、三人が背筋を伸ばす。

「変な治り方をしてたってのも気になるがね。今、言っているのはそういうことじゃない。あれは――ほとんどが、剣や槍や、投石……つまりはだ」

 彼女の言葉に、誰かが息をのむ。何も言われなくとも、彼らはその意味を察していた。

「唯一、腹にあいてたでっかい穴については、どうとも説明ができないんだがね。あいつが記憶を失う前に、と戦ってはいなかった、ということだと思うよ」

 ゼフィアーとレビは、吸い寄せられるようにトランスを見る。忘れられた記憶の奥に闇がある、と疑っている男は、困り果てたように頭をかいていた。



     ※



 翌朝――トランスは、『家』の二階の端に立っていた。目の前には、どこにでもあるような木の扉。その先に一人の少年がいることを、彼は知っている。

 先程、ここでセシリアと入れ替わりになった。彼女は気丈にふるまってはいたが、やはり疲れは見て取れた。

部屋の主の状態はだいぶ落ちついていて、わずかな時間ではあるが意識も取り戻したという。今は眠っているらしい。そういうわけなので、トランスがセシリアと交代することになったのだ。彼女の様子を目にしたこの男が、自分から言い出したのである。

 トランスは無言で扉を開く。ため息すらつかずに部屋の奥まで歩いていき、置きっぱなしになっていた椅子に、そっと腰かけた。飲み水などを置くためにわざわざ持ちこんだのであろう、小さな机に肘をついて、寝台をのぞきこんだ。

 少年の顔は、今は穏やかだ。聞こえる寝息も規則的で、苦しそうにもしていない。ただ、ときどき、何事かを呟くことがあった。声が小さすぎて聞きとれなかった。

「……俺も、君みたいな悪意の欠片かけらもない子どもを、疑いたくはないよ。そりゃあさ」

 相手には届かないと知りながら、ぼそりと言ったトランスは、そのまま頬杖をつく。そうしてしばらく、寝息を立てる少年を静かに見守っていた。


 どれくらい経った頃か、トランスにはわからない。けれど、しばらく時間が過ぎてから、布のこすれる音がした。殺風景な部屋に意識を向けていた彼は、視線を寝台の方にやる。大声が出かかったが、なんとか飲みこんだ。

 ディランが目を覚ましていた。呆けたような顔つきで、男の方をじっと見ている。彼は、ややあって、声を出した。

「……トランス?」

「おう。おはよう」

 トランスはつとめて明るく言い、手をあげた。おはよう、と戸惑ったように返した彼は、それから、眉をひそめた。

「ごめん」

 かすれた謝罪が、白い布の上にこぼれる。トランスは、ディランが何を気にしているのかすぐに気づいた。ふっと浮かんだ苦笑をすぐに消して、わざとおどけたように眉を上げる。

「ほんとにな。大変だったんだぞー? 俺たちもびっくりしたし、レビ坊なんか、泣くわ喚くわで」

 実際はそこまでひどくはなかった。レビが聞いたら顔をまっ赤にして怒るだろう。

 ディランも、冗談に気づいたのか、呆れたように笑う。

「そう、だな。みんなにも悪いことをした。師匠にも」

「ん。だからこそ、もう少し寝てろよ」

 今、下手に動かれて体調が悪化しても困る。そう思ったトランスは、わざと突き放すように言って手を振った。ディランもそれがわからないほど馬鹿ではない。素直にうなずいて仰向けになった。上掛けを強くにぎる。そこで、思い出したように言った。

「寒い」

「へ?」

 トランスは間の抜けた声を上げた。こればかりは演技ではない。そして、さすがに、焦った。

「大丈夫か? 寒気がする?」

「いや、そうじゃなくて」

 急に心配になって身を乗り出した男を制するように、ディランが手をあげた。

「この部屋自体が、冷えてる。多分」

 冷静にそう言われて、トランスの頭も冷えた。椅子に座りなおして、改めてあたりの空気を感じてみる。

 確かに、ひんやりとしていた。暖炉も何もないのだから、当然だ。寒さに強い人でなければ、寒い、と普通に思う空気である。トランスは虚空に手をかざして、あー、とうめいた。

「悪い。気づかなかった。俺、おっさんだけど寒さには強くてなあ」

「自分でおっさんって……」

 ディランは呆れた目で見てる。そして、その後にふきだした。気が抜けたように笑いながら、なんでもないことのように言う。

「まあ、ノルドパテラで育っているからな。寒さに強くて当然か」

 ああ、そうそう。と、自然に返しかけたトランスは、けれどそう言いかけた状態のまま固まった。

 なんだか、今、少しだけ声の調子が変わったような。最初にそんなことを思い、続けて内容を思い返してみて――背筋が凍りついた。

 彼が引きつって固まったその瞬間、ディランもきょとんと、目を丸くする。先程までより、わずかだが、顔が白くなった。

「あれ……? 俺、今、なにを」

「あーいやいや! 多分、俺の耳が変だった!」

 トランスは慌てて、陽気な声を上げた。そして、さっと身をひるがえし、笑顔で彼を振り返る。

 今、彼にこれ以上考える隙を与えてはいけない。なぜかそう思った。

「ちょっと待ってな。毛布と、あとなんか温かい飲み物でも貰ってきてやるから!」

 少々、不器用な笑みを浮かべて言ってから、彼は逃げるように部屋を出る。急いで、音を立てないように扉を閉めた。階段の前まで早足で歩いて、立ち止まる。

 たちまち苦々しさが表に出てきて、トランスは険しい顔になった。にらむように床を見る。これまでと何も変わらない木目がある。なのに、その不規則な木目が、彼には、迷宮に入りかけている自分の心を表しているように思えた。

 ディランの言葉を頭の中で繰り返す。

「俺……あいつに、あいつらには、貧民街で育ったとしか言わなかったよな」

 確かめるように呟くと、また先程の恐ろしさがよみがえってきた。

 ノルドパテラは、北に浮かぶ大陸の、さらに北部にある都市だ。大陸の交易を支える街である一方、裏には雑多な貧民街スラムが広がっている。その貧民街スラムこそが、かつて少年だったトランスがいたところだ。

 ディランにも、ゼフィアーにも、レビにもそこまで詳しいことは話していない。自分が北大陸にいたということすら言っていない。それなのに、ディランは先程、ごく自然にトランスの故郷を言い当てたのだ。

 彼は、顔を上げる。無意識のうちに、小さな部屋のある方を振り返っていた。

「ディラン……おまえ、いったい……」

 呟いても、答えてくれる人はいない。

 その現実に気づいた彼は、かぶりを振って嫌な思いをごまかすと、階段を駆け下りていった。

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