20.不思議な子

 団員たちの顔を見てみれば、みな、驚いているか呆れているかのどちらかだ。唯一、冷静でいるのは、セシリアくらいだろう。ジエッタは、ため息をこらえ、ふいっと横を見る。

 きょとんとして、首をかしげている少年と目が合う。――今度こそ、ため息がこらえられなかった。

「……と、いうわけだ」

 ジエッタは、そんなありきたりな言葉で、説明を強引に終える。

 ディランが動けるまでに回復してから、彼女はさっそく、この少年についての諸々を団員たちに説明したのだ。その上で、これから彼をどうするか、一緒に決めようと思ったのである。

「――やっぱり、一番大事なのは、その子がどう思ってるか、じゃないんすか?」

 気まずい沈黙の中から、おそるおそる声を上げたのは一人の少年だった。ラリーだ。まだ十三歳だが、すでに傭兵団の一員として馴染んでいる。やはり、彼としては同じような年頃の少年が心配なのだろう。不安そうな目で、ディランとジエッタを見比べていた。

 ジエッタは、一度うなずいて、ディランを振り返る。

「そういうわけだが。あんたは、どうしたいんだい?」

「……私?」

 ディランは、首をひねった。目を虚空にやる。相変わらずの無表情だが、突然、決断を迫られて困っているようでもある。そして、ジエッタが抱いたそんな印象は、実際の彼の心と大差ないようだった。

「どうしたい、のだろうな。よく、わからない」

 あっさりとした彼の言葉に、傭兵たちはざわめく。一方、ジエッタは、天を仰ぎたい気分だった。そんな彼女をディランが見た。

「あなたに拾われた命だ。だから、私は、わかるまではあなたの言うことに、従おう、と思う」

「……おいおい」

 まるで人形か何かのように感情のこもらない態度だったので、ジエッタは肩をすくめた。けれど、直後に、ふと思う。彼はさっき「わかるまでは」と言った。ということは、少なくとも自分がどうしたいかを考えるつもりがある、ということだ。

 さてどうしよう、と思っていたとき、また団員のうちの一人が声を上げた。

「じゃ、首領ボスはどう思ってるんすか?」

 先程のやり取りが聞こえたわけではないだろうが、その傭兵は首領に聞いた。

 ジエッタは、しかたない、とばかりにしかめっ面で考えこむ。しばらく悩みに悩んで、その果てに、ぽつりと言った。

「記憶もない。言葉も怪しい。身寄りもない。……とあれば、とりあえず、うちで引きとってもいいんじゃないかと思う」

 いつになく歯切れの悪い言い方になってしまった。ジエッタはかぶりを振る。今回ばかりは、前代未聞の事例なだけに、団員たちがディランを受け入れてくれるかどうかが、わからなかったのだ。

 だが、女の心配をよそに、傭兵たちの間からこぼれたのは、温かい苦笑だった。彼らは、しょうがないなあこの人は、とばかりにお互いの顔を見合っている。ジエッタが、団員の反応に唖然としていると――団員たちの先頭で、サイモンが声を上げた。

「うちの首領ボスのことだからな、そう言うだろうと思ってたよ。――忘れたわけじゃ、あるまい。おまえに拾われていまだに『うち』にいついている奴ぁたくさんいるんだ。そいつらが、寄る辺のないガキを見捨てると思うのか?」

「サイモン……」

 目を見開いて、古参の傭兵の顔をまじまじと見たあと、張りつめていた糸が切れたかのように微笑んだ。

「そうだね。うん、そうだ」

 力が抜けたように呟いた彼女は、立ちあがり、ディランの頭に手を置いた。彼は変わらずわけがわからない、というような顔で、まわりに集まっている大人たちを見回している。そんな彼に、ジエッタは声をかけた。

「ディラン。あんたはしばらく、ここにいるといいよ。記憶が戻るまで……あるいは、あんた自身がどうしたいか、その心が決まるまで。それまでの間、教えられるだけのことは教える」

 少年は、傭兵を見上げた。青い瞳が、精悍な女の顔を映す。そして――やわらかく、笑った。子どもらしい、あどけない笑みだった。

「ありがとう」

 彼は、一生懸命に、そう言った。


 それからは、このディランという少年を『暁の傭兵団』で世話することになる。本人も傭兵たちも、最初は戸惑っていたものの、じょじょに打ち解けていった。それに合わせて、ディランはさまざまなことを吸収していったのである。

 ジエッタみずからが教え込んだ武術も、例外ではなかった。


 短い裂帛とともに、木剣を少年の頭めがけて打ちこむ。彼はそれを見て苦々しい顔をしたものの、すぐさま反応して、彼女の剣を受けとめた。木剣どうしがぶつかり合い、カアン、と高い音を立てる。同時に、普通ならあり得ないことだが、刀身がみしみしと不穏な音を立てた。

 彼の力とジエッタの力は拮抗している。ように見えるだけで、実際はジエッタが手を抜いているのだが。

 そのまま、両者譲らぬ押し合いが続くかに見えたが――彼が剣の方に気を取られている隙に、ジエッタは素早く右足を振って、相手の足を払った。いきなり体勢を崩された少年は、目を見開いたままよろめく。

「わっ――」

 地面に叩きつけられた彼が、声を上げるより早く、ジエッタは木剣の先を少年の喉元につきつけた。

 鋭い風の音を最後に、あたりに沈黙が漂う。二人は緊張の中でにらみあい、やがて、ジエッタがぼそりと言った。

「はい。これで一回死亡」

 ひどく味気のない、冷たいとすらいえる宣告。彼女の声を聞いた少年は、頭を抱えたそうな顔でため息をついたあと、ゆるゆると両手をあげた。

「……参りました」

「ん」

 疲れきった少年の声に対し、うなずいたジエッタは、さっと剣を引いた。それと同時に、少年――ディランが立ち上がる。

「十回やって、一本とれるかどうか、ってところですか。まだまだですね」

「それでも恐ろしい上達速度さ。たまに、ぞっとするときがあるよ」

 落ち込むディランにそう言うと、ジエッタは木剣を弄んだあと、地面に突き立てた。にやりと笑い、「ま、確かにまだまだだけどねえ」と付け足す。渋面で頭をかくディランに向きあった。

「だいたい、前にさんざん足払いをかけられたときの対処法は練習したじゃないか。忘れたのかい?」

「そればっかり訓練するのと、打ちあいの最中にいきなりぶちこまれるのとはわけが違うでしょう」

「ふーん、そうか。へーえ」

「……師匠、何か企んでません?」

「そう見えるかい?」

 呆れた目のディランに、ジエッタはにやりと笑いかける。妙にお行儀のいい弟子は、彼女の態度に何かを感じたのか、あきらめたように深くため息をついた。

 ディラン、と名付けられた素性不明、記憶喪失の少年が傭兵団にまぎれこんでから三年半が経とうとしていた。むさくるしい男たちに囲まれたおかげか、拾った当初の、貴族的で――あるいは年寄りくさい――風変りな口調はなりを潜め、立ち居振る舞いもどこにでもいる少年らしいものになりつつあった。……ふとした瞬間や、寝言などで前の口調にもどってまわりを驚かせることも、たまにあるが。

 とはいえ、行儀のよさ、サイモンいわく「傭兵らしくないこぎれいさ」は今でも残っていて、ご覧のとおりジエッタには実に丁寧な態度である。そのせいか、団の中では明らかに浮いていた。

「……あんたね、もっと砕けてもいいんだよ?」

 いつの頃からか、ジエッタはその言葉を繰り返している。今日もまた、なんの気なしにそう言った。しかし、ディランはいつもどおり、首をひねった。

「そう言われましても。師匠相手に砕けろって方が無理です。というか、これでも砕けてる方です」

「そうなのか?」

「はい。それに、『敬うべき相手には、丁寧な言葉づかいを』ってセシリアが」

「あいつか……」

 ジエッタは、ディランの言葉により、やっと気づいた。剣や格闘技や野宿の心得、そういった、傭兵らしいことを教えているのは彼女や前線に出ている団員だが、礼儀作法や文字や料理、生活の基本的な知識を彼に教えたのはセシリアなのだ。あの、物腰柔らかで、けれど生真面目な彼女なら、確かにそう言いかねない。悪いことではないのだけれど。

――とりあえず、彼女は、ディランに砕けた態度を求めることをあきらめた。木剣を拾って、くっついてしまった土を払っている彼に、ぞんざいに声をかける。

「じゃ、そろそろ休憩にしようかね」

「はい」

 はっきりした声が返ってきた。

 二人して『家』の中に入ると、それに気づいた傭兵たちから明るい声がかかる。ジエッタがひとつひとつに明るく返している横で、ディランはなぜかきょろきょろしていた。心底不思議そうな顔をしている弟子に気づいて、ジエッタもまた首をひねる。

「どうした、ディラン」

 訊くと、彼は肩を震わせてから慌てて返事をした。

「あ、すみません。その……ラリーとデニスはどこに行ったのかと思って」

「ん?」

 一瞬、言われたことが理解できず、目を瞬いた。けれど、すぐに、ディランが名を言った二人がどこにいるのか思い出して、手を打った。

「ああ。あの二人なら、仕事だよ。最近、町の周辺によく盗賊くずれが出てるらしくてね。その調査さ。ま、可能なら追っ払ってこい、って言っといたが」

「はあ」

 ディランはぼんやりとした声を返してから、窓の外を見る。

 その姿は、どことなく、行き倒れの子どもだったあの頃の姿を連想させて――ジエッタは自然と、渋面になっていた。

「その仕事、どれくらいかかるんでしょうか」

「わからない。夜には帰ってこいと言ってあるよ」

 なんでもない風を装って答えながら、女傭兵は弟子の言動を注意深く観察していた。ときどき、こんなふうに、地に足がつかないような態度になることはある。それは記憶喪失のせいだろうと、彼女も、傭兵団の者たちも考えているのだが……彼の、遠くを見るような目つきを見ていると、それだけが原因ではないような気もしてくる。

首領ボス、顔、いつも以上に怖いっす」

 横合いから団員に声をかけられたジエッタは、目が覚めたような心地になった。いつも怖いということか、と言い返そうとして口を開きかけたが――それをさえぎるように、ディランの声が響いた。

「なるべく早く帰ってくるといいんですが。これからそう経たないうちに、大雨が降ると思うので」

 その言葉に、『烈火』と称される歴戦の傭兵は、隣の団員ともども、ぽかんと口を開けた。深刻な表情の少年と、窓を見比べる。

「雨?」

「全然、そんな感じはしないけどね」

 今日は快晴だ。突き抜けるような青空に、綿あめをちぎったような小さい雲が、わずかに浮いているだけである。雨を降らせるような雲はない。ジエッタが外で彼と木剣を打ちあっているときも、湿っぽい空気や水のにおいなど、天気が崩れる予兆は感じられなかった。

 そう言ってみても、ディランは取り合わない。このときは、ただ、じっと窓の外を見て、何かを考えているようだった。

「あ、首領」

 ディランの様子を訝って立ち尽くしていたジエッタの背中に、若い女の声がかかる。振り返ると、セシリアが立っていた。そう離れた場所にいるわけでもないのに、長い栗毛をなびかせながら手を振っている。ディランも、彼女のことに気づいたのか、窓から視線を外していた。

 同時に、セシリアが微笑む。

「ディラン、借りてもいいですか?」

 その言葉に、誰よりもディラン自身の顔が引きつった。


「じゃあ、これはなんて読むでしょう」

「ええっ……と。ミルケア山の、大……何?」

「噴火」

「大噴火、な。って、なんだこの文」

 机を挟んで、ディランとセシリアが向きあっている。やけに古い本をひっぱり出してきて広げたセシリアは、彼のつっこみに、ふふっと笑った。

「約八十年前の、大災害についての記述よ。ほら、たまにはこういう、お固い文章にも挑戦しなきゃね」

「いや、かたいとかじゃなくて……内容……まあいいや」

 がっくりとうなだれた少年は、けれどすぐに気を取り直し、一生懸命に文章を読み上げていく。一節を読み終わったところで、セシリアが「よくできました」と言って彼の頭をなでた。

 もともと、こまごまと人の世話を焼く彼女のことだ。年下の男の子との授業が楽しくて仕方ないらしい。

 微笑ましくさえある二人の様子を、ジエッタは、少し離れたところでながめていた。――ふと、その視線を、遠くの窓へやる。

「本当に、雲が出てきやがりましたね」

 近くで呟いたのは誰だか、はっきりしない。だが、彼の言葉どおり、小さく見える空には黒い雲がかかりつつあった。先程までからりと晴れていたのが嘘のようである。

 そして――それから少しも経たぬうちに、雨が降り出した。

 雨はどんどん強くなり、たちまち豪雨になった。ディランとセシリアの勉強が済む頃には、雨粒が閉ざした板戸を叩いてやかましく鳴っていた。ちょうどそのときに、ラリーとデニスも転げるように戻ってきた。

「いやあ、ひどい目にあった。けど、盗賊連中も取り乱してくれましたんで」

「取り逃がしたけどな」

 陽気に言うラリーの横で、デニスがぼそりと呟く。二人から簡単な報告を受けたジエッタは、彼らをねぎらって、少し休むように言った。去っていく傭兵の背を見送ったあと、彼女の目は部屋の端にいるディランへと向く。彼はセシリアとサイモンに構われながらも、時折、外を気にしていた。


 なんの根拠もないように思えたディランの言葉が的中したことは、人々にとっての驚きではあった。が、間もなく「こいつはよほど勘がいいんだろう」という、楽観的な結論に落ちついた。それからもときどき、彼の勘が異常なほど冴えわたっていることがあったのだが、ジエッタもディランも、そういうものだろう、と大して気にとめなかった。

 それは、ある朝、ディランが「変な夢を見た」とさりげなく話しだしたときも同様だった。ジエッタとセシリアは記憶の手がかりになるかもと、夢の内容を聞きだそうとしたのだが、当の本人が内容を忘れてしまっていたのだ。だから、夢の話は雑談にしかならなかった。


 けれど――そのときすでに、「異変」は始まっていたのだろう。


 ディランが夢を見たと話した日の夜のこと。たまたま遅くまで起きていたジエッタは、今、傭兵団に届いている仕事の内容をひととおり確かめ終えると、角灯を片手に寝室へ向かおうとした。

 けれど、彼女が一階の西側にある、寝室の扉に手をかけたとき。近くで、ごとっという妙な物音がした。弾かれたように振り返って、角灯を音のした方へかざす。――淡い橙の火は、階段からおりてきたばかりの少年を照らしだした。ジエッタは目をみはる。

「ディラン?」

 彼が階段をおりてくること自体は、不思議ではない。彼にはひとりの時間が必要だろうと考え、ずいぶん前から、二階に私室をつくったのだ。それからずっと、彼は二階で寝起きしている。一階に来ようと思えば当然、階段をおりてくる。けれど、なぜこんな真夜中に一階へ来たのか。

「何してんだい、こんな時間に」

 ジエッタは、そっと彼に歩み寄ってその顔をのぞきこんだ。そして、愕然とした。

 ディランは、見たことないほど顔を引きつらせて、震えていたのだ。

「っ、どうした!?」

 ふらりと倒れこみそうになる小さな体を支え、ジエッタは問うた。ディランは答えない。ただただ震えて、ジエッタの腕に寄りかかってきていた。

「おい、ディラン。何があったんだい。また、夢でも見たのか?」

 重ねて問いかけると、ディランはようやく口を開いた。が、その内容はやはり、質問への答えではなかった。

「だ、だめだ――」

「え?」

「こ、このままでは、だめだ。私は、私は……」

 ディランはしばらく、うわごとのように同じ内容を繰り返し呟いた。このままではだめだ、と。だが、やがて、見開かれっぱなしで引きつっていた目もとが緩む。瞳が不安に揺れた。

「私は……どう、したら……?」

 それまでの狂ったような叫び声とは正反対の、消えそうな呟き。それを最後に、ディランは今度こそ倒れた。

「はっ!? おい、しっかりしろ! ディラン!」

 ジエッタは思わず叫んで、頬を軽く叩こうとした。が、そこで彼の顔がまっ赤になっていることに気づいて手を止めたのである。

 結局、ディランは翌々日の朝まで、高熱を出して寝込んでいた。

 さらに、完全に回復したのち、ジエッタが「この間の夜は、何があったんだい?」とさりげなく訊くと、ディランは首をかしげた。

「なんのことですか? 俺、変なことしました?」

 嘘偽りが感じられない声で、そう言ったのである。

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