19.水の神様

「――遅い!」

 ジエッタは、『暁の傭兵団』の拠点、通称『家』のただ中で、声を荒げた。近くにいたノーグが、びっくりして振り返る。そして後ずさりした。彼のおそれるべき首領は、眉間に深い縦じわを刻んで、目をぎらつかせ、まるで鬼のような形相で仁王立ちしていたのである。

「遅すぎる! 何をやっているんだ、今日の巡回の奴らは!」

「ま、まあまあ。首領ボス、落ちついて。きっと、おさめなきゃなんねえ揉め事が多かったんすよ」

 顔の前でぶんぶんと手を振っているノーグになだめられて、ジエッタは荒々しく鼻を鳴らした。それから、手の届くところに置いていた自分の剣をひっつかむと、ずかずかと歩き出した。あわわ、と情けない声を出すノーグをよそに、近くにいた別の傭兵が声をかける。

「あれ? 首領ボス、お出かけですかい?」

「外の様子を見てくる。本当に揉め事が多くて奴らが難儀しているなら助けてやってもいいが、違うのなら……」

 そこで言葉を切り、ジエッタはにやっと笑った。呆ける団員をかえりみることもせず、出ていく。扉を乱暴に開け、閉めた。


「……ひょっとして、今、すっげー機嫌悪かった?」

「そうだよ。頼むから、ちょっとは空気読め」

 残された団員たちの間で、そんなやり取りがあったことは――あたりまえだが、ジエッタは知らない。


 町は今日も変わらず、物騒なざわめきに包まれている。が、空には黒々とした雲が低くたれこめていて、人々の不安をあおるような空気を醸していた。寒風が吹き抜けて、ばさばさと、布が大きな音を立てた。ジエッタが振り返ると、四角い家の軒先に太い糸が渡してあって、そこに、洗いたての衣服が並んで干されている。

 家の者だろうか。洗濯物を見上げた女が、嫌そうに首を振っている。

 彼女の前を通りすぎながら、ジエッタは、空を見上げた。雲はやはり黒ずんでいて、恐ろしいほどの速さで流れている。

「嫌な空だね」

 ぽつりと、呟いた。

 けれど、実際のところ、彼女にとって空模様は、仕事中でもない限りどうでもいい。今やるべきことを、やるだけだ。

「さて。馬鹿どもは、どのへんにいるのか」

 言いながら、ジエッタは歩き続ける。靴底がならされた砂地を踏みつけて、ざりっと嫌な音を立てた。

 一応、町に不埒者がいないか観察しながら、そして人々に聞きこみをしながら、ジエッタは歩いた。そして、進んでいるうちに、町の外へと出てしまったのである。傭兵たちの獣道をわざとそれてしばらく歩くと、ようやく、見覚えのある背中が複数見えた。何やら、おろおろと話しあっているようである。

 ジエッタは思わず舌打ちをしていた。少し足を速め、彼らに追いつく。

「何してるんだい、おまえたち。巡回はどうした」

 厳しく、かつ冷静な声を心がけながら呼びかける。数人の団員は、飛びあがるように振り返った。

「あ、首領ボス!」

「こんなところまで見て回るとは勤勉だが、ここはそんなに時間とらないだろう。連絡も寄越さず、何をやってるんだ」

「そ、それが……」

 先程、声を上げた男が、とたんに言い淀む。それと同時、団員たちの視線が、一斉に下に向いた。ジエッタは彼らの視線を追って――眉をひそめる。

 団員たちを挟んで反対側。土のうえに、子どもが倒れている。男たちが情けなくも戸惑っているということは、まだ生きているのだろう。死んでいるなら通りすぎるなり埋葬するなり、してやればよいのだから。

「そういうことは早く言え! それこそ『家』に連絡しろ! いつも言ってるだろうが!」

 ジエッタは、団員一人ひとりの頭にげんこつを落としながら、子どもの方へ駆け寄った。屈んで、まずは脈を確かめようと手を出しかけて――子どもの顔が、わずかにこちらを向いていることに気づく。同時に、その珍しさに目を瞬いた。

「……ガキか。変わった髪の色だね。青か黒か、どっちだこれ」

 土に汚れてわかりにくくなっていたが、子どもの髪は、うっすらと青みがかかった黒だ。そんな髪の人間をジエッタは見たことがなかった。

首領ボス、今気にするのそこじゃないですよ!」

 だが、女傭兵の好奇心に、男たちが容赦なく水を差す。ジエッタは、ため息をついた。

「わかってるさ。ほれガキ、あたしがわかるかい?」

 言いながら、ジエッタは子どもの顔をのぞきこむ。幸い、意識があるのはわかっていた。ならば、それがどの程度のものか、確かめねば。子どもの、生気のない瞳が動く。ジエッタが見えてはいるようだ。

 彼女は初めて彼とまともに向き合い、にやりと笑った。

「へえ。顔立ちも変わってるね。北大陸の奴かな。

――あんた、自分の名前が言えるかい? ゆっくりでいいから、言ってごらん」

 なるべく、優しくうながした。すると、子どもの口が、小刻みに震える。

「な、まえ」

 かすれた声が聞こえた。発音もたどたどしい。言葉がわからないような年齢には見えないが、とジエッタは眉をひそめたが、気にしないことにした。何らかの事情で極端に人と話す機会が少なかったのであれば、言葉がわからなくても不思議ではない。

 けれど、続く声は、ジエッタのそんな想像をはるかに超えるものだった。

「なまえ、わから、ない……」

「――え?」

 今、とんでもない言葉が聞こえなかったか。

 ジエッタは呆けたように聞き返したが、そのときにはもう、子どもは顔から地に伏せっていた。どうやら、意識を失ってしまったらしい。かぶりを振って、驚きをごまかすと、すぐに立ち上がった。呆然としている傭兵たちを振り返る。

「とりあえず、こいつを『家』に運ぶよ! 手伝いな! あと、誰か先に戻って、セシリアに知らせろ!」

「え……連れていくんすか!?」

「生きてるんだ! 放っておけるか!」

 怒鳴り声を叩きつけると、彼らは「へいっ」と生きのいい返事をして動き始めた。「まーた首領ボスの悪い癖だよ」という呟きがどこからか漏れたが、聞かなかったことにした。

 泥にまみれた子どもを担ぎあげながら、ジエッタはぐるぐると考える。

 名前がわからない。

 それはつまり、名前を与えられなかったのか。捨てられたか、売られたのか。

 あるいは――

「いずれにせよ、厄介なもん拾っちまったねえ」

 か細い呟きは、誰にも聞かれず、曇天の中に溶けた。


『家』に戻ると、すでに準備を整えたセシリアが待ちかまえていた。相変わらずの手際の良さに舌を巻いて、ジエッタは子どもを彼女に預けた。その後、自分はやるべき仕事を淡々と済ませる。セシリアも今日はひとまず、厨房の仕事を手伝いの若者に任せるようだ。

 そして、夕飯の時間が近くなった頃。セシリアが、ジエッタに会いにきた。髪を肩口まで伸ばした少女は、不安そうに首領を見上げている。

「どうしたんだい? ガキに何かあったか?」

「い、いいえ。あの子、今は、脈も呼吸も落ちついていますし、顔色もいいです。……お水と薬も飲ませました。けど、その……ちょっと、信じられないことがあって。首領にも見ていただきたいんです」

「ほう?」

 ジエッタは、眉を上げた。しっかり者のセシリアが、このように歯切れの悪い物言いをするとは珍しい。よほどのことだろうと判断して、彼女は、少女とともに医務室へ急いだ。

 件の行き倒れの子どもは、医務室の一番奥の寝台に寝かされている。一応、と置いてあった衝立ついたてをセシリアがどかして、ジエッタを奥へ招き入れた。

 服が破れて汚れてめちゃくちゃになっていたせいだろうか。今の子どもは、上半身裸だった。寒くないように、と布をかけてある。それをセシリアは、少しだけ、取り払った。その下をのぞきこみ――ジエッタは、息をのむ。

「な、なんだい、これ……!」

 なんということか。ジエッタたちは気がついていなかったが、彼は全身に傷を負っていたのである。

 しかし、ふだんであれば、多少の怪我でも歴戦の傭兵である彼女なら気づける。怪我をしていたならしていたで、その場で応急処置を施した。それができなかったのはなぜか。簡単な話だ。

 彼の傷は、すべてがふさがっていたのだ。

 今は、痛々しいあとだけが残っている。剣で斬られたような肩の傷も。全身に点在する刺し傷も。そして何より――腹に、かつてあいていた、信じられないほどの大穴も。

 傷跡から見て、まだ新しいもの、のように見えた。それに、腹の穴などは、何もしないでこうもきれいにふさがることはあり得ない。ジエッタは、めまいを覚えた気がして、頭を押さえた。

「どうなってるんだ。誰かが治療したのか?」

「わ、わかりません。でも、治療だけして放り出すなんてしませんよね、普通?」

 言いながら、セシリアは白い布をかけなおす。その目つきは真剣なものになっていた。

「それにこの傷……人の手で治療した痕跡がないんです。縫い合わせたとか、包帯を巻いたとか、薬を塗ったとか、そういうのが、まったく……」

「自然治癒ってことか!? 馬鹿な!」

 そうなるとますますあり得ない。ジエッタは愕然として、子どもを見下ろした。

 こちらの戸惑いなど知るよしもない彼は、見た目、穏やかに眠っているだけのようにも思える。けれど、そこに拭いきれない不安を感じて、ジエッタは、今日一番の大きなため息をついていた。


 夕食の後。ジエッタは、セシリアと入れ替わるように子どもの様子を見に来ていた。そのときは、子どもの意識はまだ戻っていなかったので、ジエッタは大人しく寝台の横に座ると、持ってきていた資料をぱらぱらと、めくりはじめる。

 そうして、どれくらいの時が経っただろうか。穏やかな沈黙が、破られた。

 空気が動いたような気がしたジエッタは、はっと、寝台を見た。ゆっくり立ち上がり、子どもの顔をのぞきこむ。

 目を、開けていた。

 深い青色の瞳を、呆然と天井に向けている。

「……起きたかい?」

 こみあげてきた諸々の感情を飲みこんで、ジエッタは、それだけ問うた。彼の目が、そっとジエッタをとらえ――そこでようやく、目に光が戻る。

「女の、人。あのときの……」

「ほう。覚えていてくれたか」

「ここは……?」

 子どもは、軽く身じろぎした。首をかしげたつもりだったのだろう。ジエッタは、虚空に視線を投げながら、答える。

「『家』だよ。あたしらの――『暁の傭兵団』の」

「傭兵団……そうか」

 子どもは驚いたように言った。心なしか、目が輝いているような気がする。ずっと見たかったものを見られたときの幼子おさなごのような、そんな顔だ。傭兵団は理解できるのか、と思いながらも、ジエッタはふきだしそうになった。けれど、すぐに違和感を覚えて首をひねる。

 今はその違和感を忘れようとした。まずはやるべきことがある。

「ちょっと待ってな。今、うちの『医者』を呼んでくる」

 それだけ言い残して、ジエッタはセシリアを呼びに走った。

――勤勉な少女は、すぐに駆けつけてくれた。子どもの体のどこにも異常がないことを確認して、二人揃って、ほっと安堵の息を吐く。

 ただ、異常といえば、ひとつだけあった。体以外のところに。

「で……あのとき、あんた、『名前がわからない』って言おうとしただろう?」

 ジエッタは、質問した。セシリアの顔にも緊張が走る。

 子どもは相変わらず寝たままだったが、頭ははっきりしているのか、はきはきと答えた。

「そうだ。わからなかったから、わからないと言った。言おう、とした」

 どことなく、発音がずれているところもある気がしたが、今は誰もそれを気にしなかった。

「あれは、どういう意味だい」

「どう、いう意味? そのまま、だ。私は、私がわからない」

 言って、彼は、自分の顔の上に手をかざす。

「あなたが、『医者』様を呼びに、いってくれている間にも考えた。けど、考えようとしても、まっくらだ。まっくらで、何も出てこない。名前も、誰か、も、どこにいたか、も」

 彼は淡々と、そして、やたら回りくどく言っているが、つまりは。

「記憶喪失……何も思い出せない、ってことか」

 ジエッタはそう、結論付けた。子どもは、まるで他人事のように、答えた。

「そういう、ことだな。おそらく」

 妙に落ちついている。ジエッタは、呆れたように、自分の上でひらひらと手を振っている子どもを見た。そしてはたと、先程の違和感の正体に気づく。

「変わった喋り方をするんだね。実は、どっかの貴族のお坊ちゃんか?」

「なんだ、それは?」

 からかったつもりが、本気で不思議そうにされた。ジエッタは、彼の無表情をどうにかするのを、ひとまずあきらめた。

「しゃべりかた、か。私にとっては、これが普通だ。……普通、だった、のか」

 どこまでも平板に響いていた声は、終わりでふっと揺らぐ。そこで、はじめて、彼がわずかに顔をしかめた。思い出せない、という事実を改めて突きつけられたようだった。

 ジエッタと、セシリアはなんとも言えず顔をしかめた。重い空気を変えるようにジエッタは膝を叩いた。

「とにかく。これからどうするか、とか、山ほど考えなくちゃならないことはあるが、それはあんたが回復してからの話だ。今は体を休めな」

「……わかった。私も、すこし疲れた」

「そうだろう。ゆっくりおやすみ――『ディラン』」

 最後の最後で彼女が振り返ると、セシリアも、子どももきょとんとしていた。セシリアが、繰り返す。

「ディラン? それって、ひょっとしてこの子の」

「あくまで暫定ざんていだ。気に入られなければあとで変えるさ」

 言ったあと、ジエッタは少しばかりもったいぶって、天井を見る。

 それから、昔話を語るような声音で、話した。

「この世界にはさ、竜ってのがいるだろう? その竜の中にも、人間に名前がよく知られている竜がいるのさ。その一頭が、水の竜の一角をまとめる、水竜すいりゅう――ディルネオ。ディランってのは、そのディルネオにあやかった名前さ。

だから、『水の神様』っていう意味を持つ」

 息を吸って、子どもを見下ろす。

「ほら、あんた、全体的に青っぽくて水みたいだろ。だからさ」

 子どもはしばらく、呆けたようにしていた。けれど、やがて、ふっと笑った。

「……ディラン。うん、ディラン、か。それが、私か」

 よくわからないが、嬉しそうだった。

 ジエッタはそのことに満足して、さっさと歩きだす。

「それでいいならとっとと寝な。セシリア、あとは頼んだよ」

「あ、はい!」

 元気な少女の返事を聞きながら、ジエッタは医務室を出る。

 これが彼女と一人の少年の、数奇な日々のはじまりだ。



     ※



 首領が去ったあとの医務室。

 残されたセシリアは、気遣うように寝台を振り返って――目をみはった。

「ディラン……?」

 目を開けて、天井を見ていた少年は。

 静かに、涙を流していた。

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