8.咆哮

 ディランたちは、急いで外に飛び出した。焦る気持ちをおさえながら、まずはオルークの様子を確かめる。

 めったに起きないはずの地震のせいで、街は不安のざわめきに包まれていたが、逆に言えば、異常はその程度だ。けれど、なぜか、ディランにはそれとはまた別の違和感があった。空気が変だ、と思ったのだ。

 ゼフィアーの感覚はさらに鋭敏だった。街の様子を見終えるやいなや、遠くの空をにらみつける。

「街の西だ」

 ディランとレビは、怒りを両目にたぎらせて空をあおぐ少女を振り返る。

「竜がいる。傷を、負っている」

 刃のような声が、くうを切り裂いて響く。爛々らんらんと光る金色の両目は、まるで太陽のようだった。ディランはうなずくと、すぐ二人に声をかけた。

「行ってみよう」

――もちろん、素通りするという選択肢もあるのだ。見て見ぬふりをして、通り過ぎることもできる。けれど、ディランも、レビも、ゼフィアーも。そうして目をそむける気は、みじんもなかった。

 三人は走り出す。まずは宿に戻って、荷物とレビの武器をとってこなければならない。ディランは、早鐘のように鳴る心臓の音を聞いた気がした。


 三人は走った。頼りはゼフィアーの感覚だけだ。彼女は血筋の影響か、こと竜に関する気配にはとても敏感らしい。魂が砕かれていないこと、つまりは竜がまだ生きていることまで、遠くにいるのにすぐ感じとってしまった。

 砂利の多い道だ。足をとられないよう気をつけながら走っていると、やがて、遠くに山が見えた。黒々とした山は、どこかさびしい。

「あれ、もしかして鉱山か。だいぶ前に閉山されたっていう」

「うむ。今はもう、人は寄りつかないはずだが」

 答える声は、かたい。必死に感情を押し殺していることが伝わってきて、少年の胸が、ちくりと痛んだ。

 砂利道は長かった。その間にも緊張はどんどん高まり、レビなどは顔色が悪くなっていく。ディランも、心臓がはりさけそうになるのをなんとかこらえながら、ひとけのない鉱山を目指した。

 しばらくすると、視界がひらけた。それと同時に、遠くから金属の音と怒号のようなものが聞こえてくる。三人は、互いに顔を見合わせた。――間違いない。

 あたりまえだが、人と竜が交戦している場所は、鉱山の外側のようだった。三人は息を殺し、一歩ずつ、音の方へ近づいていく。

「今だっ!」

 低い声が、激しく耳を打った。ディランたちは反射的に立ち止まる。岩陰に身を潜め、声のした方を慎重にうかがった。

 目に飛びこんできた光景に、息をのむ。

「あれは……っ」

 ゼフィアーの声が震えていた。

 確かにそこは、小さな戦場だった。人が武器を構え、竜がそれを迎え撃つ。三人がいる位置からだと、人は豆粒のように見える。ひとりではなく、数人いた。そのうちの三、四人は倒れている。

 対するは、茶色い鱗をもった、岩石を思わせる竜だった。しかも今回は二頭いる。どちらも深手を負っている。翼にも何度も切りつけられたあとがあり、これ以上は動けなさそうだった。

 ディランとレビは、今にも駆けだしそうなゼフィアーをどうにかおさえながら、さらに目を凝らす。

 竜たちが低くうなった。彼らの声を聞いてのことなのか、竜にもっとも近い一人が、一歩を踏み出す。手にした長槍の穂先が不吉にきらめいた。

「――なかなかのものだったが、そろそろ限界のようだな」

 低い男の声。つい先ほど聞いたものと、同じだ。

「これ以上、我らの地を荒らすことは許さん」

「ふざけるなっ!」

 竜が怒鳴り声を飛ばす。驚いたことに、それはたどたどしいながら、人の言葉だ。

「何をもって、人の土地と言う! その地を守るはずの我らが同胞を、散々けがしておきながら!」

 叫びは、悲痛だった。怒りとは別に、何かを訴えかけるように空へ響く。けれど、男は竜の問いに答えない。無言で槍を構えて、それからようやく、口を開いた。

「貴様らが、かつて人の営みを破壊したことは事実だろう。今さら何を言ったところで変わらん」

 男の足に力がこもり、

「終わりだ」

 槍が、ゆっくり後ろに引かれた――


「やめろっ!!」


 よくとおる声がその場に響き渡ったとき、ディランは強い衝撃を感じてよろめいた。ゼフィアーが、彼の制止を振り切ってとびだしたのだと、すぐにわかった。

「あの、馬鹿……」

 いつかのようにディランはうめく。レビともども、すぐに駆けだせるように身がまえた。

 一方、突き出されようとしていた槍の前に出たゼフィアーは、必死で男をにらんでいた。視線で人を射殺せるとしたら、男は死んでいたかもわからない。だが、その男は驚きに目をみはってはいたものの、冷静にその場に立っていた。一度槍を下げて、ひややかに少女を見下ろす。

「娘、どけ。邪魔をするな。ここは子どもが来るような場所ではない」

「ひかぬ!」

 ゼフィアーは、男の忠告を切り捨てた。両腕をのばし、竜たちをかばうように立つ。男が、ほんの少し、不快げに目を細めた。

 背後の竜たちが、わずかに動く。彼らが驚く気配をゼフィアーは感じていた。

『人間の娘……まさか、つたえの者か?』

 竜の口からこぼれたのは、今度は、耳慣れない言葉だ。竜の知識がある者からは、竜語――あるいは、「ドラーゼ」と呼ばれる言葉。

 ゼフィアーは前を向いたまま、彼らの言葉で返す。

『大丈夫だ。先祖のような力は使えぬが、絶対、助ける』

 竜は沈黙していた。それでも、彼らが意外に思ったのは確かだろう。まさかここに伝の小娘が割って入るとは、誰も思わない。ゼフィアーは改めて、男と対峙する。彼はまた、驚いたようにしていた。

「竜語を操るか……ただの娘ではなさそうだ」

 細められた目に、警戒の色がにじむ。少女の手は、無意識のうちにサーベルの柄に伸びていた。相手もまた、槍をゆっくりと構えなおす。だが、二人が衝突する前に、誰かが男を呼びとめた。

 そして、次の瞬間、刃の鋭い一撃が、ゼフィアーに迫っていた。

 息をのんだ彼女は、それでもすばやくサーベルを抜き、刃を弾いていた。甲高い音が響き、続けて、何者かの靴が砂地をこする。ゼフィアーは、攻撃がきた方向に武器を向けた。

 だが、強気だった彼女の目が、そのとき、揺らぐ。

「えっ?」

 唖然とするゼフィアーの目の先で、男の横から、二人の人物が踏み出してきた。


「ちょっと……なんであんたが、ここにいるわけ?」

「あーあ。来ちゃったかー」


 不機嫌な声と、明るい声。そのふたつは、ゼフィアーの記憶に、まだ、鮮やかに残っていた。サーベルの切っ先が震えた。両目に灯っていた意思の光が薄らぐ。

「お主ら……なぜ……」

「なぜ?」

 うっとうしそうな声と態度で、ひとりが曲刀を振る。つり目はますます険を帯びていた。彼女は、チトセは、吐き捨てるように答える。

「なぜも何も、これがあたしたちの本業だよ」

 そこにもう一人が、センが続く。

「残念。俺たちのこと、ただの傭兵団だって、思っててほしかったんだんだが」

 彼らの胸に光るのは、竜を貫く槍の紋章。その意味に気づいたゼフィアーは、愕然とした。そう時間が経たないうちに、驚愕は怒りに変わる。彼女は再び、自分の得物を力強くにぎった。手の骨が白く浮き出るほどに。


「『破邪の神槍』は、竜狩人の集団だった、というわけか!」


 叩きつけるような怒声に、けれど、動じる人は一人もいない。わずかな時間の沈黙のあと、センがにやりと笑った。

「そういうこと」

 見慣れぬ剣を静かに構える。

「だからな。正直いって、『伝の一族』の末裔なんてのは、邪魔者でしかねえのよ」

 男の姿が、ぶれる。ゼフィアーは思わず固まった。空気のうなりを感じてとっさにサーベルを振るうが、直後、とんでもなく強い力を叩きつけられて、よろめいた。うめいたゼフィアーのすぐ目の前に、センの顔が現れる。

「だめだ。あんたじゃ足りねえな」

「っ、お主は」

 ゼフィアーはほぞをかんだ。

 そもそも、センが恐ろしいほど速く、強いことは、森での一件で痛感していたはずである。しかし今は素性を隠されていた衝撃で、そのことを思い出せずにいたのだ。冷や汗を頬がつたう。これは、まずいかもしれない、と頭の片隅で考えた。それでも今、ここで逃げに転じないのは、後ろに竜がいるからだ。

 永遠のような一瞬の中で、またセンの剣がうなる。来るであろう衝撃にそなえて、ゼフィアーはサーベルを胸のあたりにやった。

 しかし、勢いよく振られたセンのつるぎは、ゼフィアーの前に躍り出てきた影によって弾かれる。センは目を見開いて、とっさの判断で後ろに下がった。彼の口の端が、いびつな笑みのかたちにつりあがる。

「くっそ……一番、面倒くさいのが出てきちまった」

「今さら何を言ってるんだか。ゼフィーがここにいる時点で察しろよ」

 青みがかった黒髪がそよ風になびき、青瞳せいどうが敵を映して険しく光る。

 かつて少女の護衛だった少年は、今また、彼女を背にして立っていた。

「ディラン……」

 ゼフィアーは泣きそうになるのをこらえながら、名を呼んだ。

 ディランはそれに対して肩をすくめてこたえる。

「まったく。おまえ、竜のこととなると本当にまわりが見えなくなるな」

「すまない、ほんとに」

 ゼフィアーがしおれるようにうなだれた。一方ディランは、苦笑する。だが、すぐに表情を引きしめた。

 苦々しくしているセンの後ろから、曲刀を手にとびだしてくる影を見たのだ。

「こいつ……っ!」

 剣と刀がぶつかり、互いが互いを勢いよく弾く。下がったチトセは、すぐその足で地を踏みしめ、足をばねのように使って飛び上がった。ディランは剣を振るおうとしたが、そのとき、最悪なことに気づく。センが踏みこんできたのだ。

 まずい、とそう思ったのは、少しの間だけだった。岩陰から棒を手にしたレビが出てきて、その棒でチトセの刀をすくいあげたのだ。きぃん、と澄んだ音が響く。チトセは今度こそよろめいて、辛うじて着地はしたが、大きく体勢を崩していた。彼女は歯ぎしりして、食いかかるように、レビへ怒鳴った。

「この……邪魔しないで!」

「前にセンさんにも言いましたけどね。この状況で邪魔しないわけがないです」

 レビとチトセの間に火花が散る。その横で、ディランはセンの攻撃をしのいでいた。自分の剣で相手の剣を防いだあと、距離をとって、蹴りを突き出す。センはそれをとびすさって避けてしまったが、ディランは深追いしなかった。

 ディランとレビ、チトセとセンが、それぞれ並んで対峙する。

「最悪だ」

 センが肩をすくめて呟いた。

 ディランは首を振る。

「それはこっちの台詞せりふだ」

「ディランの『竜狩人関与説』が濃厚になりましたね。本当に、最悪です」

「言うな。わざとだまってたのに」

 ディランは、レビの頭を小突きたくなったが、剣と拳を構えている状態なので、それはできない。文句を言うにとどめておいた。

 すると――それまで静観していた、長槍の男が、踏み出てくる。

「今日は珍客が多いな」

「俺もそう思う。なあ首領おかしら、こいつ、殺したら怒るよな。見極め対象だし」

 センに言われて、男はディランをじろりと見てくる。チトセ以上に鋭いつり目は、底の知れない圧力をもっていた。

「そうだな。……だが」

 槍が、ゆっくりと持ちあがり、穂先が三人の方に向けられる。


「我らの仕事の邪魔をしたのだ。腕の一本がなくなるくらいは、覚悟してもらおうか」


 宣戦する声は、恐ろしいほどに静かだった。

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