3.魂、砕けて

 黒雲が流れ続けて、山に、平原に、容赦なく雨を降らせる。雲が絶える気配はなく、雨脚は強まるばかり。今はもう、水のせいで景色がかすんで見えるほどだった。

 けれど、そんな中で、ディランは立ち尽くすことしかできずにいた。彼だけではない。レビも、ゼフィアーもその場に凍りついたまま、動けなくなっていた。

 彼らの前には変わらず、竜の巨躯が横たわっている。生命の輝きはなく、もはやただの抜けがらだ。流れきって固まっていた赤黒い血液が、雨水に流されて薄らいでいく。暗い空のもと、青い鱗が鮮明に浮かびあがってきた。

 そこでようやく、レビが口を開いた。

「こ、これって……りゅ、竜ですよね。そうですよね。本で見たのと、同じです」

 豪雨の音にかき消されそうな声は、けれど少年の混乱しきった心の中をあらわすかのように、ひどくうわずって震えていた。ディランは振りかえらず、ぼんやりとしたままうなずいた。わずかに棒を引きずる音が、聞こえる。

「な、んで、こんなことになってるんですか。竜って、強くて丈夫な、生き物なんでしょう」

「そんなの俺が聞きたい」

 ディランは鋭くささやいた。けれど、すぐに後悔して、首を振る。

 混乱しているのは自分だけではない。取り乱して、怒りをぶつけたところで、何も変わらないというのに。

「――ごめん」

 ディランは一度、深呼吸をして、背後で呆然としているであろうレビに対して詫びた。それから、立ち上がる。座りこんで動かなくなったゼフィアーを追い越して、竜の前に立った。まだ彼女よりは落ちついているレビが、あとに続く。

 ディランは考えるより先に、巨体にあいた穴をにらんでいた。

「この傷だ。どう考えても自然死じゃない。ほかの何かに殺されたんだ」

「殺されたって! 竜を殺せるような生き物がいるんですか」

 レビが悲鳴のような声を上げる。が、そのすべてを出し切る前に、目をみはった。ディランもまた、はっとして振り返り、少年の顔を見つめる。

 二人は、まったく同じ答えに辿り着いていた。

「……竜狩りゅうがりだ」

 ディランが呟く。レビはそれを聞いて――実感がわいてきたのだろう。歯を食いしばり、棒を持つ両手に力をこめた。少年の小さな手が、怒りに震えている。

「これが、竜狩り?」

 炎をたたえる両目が、竜の亡骸を焼きつけて、歪む。

「こんなの、おかしいです」

 今までになく、鋭く強い声が、暗澹あんたんとした空気を切り裂く。二人の後ろで、ゼフィアーの肩がかすかに動いた。

 そのとき、レビの怒りの気配がふっと緩んだ。彼はしゃがみこんで、竜をまじまじと見つめる。何かに気づいたようだった。

「でも、『狩り』っていうわりには、殺してそのまま放置ですよね……。鱗がはぎとられた様子もないですし」

 言いながら、レビは自分で顔をしかめている。あまり快くない場面を想像してしまったのだろう。ディランも重いため息をもらした。自分の推測を述べようと口を開きかける。

 だが、別の声が先に言った。

「――

 よく通る声が、雨音を揺らす。ディランとレビは同時に振りかえった。座りこんだままのゼフィアーが、しかし、顔を上げて険しい目でどこかをにらんでいる。

「本来の竜狩りは、そういうものだ。殺すためだけに殺す。怒りを、憎しみをぶつけるために」

「怒り、憎しみ……」

 呆然と呟くレビの横で、ディランは目をすがめた。

「七百年前の争い、というやつか?」

「うむ」

 ゼフィアーがうなずいた。そして、ようやく立ち上がり、服についてしまった泥を払う。まだ感情の乱れは見てとれるが、説明的な話をしたおかげか、先程までよりは落ちついていた。

「だいたい、七百年ほど前、といわれているが。人間と竜は、領地というべきか、住処の範囲を巡って争ったそうだ。行きすぎた森林の開拓などで自然の均衡が崩れて、竜たちがそれを保つのに苦労していた。だから人間に苦情を申し立てたんだが、人間は人間で『生活がある』と譲らなかった」

「それで、争いに発展したと」

「最初はお互い、どうにか丸くおさめられないかと考えたようなんだがな。いよいよ、竜が悲鳴を上げたんだ。それで一部の種族同士のけんかが、やがて大規模な紛争に発展して――その果てに、最初の竜狩りが行われた」

 だから、『殺すために殺すのが本来の竜狩り』というわけだ。締めくくったゼフィアーの口元が歪む。何かを、いや、自分を嘲るような笑み。ゼフィアーがそんな顔をするのをはじめて見たせいか、ディランは胸のうちにもやがかかるのを感じていた。

 少年の思いとは裏腹に、少女は力強く首を振る。重い気分を、払い落とすのように。それから強い足取りで、竜のそばへと歩み寄った。

「ぜ、ゼフィー?」

「動揺してしまったが、やらなければならないことがある。できるかどうか、わからないけども」

 のけ反っているレビにそう言って、ゼフィアーは竜のかたわらに屈みこむ。泥の中からとがった石をつかみだして、ふやけた土に近づけた。二人の少年は不審に思いつつ、静かに見守る。

 だが、直後、ディランは雨の中にかすかな殺意を感じた。

 思考が働く前に体は動く。とっさにゼフィアーとレビの方へ駆けよった。

「伏せろ!」

「うわっ!?」

 叫ぶと同時に、レビの襟首をつかんで引きずり倒し、自分も一緒になって地面に伏せた。ゼフィアーが石を投げだして伏せるのを、目の端にとらえる。そのとき、頭上を鋭い風とともに何かが通り過ぎた。やがて、遠くで木が割れるような音がした。

「矢か!?」

 ゼフィアーの言葉で、ディランとレビはその正体を知る。ディランが先に起き上がり、そばの川のさらに向こうを見た。低木に、白い矢羽の弓矢が突き刺さっている。あのままレビと一緒に伏せていなければ、二人のうちどちらかのこめかみを直撃していただろう。

 あとからそっと身を起こしたレビも、気づいたらしい。うわ、と言いながら立ち上がって棒を構えている。

「ありがとうございます、ディラン」

「気にしなくていい。それより」

 きっぱりと言い切って、ディランは剣を顔のあたりまで持ち上げて、矢の飛んできた方を見た。ゼフィアーもそばでサーベルの柄に手をかけている。

 雨の生み出す霧の向こうに、人影がある。強い敵意をぶつけてきていた。少しして、人影の輪郭がはっきりしてくる。

 男だ。亜麻色の長髪を雑に結った、狩人のようないでたちの男。顔がはっきり見えないため年齢は判然としないが、ディランよりもだいぶ上だろう。

 その男は、三人の視線が自分に向いているとわかるやいなや、新たな矢をつがえた。そして、宣戦布告のように、低く叫んだのだ。


「小僧ども。その竜は、おまえらがったのか」


 年月の重みを感じさせる声。

 ディランも、ゼフィアーも、レビも、息をのんで固まった。とっさに言葉が出てこなかった。しかし、弓を引き絞る音を耳にして、ディランは考える前に声をあげた。

「待った! 俺たちじゃない!」

 強さを増す雨の中に、少年の声がこだまする。男は驚いたようで、手を止めた。それと同時に、ディランはゆっくりと剣をおさめた。背後の二人が慌てだす。

「ディラン!?」

「ちょ、何してるんです!?」

「落ちつけ」

 言外に、何危ないことをしてるんだ、と注意してくる二人をディランは手で制した。目だけで彼らを見る。

「あの男、恐らく竜狩人りゅうかりうどじゃない」

 ゼフィアーとレビは、ぽかんとした。

「ど、どうしてわかるんですか?」

「勘だ」

「勘っ!?」

 レビは、裏返った声で叫んでいる。なんというか、馬鹿を見るような目を向けられている気がしたが、ディランはそれを無視して、男の方に一歩だけ踏み出した。水音が跳ね返る。

「俺たちはここを通りがかったときに、すでにこと切れていた竜を見つけただけだ。断じて、手にかけたわけじゃない」

 大きく、息を吸って。相手に届くよう意識して言った。

 雨が降る。しばらく両者は動かなかった。だが、男の険しい声が返ってくる。

「通りがかった? この天候で? 平原にでっかい雨雲が迫っているのは、だいぶ前から見えていたはずだろうが」

 鋭い奴だ。

 ディランは、どうにか舌打ちをこらえた。苦々しさを隠せないまま、自然と視線が背後に向く。けれど、彼が要求をする前に、ゼフィアーが前へ進み出てきた。いつもと変わらない堂々とした態度で、雨の向こうの射手を見据える。ディランは苦笑して、ゼフィアーの頭に手をおいた。

「俺の連れがな。何を感じたのかはわからないけど、この竜のところまで、俺たちをひっぱってきたんだ。そのときすでに、竜は殺されたあとだったよ」

 答えはない。

 雨はどんどん強さを増し、気付けばあたりには、地鳴りのような雨音が響き渡っている。ひび割れた沈黙の中で、四人とも身じろぎすらせずにいた。

 けれど、その空気をまっさきに打ち破ったのは、またしても少女だった。彼女は顔をこわばらせると、ディランの手をすり抜けて後ろに戻る。

「ゼフィー?」

 ディランは後ろを向きかけて――そのとき、肌が粟立つのを感じた。

 雨のせいではない。もっと深いところから突き上げてくる鋭い寒気が、全身を駆け巡った。

 凍りつきかけたディランを、激しい水音が引きとめる。

 ゼフィアーが水と泥にまみれ、竜にすがりつくようにしていた。矢を避けて伏せたときに投げ捨てた石を手にして、必死で地面に何かを描いている。

「ゼフィー、何してる」

「い、急がなければ!」

 ゼフィアーはまともに答えない。何かを描き終えると石を放り出し、確かめるように竜を見た。顔からさっと血の気が引く。ディランたちもまた、ぎょっとした。

 竜の体から何かが出てきていたのだ。青い、光の球のような塊。透き通ったそれは、ふわふわと宙を漂っている。

「まずいっ!!」

 半ば叫ぶように言うと、ゼフィアーは自分が描いたものの上に手を置いた。そして目を閉じ、口早に何事かを呟きはじめる。

「『打ち砕かれし竜魂りゅうこんよ、己を失うことなかれ、道に争うことなかれ。

我らつたえの力をもちて、けがれにさらされし御魂、ここに清めんとする』――」

 流れるように唱えられる呪文のような一言一句は、空気を小刻みに震わせた。けれど、それ以上は何も起きない。一心不乱に口を動かしていたゼフィアーの目に、絶望とも落胆ともつかない色がさした。

 それでも彼女は唱えることをやめなかったが――ふいに響いた、硝子がらすが砕け散るような高音が、言葉を打ち消した。

「これは……」

 言葉は途切れる。ディランは、己の喉が鳴るのを感じた。

 先程まで宙に浮いていた青い球が、いきなり弾け飛んだのである。粉々になり、大小の破片になった光たちは、輝きをまき散らしながら消えてゆく。

 薄らいでいく光は幻想的にすら思える。けれどもディランは、我知らず体をかき抱いていた。体が、冷え切っていくように感じる。


 あれは、だめだ。自分の中の本能がささやいた気がした。


 唱える声をさえぎられたゼフィアーも、唖然としていたが、光がどんどん薄くなるのを見て、正気に戻る。光をつかむように手を伸ばしたが、細い指は空を切った。

 そうして光は完全に消え、豪雨の中の静寂が戻る。

「魂が、砕けた」

 背後から仲間のものではない声が聞こえ、ディランは警戒して振り向いた。そこにはいつのまにか、長身の男が立っている。雑に結われた髪と手にした弓から、先程の男だということはすぐに知れた。彼は、切れ長の目をさらに細め、絶望的な視線を虚空に注ぐ。そして、絶望は――恐怖に取って代わった。

「まずいぞ……!」

 男がうめくように言葉をこぼした直後。

 突然、あたりが白く光って何も見えなくなる。――その刹那、天地を揺るがす轟音が、彼らの耳朶じだを激しく打った。

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