4.伝の一族

 怯んでいる場合ではない。頭でわかっていながらも、ディランは反射的にうずくまっていた。鼓膜を容赦なく叩いた轟音のせいか、耳鳴りがなかなかおさまらない。ようやく、目も耳もまともになってきたところでそっと顔を上げて、彼は言葉を失った。

 彼らから少し離れた場所に、大きな穴があいている。先程まではなかった穴だ。光と音の正体は、落雷だったのだと、このとき知った。ディランはとっさに子どもたちを目で探して、無事を確かめた。幸い、ゼフィアーはちょっと顔をしかめた程度だ。彼女の場合、落雷よりも別の衝撃で呆然自失の状態だった。レビもうめきながら頭を抱えてはいるものの、体に異常はないらしい。少年は安堵の息を吐く。

 が、まったく安心していられるような状況ではなかった。

 先程の雷をきっかけに、雨が一気に強くなった。もはや、豪雨というのも生易しい。風まで吹き荒れはじめ、平原は完全に嵐に呑まれていた。

「も、もうだめです! 早くここから逃げないと!」

 レビが言いながら棒を手に立ちあがる。ディランたちを気にしつつも、本能的に走り出していた。ディランもうなずいて立ちあがり、少女を呼んだ。

「ゼフィー!」

 しかし、少女は動かない。つい、いらだって顔をしかめたディランは、そこで気づいた。

 動かないのではない。動けないのだ。震えの止まらない手足を見つめるゼフィアーの瞳は、うつろといわないまでも、いつものようなはっきりとした光はない。あの様子では、立てと言われても立てないだろう。

 どうする。ディランは迷った。けれど、その逡巡しゅんじゅんは一瞬のものだった。

 決意を固めてゼフィアーに走り寄ったディランは、小柄な少女を抱き上げて脇に抱えた。彼女はまじまじと少年を見上げ、何かを言おうとする。だが、彼はわざとそれをさえぎった。

「口、閉じてろ!」

 言うなり走り出す。靴に水が入るのを感じたが、今さらそんなことを気にしてはいられない。片手に荷物を、片腕に少女を抱えて、狂ったように足を動かし、前を行く少年を追いかける。

 正直、辛かった。人間一人と、決して軽いとは言えない旅の荷物を同時に抱えているのだ。くわえて、この暴風雨。地面も水浸しで、数歩進むごとに足をとられる。こんな状態でいつものように動けるわけがない。

 雷鳴が響く。今度のそれも、かなり近い。

 同時に、ディランは水たまりと泥に足をからめとられて、つんのめった。

「このっ――」

 無事な足に渾身の力をこめて踏みとどまる。けれど努力は報われない。結局ふんばりきれずに体が傾く。ゼフィアーが何か叫んだが、よく聞こえなかった。

 まずい、と思った瞬間、彼の体をたくましい腕が支えた。ディランが顔を上げると、弓の男と目があった。

「それ、貸せ!」

 言うなり男はディランの手から強引に荷物をひったくり、自分の肩に担いだ。よろめきながら体勢を立て直したディランは、呆然としつつ軽く頭を下げる。

「あ、ありがとう」

「……! 礼なんていい、それより死にたくなけりゃ走れ!」

 目を泳がせながらも怒鳴った男は、そのまま走り去っていった。レビすらも追い越して先頭に立ち、彼らを振り返る。

「こっちだ!」

 うなるような雨音を縫って、男の声がこだまする。ディランとレビはうなずきあうと、彼を追って走った。

 滝のような暴雨の中、悲鳴にも似た風の音が空気を貫いていった。


 四人は死に物狂いでマーテラ旅道の方へ戻った。細い道が見えてくると、男は正規の道をそれて、ずんずん藪の中へ入っていく。水をしたたらせる草木をかき分けながら進むと、やがて、一軒の小屋が見えてきた。

 小屋は木造の粗末なものだ。建てられてからずいぶん時が経っているようだが、壁や窓、扉などはしっかりと補修がなされている。新しい雨戸までついていた。

「このあたりは大昔、あの旅道より広い公道だったんだそうだ。一日で進める距離に、旅人が一晩休める簡易の宿泊所を置いていたんだと。この小屋は、宿泊所の名残だ」

 扉を開けながら、男が言う。無理矢理レビとディランを中へ押し込むと、扉をそうっと閉めた。そして、慣れた手つきでかんぬきを差した。そこまでやると、あたりの音が遠ざかる。

「今でも、ここを見つけた旅人や隊商がひそかに補修して使ってるからな。そう簡単に壊れはしない、と思う」

 付け足すように解説した男は、水をたらしながら顔にかかってきた髪の毛を、うっとうしそうにかきあげた。

 とたん、レビがうつ伏せになって床に倒れた。ディランもゼフィアーを下ろしてへたりこむ。

「し、死ぬかと思いました……」

「まったくだ。なんなんだよ、あの嵐は」

 二人とも息があがっている。特に、ディランの方はひどかった。呼吸は荒く、疲労が鉛のように全身にのしかかり、しばらくは立つことすらできそうにない。おまけにびしょびしょに濡れたせいで服が重く湿り、何より寒かった。

 油断すればそのまま気絶してしまいそうなディランを見て、ようやく正気に戻ったらしいゼフィアーが、慌てて体を起こした。

「す、すまない、ディラン。足をひっぱってしまった……」

「本当に。勝手なことしてくれる」

「――う」

 ディランがあっさり、ゼフィアーの言葉を認めてうなずくと、彼女は目に見えてしおれていた。少年は素直な彼女の反応に苦笑する。

「でも」

 言いながら、冷え切った手で、そっと茶色の頭をなでた。

「あそこまで必死になってたんだ。何か理由があったんだろ?」

 悪戯っぽく笑ってみせると、ゼフィアーは虚を突かれたように目を瞬いた。それから妙に力んで「う、うむ!」と激しく首を縦に振っている。とりあえずディランは、ゼフィアーの髪がくしゃくしゃになってしまうくらい頭をなでてから、その手を離した。

 ゆっくりと、扉の前に立つ男を見上げる。

「どこの誰か知らないけど、助かった。本当にありがとう」

「あ、ありがとうございました……ここに来なかったら、大変なことになってました……」

 突っ伏したままだったレビも、のろのろと起き上がってお礼の言葉をのべる。ゼフィアーもまた左の拳を胸に当てて頭を下げた。

 三人の姿を見下ろした男は、顔をしかめて、大げさなため息をこぼす。木の床に、胡坐をかいて座りこんだ。先程ディランから取り上げた荷物を彼らの方に置くと、豪快に頭をかく。

 彼は、ばつが悪そうな顔で呟いた。

「ったく。これじゃ、俺の方が悪者じゃないか」

「え?」

 レビが首をかしげた。その声に反応してか、男はまっすぐに三人を見つめると、少しだけ顎を動かす。

「疑って悪かった。君ら、どっからどう見ても竜狩人じゃないな」

「――その話か」

 先程、矢を射られたときのことを思い出して、ディランは眉をひそめる。けれど、男の方は彼の表情に気づかなかったのか、足を組みかえながら続けた。

「竜狩人なら、いちいちあんなふうに反応しない。それに」

 言葉の終わりに、鋭く見える瞳が動いた。安心して力が抜けていたゼフィアーを正面からとらえて、止まる。視線を向けられた彼女はきょとんとしていたが、続いた言葉に、顔をこわばらせた。


「『つたえの一族』の血を引く娘が、連中と行動しているのはあり得ないからな」


 沈黙が、降りる。ディランとレビは、なんのことだかわからずに首をかしげた。一方、ゼフィアーは苦い物を食べたときのような表情で黙りこむ。彼らの様子を順繰りに見た男は、「あれ? ひょっとして、お仲間さんは知らないのか?」と瞬きしながら言っていた。

 ゼフィアーはややあって、無理に微笑んだ。

「なぜわかった?」

「目の色を見りゃ、嫌でも気づく」

「ずいぶん、詳しいのだな」

「まあなー。君らよりは長く生きてるし、わけあって竜狩人を追ってる身だから、そのへんの知識がついちゃったんだよ」

 男は肩をすくめながら答えていた。ディランとしては彼の「竜狩人を追っている」という発言が気にかかったが、それより今はゼフィアーのことだろう。

 レビが、少女に訊いた。

「あの、伝の一族ってなんですか?」

 ゼフィアーは、もったいぶって息を吐く。それからそっと、天井を見上げた。

 叩きつける水と風に揺れて、小屋がきしんだ。

「――昔々の、大昔。まだ、人間が心の底から竜を崇めて、人と竜が住処を隔てて穏やかに暮らしていた頃だ。その時代は、人が、まことの姿をさらした竜と直接会うことは、最大の禁忌とされていた」

 恐怖をあおる音の中に、静かな声がしみとおる。

「けども、竜は自然の営みを司る生き物だ。知恵を持ち、言葉を操り、自然を利用しながら暮らす人間たちにとって、竜との対話はまた、必要不可欠なものでもあった。

 だからな。人間たちは、竜と対話する役目を、竜を鎮める力を持った唯一の民族に託したのだ。それが、『つたえの一族』と、のちに呼ばれる人々だった」

 ディランは目を瞬いた。少女の声が、静かな語りが、自分の中の何かを刺激したように感じたのだ。けれどそれは、かつての記憶の断片と同じで、すぐにしぼんで消えてしまう。

「彼らは竜と、竜の魂があらぶってしまったときに、それを鎮めることのできる力を持っていた。だから、竜の側も彼らとの交流を受け入れたそうだ」

「え? じゃあ、ひょっとしてゼフィーも」

「いいや」

 レビが、かすかな期待に目を輝かせる。けれどゼフィアーは、彼の言葉をきっぱりと否定した。

「私はあくまで、伝の一族の末裔にすぎない。末裔たちは、かなり血が薄まってしまっているからか、先祖のような力は使えないのだ。それは……さっき証明されたばかりだ」

 ゼフィアーが沈痛な面持ちで床板をにらむ。暗がりの中で、くらく光る少女の瞳が浮き立って見えたように、ディランは思った。

 同時に、彼女の言った「さっき」がいつなのか考えようとして――彼女が竜にすがりついて何かを唱えていたときのことを思い出す。

「嬢ちゃん、やっぱり竜の魂を還そうとしてたんだな」

 男の声が、いきなり答えを示した。ゼフィアーは彼の方を見て無言でうなずく。しかし、少年二人は困惑して顔を見合わせた。

 竜の知識がある二人は、最低限のやり取りで通じ合っているようだが、子どもに教えられるような言い伝えくらいしか知らないディランたちには、何が何だかさっぱりだ。

 すると、彼らの疑問を感じとったのか、今度は男の方が口を開く。

「なあ少年たち。竜が死んだあと、その魂が自然に溶けるってのは知ってるな?」

 彼らは揃ってうなずいた。少し前、ラッド・ボールドウィンに同じことを訊かれたばかりだ。

 男は満足そうな顔をして、ひらりと手を振る。

「――けどな。そうじゃない魂ってのも存在するんだ。

それが、竜狩りに遭って殺された竜の魂」

 さらりと放たれた言葉に、ディランとレビは固まった。

 脳裏に、血だまりに沈んだ竜の亡骸がちらつく。ディランは自然と、険しい顔をしていた。

「それは、どういうことだ」

「人間が竜狩りをするときにはな、特別な武器を使うのよ。その武器は、最終的に竜の魂をむりやり砕いちまう。そうして、むりやり砕かれちまった魂は、自然にうまく同化できずに、力の塊のまま、そのへんをさまようはめになるんだ」

 男はひとさし指を立て、空中に滑らせる。太い指が、輪を描いた。

「ほら、ダマってあるだろ? 麦粉を水にといたりしたとき、うまく混ぜれなかったら残るやつ。あれと同じで、竜の魂がうまく溶けられないと、この世界に不自然な力の塊が残る。

しかも、竜魂それをうまく切りまわすはずの竜が一体、いなくなっちまうんだから――」


 どうなるか、わかるよな?


 言って、男は窓に視線をやった。今は板戸で閉ざされているが、その向こうは暴風雨にのみこまれて、ひどい有様になっているはずだ。遠くでまた、雷が鳴っている。

 ディランは息をのんだ。ようやく、理解した。突然天候が荒れたのは、竜が死んだから。そして、砕かれてしまった魂が、飛び散ってしまったからなのだ。


 雨の音が、また、一段と強くなった気がした。



     ※



「どうにかできないかと、思ったのだ」

 少女の声が床板に落ちて、跳ねる。ディランはそちらを見た。ゼフィアーは座りこんで、うつむいたまま、拳をにぎっていた。

「魂を還す儀式……手順は、物ごころついたころから教え込まれていた。だから、どうにかできないかと思って、教えられたとおりに、やったんだ」

 ぽつり、ぽつりとこぼれる独白。それを聞いて、少年は、必死の形相で何かを唱えていた彼女の姿を思い出していた。あのとき、ゼフィアーは確かに、救おうとしていたのだ。殺されてしまった竜を、その魂を。

「けども、できなかった」

 小さな拳が、震える。

「もしかしたら、なんていう期待があっさり砕かれた。やはり私は、伝の血を継いでいるだけだ。それだけで、力なんて、使えない」

「ゼフィー」

「――無力だ、私は」

 声音は凪のように静かだ。けれど、そこには抑えきれない思いが詰まっている。ディランはなんと声をかけることもできず、ただ、今にも泣き出しそうな少女を見つめる。ちらりと様子をうかがえば、レビも肩を落として、心配そうにしているだけだった。

 ただ、思いのやり場に困っている彼らに比べ、年長者の男は冷静だった。

「嬢ちゃん。そりゃ、血は薄らぐもんだ。嬢ちゃんひとりじゃどうにもできないだろ」

「わかっている」

 弱々しく、それでも刃のような鋭い反論をしたゼフィアーは、唇をかんだ。独特の色の瞳が、感情の炎を宿して揺れる。

「頭では理解している、つもりだ。けども、ときどきどうしても、嫌になる。何もできない自分が、悔しくて、嫌で嫌でたまらないのだ」

 ゼフィアーの目はうるんでいた。今まで、堂々とした振舞いの裏に隠してきた思いをすべて吐き出さんとするかのように、力強く、それでいて消えそうな弱い声を叩きつける。――それを聞いて何を思ったのか、男は目を細めたきり、竜についての話題を打ちきってしまった。

「……ま。くよくよしててもしょうがない。とりあえず、どうにかして暖をとろうや」

 男はそこで、立ちあがった。

 無理にでも空気を変えようとする態度に、なんだかやりきれなさを感じて、ディランはため息をついた。ただ、「くよくよしててもしょうがない」というのはもっともだと思ったので、しかたなく彼に従うことにする。

「そうだな。ぬれねずみのままでいて、風邪ひいたら事だし」

「で、ですね」

 レビもおろおろしながら、うなずいていた。少し体が震えているところを見ると、繕ってとっさに同意しただけ、というのでもなさそうだが。

 ざっと小屋を見回していた男が、視線を一か所に留める。ディランはそれを目で追って、納得した。小屋の端に、小さな暖炉があったのだ。もちろん、火は入っていない。男はにやりと笑って手を叩いた。

「よーし。んじゃ、あるもの使って火を起こすか。手伝え、若人わこうど!」

 ディランとレビは黙って首を縦に振るしかなかった。

 こうして彼らは、雨風の音を聞きながら、火起こしを始めたのである。

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