1-2 旅の息吹を運ぶ風

「ジェイク! これ、ロイおじさんのところに持っていってちょうだい!」

 母のかしましい声とともに、少年に向かってなげつけられたのは、大きな藤籠ふじかごだった。しかも、中にはりんごが詰まっている。ずっしりと重いそれを抱えたジェイクは、げっそりした顔で歩きだす。

「へーい……」

 心のこもらない返事は、母には聞こえていないようだった。


「なんか、つまんねーな……」

 閑散とした村の中を歩きながら、ジェイクは呟いた。

 ジェイクはリフィエ村で生まれ育った少年である。友人のリオ同様、村から出たことは一度もない。彼はそのことが気に食わなかった。たまにやってくる旅芸人や吟遊詩人、あるいは行商人の話を聞くたびに、外の世界への憧れは募るばかりだ。

――外からやってきて、しばらく村へ居座っていた少年に冷たくあたってしまったのは、そのせいなのかもしれない。

 もっとも、そんな思いが鎌首をもたげたとしても、彼自身は否定し続けている。

 別にうらやましかったんじゃない。ただ、いつもいい子ぶってるあいつにむかついただけだ。

 そして、そんなことを考えているうちに、ロイの家が見えてきた。一階の窓を利用してつくられたカウンターには、今は誰の姿もない。

 ジェイクは一生懸命、籠を落とさないように持ち直しながら、扉を叩いた。するとすぐに反応があって、中から人が出てくる。

「おや、ジェイクじゃないか。いらっしゃい」

「こんにちは」

 戸の隙間から顔を出したのは、主人のロイではなくナタリアだった。

 ジェイクの顔は自然と引きつる。この人は、ときどき母より怖いので、ちょっと苦手だった。さっさと用事を済ませて、リオと遊ぼう。そう思いながら、少年はりんごの詰まった籠を差し出す。

「これ、母ちゃんから」

「あらあら、そうかい。いつも悪いねえ」

 ナタリアは笑顔でそう言って、りんごを籠ごと受け取った。その勢いのまま、ジェイクを振りかえる。

「ちょっと待っててね。昨日採れた野菜、いくらか持ってくるから」

「はあ……」

 生返事をして待つこと少し。ナタリアが、籠に野菜を入れて戻ってきた。葉物が多いせいでやたらこんもりとして見える。

「ありがとうございます」

「なあに、おたがいさまさ。――あ、そうだジェイク。リオと会う予定はあるかい?」

 突然の質問に、ジェイクは目を丸くした。

「まあ、一応。帰ってから遊ぶ約束してる」

「そうかい。じゃ、これ」

 言うなり、ナタリアは何か薄いものを手渡してきた。籠をいったん地面に置いて、ジェイクはそれを受け取った。

「手紙?」

 受け取ったのは、小さな封筒だった。なんだか見覚えのある、きれいな字で宛先と差出人の名前が簡潔に書かれている。その字を目で追って、ジェイクはまた驚いた。

 レビ・リグレット。それが差出人の名だった。


 あの律儀な少年は、わざわざ、ロイ夫妻へ宛てたものと、ジェイクとリオに宛てたもの、二通の手紙を書いていたらしい。そして、ロイたちに宛てた封筒の中に二通が一緒に入っていたという。

 再び重くなった藤籠を家に置いたジェイクは、その足でリオのもとへ走った。いつものように村の奥の三角錐の前で待っていた彼は、話を聞いて、目をみはった。

「手紙が届いた? レビから?」

「そうなんだよ! びっくりだろ!」

「――あいつ、よくわかんないよね」

 リオは吐き捨てて、そっぽを向く。言葉とは別に嬉しそうな顔をしていた。けれどジェイクはあえて指摘せず、友人と二人並んで封を切った。

 中に入っていたのは、二枚の便せんだ。質のいい紙だというのが、田舎者の彼らでもわかった。二人は少し迷うそぶりを見せてから、手紙に目を通す。

『ジェイクとリオへ。お久しぶりです、元気にしていますか? 村は、変わりないですか? ぼくはこの旅で、少しだけ変わったかもしれません』

 旅路をつづる文章は、そんな書き出しで始まっていた。


 彼がリフィエ村を出てから、カルトノーアへいたるまでのことが、丁寧な言葉で記されていた。久し振りに野営をしたこと。「例の二人」と少しずつ仲良くなったこと。危険な人たちと戦ったこと。そしてカルトノーアの風景と、商会『希望の風』のこと。

 まるでそれは、旅人から聞く話のようで。

 それよりもずっと――鮮やかで、楽しかった。


『ロイさんとナタリアさんの手紙にも書いたけれど、ぼくは旅を続けることにしました。ちょっと遠くに行くことにもなるから、リフィエ村にはなかなか帰れないかもしれません。それでもぼくは、ディランさんの力になりたいと思ったのです。

けど、いつかは――いつか、今よりずっとたくましくなれたなら、そのときは村のみんなに会いにきます。そのときは、二人にたくさんたくさん、旅の話を聞かせたいな』

 読んでいると、レビの困ったような笑顔が目に浮かんでくるようで。ジェイクはわざとらしく顔をしかめた。

「ほんと、ばかだな。あいつ」

 相手を悪くいう言葉は、このとき、とても優しい響きを帯びていた。

「おれたち、散々嫌なことしたのに。それなのに、こんなこと書いてさ。まだいい子ぶってんのかな」

 ジェイクが言って不器用に笑うと、リオも目を閉じて、微笑んだ。

 村にいる子どもは、今のところ彼ら二人だけだ。一時のあいだだけ、レビがそこに加わった。だからこそ二人は、彼がどうしようもなくねたましくて、結託して彼を困らせるようなことをいっぱいした。

 それでも。心の底では少し、彼に興味があった。彼の話を聞きたかった。一緒に遊びたかった。

 簡単なことだったのだ。その簡単な気持ちに、二人は気付いていなくて、きっとレビはどこかで気づいていた。だからこそ今もこうして、憎まず、手紙まで出してくれている。

「リオ……あいつが戻ってきたらさ」

「うん」

「いっぱいからかってやろうぜ」

「そうだね」

「でもって……そのあと、いっぱい謝ろうぜ」

「――うん。それから、おいしいものでも作ってあげようか。ナタリアさんに手伝ってもらって」

「旅先でいっぱいおいしいもん食ってたらどうしよう」

「それに負けないものを作ればいいんだよ」

 二人の少年は、いつもより静かに言葉を交わす。ああでもない、こうでもないと、未来の話をしていると、心が温かくなった。

 あるかもわからない未来を語り合うことは珍しくもない。けれど、これほど「そうなればいい」と願うような未来を描くのははじめてで、ジェイクはなんだか胸が詰まりそうな思いでいた。

 南から風が吹いてくる。

 あたたかな生命いのちの息吹は、二人の上を通り過ぎて、手紙の端をすこし揺らした。

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