18.三人、一緒に
竜狩り。人間による、竜の虐殺。
そのはじまりを辿るには、七百年以上の時をさかのぼらなければならない、とされている。はっきりとしたことはわからない。記録があまり残っていないためだ。
けれど、それほどの昔、人と竜はお互いの『
移ろう世界にくすぶり続ける、争いと憎しみの火種を生み出してしまったのである。
※
「りゅ、竜狩りを行う者って……本当なんですか!?」
「それしか考えられんよ」
悲鳴のような声に、ラッド・ボールドウィンが冷たく返す。レビの顔がみるみるうちに蒼白になった。
世界そのものともいえる竜を狩る。それは、世界を破壊するに等しい蛮行。その教えだけは、竜の存在が忘れられつつある今でも受け継がれ続けている。レビも父から、あるいはロイたちから強く言い聞かせられて育ってきたのだ。――だからこそ、それを行う者たちがいるという事実すら、とても恐ろしいことのように思えた。
一方、ディランもレビとはまた別の種類の衝撃に、頭がまっ白になっていた。そばで聞こえる人の声が、ひどく曖昧に響いている。
「――しかし、そうすると妙ではないか?」
ふいに大きく響いたゼフィアーの声が、やっとディランの意識を今へと引き戻した。レビもまた、ゼフィアーに顔を向ける。青くなったままではあったが。
「奴らが仮に
やけに
「だからこそ、後に『その思想に賛同する者たち』と付け足したんじゃ。
竜狩り自体は行わずとも、彼らに従い、彼らを支援するならず者は多いのだ。鱗や魂を欲する者、ただ単に鬱憤をぶつけたい者、竜が世界を保っているという仕組みに嫌気がさしている者。動機は様々だが、いずれも竜に関係するものを見境なく攻撃するから、ある意味狩人より
淡々とそう言われると、しっくりくるものがある。三人は、取り合えずうなずいた。
「じゃあ、黒い人たちはその、狩人さんたちに従う集団っていうことですかね?」
「だと思う。多分、魂の石は強い力がこもっているから、それを悪用しようとしたんだろうな」
気分の悪さをごまかすような、レビの確認に、ゼフィアーが厳しい表情で答えた。
ディランは石を見る。黒装束が狙っていたものは、ひとまず、依頼主のもとへ届けることができた。少なくとも、彼らの思惑をくじくことはできたわけだ。ディランの考えていることを察したのか、ラッドが石を見せびらかして悪戯っぽく笑う。
「石の方はもう心配いらんぞ。『希望の風』の――わしの手に渡ったからには、そう簡単には奪わせん」
楽しそうな響きの裏には、強い決意がこめられている。それを悟ったのか、ゼフィアーが、ラッドと同じような笑みを彼に返していた。
「頼もしいことだ。けども――」
言い終わりに笑顔が曇る。琥珀色の瞳は動き、無言を保っていたディランを捉えた。ディランは、何も言わないまま眉をひそめる。
ラッドもまた、顔をしかめていた。
「新しい問題が浮上したな」
向けられる視線には、かすかな敵意と警戒心が混じっている。当然のことだろう、とディランは冷静に受け止めていた。
黒装束の中に彼を知っている者がいた。つまり、竜狩人とディランは、過去になんらかの形で関わったということになる。仲間だったのか、理由があって敵対していたのか、それ以外か。いずれにせよ、ろくなことではない。少年は重々しくため息をついた。
ちらりと視線を上げて、自分を見ている人たちを眺めてみれば、その表情は実に様々だ。戸惑っていたり、苦々しくしていたり、脅すようににらんでいたり。普通であれば気がどうにかなってしまいそうな状況の中で、ディランの心は恐ろしく冷えていた。
世界は揺らがない。けれど、ふと、いつか見たものがよみがえる。
憎悪にぎらつく瞳。血に濡れた刃。頭を埋め尽くす絶望。
いつのことか、誰のものかもわからない過去の映像は――どこまでも、空虚だった。
「であればなおのこと、真実を暴かなくてはな」
ふいに、強い声が沈黙を打ち破った。ディランは目を瞬いて、声の主の方を見る。レビたちも、同じように、一か所に視線を注いでいた。
その場の全員から注目された少女が、堂々と胸を張って、言葉を続ける。
「知らないままでは、みんな揃って、気分が悪くてしょうがない。ここはひとつ、過去に何があったのか、ばしっと突き止めてしまおうではないか! なあ、ディラン?」
ゼフィアーに話を振られたディランは、とっさに返すことができず、目を白黒させる。大きな両目が自分を見つめる中で、辛うじて言葉をひねり出した。
「そ、それはそうだけど……というか、最初からそのつもりでいるんだけど……」
「ならば今さら悩むことはない。あとは進むだけだ」
少女は言い切った。それはもう、きっぱりと。
清々しい声は、心をかき回すと同時に、頭の中の靄を勢いよく払ってくれる。少しして我に返ったディランは小さく吹き出し、そのまま声を上げて笑ってしまった。先ほどまで鬱々と考え込んでいたのが馬鹿らしく思えてくる。
それに釣られたのか、レビもかすかな笑い声をこぼしていた。ひとしきり笑ってから、ディランとゼフィアーを仰ぎ見る。もう、恐れも不安もそこにはない。
「そうですね。ゼフィーの言うとおりです。ぼくも最後まで、しっかり見届けなくちゃ」
ゼフィアーが満足そうに目を細める。
「いい覚悟だぞ、レビ。きっとこれから危ないことも増えるからなー。気を引き締めていかねばな」
「……って、おい、待て」
それまですっきりとした気分で聞いていたディランは、勝手に進んでいく会話に目を剥いた。子どもたちが同時に彼を振り返る。あまりに息がぴったりで、また吹き出しそうになってしまったが、今は焦りの方がわずかに大きかった。
「二人とも、さっきから聞いてると、ついてくる気満々みたいだけど、本気か?」
ゼフィアーとレビはこれまた同時に、首を縦に振った。
「無論だ」
「何を今さら」
ディランの耳に届く返事は、ひどくあっさりしている。事の深刻さを理解していることは間違いないはずだ。どうして、こうもきっぱり心を決められるのかが不思議でしかたがなかった。
が、彼の戸惑いをよそに、二人はなんでもないことのように続けたのである。
「私たちは、ディランから事を打ち明けられたときから、その気でいたぞ。なあ、レビ」
「そうですよ。ここまで来て仲間はずれは、なしですからね」
ゼフィアーは腰に手を当て、まるで妹に説教する姉のような態度で言った。レビはすねたように口を尖らせ、釘を刺す。
そんな姿を見たせいか――ディランの中で、張りつめていた何かが、ふっと緩んだ。
「……まったく……勝手にしろ。あとで泣きべそかいても知らないからな」
言葉とは裏腹に、彼は照れくさそうな笑みを浮かべる。けれど、本人はそれに気づかない。知るのはまわりの者たちだけだ。
ゼフィアーとレビは顔を見合わせて、勝ち誇ったように拳を打ち合わせた。そのままの勢いでディランにじゃれつく。
三人のやり取りを見て、きつく細められていたラッドの目が、優しい
「ほっほっほ。若い者は、そうでなくてはな。――うらやましいものだ」
温かい呟きは、誰にも聞かれることなくこぼれ落ちて、そのまま消えていった。
ラッドとの面会を無事に終えてから、商館を見学してまわった三人は、人々に改めてお礼を言って、街へ出た。去り際に、ノルシから手渡された地図を見ながら、今夜の宿を目指す。
『お礼、と言ってはなんだが』
ラッドの声が、ディランの耳によみがえった。
『いい宿を紹介するから、出発までの間はそこを使うといい。宿賃はわしの方から出そう』
それを聞いて、ディランは腰を抜かしそうになったものである。なんというか、ものすごく太っ腹だ。やることの次元が違う。ゼフィアーとレビもだいたい同じことを思っていたようで、目玉が飛び出そうになるほど目をみはって、驚いていた。
日はまだ高い。港町には変わらず人が行きかっていて、雑音のような喧騒が耳を覆っている。それらに混じって遠くから、水夫のものだろうか、粗暴な大声も聞こえてきた。
明るい道を歩きながら、ゼフィアーがディランを振り仰ぐ。
「そういえばディラン、これからの旅、どうするのだ?」
あまりにも大雑把な質問。けれどディランは、それを気にするより答えをひねり出す方に意識を向けた。
「目的地はない。けど、やることは決まってる」
視線は自然、雑踏へ向いた。ごちゃごちゃとした人混みは、流れていく時に似ている。
その中で新たに生まれるものもあれば、失われるものも、確かに存在するのだ。
「竜やら、竜狩人やらについて、調べていくつもりだ。連中と俺がどこかで関わっていたっていうんなら、それを調べていけば何か思い出すかもしれない」
「確かに、現状できることと言ったら、そのくらいですよね……」
レビが、じっと石畳を見下ろしながら呟いた。ゼフィアーもうなずいている。
ディランはすぐに気まずくなって、真剣に考え込む二人から目を逸らした。逆に言えば、やることは決まっていても目的地は定まっていないのだ。どこに行くかもわからず
「さて、まずはどこから訪ねたもんか」
苦々しく呟くと、ゼフィアーがそれに応えた。
「ならば、オルークに行くというのはどうだ?」
「オルーク? というと、デアグレード王国の?」
レビが訊き返し、ゼフィアーは、うむ、と首肯する。勇ましい眉をほんの少ししかめて、ぽつりと付け加えた。
「マリクが拠点としている町なのだ」
ディランは目を瞬いた。そう言われれば、納得できる。きちんと小包を届けた、ということをもう一人の依頼主に報告するべきだろう。ディランもレビも、すぐにその提案を受け入れた。
「また私の用事に付き合わせてしまうな。すまない」
「謝ることじゃない。今回の一件の延長みたいなものだろ?」
「仕事は最後まできちんとやらなきゃ、ですよ」
恐縮している少女に、二人の少年が重ねて言えば、彼女は「そうだな」とほほ笑んだ。
ディランは、頭の中に地図を思い描き――次に、ある人物の顔を思い浮かべた。
「デアグレード王国、か」
長らく離れていた国は、けれどもともと、彼が育った国でもある。
「じゃあ、オルークを出たらそのままファイネの方に向かってみるか。師匠に会うついでに、何かいい情報が聞けるかもしれない。あの傭兵団、手広くやってるからな」
ディランの「師匠」という言葉に反応したのだろう。ゼフィアーとレビの目が輝いた。二人は、抑えきれない好奇心を笑顔に変えて、歓声を上げる。
「いいですね! ディランのお師匠様に会えますよ!」
「うむ。『暁の傭兵団』には、かねてから興味があった」
喜びあう二人をよそに、ディランは呆れてため息をつく。『暁の傭兵団』と出会うのを楽しみにするとはとんだ物好きだ。
できれば彼らとはほどほどに距離を取って付き合いたい、というのが彼の本音である。一方で、師匠にそろそろ顔を見せなければ、とも思っていた。よい機会ではあるかもしれない。
三人が意気揚々と今後のことを話しあいながら歩いていると――反対から、奇妙な集団がやってきた。彼らの放つ物々しい空気に圧倒されて、ディランたちは思わず足を止め、振り返る。
通りを静かに抜けていくのは、屈強な戦士たちだった。ほとんどが男だが、よく見ると若い女の姿も散見される。彼らが身にまとっているのは獣の革でできた鎧や、鉄の胸当てに、籠手。いずれも決して重装備ではなく、醸し出す雰囲気もどこか荒んでいる。
一団を目で追っていたディランは、彼らの胸に光る紋章に目をとめた。
「どこかの傭兵団か……?」
日の光がまともに当たっているせいで、どのような紋章かはわからない。けれど、アルセン国を示す、月桂樹を模した文様でないことは確かだ。彼らは、少なくとも、国の兵士ではないだろう。
「珍しいですね。こんな大人数で、街の通りを傭兵団が歩いているなんて」
「それこそファイネでもなければ、な」
レビのささやきに、ゼフィアーが返す。
子どもたちがそんなやり取りをしている間にも、一団は彼らの前を通り過ぎ、道のむこうへ消えていく。人の列が、たちまち黒い塊のようになっていった。そして、最後尾の人物が、ディランの目の端に消えていく直前、振り返った。
ほんの一瞬、視線が交わる。うなじのあたりがぴりりと痺れるのを感じ、ディランは眉をひそめた。また、あの気配だ。記憶を刺激してやまない、静かな敵意。
けれど、ディランがそれ以上を確かめる前に、その人物はふいっと前を向いて行ってしまった。去り際に少しだけ、紋章が見える。
蛇を貫く、槍。銀色のそれは、陽光を反射して、ちかりと光った。
傭兵たちを見送って、周囲のざわめきが耳に戻ってきた頃、ゼフィアーが感嘆の息を吐いた。
「見たことない紋章だったなー。どこの傭兵団だろうな?」
「さあ……」
ディランはレビと口を揃えて、曖昧に返事をした。ふと、傭兵たちが去っていった道のむこうを見やる。もはやそこに物々しい人影はなく、明るくふるまう商人や、追いかけっこをして遊ぶ子どもたちの姿が見えるだけだ。
平和な光景は、あの一団が来る前と何一つ変わらない。おかげで、先ほどの嫌な感じすら、幻かと思ってしまう。思考にふけりそうになった少年を、明るい呼び声が引きとめた。
「ディラン、何してるんですかー!」
「早く来ないと置いていくぞ!」
振り返れば、三つ編みの少女と金髪の少年が元気よく手を振っている。明るく無邪気なその姿に、ディランはつかの間、旅の始まりを思い出して、ほほ笑んだ。
気になることはある。大きな不安も、抱えている。
それでも自分は一人ではないのだと、実感した。
「わかってるよ! 二人こそ、勝手に行って迷子になるなよ!」
声をふりしぼって叫んだディランは、先へ駆けてゆく二人の背中を追いかける。
三人の旅人の上に広がる空は、どこまでも青く澄んでいた。
※
強い風に吹かれて、ただでさえ建てつけの悪い雨戸が大きな音を立てた。今にも外れてしまいそうな板を横目に、センはため息をつく。本当に今度こそ、この城塞を放棄して拠点を移ることになるかもしれない。首領がなんとも言わなくても、そばに控えている女が騒ぎだすだろう。
思いながらも、自分には関係のないことだと割り切って、センはただ足を進めた。けれど、彼はすぐ立ち止まることになる。彼の前に、一人の大男が立ちはだかったからだ。
男を見上げたセンは、無意識のうちに、笑みを浮かべていた。
「
「偶然だ」
男は無愛想に返す。声どころか、表情すらも、彫像のように動かない。それでもセンは、全く気にしなかった。彼の鉄壁の無表情はうんざりするほど見てきている。今さら気にかけても仕方ない。
「チトセからだいたいのことは聞いた。『見極め』は済んだのか」
センは笑みを深くした。
「まあ、それなりに」
端的に答えてから、とっさに周囲に気を配る。
二人が今いる廊下に、他の人影はない。足音も、誰かが来る気配もない。ここで報告を済ませてしまっても問題ないだろう、と判断したセンは、そのまま続けた。
「なかなか見込みのある坊主だった。したっぱどもが先走るもんだから、ついつい出しゃばっちまったけど、多分俺が出なくても、あいつなら上手いこと切り抜けてただろうよ」
「おまえが手放しで褒めるか」
ぼそりと呟かれた言葉に、センは肩をすくめる。「俺をあんたと一緒にしないでくれ。いいと思ったらそりゃ褒めるさ」と、わざと大げさに呆れたふりをしてから、彼は報告を続けた。
「ただなあ。あんたが『見てこい』って指示したことは、俺にゃわかんなかったよ。あんたか参謀殿が直接見にいった方が早いぜ」
「そうか」
首領の返事は相変わらず短い。センは降参するかのように手を挙げた。
「すまねえな」
「構わん。もとより、そこまで見極め切れるとは思っていなかった」
「えっ、まじかよ」
思いもよらない返答に、センは思いっきり顔を歪める。
遠回しな言い方をしてはいるが、つまり最初からあてにされていなかった、ということだ。いくら無愛想で冷酷な首領とはいえ、それはひどい。センは胸の内で嘆いた。
彼が、ちぇー、と呟いたとき、男はすねている部下を無視して背を向けたところだった。だが、そこでセンはあることを思い出す。とっさに首領を呼びとめていた。男が振り返ると同時に、彼は口早に思い出したことを告げる。
「あの坊主、途中で動きが止まったんだよ。俺の目を見て、さ。――あんたが掴んだ情報ってやつが正しければ、相当おもしろいことになると思うぜ」
男は答えない。再びセンに背を向けて、そのまま歩いていってしまった。しかし、今度はセンもすねたり呼びとめたりしなかった。ただ、首を振りながら冷酷な首領を見送る。
「おもしろいことに、ならないといいがな」
首領がそう呟いていたことを、センは知らない。
彼の今回の仕事は終わったのだ。今は、とにかく休みたかった。男の背中が遠くに消えたのを確かめて、彼もまた歩き出す。ふと視線を上げれば、天井から吊るされてはためく、大きな布が見えた。青い布地に映える金色に目をとめ、笑う。
「さあて、どうなるかね。俺は結構、楽しみにしてるんだぜ?」
男の視線の先で、竜を貫く槍の紋章が、寒風に吹かれて揺れていた。
(第一部「世界の脈動」・完)
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