12.刹那の夢
「俺……?」
突然指をさされたディランは、困惑気味の表情で目を瞬いた。黒服をまとった、妙に陽気な男――体格と声からして、男である――はからからと笑う。
「そうそう、君。まだ俺の仕事は終わってないから。君が殺されるのを黙って見てたら、俺が
「どういうことだ」
ディランは刺々しく問いかけた。しかし男は答えない。
代わりに、肩をすくめてから、空の矢筒と軽い弓を投げ捨てた。そして、すたすたと歩いていくと、先ほど『仲間』が取り落とした剣を拾い上げる。
それをそばで見ていた黒い二人が、男をののしった。
「貴様! 裏切ったのか!」
「やはり貴様らの団も、『あれ』を横取りする気なんだな!」
男は罵声の嵐を受けても、まったく動じない。剣を宙に放って回転させ、器用にそれを受けとめた。
「だから、言ってるじゃねえか。おまえらが何を奪おうと勝手だ、って。
あと裏切っちゃいない。俺ははじめから、
馬鹿じゃねえ? と締めくくった男は、剣の先を遠くのディランに向ける。少年は、彼からほんのわずかな悪意を感じて身構えた。
「――で? 何をしようっての?」
目を細めて問えば、男はまた、いびつにほほ笑む。剣を手にしたまま地面を軽く蹴り、
「『見極め』ってやつだよ、坊主」
一瞬あとには、ディランの目の前にまで迫っていた。
息をのむ。いつの間に、と思った。動きが、まったく見えなかった。けれど、頭の中で恐怖を感じている間に体の方は動いていた。突き出された剣の一撃を横に跳んで避けると、勢いよく飛び出してきた男の胴めがけて蹴りを入れる。だが、彼は軽いかけ声とともに飛び跳ねて、器用に攻撃を避けてしまった。ディランが強くにらみつけると、彼は口笛を吹き鳴らす。
「いい動きするじゃねえの。気に入った」
「あんたみたいな不審者に気に入られたところで、嬉しくもなんともない」
「おっと、手厳しい」
少年の毒舌も、男は軽く受け流してしまう。それでいて、目配りや足さばきにまったく隙が感じられないから、恐ろしい。
気づけば、黒装束たちもすっかり傍観者と化していた。それどころか、この変な男を避けるような動きさえ見せている。
ディランはさりげなく、ゼフィアーを見た。どうやら無事なようだ。今は、黒装束に狙われているということを忘れて、ディランを心配している。割って入るかどうか悩んで棒にすがっているレビが、少女へ話しかけた。
「な、なんなんです? あの人」
「わからない。けども、小包狙いではないようだ」
「ディランさん狙いですか」
「今の状況を見る限り、そう判断するしかあるまい」
妙に落ち着いている二人の会話を耳にとめ、ディランは苦々しく思った。ゼフィアーの言うとおりだ。認めたくはないが。
「余所見とはずいぶん余裕だなあ」
もう一度、男を見た。彼は相変わらず黒い格好のままだが、周りの黒装束とは違ってよくしゃべる。とはいえ、それすらもディランを油断させるための策なのであろう。
「そう言いつつ仕掛けてこないじゃないか。……さっき『見極め』とかなんとか言ってたけど、結局何がしたいんだ?」
「俺、ほんとのことしか言ってないぜ?
「『おかしら』ねえ。どこの組織の奴だよ」
「それは秘密」
「――だろうな」
ぽんぽんと、言葉が飛んで。やがてその応酬も終わる。
男が、また動いた。剣を構えて駆けた。そう思ったときには、彼の姿は
「ほんと、やるなあ坊主。ウチの連中以外で、俺とまともに渡り合える奴は久しぶりだ」
すぐ目の前で声が言う。知らず知らずのうちに、ディランは男と至近で顔を合わせていた。
黒茶の瞳が刺すように、こちらをにらみつけている。目と目が合ったその刹那、ディランは視界が大きくぶれたように、思った。
「えっ……」
漏れた声は、言葉にならない。
目が回る。景色が渦巻く。頭の奥底で、何かが火花のように弾け、閃いた。
そのとき彼は、強い衝撃を感じる。
――重い、と思ったときには、後ろに吹き飛ばされていた。木の幹に背中をぶつける。鈍痛が全身を突き抜けた。
「おいおい、どうした? いきなり止まっちまって」
小馬鹿にしたような響き。男の声は、ひどく遠い。
大上段に剣を構える姿も、なんだかかすれて見えていた。
また、頭の奥で『何か』が弾ける。
灰色の空。轟く雷鳴。人の声。からだを突き抜けた、恐ろしいもの。
彼は、おぞましい憎悪を宿した友を見下ろして――確かに、絶望した。
「ディランっ!!」
大声を叩きつけられ、ディランははっと目を見開いた。頭が急激に冷えて、意識は現実へと引き戻される。目の前に色が戻ってきた。そして、彼の青い瞳は、棒を携え背を向ける、金髪の少年の姿を映し出す。
「レビ、おまえ」
あえぐように名を呼べば、少年は引きつった顔を見せ、わざと意地悪に笑っていた。
「もう、びっくりさせないでください。戦いの最中にぼうっとするなんて、らしくないですよ」
「――悪い。助かった」
目を伏せて言ったディランは、大きくかぶりを振った。白昼夢の名残を振りはらい、よろよろと立ち上がる。正面で、剣を引っ込めた男が呟いた。
「邪魔してくれるなよ、おチビさん」
「誰がおチビですか。この状況で、邪魔しないわけがないです」
珍しくきつい口調で返したレビは、棒を回転させて相手に向ける。
けれど男はそちらに目もくれず、虚空に剣をかざした。剣の腹が何かを弾き、高い音を立てる。草の上に、きらりと光る投げナイフが落ちて、跳ねた。
「ゼフィー!」
「ゼフィアーさん」
二人が振り向けば、ゼフィアーは投げナイフを構えた姿勢のまま、声高く叫んだ。
「ふっふっふ。最初の矢のお返しだ」
芳しくない状況の中で、あえて堂々と振舞う少女に、男は苦笑する。剣を一度ぶんっと振ってから、下げた。もう戦う気がないらしいことが、誰の目にもわかった。
「投げナイフねえ。そういえばさっき、そんなの使ってたな」
それに、と、黒い布の下で口が動く。彼はなぜか、ゼフィアーの目をじっと見た。
少しして、またディランとレビを見る。かすかにその目もとが笑っていた。
「命令されて仕方なく、と来てみれば。ずいぶんと、おもしろい奴に出会えたもんだ」
男が、わざとらしい大声で言った。すべてを言い終えるなり、持っていた剣を無造作に後ろへ放り投げる。小石にぶつかってやかましく鳴った剣に見向きもせず、さっさと身をひるがえして歩き出した。
「『見極め』は済んだし、俺はそろそろ引きあげるかね」
先ほどまでの鋭さが嘘のような軽い声が、場の空気をわずかに緩める。彼はめんどうくさそうに、固まったままの黒装束を見渡した。
「おまえらは好きにすれば?」
吐き捨てるように言い残し、地面を蹴る。男は木の上に跳び上がると、そこからディランたちを見下ろした。
「じゃあな。縁があれば、またどこかで会うだろう」
「会いたくないです」
レビが即座に言い返した。けれど、男は大声で笑って、そのまま去ってしまう。ディランたちはなんだか気を削がれてしまい、呆然と佇む。
そして、裏切り者に場を乱された黒装束たちは、困惑して視線を交わしあっていた。が、ややあって、ディランたちの前に出ていた黒装束の二人が声を上げる。
「奴らが出しゃばってきたからにはうかつに動けまい。口惜しいが……」
「撤退する」
忌々しげな一言に、他の黒装束たちは素直に従った。風のように動きだし、あっという間に気配を消す。姿を見せていた二人も、高い木に跳び上がり、そのままどこかへ行ってしまった。
しばらくは、なんの音もしなかった。
物騒な気配がすべて消えた頃になって、ようやく、葉ずれの音が三人の耳に届く。鳥のさえずり、獣の鳴き声も、徐々に戻ってきた。深く息を吐いたのは、ゼフィアーだ。
「……なんだか、よくわからないことになったな」
その一言は、例の男以外の、すべての当事者の心を代弁していたに違いない。彼女はやれやれと呟いたのちに、疲れ切った顔の護衛を見上げた。
「にしても、人気者だったな。ディラン。私よりもてていたではないか」
「嬉しくない」
ディランは吐き捨てて、大きく首を振る。
育ての親を突き止められることも、理由もわからず狙われることも、ほとんど想定していなかった。今後、黒装束たちにつきまとわれることは覚悟していたが、そこへさっきの男のような第三勢力が加わったらと思うと、憂鬱でしかたがない。
今にもへたりこんでしまいそうな二人に声をかけたのは、おろおろしていたレビだった。
「あ、あの。とりあえず進みません?」
ディランたちは顔を上げる。すぐに空を仰ぎ、太陽がまだ見える位置にあることを確認した。そして、道端に捨てられるように転がっている布袋を見やる。戦いの中で、動きのさまたげになるからと、投げ捨ててしまっていたのだ。
「……レビの言うとおりだな。休める場所が見つからないまま日が暮れるのは、さすがにまずい」
こうして、袋を回収した三人は、重い足取りで森を進み始めたのである。
乾いた枯れ葉を燃料に、焚火は元気よく燃えている。火の番をしている少年の顔色は悪かった。表情も沈んでいるように見えたので、ディランはそっと、声をかけた。
「大丈夫か。レビ」
レビはディランの方を向くと、弱々しくほほ笑んだ。
「あ、すいません……。なんか、今になって怖く……」
「仕方ないさ。実戦なんて、ほとんど経験なかったろ」
袋から干し肉を取り出したディランは、優しく笑って焚火の方へ近寄った。ゼフィアーが、ふんふん、とうなずいている。そこらから採ってきたらしい木の実をひとつひとつ手にとって見ては、脇にどけていた。
「でも、ほぼ初めての実戦にしてはよく動けていたぞ」
「だな。俺も助けられた。ありがとう」
二人がしみじみと評価を口にすると、こわばっていたレビの表情は少しやわらいだ。火の爆ぜる音に、静かな声が重なる。
「ありがとうございます、ディラン。ゼフィアーさんも」
彼の言葉を聞いて、ディランとゼフィアーは、驚きのあまり何回もまばたきしてしまった。レビが首をかしげる。
ディランは思わず吹き出して、顔をそむけて笑った。彼が笑うのを見て、思うところがあったのか、ゼフィアーは唇を尖らせ、食いつくように身を乗り出す。
「ず、ずるいぞレビ! 私のことも、せめてゼフィーって呼んでくれ!」
「え、ええっ!? どうしたんですか急に!」
「自覚がないのか!」
そうして二人は、しばらくやいのやいのと言い争っていた。優しく見守るディランは、ゼフィアーが分けた木の実と干し肉を寄せ集めて、食事の準備を整える。
彼が水と夕飯を配る頃には、レビはゼフィアーをゼフィーと呼ぶようになっていた。
干し肉と木の実、そして堅焼きパンをわずかにかじり、野宿の夕食を済ませた。勢いを弱めた焚火を前に、ディランはふと大事なことを思い出す。一息ついている仲間たちに、ためらいながら話しかけた。
「そういえば、昼間の話の続きをしないとな」
彼がいきなり話を始めたので、ゼフィアーもレビも驚いたようだった。二人が固まっていたので、ディランは苦笑して付け足す。
「ほら、襲撃に遭って中断しただろ。俺の目的の話」
「……話してくれるのか?」
ゼフィアーが、遠慮がちに問う。ディランは、ゆっくりうなずいた。
男と顔を合わせたときの光景が、頭によぎる。
「いろいろ、迷惑をかけた。だからさすがに、話しておこうと思った。――痛い目見て、やっと決心できたんだ」
ディランがきっぱり言い切ると、二人はそれ以上追及をしなかった。その代わり、静かに居住まいを正す。聴く姿勢を見せてくれる彼らの姿に、ディランは安堵した。
焚火を見つめて、話の口火を切る。
「俺の旅は、一言で言えば、記憶探しの旅……かな」
決心してなお、ためらいが生まれるのは、相手の反応が予想できていたからかもしれない。
対面の二人は、目を剥いている。案の定だ。
「記憶探しって……」
「どういうことです?」
正直にぶつけられた疑問に、ディランは苦笑する。深く息を吸って、打ち明けた。
「俺な。昔の記憶が、ないんだよ」
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