11.交錯

 黒い服に身を包んだ者たちは、静かな殺意を三人へ注ぐ。目もと以外、すっぽり覆われてしまっているから、誰が男で誰が女かも判然としない。

 それ以上に、彼らから醸し出される研ぎ澄まされた気配に、ディランは戦慄した。

 彼らは『本物』だ。数も、質も、今まで襲ってきた奴らとはわけが違う。ディランは剣を片手に構え、もう片方の手で拳をつくる。護衛対象の少女へ、そっと目をやった。

「ゼフィー、無理するなよ。今回ばかりは」

「ディラン?」

「いざとなったら、前みたいに小包を寄越してくれ」

 彼がささやくと、ゼフィアーは息をのんだ。唇を噛んで、サーベルの柄を握る。――わかった、とは言わなかったが、拒絶もしなかった。ディランは苦笑し、再び周囲の黒装束集団に視線を戻す。

「レビ、平気か?」

「……怖い、です。けど、こうなることはわかってましたから」

 すぐそばで、そんなやり取りが聞こえる。ディランは口の端をそっと持ち上げた。

 誰かが鋭く息を吸う。

 それが合図となったかのように、黒装束たちは一斉に三人へ飛びかかってきた。ディランは正面の相手の一撃を受け止め、弾く。後退してすぐ、体重を前にかけ、足をばねのように使って相手へ飛び込んだ。難しいことは何も考えず、黒に覆われた腹に刃をねじ込む。

 鮮血が舞った。けれどしぶきに目もくれず、その勢いのまま左の者の手を切りつける。痛みで力が抜けた手から、片刃の剣が滑り落ちた。その剣を手に取り、力任せに投げる。すると、遠くで「ぎゃっ」とくぐもった叫びが響いた。

 すぐ横で、サーベルの厚刃が横に滑った。黒装束の一人は胸のあたりを切りつけられてよろめいたが、一瞬後には跳ね返ったように地面を蹴って、ゼフィアーへ飛びかかる。

 ディランは舌打ちをこぼして、体を半回転させた。少女に向かって槍を突きだそうと構えた者に、容赦のない蹴りを叩きいれる。一撃はサーベルによって切り裂かれた脇腹に直撃し、さすがの相手も激痛に怯んだようだ。

「ほれ、仕返しだ!」

 ――その隙を見逃すほど、ゼフィアーは甘くない。サーベルを腹に突き刺し、引きぬいた。腹から血を流しながら、襲撃者がくずおれる。

 ゼフィアーと一人の槍使いの戦いに決着がつくまでの間にも、ディランは三人ばかりを仕留めていた。眉間を貫かれて動けなくなった黒装束の陰から、一人が飛び上がる。ディランは彼の目もとめがけて拳を振るった。押し殺した叫びとともに、その一人はもう一人の襲撃者の上に落ち、二人は揃って草の中に倒れ伏した。

「――っ、きりがないな。レビは平気か……?」

 気を張り、剣を構えたままディランは周囲に視線を巡らせる。と、視界の端に棒を振るって戦う少年の姿が見えた。動かず後ろに突きだした棒で相手の鳩尾を打った彼は、その棒を回転させ、今度は横合から襲ってきた者の頭を叩く。がん、と重い音がした。

 風を切る音を聞く。ディランは剣をひと振りして矢を弾き飛ばすと、肩をすくめた。

「なるほど。戦えるって言葉は、確かだったみたいだな」

「うむ! 棒術とは、おもしろいものを使うな!」

 言い終わるより先に、ゼフィアーが無造作に何かを横へ投げる。まっすぐに飛んだソレを受けた者たちは、悲鳴を上げてのけぞった。

 鋭利に研がれた投げナイフが、彼らの額に突き刺さっている。

「……おまえ、暗殺者か何かか?」

「これくらいの隠し玉は、用意しておかねば」

 呆れるディランの横で、ゼフィアーはにやにやと笑っている。自分が一番狙われている、という状況の中で、彼女は余裕の態度を装っていた。

「ディランさん、ゼフィアーさん!」

 棒を振りまわして一人を打ったレビが、その勢いで駆けてくる。衝突音に混ざって、ぼきん、と嫌な音がしたが、ディランは聞かなかったことにした。

「よ。無事か」

「な、な……なんとか……」

 周囲に一瞬目を配ったレビは、次なる襲撃の気配がないとわかると、棒を杖にして立つ。よく見れば顔面は蒼白で、棒を握る手は小刻みに震えていた。

 つい昨日まで普通に村で暮らしていたのだから、当然の反応である。ディランもゼフィアーも彼の様子にはあえて触れず、険しい顔で森をぐるりと見回した。

 かなりの数の黒装束を動けなくしたが、状況はまったく好転していない。すぐそばの木陰から、そして木の上から、相当な数の者たちが目を光らせている。

 ゼフィアーが、声を潜めて二人に問うた。

「どうする?」

 ディランは手の中で剣をくるりと回す。疲れのにじんだ、長いため息をこぼした。

「まともに相手したらだめだ。こっちが疲れて、物を奪われた上で、なぶり殺しにされる」

「こ、怖いことをさらっと」

「だから、突っ切る」

 苦言をさらりと受け流したディランは、潜めた声で宣言した。レビが無視されたことすら忘れて「へ?」と呆ける。が、そばのゼフィアーはかえって楽しそうだった。

「……無謀だな。けども、悪くない。策を練っているひまなど、どうせありはしない」

 細められた琥珀色の瞳が、ちかりと光る。

 好戦的な表情に、少年たちもつられてほほ笑んだ。三人は互いに顔を見合わせ、うなずいて、そして前を見た。

 細くのびる道の先にも、殺気ははびこっている。――だが、それがなんだ。

「ゼフィー、鞄、前に抱えろ」

 ゼフィアーは、無言でディランの指示に従った。そして。


「いけ――――っ!!」


 レビが腹にありったけの力をこめて叫んだ。もとよりよく通る声は、森に反響してびりびりと空気を震わせる。不意を突かれた襲撃者たちが怯んでいる間に、三人は走り出した。

 彼らの意図に気づいた黒装束たちも、少し遅れて動き出す。

 命がけの逃走と、必死の追走。追いかけっこ、というには物騒すぎる遊戯たたかいが幕を開けた。



     ※



 静かに蠢く集団の中で――ただ一人、木の上で背負った矢筒に手を伸ばしていた者が、にやりと笑う。矢をしまい、弓を抱えた。

「へえ。あいつが例の流れ者か」

 おもしろそうに呟いた彼の視線は、小包を持っているという少女ではなく、その前をゆく護衛の少年に向いていた。



     ※



 一行は、予定通りの道を進んでいた。――殺意と刃の雨をかわしながら。

 左から気配を感じる。ディランはとっさに、道に落ちていた太い木の枝を拾って、左手で無造作に突き出した。ばきっ、と激しい音がする。枝は槍の穂先に貫かれ、文字通り木端微塵に砕かれた。それと同時に、ディランは枝を投げ捨てていた。

 ほんのわずかな隙を使い、三人は槍をかわして前へ進む。ディランの左手はじくじく痛んでいたが、本人に痛みを気にする余裕はない。

 わずかに湾曲した刃を、片手で構えられたゼフィアーのサーベルが受け止める。それを力任せに弾いた瞬間、レビの棒が木立へ突き出された。しかし手ごたえはなかったようだ。少年は悔しそうに顔をしかめながらも、逃げることを優先する。

 そうして、どれくらいかはわからないが、三人は無謀な突撃を続けているのだ。

「こっ……これ、ぼくたち、よく生きてますね!」

 飛んできた暗器を棒で弾いたレビが、たまりかねたように叫ぶ。

「まったくだ! どこまで行けば、こいつらは諦めるかな!」

「さあな! というか、そこまでして求めるって、その小包はいったいなんなんだよ!」

「私も知りたい」

 会話が終わらないうちに前から攻撃がきて、ディランはすんでのところで受け止める。剣と剣が激しくぶつかり、火花が散った。

 三人は立ち止まらざるをえなかった。けれど、運よくといっていいのか、周囲の黒装束たちも動かなかった。

 ディランたちの進路上に、二人の黒装束が立つ。どちらも細身の剣を携え、冷たい殺意を彼らに向けていた。

 右側に立つ一人が、言葉を発する。

「――私たちは、その娘が持っている荷物に用があるだけだ。大人しく差し出せば、余計な危害は加えない」

「それ、殺気をびんびん放ちながら言うことじゃないよ」

 ディランは吐き捨て、剣を相手に突きつける。ゼフィアーも鞄を抱えたままうなずいた。

「まったくだ。でもって、届け物はちゃんと届けなくてはならないから、渡せないぞ」

「それが何かも知らぬくせに、届けるというのか?」

「っ、それは」

 三人は返答に窮した。

 事実だ。小包の中にあるのがなんなのか、ディランやレビはともかく、運び屋であるゼフィアーすら知らない。おそらく、彼女に配達を頼んだ知人とやらも知らないのだろう。荷物の正体を把握しているのは、依頼主、つまりラッド・ボールドウィンただ一人。

「それでも」

 ゼフィアーはかるく唇を噛んだ後、振りきるように声を放った。

「それでも、頼まれたのだ。信頼しているあいつに。だから私は、最後まで責任を持つ」

 正体不明の黒ずくめを前にして言いきった少女の顔は、今までになくひきしまって、ひどく大人びて見えた。視線だけで彼女をうかがったディランは、ふっと笑んだ。

 再び前の二人に視線を戻して、あいた左手を振る。

「だそうだ。で、俺はこいつに雇われた身だからな。雇い主の意向に従うまでさ」

「ぼくもゼフィアーさんを信じます。――村のことで真剣に悩んでくれたの、知ってますから」

 静かな決意とともに、レビが踏み出してくる。三人は、狭い道でほぼ一列に並んで襲撃者と対峙した。

 変わらず、木陰に潜む者たちは動かない。薄氷のような沈黙が漂い、刃のような一言がそれを突き破った。

「そうか。ならば、殺してでも奪うまでだ」

 右の者が言うなり、二人は同時に剣を構えた。ディランとレビも臨戦態勢をとる。ゼフィアーもサーベルを構えたが、ディランは前を見たまま彼女に釘を刺した。

「おまえは自分と小包を守ることに集中しろ。あれは俺たちでどうにかするから」

「――む、わかった。かたじけない」

 今度は、はっきりと肯定した。ディランはそのことに安心して、二人と対峙する。


 二人は同時に動いた。

 それぞれ、右の者がディランを、左の者がレビを狙ってくる。


 剣と剣が、棒と剣が、衝突した。

 ディランは左をレビに任せ、相手と剣を突き合わせる。じりじりと、刃が低く鳴った。つばぜり合いのさなかに、相手の茶色い瞳が彼を正面から捉える。

「貴様。なぜそれほどまでに、娘を守る」

「言っただろ? 俺は雇われ者だから、雇い主の意向に従うまでだ」

 それ以上でも、それ以下でもない。少なくとも、このときのディランはそう思いこんでいた。

 柄を握る手に力を込める。相手の剣をわずかに押して、ディランは前に踏みこもうとした。少年の耳に、ささやきにも似た声が届く。

「『烈火』は、損益を天秤にかけることを教え込んでいるものだと、思っていたがな」

「――へえ。知ってるのか」

 ディランは眉を上げた。対して相手は、舌打ちをした。

 育ての親の名を出せば動揺するかと、期待したのかもしれない。ディランはその思惑を、鼻で笑ってしりぞけた。黒ずくめが続ける。再び、剣にこもる力は拮抗きっこうした。

「先におまえたちを襲った者がおもしろいことを言っていたので、調べさせてもらった。――もっとも、調べるまでもなく、その筋の者たちの中では有名な話のようだったが」

『烈火』と名高き傭兵が、子どもを拾って育てている、と。静かな声は淡々と言う。

 ディランの脳裏に、年老いた槍使いの顔がちらついた。けれど、それはおくびにも出さず、ディランは刃をわずかに逸らし、相手の力を流してゆく。

 そして、彼の剣は、相手の剣を弾きあげた。黒ずくめはよろめきこそしたものの、剣を手放しはしない。

「師匠はまわりの人間が思うほど冷酷じゃないし、俺を自分の分身として育てたつもりはないと思うけどな。俺は俺の意思で、ゼフィーの手を取ったまでだ」

 答えはない。ディランが改めて構えると同時に、隣から激しい音が聞こえてきた。

 長い剣身と棒の中ほどがぶつかり合う。こすれあう音が高く響いて、まわりの者の耳をうがった。レビは身をかがめ、棒を回転させる。けれどその間に――ディランの前に立っていた者が、相方へ目を配った。

 すると、レビが前へ駆けだす直前になって、黒ずくめの姿が消えた。少年はハシバミ色の目を見開いて慌てて止まったが、つんのめって転びそうになる。なんとか耐えたレビは慌てて視線を巡らせ、細く息をのんだ。

 彼の前から消えた黒ずくめは、実際は横に跳んで、ディランへ狙いを定めていたのだ。

 迫るふた振りの剣を前に、ディランは舌打ちした。

『烈火』の名を使った先ほどのやり取りで、彼らは決めたのだろう。こちらを先に始末する、と。

 剣で受けようとしても間にあわない。片方を受けられたとしても、もう片方に斬られる。後ろに下がるひまはなく、前へ飛び込めば頭を割られる。ならば――とディランは腰を落とした。だが、彼の思惑が形になることはない。

 凍りつくような一瞬の後、ひゅっと細い音が響いて、何かが左の黒ずくめの腕に刺さった。

 彼は目を見開く。利き手である右の腕に刺さったのは、赤い羽の矢。駆け巡る激痛に、否応なく腕と手が震え、剣は指から離れて落ちた。

 けたたましい音が響く。右の黒ずくめも思わずといったように動きを止め、相方を振り返っていた。

「な、なんだ! 何事だ!?」

「……! この、矢は」

 矢を強引に引き抜くと、二人は揃って目を見開く。ディランもまた、一歩下がりながら息をのんでいた。あの矢羽に見覚えがある。

 最初に放たれた、矢の――


「はいはい。そこまでー」


 緊迫した場にそぐわない、のんきな声が響く。木立に潜んでいた者たちを含め、全員の視線が一か所に集中した。直後、木の上から何者かがひらりと飛び降り、着地する。

『彼』はぐるりとディランたちを見回して、不敵に笑った。その両目がやがて、二人の黒ずくめに向く。

 矢を受けた方が、瞳に怒りをたぎらせた。

「おまえはっ……!」

「君らみたいなしたっぱが、あの娘っこから何を奪おうと勝手だが」

 憤怒の声をさえぎった『彼』は、左腕を上げる。人差し指を思わせぶりに突き出して――

「彼を始末されちゃ、困るんだよねえ」

 ――はっきりと、ディランを指し示した。

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