第三章

10.戸惑いと森の終わりは見えず

 風を受けて、がたがたと音が響く。屋根か、柱か、扉か。その辺が悲鳴を上げたのだろうと、センは他人事のように考えていた。実際、どうでもよいのだ。臨時の拠点でしかないのだから、人が住めないほどぼろぼろになったと判断されれば放棄して、別の場所に行くだけである。それに、もとよりとうの昔に打ちすてられた城塞なのだ。わずかな間でも使われただけで、幸運というものだろう。

 それより、とセンは考えて、ため息をついた。

首領おかしらから直接呼びだしとはねえ。嫌な予感しかしねえや」

 ああやだやだ。男のぼやきは、崩れそうな石壁に反響して消える。

 センはただでさえ、この組織の中で便利屋のように見られている。確かに、ひとより俊敏に動けるし、情報収集や隠密行動も得意だ。けれど、それをいいことに幹部たちは、自分たちがするべき諜報活動までセンに押しつけてくるから、問題なのである。

 さらに問題なのは、彼らを束ねるおさの方が、それに輪をかけて人使いが荒いということだが。

「統率力があるのは認めるんだけどなあ。あの傲岸不遜な態度は、どうにかならんのかな」

「誰が傲岸不遜なの?」

 突然、後ろから冷やかな声がけがあった。センは素早く振りかえるが、動きとは裏腹に、表情はまったく変わっていない。――気配はずっと、感じていたのだ。

 センのすぐ後ろに立っていたのは、少女だ。とはいえ険しい表情と短く切られた髪の毛のせいで、小生意気な少年にしか思えない。おまけにその釣り目で睨まれると、けっこう怖いのだ。

 センは舌打ちをこぼして少女をねめつける。

「チトセかよ。なんか用か? 俺ぁ今から、首領んとこに行かなきゃなんねえんだが」

 男は威嚇するように言った。声は低く、目がすわっている。凡庸な人であれば、すぐに逃げ出してしまいそうな怖さがあった。けれど目前の少女はまったく動じていなかった。

「あたしはその首領から伝言を頼まれてきたの。誰が好きこのんでわざわざあんたのところに足を運ぶのよ」

「……おまえ、いちいち腹立つこと言うよな」

 少年のような少女は淡々と毒を吐く。センはげんなりして、肩を落とした。彼女と会話をするといつもこんな感じだから、ひどく疲れるのである。

 しかたがないので、仕事の話を進めることにした。

「で? 首領おかしらは自分から来ないで、おまえに言伝ことづてしたのか。相変わらず傲慢だな」

「文句言うなら誰もいないところで言えば? 聞く人が聞いたら怒り狂うよ。

――まあとにかく、その首領からだけど。なんか、変な小包を狙ってる連中のこと、知ってるでしょ」

 無造作に振られた話題がなんのことかすぐにはわからず、センは首をひねった。けれど、ややあって、先日聞かされたばかりの『あれ』の話かと思いいたる。商売敵が血眼になって探していたものを、ある少女が持っているということだ。センは興味がない上に、彼のあるじも関わろうとしていないのですっかり忘れていた。

「ああ。ご苦労なことだよな。たかだか娘っこ一人に何十人何百人と群がってんだろ」

 聞いた話を思い出しながら答えると、少女が鼻を鳴らす。

「その、何十人何百人の中にまぎれこんでこいって」

「はい?」

「首領の命令」

 しかめっ面の少女の前で、センはぽかんと口を開けた。自分は今、さぞ間抜けな顔になっているだろう、と思いながら、辛うじて言葉をひねり出す。

「……どういう風の吹きまわしだ? ついに首領おかしらも、『あれ』に手を出す気になったか」

「違うみたい。首領が気にしてるのは、小包でもそれを持ってる少女とやらでもない」

「じゃあ、何」

 重ねて問うと、少女は面倒くさそうな顔で答えたのである。

「少女とやらに雇われた流れ者。そいつを『見極めたい』ってさ」


           ※


 さわさわと、風にそよぐ木々の上を鳥の群れが飛んでゆく。羽音は静寂の森に落ちて、少しだけ、あたりに反響した。

 地面をちょろちょろ走っていたリスが、羽音に驚いて顔をあげる。それから、勢いよく手近な木の上にのぼった。そうしてリスがつぶらな瞳で地上を見つめると、新たな音が今度は地上から響いてきた。三人分の、人間の足音である。

 足音の主たちは、森が深くなってきたことに気付いて、それぞれの表情で木々を見上げた。

「けっこう進んだな。日も高くなってきている」

 呟いたのは、三つ編みの少女。つまりゼフィアーである。彼女はひとりで何度かうなずいてから、すぐ隣に立っているディランを振りかえった。

「方角はあっているぞ。分かれ道も今のところないし、このまま進んで平気だ」

「ああ。……まあでも、一晩を森の中で過ごすことにはなるだろうな」

 ディランは言って、担いだ布袋を一瞥してから、腰にさげてある水袋を振った。ちゃぷちゃぷ、とかすかな水音が響いて、一行の安堵を誘う。

「このところ天気がいいから雨水の補給ができないなー。どこかに水場はないものか」

「森に水場はなかったと思いますよ。森を出れば、川が流れていた気がします」

 ゼフィアーの愚痴に、生真面目な返答がある。リフィエ村から同行してきた少年、レビは、慣れた足取りで二人に追いつくなり、冷静に語ったのである。ゼフィアーの眉間にしわが寄った。

「ということは、なんとか森を出るまで水を節約せねばならんな。――ところでレビ、そのマジメな口調はどうにかならんか?」

「え?」

 独白に混ぜられたささやかな苦情に、それを向けられたレビは目を丸くする。村を出てからひそかに同じことを考えていたディランが、ここぞとばかりに便乗した。

「そうそう。俺も思ってた。これから一緒に旅するんだし、お固いのはなしにしよう。ずっと気を張ってると疲れるぞ」

「ええ? でも、ディランさん」

「せめて『さん』づけ外さないか?」

 ディランが目ざとく指摘すると、レビはええ……と漏らして縮こまる。その様子を見ながら、ディランとゼフィアーは仲良く肩をすくめた。

 他人行儀にされたくないのは確かだ。けれど、砕けた態度はあまり強いるものでもない。そう結論付けて、彼らはレビの緊張が解けるのを待つことにした。

「カルトノーアまであと一歩だ! 踏ん張っていくぞ!」

 空気を入れ替えるように、ゼフィアーががらりと話を変える。それはまた、事実でもあるので、ディランはすなおにうなずいた。

「そうだな。これでうまく荷物を相手に渡せれば、護衛もようやく終わるし」

「ディランに後金を払わねばならないな。安くて申し訳ない」

「別にいいさ」

 少女の真剣なまなざしを、少年は苦笑で受け流した。

 本人のいうとおり、今回の依頼の報酬は通常の護衛依頼と比べて、かなり安いものである。宿屋で依頼を引き受けたあの夜に前金を受け取ったが、そのときも額の低さは感じた。けれど、ディランはそれに不満を抱いてはいない。ゼフィアーのお財布事情がよろしくないのは理解していたし、何よりディランも自分のために依頼を引き受けたのだから。

「護衛ですか。そういえば……」

 二人の会話をそれとなく聞いていたレビが、そのやり取りを聞いて、口をはさんだ。

「お二人はカルトノーアに着いて、ラッド・ボールドウィンに小包を届けたら、そのあとはどうするんです?」

「そのあと、か」

 唐突に問いが向けられる。第三者の彼でなければ思い至らなかったであろう話に、ディランたちは首をひねった。ゼフィアーが人差し指で頬をかく。

「配達と黒い人に夢中で、ぜんっぜん考えてなかったな。

……ま、今までと変わらず放浪の旅に出るだろう。まだまだ、世界には知らない場所がたくさんあるだろうしな」

 困ったようにしていたわりに、あっさり締めくくったゼフィアーは、そこでふと目を大きく開いて護衛を仰ぎ見る。

「いっそ、このままディランにくっついていってしまうのも、それはそれでおもしろいかもしれないな!」

「そうなるとやかましくなるなあ。飽きないからいいけど」

 突然、少女から思わぬことを提案されて、ディランはたじろぐ。けれど――と、ゼフィアーと共に歩む旅路を想像してみれば、彼女の言うとおり、案外悪いものではないかもしれない、と思えた。

 レビも和やかな空気を察してか、楽しそうに棒を握り直す。

「そのときはぼくも一緒に行きますね。ディランさんも、ゼフィアーさんみたいに放浪してるんですか?」

「いや。俺は一応目的があって」

 場の雰囲気に流されて、ディランは少年の質問にさらりと答える。だが、そこでひとつの失態に気がついて顔をしかめた。

「――あー。仮に二人がついてくるんなら、その話、しないとな」

「そういえばそうだな!」

 ゼフィアーも今思い出したのか、勢いよく身を乗り出して、責めるような視線をディランに注ぐ。

「あれから結局、ディランの『目的』について、何も教えてもらっていないではないか! 水臭いぞー!」

 叫びながらゼフィアーは駄々をこねる子どものように拳を振るう。少女の声が森に反響するのを聞いたディランは、「ちょっと声落とせ」と慌ててたしなめた。それから、咳払いする。

「……あんまり、他人を巻き込みたくないんだがな」

「そこが水臭いと言っているのだ! 今までは雇用関係というやつだったから、私も無理に踏み込もうとは思わなかったが……」

 ゼフィアーの言葉に呼応するように森が揺れる。奇妙な静寂が、ほんのわずかな間、一行を満たした。

「……それで結局、ディランさんの目的ってなんなんですか?」

 ばつが悪い、という風情で黙りこむディランへ、レビが再び訊く。

 ディランは、言うか言わないか、ふたつの選択肢の間をふらふらさまよった末に、重い口を開いた。

「それは――」

 だが、その瞬間に、三人の周囲を鋭い殺意が満たした。急激に張りつめた空気を肌で感じた三人は、即座に意識を切り替える。おのおの武器に手をかけたが――それを振りまわすまでにはいたらなかった。ふくれあがる殺気を感じて、ディランはとっさに叫ぶ。

「二人とも、屈め!」

 二人は指示に従った。正確には、いち早く反応したゼフィアーがレビを引きずり倒した。同時にディランが抜剣して、刃で空中をなぞる。刃が何かを弾いた。かすかな手ごたえを感じる。

 ややあって、森のやわらかい土に鋭いものが落ちた。鋭くとがったやじりと、浮き立つ赤い矢羽。ゆっくり起き上がり、サーベルを抜いたゼフィアーが、顔をしかめた。

「ついに弓を使ってきたか」

 言って、周囲を見渡す。レビもそれにならい――三人そろって、絶句した。

 いつの間にか、彼らを取り巻く木々の陰には、黒ずくめの集団がひしめき合っていたのである。

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