6.獣と少年

 細い道を行く二人の旅人は、その途中で足を止めた。小さな地図を開いて、道を確認する。それから、他愛もない話に興じる――ふりをして、周囲をうかがった。

 道沿いにのびる木立こだちの中に、うごめくものを感じる。突き刺さる、冷たい視線。旅人の一人、黒い髪の少年は、隣に立つ少女に目をやった。

「ゼフィー」

「うむ」

 少女はふたつの三つ編みを揺らしてうなずくと、屈みこんで、道端に落ちていた石ころを拾い上げる。手に持って、少し尖った先端をしげしげと眺めると、ふいに木立の方を振り返って石を投げた。

 矢にも劣らぬ速さで飛んだ石は、薄暗がりに吸い込まれ、がつんと何かにぶつかった。木立の先からうめき声が聞こえる。そして、次の瞬間、閃いて少女の方に飛んでくるものがあった。鋭い切っ先を見て、少女が顔色を変える。だが、彼女が何か行動するよりも早く、少年が少女の前に飛び出した。素早く剣を抜き放ち、飛んできたもの――投げナイフを弾き飛ばす。きん、と甲高い音が鳴った。

「さすがだな、ディラン」

 少女は冷静に評価する。先ほど動揺したのが嘘のようだった。少年、ディランは振り返らずに言葉を返す。

「ゼフィーこそ、なかなか演技がうまいな」

「お褒めにあずかり光栄だ。奴らから見えていたかわからないのが惜しいところだけども」

 ゼフィアーは嬉しそうに言うと、自分もサーベルを抜き放った。研ぎ澄まされた刃先が、柔らかな陽の光を反射して、ちかりと光る。同時に、木立の中から数人の黒装束が飛び出してきた。ただ、今日の者たちは今までと衣の色が違う。真っ黒ではなく、若干青みのかかった黒である。襲ってくる集団の種類をある程度把握してしまったゼフィアーが、鼻を鳴らした。

「前に来たときよりは考えたようだが、まだ甘いな。――ディラン!」

「わかってる」

 短い言葉が終わるやいなや、ゼフィアーは鞄から小包を取り出す。振り向きざま、それをディランの方に放り投げた。彼は器用に受け取ると、自分の鞄の奥にねじ込んだ。固い感触が伝わってくるが、それで中身が知れるはずもない。

 襲撃者たちは、一瞬ではあるものの、目に焦りの色を浮かべた。だが、すぐに表情を消すと、一斉にディランに向かって襲いかかってくる。彼らが動きだすと同時に、ディランもまた道に沿って走り出した。

「あくまでも荷物狙い……っていうのはこれで決まりだな」

 ディランの手に小包が渡った途端、彼らはそちらに集中し、ゼフィアーには目もくれない。

 これが本当に冷酷で抜け目ない連中であったのなら、わずかな間だけでも秘密を握ったゼフィアーも放ってはおかないだろうが、彼らはそういう手合いではないようだ。

 背後から剣が突き出される。ディランは、走りながら、自分の剣で弾き返す。二合、三合と繰り返して、彼は舌打ちをした。

 前方に数人の黒装束が立ちはだかっている。彼らは槍をディランに向けて待ち構えていた。少年はちらりと視線を動かす。少し先の地面が大きく隆起しているのが見えた。

 走る足は止めないで、剣は収めた。黒装束たちは驚いたようだ。視線を交わし合っている。

 その間にもディランは勢いよく助走をつけ――突き出した土に足をかけた。

 少年の身体が宙を舞う。

 大きく前方に跳び上がった彼は、足を振り上げた。

 そして――敵の頭めがけて、ひゅっと振りおろす。

「――せいっ!」

 ディランの蹴りは黒装束の一人の顔面に直撃した。蹴りを受けた黒装束は声すら上げずに倒れ伏す。ディランは隣の者の腹を蹴ると同時に、最初の一人が落としかけた槍を奪った。構えをとって襲ってきた者たちの得物を、奪った槍で弾きあげる。

「な、なんだこいつ!」

「怯むな! まだ仲間がいるだろう! 今はあれに集中を……」

 立ち回りのさなか、そんなやり取りを聞いた。ディランは喚いていた一人に槍の穂先を突きつけると、にやりと笑う。

「悪いね。俺は、依頼されたことだけやるような、真面目な奴じゃないんだ」

 穂先を突きつけられた者の顔が青ざめるのが、わずかに露出した肌だけでもわかった。ディランはじっと黙って槍を構える。その威圧感に圧されたのか、周りの者たちも冷や汗をかきながらにじり寄るだけだ。

 ディランが槍を突き出す――その前に、後方から叫び声があがる。正体不明の少年を囲んでいた者たちが、何事かと振り返り、動きを止めた。

 彼らを援護しようと集まってきていた黒装束たちが、少女を相手に押されていたのだ。その少女は、サーベル片手に突き、斬り、飛んでは跳ねる。戦いというよりは剣舞のように動き回っていた。

 今も、一人を足蹴あしげにしたついでに背後から攻めてきた一人の額を容赦なく切りつけたゼフィアーは、その勢いのままディランの方へ走ってきた。

 固まっている黒装束に気がつくと、満面の笑みを浮かべる。

「いやあ! 予想はしていたが、ここまで見事に無視されるといっそ清々しいな!」

 彼女の声は乱闘のさなかとは思えない明るさだ。ディランは、ぽかんとしている襲撃者に向けて笑いかける。先ほどとは違う、悪戯っぽい表情で。

「だから言ったろ。『依頼されたことだけやる』んじゃないって」

 気がつけばあたりはだいぶん静まり返っていた。ディランばかりに目を向けていた者たちは、あらかたゼフィアーの洗礼を受けたらしい。

 ディランは、突きつけた槍をそのままに、問う。

「さて。まだやる?」

 答える者はいなかった。


「なんか、落ち着いたら悲しくなってきたぞ」

 少しの騒動ののち、ゼフィアーが歩きながら呟いた。ディランは目をみはる。

「どうしたんだよ急に」

「だって、みんな小包が移動した途端に無視するんだぞ。今までさんざん追いまわしてたくせに」

「狙われないだけいいじゃないか」

 どうやら、すねているらしい。

 垣間見たゼフィアーの子どもらしい一面に苦笑しつつ、ディランは小包を彼女に返した。ゼフィアーはまだ何やらぶつぶつ言っていたが、小包を渡されると素直に受け取って、鞄にしまいこむ。

 最初に訪れた村をってから、すでに五日が過ぎていた。二人は断続的な襲撃を切り抜けつつ、道沿いに東南へと進んでいる。

 ゼフィアーが遠くを見る目をした。

「『リフィエ村』とやらには、まだ着かないのかな」

 それは、ひとまずの目的地と定めた村の名だった。リフィエからさらに南へ進むと森林に入る。その森林を抜けさえすれば、カルトノーアはもうすぐそこ、というわけだ。

 ディランはあたりを見回しながら、ふむ、と呟いた。無意識のうちに顎に指をかける。

「そろそろ着く頃だろうとは思うけどな」

 彼は布袋を軽く揺らす。中でかさかさと乾いた音がした。

「というか着いてほしい。保存食がそろそろ少なくなってきた」

 一応、立ち寄る小さな集落などで補給はしている。それでも買える量には限りがあったのだった。食糧事情はきちんと理解しているのか、ゼフィアーも、むう、とうなる。そんな彼女がふいに地面を見て、目を瞬いた。

「これは……」

「どうした?」

 ディランも彼女の視線を追って、閉口する。

 人の手で整えられたはずの道に、妙な足跡があった。形から見て――狼のたぐいか。その足跡は道を蛇行した後、藪の中へ消えている。

「野獣が道まで出てくるのか?」

「みたいだな。別に珍しい話でもない」

 興味深そうなゼフィアーとは対照的に、ディランはやや冷めた目で足跡を見ていた。

 むしろ、今まで追手以外に出くわさなかったことが奇跡なのだ。野営を張ったときなど、視線は感じたが、獣たちは襲ってこなかった。

 思考にふけりかけたディランはけれど、あっさりとそれを投げ捨てる。

「まあ、俺の場合いつものことか」

 呟いた、瞬間。遠くから悲鳴が聞こえた。空気を切り裂くような、高い声。鳥たちが声に反応して飛び立ち、羽がやかましく鳴った。

 ディランとゼフィアーは顔を見合わせると、どちらからともなく走り出していた。


 道からわずかに外れたところで、狼が目に怒りをたぎらせていた。このあたりで見る狼の中では、一、二を争うであろう大きさだ。微妙に開かれた口からは生温かい息と低いうなり声がもれる。

 狼の目の先にいるのは――一人の少年だ。金色の髪とハシバミ色の目、優しげな顔立ちの少年は、長い棒を手に狼とにらみあっている。

 いや、むしろ、少年の方が狼ににらまれっぱなしだった。

「あっ、あのう」

 少年が口を開く。狼はうなった。

「縄張りに入ったことは、その、ほ、ほんとうにごめんなさい。けどぼく、とりたいものがあるだけなので――」

 口早にそこまで言った少年は、狼のウゥッという声を聞いてすくみあがった。棒を持つ手が震える。

 狼の目が細められた。敵意は膨らむばかりだ。少年の顔から、いよいよ血の気が引いたとき。

「なにやってんだ」

 疲れたような声とともに、旅人は割り込んだ。

「え?」

 素っ頓狂な声。

 ディランは声の主を一瞥して、狼と対峙する。狼は突然の闖入者ちんにゅうしゃに警戒を強めて背を丸めた。が。

「よう」

 ディランがそれっきり無言で見つめると、狼は少しずつ震えだす。

 青い瞳が細められ――常人にはわからぬ、底知れない力をまとった。

 震えあがった狼は、一気に頼りない様子になると、ディランに背を向けてすごすごと木々のむこうへ消えていく。尻尾はすっかりたれさがってしまっていた。

 狼の後ろ姿を見送って、ディランがため息をついたところで、ゼフィアーが追いついてくる。

「すごいな。目だけで追い払ってしまった。ディランはもしかして、私が思ってるよりさらに強いのか?」

「さあ」

 少女の問いにディランはかぶりを振る。それから、ふと遠い目になった。

「前からこうなんだ。動物にはやたら好かれるか逃げられるか、って感じで」

「極端だな」

「俺もそう思う」

 ゼフィアーの率直な意見に、ディランはひらりと手を振った。それからおもむろに振り返ると、ハシバミ色の瞳がこちらを見ていた。

 問題はこの子か、と思ったとき、その少年はいきなりがばりと頭を下げた。ゼフィアーが、おお、とのけ反る。

「あ、あ、ありがとうございます! 正直死んじゃうかと……!」

「礼はいい」

 嘆息混じりにさえぎると、ディランは一番訊きたかったことを口にした。

「それより少年。どこから、何をしに来たんだ?」

 狼とにらみあっていた時点でろくなことをしてはいないだろう、と予想しながらディランが答えを待っていると、少年は伏し目がちになりながらも口を開いた。

「えと、リフィエ村から、探し物をしに――」

「リフィエ村、って」

 少年の口から出た地名に、ディランとゼフィアーは再び顔を見合わせていた。

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