5.世界の姿

 恵みの雨、育みの大地、運びの風、猛りの炎、源の光、安息の闇。

 の大いなる源こそ、竜魂りゅうこんである。

 竜魂ゆらめき、生命いのちは巡る。それこそが、世の営み。


 営みを司りし者もまた、偉大なる竜である。



     ※



 ドナから一歩踏み出すと、舗装された道が細長く西へ東へ伸びている。点在する都市と町とを結ぶ街道がそれぞれ整備されているのだ。人の往来が多い町だからだろう。素直に街道を進んでいけば、野獣や賊に狙われる可能性は低い。けれど、今回ディランとゼフィアーがカルトノーアを目指すにあたって選んだのは、その街道を外れる道程だった。

「まー獣道でないだけましだなー」

 ゼフィアーが歩きながらぼやいて、足もとの土を蹴り上げた。間延びした声が、青い空に高く響く。ディランはちょっと顔をしかめ、彼女の頭に手をおいた。

「土埃が舞うからやめろ、ゼフィー」

「む、すまない。ついやりたくなった」

「なんだそれ」

 気になる一言がついた謝罪に、少年は呆れた。一方、当の少女は護衛の苦言に従って、素直に地面を蹴るのをやめた。ディランは過去の言葉に思いを巡らすのをやめて、さりげなくあたりを観察する。

 二人が今歩いている道は、ゼフィアーの言う通り獣道ではない。土がむきだしだが、人の手できれいに整えられていた。ところどころ草がぼうぼうに生えていたりするのは、よくあることである。

 あたりは静かだ。草木のざわめきと、鳥のさえずり、そして二人の足音だけが響く。今のところ不穏な気配も感じない。ディランはゼフィアーに、正確には彼女の鞄に目をやる。

「誰も襲ってこないな。昨日の連中はあれで少し懲りたかもしれないけど、小包を狙ってる集団はひとつじゃないんだろ。『おまえ』の話からすると」

「うむ。けども……」

 一度言葉を切って、ゼフィアーは真面目な顔になる。

「こちらが警戒を強めたことと、『やたら強い流れ者』が私の味方になったという情報をどの集団も得ているのではなかろうか。だから、すぐには動かない」

「なるほど」

 ゼフィアーの推測に、ディランはうなずいた。

「昨日の連中が宿屋に襲撃を仕掛けたこと、ほかの集団も苦々しく思っているのではないかな」

 そう言うゼフィアーの声には、しめしめ、とでも言いたそうな色がある。一方ディランは、事態を深刻に捉えていた。

 ゼフィアーの言う通りだとすれば、昨日は少しやり過ぎたのかもしれない。相手の情報が少なすぎたため、こちらが死なぬ程度には力を出した。自分たちの身を守る、当然の行動と判断だ。けれど、かえって敵に「排除すべき相手」と判断されたとしたら……。

 考えたら頭痛がしてきたような気がして、ディランは頭を押さえた。

「まあ、どうせゼフィーの護衛をやってる時点で、狙われるのは確定だからな。気にしてもしかたないか……」

 呟いていると、ゼフィアーが彼に顔を向けて首をかしげた。独り言が聞こえたのだろう。

 ディランが見つめ返すと、少女はなぜか、不敵にほほ笑んだ。そして、今は鞘に収まっているサーベルを叩く。

「護衛だからといって、一人で背負わなくていい。私も、結構戦えるからな」

 ディランは目を瞬いた。――まさか、気を遣われるとは思わなかったのである。任せておけ、と戦う前から張り切っている様子を見て、少年は苦笑した。

「腕前は、昨日ので十分わかった。信用はしてるさ、ゼフィー」

 そして、小さな声で「ありがとう」と付け足す。感謝の言葉が聞こえたのか否か、ゼフィアーは力強く拳をにぎった。

「うむ、頑張るぞ!」

 純粋な決意表明が、高い空を鳴らす。

 ディランは、その空を仰いだ。太陽はもうすぐいただきに達しようとしていた。ずっと歩き通しだったからか、なんとなく腹がすいてきた気もする。ディランは周囲を見て、少し先に大きな木を見つけると、同行者を振り返った。

「さて。そろそろ昼飯にしないか?」

「賛成だ! お腹ぺこぺこだ!」

「ははっ、決まりだな」

 こうして二人は、木陰でいったん足を休めるとともに、ほのかに甘い堅焼きパンと、これまた歯ごたえのある干し肉をかじって昼食を済ませたのだった。


 休みながら移動を続けた二人はこの日、襲撃に遭わなかった。――ただ、尾行されているのは確実である。ディランもゼフィアーも、時折突き刺すような視線を感じていたのだ。二人の見解は一致した。

 そして、日が傾いて、空がうっすら金色を帯びてきた頃。

「む」

 目陰をさして遠くを見ていたゼフィアーが声を上げ、半歩後ろからついてきていたディランを呼んだ。

「ディラン、むこうに何か見えた! あれは多分村だ!」

「ん?」

 ディランも言葉を受けて目を凝らす。地平線の先に、ぽつぽつと家らしき影が見えた。家の先から細く立ち昇っている煙は、炊煙だろう。

「本当だ。村みたいだな。明るいうちに着いてよかった」

「泊めてもらえるかどうかが問題だな」

「大丈夫だとは思うけど」

 言葉を交わしながらも、二人は少しだけ足を速める。みるみるうちに影は薄らいで、木の柵で囲われて小さくまとまっている家々が見えてきた。住まいが十軒あるかないかの小さな村らしい。

 柵の切れ目、村の入口に辿り着くと、二人の姿に気づいた人が振り返った。癖のついた長い白髪が印象的な、老婆だった。

「おやまあ。旅人さんかね、珍しい」

 老婆は言うと、ほほ笑んだ。目尻にしわが刻まれる。「そんなところです」とディランは肩をすくめた。彼の言葉を引き取って、ゼフィアーが続ける。

「おばあさん、突然で申し訳ないが、今夜どこかに泊めてもらうことはできないか?」

 少女の言葉に、老婆は目を瞬く。それから、「まあ、まあ」と繰り返した。二人の方にゆっくり歩み寄ると、ゼフィアーの茶髪を優しくなでる。

「よく見たら二人ともまだ若いのに、頑張ってるんだねえ。泊まるところを探しているなら、うちに来るといい」

 あっさりと受け入れられた。規模の小さい村落そんらくの中には閉鎖的なところが多いのだが、この村はそうでもないのだろうか。身構えていたディランは、安堵しつつも訊き返す。

「いいんですか」

「もちろんさ。これから話をしてみるが、村長も、いいと言ってくださるだろう」

 老婆はにこにこしながら言う。


 その言葉が終わらないうちに、村全体に音が響き渡った。


 小さな鐘の音だ。からーん、からーん、と鳴り続けている。町の教会の、大きな鐘のような重い音ではないが、どこか郷愁を誘われる響があった。余韻を残しつつ消えていく音に、老婆が慌てた様子を見せた。

「おやいけない。もう、そんな時間かね」

 呟き、走り去ろうとして、立ちつくしたままの旅人のことを思い出したようだ。はた、と足を止め、二人を見る。

「そうだ。旅人さんたちも一緒に来るといい。村の者全員が集まるから、顔みせにもなるしね」

 いやあ、いいときに来たねえ、と老婆はなんだか楽しげだ。そして村全体を見てみれば、誰もが足早にどこかへ走っていくようで。ディランとゼフィアーは顔を見合わせてから、老婆に目を戻した。

「何か始まるのか?」

「うん?」

 ゼフィアーの問いかけに、老婆が訊き返す。不思議そうにしていた彼女だが、やがて、しわだらけの手を打った。最近の人は知らないかねえ、と小首をかしげ、二人に村の慣習を教えてくれる。

「これからね。祈りが始まるのさ」

「――祈り?」

 ディランたちは、声を揃えて繰り返した。


 小さな村の北端には、奇妙な物体が立っている。一瞬、教会か、と思うだろう。けれど違う。扉はないし、中も人が入れるような空洞にはなっていない。

 三角錐の大きな物体は、青銅でできている。かなり古いものであるが、村人が入念に手入れをしているおかげで、年月の割に錆や汚れは少ない。それどころか、ほんのかすかな光沢も見て取れる。

 物体の表面には、彫刻が施されていた。植物の蔓のようにも見える複雑な紋章が、三角錐の下の方で大きな輪をつくり、絡み合いながらのぼっていっている。そして、輪の中には蜥蜴とも蛇ともとれる翼をもった生物の姿があった。

「あれはもしかして……竜、か?」

 ゼフィアーが声を上げた。つぶらな瞳が好奇心に輝いている。

 ディランたちは老婆に案内され、三角錐の近くに来ていた。村人たちも、ほぼ全員が集まっている。

 少女の声に、老婆が答えた。

「そうだよお嬢ちゃん。あれは竜だ。私たちはこれから、竜への祈りを捧げるのさ」

「何を、祈るのだ」

 ゼフィアーが問う。その声に明るさはなく、いつもより低く沈んでいた。老婆はわずかに目を伏せる。

「日々のお恵みへの感謝と――謝罪だよ」

 彼女はそれだけ告げると、村人と共に祈るためだろう、輪の中に入っていった。ディランはその背を見送った後、ゼフィアーを見下ろす。

 黄昏にかげった瞳には、長い年月を経た者のような、鈍い光が湛えられていた。

「ゼフィー」

 呼びかけると、顔が上がる。ディランは遠くを指さした。

「始まるみたいだ」

 また鐘が鳴る。今度は短く、三回だけだ。

 鐘の音に合わせ、三角錐を囲んだ村人は一斉にひざまずく。そうして、誰かが「言葉」を唱え始めた。しわがれた男の声。村長なのだろうか。

 唱えられる言葉は、今このあたりで使われている言語ではない。耳に慣れない音は、低く、淡々と、茜の空へ立ち昇る。初めて聞く言葉だが、ディランは何となく意味がわかった。

 老婆の言った通りだ。お恵みへの感謝と、懺悔と、謝罪。

 一人の言葉が終わると、同じ内容を村人たちが唱え始めた。重なりあった声は先ほどよりも重く聞こえる。

 ディランもゼフィアーも、黙って聞いていた。だが、そのうち、ディランはこらえきれなくなって目を伏せる。

 ――無性に、悲しくなった。

 理由はわからない。けれど、胸をぎゅうっと締めつけられるような、そんな悲しみがこみあげてきたのだ。

 彼はその場に膝をつく。ゼフィアーが驚いたことは知らなかった。ただ、無我夢中で祈っていた。人々の声が絶えるまで。


 どうか悲しまないで。嘆かないで。


 なぜか、そう叫びたくなった。



     ※



 祈りが終わると、二人は村長に挨拶をした。年老いた村長はけれど、明るく気さくな人で、素性も知れぬ者たちを快く迎え入れてくれる。村人もまた、同様だった。

 そして、暗くなる前にと老婆の家へお邪魔したのである。

「大したものが出せなくて、ごめんなさいねえ」

 申し訳なさそうにほほ笑んだ老婆が振舞ってくれた夕食は、麦粥と、肉と豆のスープだった。ほかほかと湯気を立てるスープに、ゼフィアーが感動している。

「堅焼きパンより美味しそうだ!」

「比べるな」

 ディランは笑いながらそう言って、老婆にお礼を述べた。いいよいいよ、と老婆は手を振って、自分の分の食事を置き、二人の向かいに座る。二人はその間に、なんとなく家の中を見ていた。

 入口の反対側に、簡素な調理台と小ぶりのかまど。今、三人がいるのは、調理場とは低い壁で仕切られている、扉よりの空間である。テーブルや椅子はないので、むしろを敷いて地べたに座っていた。隅には古い布をのべただけの寝床が見える。料理をしたばかりだからだろうか。なんとなく家全体が煙っているが、ディランにはそれがかえって心地よい。

「じゃあ、いただこうかねえ」

 老婆の穏やかな声で、夕食は始まった。

 三人で麦粥とスープを食す最中、ゼフィアーが口を開く。

「あの、おばあさん。さっきの祈りのことだが」

「うん」

「毎日あれをやっているのか?」

 少女の声にはためらいがある。ディランは依頼をされたときのことをなんとなく思い出していた。老婆が、うん、と言うのが聞こえた。

「毎日あの時間にね。欠かさずやっているのさ。ずっとずっと昔、私が生まれる前からの、習わしだそうだよ」

 ディランはふと、匙を動かす手を止めて老婆を見た。

「俺はいろんなところを回っていますが……あれほどの祈りの儀式を見たのは、初めてです」

「だろうねえ」

 老婆はうべなって麦粥をすする。それから、木の椀を、とん、と床に置いた。居住まいを正した彼女を、ディランたちは揃って見つめた。

「もう正式な祈りを覚えているのは私たちだけかも――と、村人の間ではよく言っとるものさ」

 優しく細められた目が、窓の方へ向く。

 今まさに陽が落ちようとしているところで、紺色の空の端に陽光の赤色がのぞいている。まるで炎のように。暗がりに抱かれつつある草原と家は薄青く染まって見えた。


「恵みの雨、育みの大地、運びの風、猛りの炎、源の光、安息の闇。

 其の大いなる源こそ、竜魂である」


 老婆の口が、滔々とうとうと、音を紡ぐ。静かな調べは夜が訪れようとする村に、そっと染み出していくようであった。音がわずかに途切れたとき、少女の声が後を引きとった。

「死した竜の魂は、命あるものの活力となり、生きとし生ける竜たちは、同胞の魂とそれを抱く自然に、大いなる加護を与える」

 老婆とディランの視線が、同時に三つ編みの少女へ向いた。彼女は二人が見ていることに気付くと、目を開けて悪戯っぽく笑う。

「何か間違っていたか?」

「――いや、そういうわけじゃないけど」

 ディランは放心状態で返す。ゼフィアーは、今度は声を立てて笑った。

「五歳の子どもでも知っていることだ。あちこちふらふらしている私が、知らぬはずもなかろう」

 そういう問題でもない、とディランは突っ込みたくなった。が、やめた。ため息をついてから老婆を見ると、嬉しそうにしている。先ほど地面に置いた椀を再び手に持って、口を開いた。

「つまりは、この豊かな自然の恩恵を受けられるのは竜のおかげってことだね。竜にどうしてそんな力があるかはわからないけどねえ、それはまあ、神様が何者かわからないのと同じだよ」

 だから本当は、祈りを絶やしちゃいけないんだ。老婆は力強く言った。自分に言い聞かせるようでもあった。

 でも、とディランは呟く。

「昔に比べると竜の数は確実に減っている、って聞いたことがあります」

 老婆とゼフィアーがうなずいた。

「竜を狩る人間がいるっていう話もかなり聞くようになったしね。不遜ふそんな輩がいたもんだ。だからこそ私たちは、祈りとともに謝罪をしているのさ」

「……りゅうり、ですか。俺は噂でしか知りませんが」

「私も見たことはないな。七百年前の争いが発端だとかいう話を耳にしたことはある」

 しかめっ面のディランの横でゼフィアーが言い、スープを飲み干す。空になったスープ皿を床に置くと息をついていた。彼女を横目で見たディランは「途方もないな」と呟いた。

 本当に、途方もない。今を生きる放浪者には縁遠い話だ、と思う。

「なら……」

 ならばなぜ、あんなにも悲しくなったのか。

 ディランは考えかけてかぶりを振る。食事に集中しよう、と心に決めて木匙を取った。


 祈りが捧げられているときに感じた、耐えがたい衝動。

 それを思い出したとき、とても恐ろしくなったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る