2.眠らぬ夜

 日が傾き、空が茜色に染まった頃。補修を終えた屋根から降りてきたばかりの男が、声を張り上げた。

「よっし、おまえら! 今日の作業はここまでだ!」

 彼がしわがれた声で叫ぶと、作業員たちは「へいっ!」と息のあった返事をする。

 早々に片づけをして散っていく男たちに対し、彼らに混ざって少しけ作業を手伝ったディランは、しばらくの間ぼうっとしていた。すると、先程声を上げた男が隣にやってくる。

「ようディラン。まさか本当に終わりまで手伝ってくれるたぁ思わなかったぜ」

 にやり、と笑った彼に、ディランも悪戯っぽい顔で応じる。

「まあ、馴染みの店ですしね。早いとこ再開してくれないとこっちも困るんで」

「そりゃそうだわな! けど、無理はするなよ」

「ご心配なく。ザイルさんも体壊さないようにしてくださいよ」

 ディランがわざと胸をそらしてそう言うと、ザイルは笑った。陽気な声が高い空に響き渡る。

「まったく。あの傭兵に育てられた坊主とは思えねえ!」

「それ、師匠に聞かれたら殺されますよ」

 軽口に軽口で返して、ディランは腰を上げる。それから簡単に礼を述べて、今日限りの仕事場を立ち去った。背後から明るい声がかかる。

「町を出るときには寄れよ。余りものでよければ、安く売ってやるから」

 簡潔な言葉に、ディランは手を振って返した。


 ドナの町には、二軒の宿屋がある。ディランがいつも世話になっているのは、町の東にある小さな宿だ。小さいとはいっても、複数の部屋が備わっていて、食事ができる場所まであるのだから立派な方である。

 ひとけのない小路こうじを進んだ少年は、赤い屋根が目立つ、二階建ての家の前で足を止めた。大きめの民家に見えるが、宿屋を示す小さな看板がかかっている。ディランは慣れた手つきで扉を開けて中に入った。

 食事用にと並べられたテーブルをふいていた女性が、ディランに気付いて振り返った。

「おや、お帰り! 本当に復旧工事を手伝ってきたんだね」

 快活な声が飛ぶ。ディランは「ただいま」と簡単に返した。

 この時世、女主人は珍しいのだが、彼女は持ち前の肝っ玉でもって、一人で宿を切り盛りしている。ディランが今の旅を始めた頃から世話になっている人だった。

「飯の用意できてるけど、もう食うかい?」

「ああ――」

 そうする、と言いかける。だが、背後で扉の開く音がしたので思わず言葉を飲みこんだ。ディランが確かめるより前に、女主人が驚きの声をもらす。

「おやおや、珍しい。小さなお客さんだね」

「……小さな?」

 女主人の言葉を聞いて、昼間の出来事を思い出したディランは、ゆっくりと振り返った。

 すると、案の定、戸口に見覚えのある少女が佇んでいる。琥珀色の瞳が輝いていた。

「ほ、本当にいるとは思わなかった!」

「こっちの台詞だ」

 少女の言葉にぴしゃりと返し、ディランはため息をつく。不思議そうにしている女主人に向かって言った。

「追加料金とっていいから、もう一人分飯作ってくれ」



     ※



「ここに来たってことは、誰も仕事を受けてくれなかったんだな?」

「うむ! そうなのだ!」

「……自慢げに言うことじゃない」

 相変わらずつかみどころのない少女である。ディランはかぶりを振った。

 二人は現在、食卓を囲んでいた。提供された食事はパンとスープだけだったが、保存食のみのいつもの食事よりずっといい。

 少女はしばらく、野菜と肉がたっぷり入ったスープにがっついていたが、ディランに水を向けられるとこれまでのことを話した。とはいえ、

「仲介所に行ったのだがな、ほとんど相手にしてもらえなかった。話を聞いてくれた人も、私が事情を話すと気まずそうに仕事を断ってしまったのだ」

 それだけの説明で済まされてしまったのだが。

「どんだけやばい仕事なんだ、それ」

 仲介所を紹介するだけにしておけばよかったか、と思ったが、もう遅い。ディランはパンをちぎって食べた後、少女に向き直った。

「ま、話は聞くって言ったからな。頼みたいのは護衛、だったか?」

「うむ」

 少女はうなずくと、木匙を置いて居住まいを正す。

「実はな。私自身、先日ばったり再会した知り合いに物を頼まれたのだ。小包を顔なじみの商人に届けてほしいと。それで、件の商人は今、カルトノーアにいるはずだということを聞いた」

 話を聞きつつディランは頭の中に地図を描いた。今いるドナは、国の北西部にある町だ。対してカルトノーアは、南東の、それも港湾都市。

「遠いな」

 ぼそりと、感想を漏らす。少女はうなずいたが、平然としている。

「なのだ。けども、距離は別に問題ないのだ。もともと、あちこちふらふらしているからな。最初は私も、一人で行くつもりでいた。いたが――」

 少女は言葉を切って、周囲に目を配る。今、一階には彼ら二人しかいない。女主人にはディランから頼んで二階の掃除に行ってもらっている。

 人の目や耳がないことを確信できたのか、彼女は再び口を開いた。

「知り合いと別れて数日経った頃から、妙な連中に襲われるようになったのだ。最初はただの盗賊かと思ったが、それにしては強いし、何よりしつこくてな。しかも、毎度毎度顔ぶれが変わっているのだ。妙だと思わんか?」

「……うん。妙だな」

 ディランは静かに同調しつつ、頭を抱えたい気分になった。急にきな臭くなっている。仲介所にいた者が依頼を断った理由も、この辺りにあるのだろう。

「どうも狙いは小包らしい。どうにか切り抜けてきたのだが、だんだん容赦がなくなってきているのだ。カルトノーアに着く前に殺されでもしたら事だから、誰かに護衛を頼みたくて……けども、誰も引き受けてくれない」

 そう言って少女はうなだれる。ディランは思わず「それはそうだ」と本音をこぼしていた。さらにうなだれ、テーブルに突っ伏しそうになる少女を見て、彼は慌てて付け足した。

「そいつらが何者かわからないんだな。心当たりもないのか?」

「ない。手がかりは小包だが、これも絶対に開けるなと言われているのだ」

 弱々しい少女の言葉。ディランは沈黙した。

 要は、正体のわからない荷物を持った子どもを、正体不明の物騒な連中から守って遥か南の大都市まで行かねばならないというわけだ。これほど物騒な依頼を、じゅうぶんな見返りも期待できないのに引き受けるような物好きは、滅多にいないだろう。

 かといって、このまま放っておくのもなんだか不憫だ。どうするべきか、と悩むディランに少女の声がかかる。

「やはりお主も……引き受けてはくれないか」

――肯定も否定も、できない。言葉に詰まった。

 だが、ディランが決めかねているうちに、少女は顔を上げる。

「よいのだ。無理強いはしたくない」

 苦労して作ったような笑顔が、強く目に焼きついた。


 その夜。例の少女もこの宿屋に泊まることにしたらしい。いくらか路銀は持っていたようで、一泊分の宿賃を自分で払っていた。

 上着を脱ぎ捨て、剣帯も外して寝台に寝転がっていたディランは、頭をかく。

 食事を終えた後に残ったのは、後悔にも似た後味の悪さだ。最初からあの少女に関わらない方がよかったか、そんな思いが頭をかすめるから、余計嫌になる。

「『最後まで責任を持てないことに、首を突っ込むな』――ね。全く、その通りだ」

 師匠の言葉だ。噛みしめるように口にして、ディランは自嘲する。自分が人のことを気にかけていられる状況でないことは分かっている。けれどやはり、困っている人を放り出して通り過ぎることができないのだ。

「とりあえず、寝るか……」

 まだ少女にはっきりとした返事はしていない。向こうはすでに諦めているだろうが。

 彼女にも準備があるだろうし、いったん冷静になってから考えても、遅くはないはずだ。そう結論付け、ディランは目を閉じた。

 が、次の瞬間、少し離れたところから、木の砕ける音がした。続いてけたたましい足音と、腹の底に響くような震動が伝わってくる。それから、何事か言い合う声。聞き覚えのある少女のものが混じっている。

 そこまで考えるより早く、ディランは飛び起きていた。上着をはおり、剣を掴んで、なかば突進するように扉を開けて廊下に飛びだした。少女の部屋は空室を三つ隔てた先にあることを、彼は記憶していた。弾かれたように走り、少女が泊まっているはずの部屋の前へ辿り着くと同時に――飛び退った。

 ディランが下がって伏せた直後、音を立てて外れた扉が廊下側に倒れて、やかましい音を立てる。さらに続けて、中から小さい人影が飛び出し、壁に叩きつけられた。

 ディランは扉が壊れたときの衝撃をやり過ごすと、小さな影に駆け寄った。

「おい、大丈夫か!」

「ぬ? お主はさっきの」

 顔を上げた少女は思いのほか元気そうだ。痛がる様子もなく、ひょいっと立ち上がる。

「大事ない。私も包みもな」

「包みもって、おまえ、意外と余裕あるのな」

 見ると、少女はちゃっかり自分の鞄を抱え込んでいた。中に例の包みが入っているのだろう。頼まれものとはいえすべてを捨てて命を守る行動に出ないあたり、豪胆なのか抜けているのか分からない。

「まさか突然切りかかってくるとは。相変わらず手荒い連中だ」

 言って少女は、鞄を自らの後ろに置くと、右手のサーベルをくるりと回転させた。

――そう、サーベル。彼女はきちんと武器を携帯していたのだ。しかも、かなり使いなれているらしい。

 だとすれば、彼女を襲ってきている相手もまた、手練れに違いない。ディランも剣を抜き放ち、少女の視線を追った。

 扉を失った四角い入口の向こうから、数人の人がゆらりと出てくる。いずれも黒装束に身を包んでおり、顔もまた、目だけを出して黒い布で包んでいた。今は足音をほとんど立てておらず、ディランを見ても眉ひとつ動かさない。

「慣れてるな」

 誰にも聞こえないような小声で少年は呟いた。それからさりげなく、黒装束と周囲を観察する。

 武器は、片刃の剣か短い手槍だ。ディランの把握できる限り、弓を持って潜んでいる人の気配はない。そしていずれも――それなりに相手だ。

「仕方ない」

 ディランは剣を片手で構えた。決心がつかないうちに少女のごたごたに関わりたくはなかったが、かといってここで死ぬわけにもいかない。

「助太刀する」

「うむ、すまない。危ないと思ったら逃げてくれ」

 隣に立って囁くと、少女は口元に笑みを刻んでそう言った。ディランも釣られて、にやりと笑う。

「……って言われると、逃げるわけにいかなくなるな」

 少女の驚いた気配が伝わってきたが、それ以上のやり取りをする前に、黒装束たちが襲いかかってきた。ディランは意識を切り替えて、少女のことをいったん忘れた。おそらく、しばらく一人で対処できるだけの実力はあるだろう、と判断したのだ。

 一人がディランめがけて剣を振りおろす。素早い一撃を、彼は体をひねって避ける。刃は空を切った。そのおかげで襲撃者の体はほんの少しだけよろめいて隙が生じる。ディランは彼の頭に思いっきり、左の肘を叩きこんだ。

 黒装束が床に倒れる。だが少年は、彼に見向きもしなかった。暗闇に向けて剣を振るう。確かな手ごたえと、甲高い金属音。ディランが咄嗟に身を低くすると、鋭い刃先が暗中から突き出された。

「槍使いは面倒だな!」

 背後から打ち下ろされた剣を自分の剣で弾き飛ばし、さらに体をひねって無防備な黒装束に回し蹴りを叩きこむ。突き出される槍の一撃を辛うじて弾いた彼は、素早く周囲に目を向ける。後ろに続く通路はさほど長くなく、その先は壁だ。

「ふむ」

 ディランは思考する。けれど攻撃の手は緩めない。

 槍の穂をかわしながら剣を手の中で滑らせてつばの近くを握ると、横から飛びかかってきた者の鳩尾めがけて剣の柄頭つかがしらを突きだした。金属の柄頭で鳩尾を強打した者は、くぐもったうめき声と共に崩れ落ちる。

 同時に槍が突き出される。それを後ろに跳んで避けると、暗がりの中にぼんやりと、槍使いの影が浮かびあがった。視線はまっすぐにこちらを向いている。なんのこだわりかは知らないが、少女よりディランを仕留めるつもりらしい。

 続けざまに槍が突き出される。刃を弾きながら、ディランはじりじりと後退した。やがて、背中に衝撃がある。壁にぶつかった。槍使いはここぞとばかりに勢いよく槍を突き出すが――穂先は、壁に突き刺さった。

 槍使いは唖然とした。その隙に、先程身をかがめていたディランは、素早く相手の懐に飛び込むと、剣を薙いだ。黒い衣が裂けて、血が飛び散る。敵が怯んだところでそのまま全身をぶつけて、突き飛ばしてやった。

 一人厄介な相手を仕留めたディランだが、さらに彼の前後から新手が飛びかかってくる。舌打ちとともに一人の額へ素早く剣を突きさし、返す刃でもう一人も退けようとした、が。

 彼が何かをする前に、背後の一人は俊敏な一撃で眉間を刺されてよろめいた。

 軽く目をみひらいたディランだが、動きは止めず、駄目押しとばかりに、目を押さえる襲撃者を蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた黒装束は音を立てて床に叩きつけられる。それを一瞥したディランは、ひとまず剣をだらりと下げた。辺りの気配を探っても、何かが襲ってくる様子がない。ひとまず、襲撃者たちの動きを止めることはできたようだ。

 ふと、すぐそばに人の気配を感じた。ディランがそちらを見ると、サーベルを手にした少女と目があう。なぜか満足そうに息を吐いている少女に、ディランは呆れた視線を注いだ。

「なんだよ。戦えるんじゃないか」

「こいつらはまだ『まし』な手あいだ」

 少女はあっけらかんと答えると、得物を収める。

「町中で人目があると、本当に強い奴らは動かんが、いったん外へ出てしまえばそうはいかんのだ」

「ま、一理ある……っと」

 そう言ってからディランは、闇の中に鋭い気配を感じ取って、再び剣を構えた。倒れていた襲撃者の中の数人が、ゆらりと起き上がってきた。

 ディランは踏みだそうとするが、小さな手がそれを制する。

「おい」

「まあ待て」

 のんびりとした口調で言った少女は、目をぎらつかせる黒装束を見回して、声を張り上げた。

「お主ら、まだやるつもりか。懲りんな。そこな剣士に全員まとめて斬り殺されてもよいというのなら、止めはしないが」

「こら、丸投げするな。おまえの相手だろ」

 少女の勝手な脅し文句に、ディランは呆れ顔で抗議する。勝手に押し付けられても困るだけだった。

 襲撃者はディランの抗議を気に留めてはいないようだった。彼らは二人を順繰りに見ている。そして、そのうちの一人――例の槍使いが軽く目をみはった。

「こいつは……」

 小声で何かを言うと、じっとディランを睨んだ。目もとに深いしわが刻まれる。戦っていたときは気付かなかったが、意外にも高齢らしかった。

 彼の目を見たディランは、奇妙な違和感を覚え、頭を抱えた。

「――は? なん、だ?」


 今、何か。何かを感じた。

 頭の奥がしびれる。何かが閃きそうになるが、それはすぐにしぼんで消えた。

 けれど違和感は残ったままだ。これは、言葉にするならば、そう。


「知ってる……?」

 ディランの小声を聞きとったのか、少女が怪訝そうに振り向いた。けれど、ディランは気付いていなかった。それほどまでに強い、奇妙な力に囚われていたのだ。

 相手の槍使いも、わずかながら驚いたように彼を見ていたが、すぐさま我に返ると数人を振りかえった。黒い襲撃者たちは一斉にうなずくと――未だ気を失っている仲間たちを抱え、少女の部屋へと駆けこんだ。窓から飛びだして逃げていくのが見える。

 ディランは彼らを追う気がなかったし、少女も同様のようだ。ため息をつくと、もう一度彼を振りかえる。

「それでお主、どうかしたのか?」

 突然声をかけられて、ディランはびくりとした。不思議そうな少女を見ると、ゆっくり、かぶりを振る。

「……いや、なんでもない」

「むぅ。ならよい、けども」

 言いつつも、釈然としない表情で何事か呟いていた。

 彼女はけれど、すぐにあらぬ方向を見た。視線の先には階段と――そこから手を振っている女主人の姿がある。

「終わったかい?」

 彼女は平然と、そんなふうに聞いてきた。ディランは豪胆な女主人に苦笑する。

 しかし頭の奥には、先程感じた違和感が、強く焼きついたままだった。

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