剣におちる
わがまま娘
剣におちる
――立山地獄では死んだ人と出会うことができるという――
「いやいや。これ、こんなところの仕事じゃないし……」
「でも、他に頼むところもないし……」
というやり取りを多分5、6回ぐらい繰り返して結局私はその仕事を引き受けた。
富山が誇る山岳救助隊の仕事だろうし、今に至っては霊媒師とかそんな類の人に頼むべき話なのではないかと思いつつ、幼馴染みが持ってきた書類を捲る。
どうも、幽霊が出ているというのだ、剣岳周辺で。地獄谷で死んだ人に会った、とか立山ではたまに不思議な話が出るらしいが、剣岳でこんなに大きな話になったのは珍しいらしい。
一見すると幽霊ではないらしいのだが、幽霊なのでは? という話になったのは、写真に写らないことと該当する自分物が2年前に滑落事故により死亡扱いになっているということだ。
「人、探しとるがんだって」幼馴染みが幽霊についてそう言う。
「で、私は幽霊が探している人を探せばいいがけ?」
「そうなん」
ニヤッと笑った幼馴染みに、私は冷たい視線を送る。
「なにかわかったらご連絡しますんで、今日のことろはお帰りください」
ひんやりとした空気の中、私はそう言って幼馴染みを追い出した。
デスクに座って、書類を眺める。
幽霊と思われる人物の住所も名前もわかっている。にもかかわらず、探している相手は皆目見当がつかないらしい。
「ま~、探し人は救助隊の管轄ではないわな」
もちろん、霊媒師でもない。ひとり呟いて幽霊の情報を見る。そんなこともあるんだな、と思うのは、ご遺体が見つかっていないということだ。滑落したのは2年前の初夏というのだから、見つからないにしては随分と時間が経ちすぎていることが気にかかる。それだけ当人は見つかりたくないと思っているのか。
しかも、当時の話から幽霊は誰かと一緒にいたらしく、通報もどうやらその誰からしい。性別は女性らしいとのこと。つまり、探されている方も見つけて欲しくはないようなのだ。
「だから、不倫って面倒なんだよ……」
勝手に決めつけて、私は書類をデスクに置いて立ち上がった。
----------
「会った人の話だと、どうも君枝さんに似ているらしいのよ」
市民サークルの山岳同好会でおばさんが私に言った。
去年もその話はあった。剣岳に人を探している人がいると。彼のことだろうかと思いつつ、確証も得られないまま今年になって、おばさんの言葉だ。彼だと思うと気持ちが落ち着かない。
彼には彼の家庭があって、私には私の家庭がある。
山岳同好会で出会って一緒に登るようになりお互い相手がいる身とわかりつつ、関係を持ったのはやはりお互いに同じ趣味の人と一緒にいたかった、そういうことなのだろうと思う。
同好会の人達と一緒に登ることもあったが、土曜の朝出て、日曜の昼ごろ帰ってこられる距離の山をふたりで登ることが増えた。
そんなある日の出来事だったのだ。本当に全てが一瞬だった。
足を踏み外した彼が斜面を一気に滑り落ちて行った。急いで救助隊に連絡をし、彼の命が無事であることを祈りつつ、救助隊が来るのをしばらくは待っていた。その間に思考が冷静になったのか、それとも本当におかしくなったのか、身の保身をしなければならないと思い、その場から逃げた。下山するとき心の中では通報もしたし、後は救助隊に任せておけば大丈夫だと思っていた。富山の救助隊が優秀なのは知っている。それに賭けた。何より彼と一緒にいたのが私だと周りにバレるのだけは避けたかった。
それからしばらくして、同好会の中で彼が遭難して亡くなった、と話を聞いた。同好会の何人かで彼の葬式に参列した。
遺体が見つからないまま葬儀も終え、私と彼の関係も終わったと思ったが、ひとりでいると彼のことをいろいろ思い出しては、彼のいない世界に愕然とする。自分がそこまで彼に本気だったのかと思い知らされる。
本当に彼が生きていたのであれば、この際一緒にどこかに逃げてしまえばいいし、噂通り幽霊だとしても彼に会いたい気持ちは変わらない。
私は意を決して、剣岳に登ることにした。
------------
テレビから流れるニュースを聞いて、溜め息が出た。
もっと早くにわかっていたら、彼女を救えたのだろうか? いやいや、結局はこうなる運命だったに違いない。
本橋君枝。彼女が例の幽霊が探していた人だった。幼馴染みに連絡を入れて割とすぐに救助隊が滑落の救助に向かったようだった。剣岳に向かっているであろうヘリコプターの音を聞いて、気持ちが落ち着かなった。
その夜にこのニュースだ。
目撃者の話によると、転んでそのまま滑り落ちて行ったらしい。直前、彼女が走り出したらしいので、例の幽霊を見つけて駆け寄ろうとしたのだろうと推測されるする。
何故か目の前でラーメンを啜っている幼馴染みは「見つけられた遺体は二人やったんと」と教えてくれる。
ひとつは彼女のもの、もうひとつは2年前に滑落した田中洋の遺体だった。見つかった時は、ふたりが抱き合っているようだったらしい。
「あの世で一緒になろうと思ったがかね」
ラーメンのスープを飲み干した幼馴染みが言う。それを横目で見つつ私は「どうやろ」と呟く。
暫くして「いや、無理やね」と言うと、目の前の幼馴染みが「なんで?」と問う。
遺体はそれぞれの家族に引き取られ、バラバラになり、お墓もバラバラだ。なにより……
「剣岳は針山地獄。愛欲の罪を背負った男女がお互いを探し苦しむ地獄ですから」
きっと永遠に結ばれることなどないだろう。
テレビのニュースは天気予報に変わっていた。明日も晴れるらしい。
剣におちる わがまま娘 @wagamamamusume
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます