茜色の傭兵

久浪

彼女の正体。

 女は傭兵で、男はれっきとした軍人であった。

 しかし彼らは、恋人同士であった。



   ◇



 ――「剣姫」と呼ばれる女傭兵

 華奢と思えるはずの身体で身の丈以上の長剣を操る女。今現在彼女がいるは、ガルローザ国軍が一軍。国境を競り合う戦いに身を投じている兵たちの中に、彼女は茜色の髪艶やかに臆することなく立っていた。

 のは、昨日までの話。


「これでまたしばらく膠着状態っすかね」

「長引くな、さっさと勝負つけたいくらいだ。おっ、きた」

「えっちょっと待って、まさかまた」

「ご名答」


 丸いテーブルを囲む数人の者の中、一人混じっている若い女は後ろに傾けていた椅子をガタンと戻すが、その目の前で無情にもずらりと一人のカードが綺麗に晒される。


「ああぁ負けたー!」


 瞬間、カードをぶちまけ誰よりも騒々しい声で負けを悔しがるセーラは茜色の髪をぐしゃりと自らの手でやり天井を仰ぐ。


「まーたセーラが負けたぞ」

「弱えぇなあ」


 周りから彼女に笑い声やら慰めの言葉がかけられる。


「ははは、まあセーラ次があるさ」

「それ聞いたのもう二十回目くらいっ、ということはあたしはもう二十回以上連続負けてる!」

「あっははははは」


 国軍兵士の中に一人、セーラは傭兵であった。それにも関わらず、生死別れる戦地において身を共にすること一年、あまりにも彼女は馴染んでいた。

 だんっ、と拳を握りしめ机に叩きつけ次いで項垂れた女を微笑ましげにも笑っていた兵たちの内、卓についていた一人が壁にかかる時計を見る。


「そろそろ交代の時間だな」

「本当だな、行くか」

「見回り? あたしも行く」


 瞬時に反応したのは、額を卓につけていた女。手を真っ直ぐに挙げて主張するのは何も今回だけの気まぐれではなく度々あることである。

 そういうわけで兵の方も心得たもの、競り合いが止まり争い最中に比べると緊張状態が和らいでいることもあって、「じゃあ一緒に行くか」と言った。

 その言葉を聞くやぴょんと立ち上がり屈強な男たちに連れだってセーラが部屋を出たとき、ちょうどその場に入ろうとしていた男は白に近い金色の髪をしていた。同じく色素薄めの目が彼女を捉える。

 セーラもまた、すれ違う足を止めて右手を軽くあげて軽い挨拶を口に。


「クレイちゃんおはよ」

「そう呼ぶなと何度言えば分かるんだ君は」

「どうだろう、あと百回くらいかな。嘘嘘ごめんなさいクレイ隊長、おはようございまーすそしてさよなら」

「見回りか」

「そう」


 背丈差の関係で肩……には届かないもので腕をぽんと叩いて去っていく背中はそこらの男よりよほど小さく狭く、だが誰よりも大きな剣を背負っている。

 女は、流浪の傭兵であった。

 これまで一つや二つではない戦場を渡り歩いてきた風格は今はなりを潜めているも、隠しきれず端々に表れ――否、最もよく表れ際立つのは傭兵の仕事場こと戦場であり、そのことに関する事項を尋ねるとあの笑顔でするりと滑らせ会話はどこかへ行っていので誰も詳しいことを聞けた試しがなかった。


「セーラ」

「うん?」

「後で」


 男が言うと、振り向いた彼女は花のようにというより太陽と言った方が似合う様子で笑った。

 男と女は背を向け合い、逆の方向へ歩きはじめる。

 クレイという男は、セーラという傭兵を雇った張本人――ガルローザ国軍の一つを預かる立場であった。







 薄暗い部屋の中、二人の男女の姿があった。その姿は角度によると重なり合っているようにさえ見えた。

 女は男の膝の上にありその腰には男の手が回されているため、女――セーラは身体を男の方へ傾けもたれさせることになっていた。といっても、嫌そうな素振りなどはなくふいに笑う。


「クレイちゃん、引っつきすぎ」

「補給だ」

「時々変なこと言うよねクレイちゃんって……む」


 男の唇が女の唇を塞ぐ。重なり合ったそれは、暫く経って離れる。

 しかし互いの顔の距離はそれほど代わらず、クレイはセーラを見つめる。

 その、腰に回していた腕が片方解かれ、手がセーラの頬を優しい手つきで撫でる。触れるか、触れないかくらいのくすぐったいような手つき。

 セーラは目を細め、その手に頬を寄せた。


「怪我をしたのか」

「そりゃあするよ、あたしだって完璧超人じゃないんだから」


 戦うことを生業とする傭兵はテープが頬を占める顔で軽く笑った。いる場所がこんな土地でなければ村娘と変わりはしないだろう笑顔。

 クレイが目を眇める。


「今度はいつ仕掛けるの?」

「今、その話を持ってくるのか?」

「え? だめ?」

「駄目だ」

「なんでよ」

「今は私と君の時間だろう」

「クレイちゃんって、すごく真面目な顔で言うよね」

「真面目だからな」


 そう言って、クレイはまた軽く目の前の顔の唇に触れた。


「でさ、クレイちゃん。次はいつなの?」

「……セーラ、私に休息の時間をくれないのか?」

「だって、今、一時休戦にすぎないでしょ?」


 男が小さく息を吐いたことは言うまでもないことで、女が微笑んだことは言うべきことだろうか。



   ◇



 合同作戦が行われることとなり、砦にいる一軍に他の一軍が合流したのはその一週間後のことだった。

 国境の競り合いが、再開した。


「相変わらずセーラはすごいな」

「俺昨日はじめて見ました! さすが『剣姫けんき』すごかったっす! 敵がすげえ倒れてくんですよ、評判はマジだったんすね」

「落ち着け、そのままで戦場出たら死ぬぞ」


 砦の食堂でつかの間の命のせめぎ合いない時間を過ごす兵たちの内、感嘆の声を上げたのは元々いた一軍の兵。

 だが、その傍ら。


「何が『剣姫』だ。そんな温いもんなんかじゃない、見た目に騙されるな」


 一人が渋い顔をして低く言った。それは合流した一軍の兵だった。その兵だけでなく、幾人も同じような顔をしている者が見られた。

 食堂の入り口を茜色が掠める。







 その頃、クレイが執務室としている部屋のドアをノックもなしに開ける者がいた。彼よりも少し体格の良い、黒髪の男。


「おいクレイ、あの女は何だ」

「あの女? ああ」


 単刀直入に言われた言葉だったが、示された人物はクレイの思いつく限りでは一人しかいない。セーラのことだ。

 戦略図から顔を上げ、すぐに思い当たった声を出した。次いで、答える。


「傭兵だ」

「傭兵なんてなんで混ぜてる」

「珍しいことではないだろう?」

「戦乱の世の中ではだろ」

「今も変わりはしない」


 何しろ彼らがいるのは当の戦場だ。何がおかしいと言わんばかりにクレイは言った。

 すると、


「それにしてもあの女はまずいぞクレイ」


 合同作戦をする一軍の責任者は机の前に立ち止まって、眉間に深い皺を刻み言う。


「あの女は死神だ」

「…………は?」

「あの髪色にあんな大きすぎる剣を振り回す女なんていくらもいない。知らないのか」


 男の同僚は語った。

 ――「死神」と呼ばれる女傭兵

 男に及ばぬ体格をしながらも誰よりも大きな剣を携えその地では血のようにさえ見える色の髪を靡かせ、戦場を駆ける。その女傭兵がくぐり抜けてきた数多の戦場に彼女以外に生存者はなし。


 確かに、そんな特徴的な女は他にいようとは思えなかった。


「そんな武勇伝の持ち主だったとは」


 ただ者ではないことなどとうに感じていたが、予想以上の強者のようだとクレイは驚く。その彼を前に同僚は「そこじゃねえよ」と続ける。


「そんな呑気なものじゃねえぞ」

「どういうことだ?」

「言ったろ、その女傭兵が関わった戦地に生存者はいない」


 彼女、以外に。

 それは、敵だけではなく。

 味方までも――?

 意味深げな言葉にそのまま考えてみてからクレイは相手を見上げると、考えが正しいことを肯定する無言しか返ってこない。


「……それが?」

「あいつが殺してるとしか思えない」

「何のために」

「他から頼まれて、内部から」

「ならばなぜ雇ったはずの敵も殲滅されている」

「『金を貰った相手に用はなし』」

「まさか」

「事実だ」

「噂だろう」

「これほど特徴が明確で当てはまる噂があるか――あれは傭兵じゃなく殺しが目的の殺戮者だ」


 戦地においては血のような、と見える色の髪。誰よりも大きな剣を振り回し敵をものともしない女傭兵。

 戦地において物怖じする様子ない、まさに歴戦の戦士とも窺える風格さえちらつく。

 

 戦地から離れれば。

 背にある剣さえなければ。

 その目から戦地での冷徹な色さえ消えれば。

 華奢な身体つき相まってただの無邪気な少女に、とさえ受け取れる彼女が。


 殺しを快感とする、殺戮の鬼だとでも言うのか。


「……だが、私を助けた」



 ――「あたしを雇いませんか? 死にかけの人」


 思い出そうとすればなぜか容易に甦る声、言葉。

 一年前、滅多にない作戦の失敗に加え作戦用に編成した中隊全滅の危機に陥り男がまさに死にかけていたそのとき、こじ開けた目、視界に入ったのは女だった。

 彼女は血で彩られた長い剣を携え、そう持ちかけてきた。

 周りにいたはずの男たちを殺そうとしていた敵兵を全て殺し、血の海広がる上に堂々と美しくさえあり立っていた。微笑みまでも浮かべて。


「あり得ない。彼女はすでに戦場で幾人もの兵を助け共に戦い時には怪我をしている」


 それに、と胸の内にだけ置いたそれは私情。今や、彼女はクレイの大切な人である。

 それは何を聞いても揺らぐとは思えない確固としたしたもの。


「装っているに決まってる」

「アルガス、やめろ」


 堪らずクレイは低い制止の声を発する。

 私情が混じっていることに、おそらく男の同僚は気がつかない。

 ただ、庇った男に眉根をきつく寄せる。

 暫くの沈黙のあと、目を逸らさずにしかし譲歩したのはアルガス。


「次の作戦、あの女は前線だ」

「言われなくともいつも前線だ」


 事実で切り返すと、同僚はため息をついた。

 クレイもため息をつきたいところだ。前線とはいつも悩ましい。傭兵とは戦うものだ、それゆえのことであるのだが……


「お前がいつか殺されないことを祈るぜ、クレイ」

「余計な心配をしていると禿げると聞いたぞ」

「うるせえ、十分生えてらあ。……少しでもあの傭兵が変な動きをしていれば俺は容赦しねえぞ。巻き添えにされるのは困るどころじゃねえからな」


 クレイはそれには何も言わなかった。物騒で聞き捨て難い噂に合致する傭兵がいるのだ。真実にしろ、嘘っぱちにしろ、見逃すことは出来ないことだとはクレイにも分かっていた。

 単に、信じられないだけで。







「セーラが」


 その言葉がかけられたのは、皮肉か、その日の内だった。

 夕陽沈む前、戦場から戻ってきた兵。生きて戻ってきた兵。死に、取り急ぎ連れて戻ることが出来た兵。

 その中に、血ではない赤さも持つ小柄な、一人だけ制服ではない身体があった。

 周りの遺体と変わらず酷い傷を負った身体。特に酷いのは腹を抉ったと見られる傷か。

 息を、確かめる。

 無音。

 胸が動いていない。

 顔が青白い。

 ぴくりとも動かない。

 身体が、冷たい。

 元の肌が見えないほどに散った血の間からちらりと覗く手の白さは単に色白というものてはもちろん、ない。

 完全に、生気の失せた姿だった。


「……全員、いつものところに運んでくれ」


 クレイは静かに立ち上がり、運ばれる兵たちを見送った。じっと前を通り過ぎる兵たちに一様に目を向けていた。



 クレイがセーラに惹かれたのは、彼自身正確な時と理由が分かっていない。

 男にとってその女の存在は、いつの間にか影響を受けていた存在だったのだ。そして、気がついたときには心にするりと入りこんできていた。


 この戦に身を投じる前の戦場で、夜襲をかけた。その夜襲は成功し兵は帰ってきた。だが、そこに混ざっていたはずの女傭兵はいなかった。一人の兵が固い声でクレイに告げた。かなりの深手を負ったセーラが置いて行けと言ったのだと。

 それは正しい判断だ。

 男は兵を労い、その場はそれきりだった。

 しかし、一度天幕に戻ったクレイの心の中はなぜか穏やかではなかった。セーラが、死んだ。かもしれない。

 彼女は傭兵だ。戦場に必ず出、必ず前線におり、いつ死んでもおかしくはない存在。帝国軍としてはいつでも切り捨てられさえする存在。

 そのはずなのにこの胸のざわめきは落ちつかなさは。目を閉じて、瞼の裏に浮かぶ色は血の色などではなくそんな色に似ているなど思えない鮮やかな茜色。傭兵と思えぬ笑顔。そのときはまだその理由を推し量れておらず起こったわけの分からない感情をただ持て余していた。


 その、次の日の朝だった。

 セーラが戻ってきた。

 朝早いときで寝つきが悪く眠り浅かったクレイが外に出ていたときに、顔を覗かせた程度の朝日よりよほど鮮やかな色が姿を見せたのだ。

 全身が赤いのは、返り血か。彼女の血か。

 髪は元より鮮やかな茜色。その色を目にして、変わらず笑みを浮かべかけていたセーラに駆け寄り抱きしめた。

 そのときに、瞬時に男は理解した。この女が好きなのだと。



 ぼんやりと思い出すのはそれらのことでやはり頭は理解しているのだな、とクレイは思う。彼がいたのは、死体が運ばれてくる地下だった。砦でこそできることで、ずらりと並ぶ死体。これが単なる天幕張りの他の土地であったならこうはいかない。

 戦が一度はじまれば死人が出ないはずなどない。その日死んでしまった兵たちに祈りを捧げるために夜、クレイはそこに来ていた。

 その最中で立ち止まったのは一人、女の元。

 数時間経った今、色が失せたような肌色。べたりとついた血の色。

 動かない手、表情。


「セーラ……」


 冷たさが、無情に語りかけてくるだけ。

 セーラは、死んだ。

 来るべくして、来たことなのかもしれない。女は傭兵であったのだから。

 それをこの数時間でどれだけ繰り返し頭の中で唱えたか、男には分からない。


「……、」


 もう一度名前を呼ぼうとして、止めた。

 女の顔を見つめていた男はいつまでもこうしていられるはずもないと最後に目に焼き付けるように見て、目線を逸らして背を向けた。


 自らは、それでも前に進まねばならない。

 彼女は傭兵だった。

 自分は帝国の一軍を預かる身だ。

 と。

 顔を上げた。


 瞬間だった。


「……ここ」


 声が聞こえた。

 高い声。

 女の声。

 何度も聞いた、耳に残る声。

 惹き付けられるように、引っ張られるみたいに男は振り向いた。背を向けたばかりの方を。


「……あれ、クレイちゃんおはよ」


「乙女の部屋に入るなんて感心しないなぁ」などと少し掠れ気味の声ではあるが何もなかったように話す女がいた。

 まるで、眠って起きたかのように。身を起こしていた。身体、指一本どころか毛一筋として動かなかったはずの女が。

 髪に手を差し入れながら、まさしく寝起きの目をしてクレイを映した。

 だが、違う。彼女は呼吸をしていなかったはずなのだから。鼓動も止まって――


「き、みは……なぜ」


 クレイの出した声こそ掠れていた。


「あぁ、あたし、また生きてるの」


 呆然と言葉を溢し落としたきり固まっている男を座ったまま見上げていたが、血にまみれた自身の身体を見下ろして呟いた。

 手を握り、開き、よく見ると白いだけではなくなり血色の戻りかけている顔を再び上げる。クレイを、見る。


「あたし、特別強いわけじゃないの。しぶといだけで、怪我ひとつしないとか圧倒的な強さを持ってるわけじゃない。まして、戦場をいくつも渡り歩いた猛者なんかじゃ、ない」


 明かす。

 その正体を。


「あたし、不死身なの。信じる? クレイ隊長」


 泣き笑い、泣いてしまいそうになるのを我慢している顔で彼女は尋ねた。はじめて見た表情、でも分かった。

 女は男に、こんなことを信じるか? と尋ねる。


 普通は信じない。目の前で見ても信じない。

 彼女は確かに死んでいた。男は何度も確かめた。だが今「生き返った」。確かに生き返ったと言うべきことが起こった。

 なんと現実味ないことか。



 それでも彼は、彼女を抱き締めた。

 セーラが今、生きているということを頭で理解したから。


「良かった――」


 彼女一人生き返ったことに喜ぶことは悪いことだろうか。それでも、クレイはその言葉を溢さずにはいられなかった。


「……そんなこと、言ってくれるんだ」


 男が力の限り女を抱き締め、その腕の中でセーラは瞳を揺らしそのことを顔が見えない相手に悟られないようにか、笑う。


「不死身なんて、普通信じないよクレイちゃん」

「君が生きている、その事実があればいい」

「……それも真面目?」

「当然だ。本当に生きているんだな、セーラ」

「うん、そうだよ。クレイちゃん、苦しいんだけど」

「仕方ない」

「仕方ないってなに」

「身体が言うことをきかない。今君を離したくない……離したらこれが私の夢だと思い知らされるかもしれない」

「あはは、現実だよ」


 ますます強くなるばかりの、男の腕の力は女を胸にひたすらに押し付ける。


「……ねえ、クレイちゃん」

「なんだ」

「また会えて良かった」


 セーラはクレイの身体に手を伸ばし、しがみついた。ぎゅっと目の前にある存在を確かめる手つきで。

 二人は互いに互いを引き寄せくっつき合い、しばらくそうしたままだった。






 抱き合うことは止めて、場所を移した先は地下へ繋がる階段の一番下の段。いくらか落ち着いた二人は隣同士に座っていた。


「こういうことは、もしかしてはじめてではないのか?」

「まあね。もう慣れてるってくらいには」

「……そんなになのか」

「そんな顔しないでよ。傭兵っていう職業にしてみれば便利じゃない?」

「セーラ」


 軽く答え笑っていたセーラは咎める様子で名前を呼ばれて言葉を止め、


「君こそそんな顔をして思ってもないことを言うな」


 口を、閉じる。

 その彼女をクレイはじっと見て手を伸ばす。女の茜色の髪に触れ、横髪を耳にかける。


「本当に、不死身なんて信じてるの」

「何度言わせる。見たんだ、それに君の言っていることだ。信じている」

「立場らしからぬ言葉だね」


 言葉選びこそ普段のものだったが、セーラの表情は徐々に変化してきていた。眉は下がり、目が揺れる。

 クレイを見ていたがそっと逸らした目の何と空虚なことか。クレイはとっさに伸ばしていた手でセーラに自身の方を向かせようとしたが、その前に静かな声が発される方が先だった。


「いつも思うの。意識が遠くなる瞬間、死ぬなって分かる瞬間、これが最後じゃないかって」


 囁きに近い、声。


「だってあたし、永遠ずっとなんて信じないから」


 浅く、息が吸われた。


「でも目覚める、また目覚める。あたしだけ目覚める」



 女がはじめてのは、家族が殺されたときだった

 セーラ元々いたのはガルローザ国ではなくその国境を越え、隣の国を抜けてもまだ先の国だった。その国では戦絶えず兵は枯渇し、女が兵になることは珍しいことではなくセーラもまたその内の一人であったのだ。軍に入り兵としていくつかの戦場を切り抜けた頃、彼女の人生は大いに狂った。

 父親に反逆の罪ありとされ、家族共々処刑されたのだ。無論、セーラも。


 しかし彼女は目覚めた。


 同じように疑い深い王に処刑された者たちだろうか上に下に積み重ねられた死体がある中、目覚めた。

 セーラは、事態がよく理解できなかった。貫かれたはずの身体に傷はひとつとしてないが、おびただしい量の血が肌に衣服にこびりついているだけだったのだ。

 なぜ。

 ふと暗闇の中視線をずらすとそこにあったのは、自らの家族。一緒に死んだ家族。

 置いていかれた、それだけは分かった。ゆえに喉をかきむしった。自分も死ぬと。なぜかは分からないが自分だけが生き残ってしまっている、その事実に耐えかねた。

 それなのに、セーラは死ねなかった。


 ――女は不死身であった


 血を大量に出し命落とそうと心臓を貫かれ命落とそうと、そうして息が途絶えようと……やがて彼女は息を吹き返す。

 心臓が動きはじめる。血の気が戻る。目を開ける。

 目を開いた、そのときには誰もいない。


 死ねないセーラは祖国が滅びるきっかけを作った。王を殺したのだ。家族を殺した王を。その間にも、何度も死んだ。何度も生き返った。何度目かの頃には化け物だと罵られ、得体の知れない女に立ち向かおうとする者はいなかった。王を見つけたときには、王の周りには誰もおらず殺すのは簡単だった。


 そうして、王を殺したセーラは国を出た。もはやその国にいても化け物として扱われるだけ。それに家族は、いないのだから。彼女が守るためにと兵となり、守ろうとした家族は。

 そうやって、セーラは傭兵となった。戦場をさ迷い、戦うだけの戦士に。

 目的は、ただひとつ。死ぬ場所を探すために。真に殺してくれる相手がいることを祈って。

 そのために、彼女が選んできたのは負ける側の兵団、軍。それらの場所に所属するのは、飢えを満たすため。弱い側であれば兵力を欲する。セーラは飢えの限界で死んでも生き返ることを知っており、飢えは辛いことであるとも知っていたから自らの腕を売ってその場に紛れ混んだ。

 けれど、死んで生き返ったそのとき。また誰もいない。

 倒れた戦場は血にまみれ、決まったように屍が倒れる見慣れた光景が広がっている。属していた側の兵に生き残りはなし。いなくて、セーラは何度も死にながら相手を殲滅する。それを繰り返す。


 女傭兵が潜り抜けてきた数多の戦地に生存者はなし。

 その真実は、セーラがいた側が皆殺しにされ、生き返ったセーラが反対に何度も蘇りながらも皆殺しにしていたのだ。

 事実、ではあった。


「あたしは死に場所を探してる、死ねる場所を、殺してくれる戦場を探してる」


 いいや、違う。もう、それだけではなかった。セーラはぽつりと呟く。


「探してた」


 自らの身の上をはじめて語った女の声は、そこで途切れた。

 伸ばして触れることなかった手を引っ込めて一言も漏らさないようにじっと聞き入っていた男はすぐには沈黙を破ろうとせずに、尋ねた。


「我が国の軍隊は弱いと有名ではないはずだが……あのとき、なぜ君は私に雇うように持ちかけてきた」

「死にかけてたから」

「嘘だろう。それくらい表情で分かるようになってきた」

「んー、じゃあ超絶イケメンだったから」

「セーラ」

「じゃあさ、クレイちゃんは何であたしを雇ったの」

「君が超絶可愛かったからだ」

「すごく似合わないね」


 セーラはくすくすと笑った。しかし時間はわずか数秒。

 当然、笑い声が止まったかと思うと笑顔も薄くなっていた。


「すごく強い軍が来てるって聞いたから、行った」


 二年前、止めた。「死ぬ場所」だけを探すことをぱたりと止めた。

 何度目になるか。もう両の手の指を合わせても足りないくらいに戦場を渡ったことになった頃だった。

 短い間だが共に過ごした兵たち。それらを全て失った後には必ず空虚な感覚がもたらされた。それは、回数を重ねるごとに重くなってゆく。

 女は別に人としての感情がなくなっていたわけではなかったから、疲れてきていた。

 少しの間、戦場を離れた時期になった。

 その間に、考え方を変えることにした。

 死ねないなら死ねないで、周りを失わない方法を考えよう。強い方にいたならば、死ねなくても居場所を失わずに済む。いつか、そのうちに死ぬことが出来るかもしれない。

 死ぬ場所を探すことは止めない、けれど殺伐としているだけの場所と転々と移る場所に疲れもしていたのだ。

 そんなときに出会ったのが――


「あたしが戦場で死ぬのか、そうでなくてもずっと共にいれる場所になるか」


 クレイが聞いたこともないほどに真剣な声音で言ったセーラは、一転して唇で弧を描く。


「そしたら死にかけてる人がいたんだもん。当の軍の制服着てさあ」

「……それは悪かったな」


 ガルローザ国軍は近隣諸国の中で巨大さもさることながら最も強いと言われている。

 一年前の失策はまことにその名を汚すものである。

 出会ったときの状況を思い出したのか、クレイは歯切れ悪く言い、「ほんとだよ」とセーラは力なく笑った。


「でも、もういられないかなあ」

「なぜだ」

「あたし気味悪がられるでしょ。どれだけの人があたしの死んだことを確かめたの?」

「……そういうことか」

「そういうこと」


 声は途切れどちらも少しとして動かないので衣擦れの音もせず静けさだけになる。


「クレイちゃんとも……」

「セーラ、それなら私と結婚してくれ」

「……………………え?」


 セーラはぽかんとして、クレイを見た。すると、男はすでに女を見ており、真摯かつ真面目な視線を注いでいた。


「私は、君が前線に行く度に苦しかった。しかし君は傭兵で、戦うことが使命だった。そして君は今ここを去ろうとしているな」

「う、うん。そうだけど、」

「近くの前線に行ってしまうのでさえそうだったのに、他の場所に行くなんて考えたたくない」


 ――それならば、と男は考えた


「傭兵でなくなって私と一緒にいてくれ」

「……それは…………嫌」

「……どっちが嫌だ」

「あたし、クレイのこと好き。だけど、」


 女には、女なりの変化があった。男を受け入れ、好きになり、前線に出る彼女にも芽生えた思いがあった。


「傭兵でなくなるのは、それ以前の問題。あたし、クレイと一緒にいたい」

「それなら、」

「離れたくないよ、本当、どうにか誤魔化してここにいたいくらい。でも、クレイが言ってるのってそうじゃないんでしょ」

「私は君にもう戦場に行ってほしくない。待っていてほしい」

「それが、嫌。違うのクレイ、あなたの言葉は嬉しい。でも、嫌」

「どうして、そこまで戦場にこだわるんだ? 私と一緒に生きればいいだろう。それでもまだ君は、死にたいのか?」


 セーラは首を振る。


「あたしだけ無事なところで待ってるっていうのが嫌。その間中……あなたが死んじゃうんじゃないかって心配させたいの?」


 きっと胸が張り裂けそうになる。

 これが女の想い。

 戦場に出るのは、共にありたいからという理由が今ではあった。


「……それなら、君がこれからもここにいたとして、傭兵である君は前線に出ることになる。今回のようなことが起きないと言い切れるか? 私に君が何度も死ぬところを私に見ろと言うのか?」


 それは、何と残酷なことか。

 男は女の死ぬところなど一度で十分、生き返るとしても、同じ思いはしたくない。それならば、安全な王都で待っていてほしい。その想いが急激に出てきたのだ。


 両人は目を合わせたまま、譲る言葉は発することない。譲れば、苦しいことになるからだ。


「今の形がさ、一番なんだよクレイ。あたしは前線に行く。死なない。生き返る。あなたは後方で指揮を取る。死ぬなら一番最後よ」


 死ぬなら最後に死んでよ、ちょっとでも長くいてよ、とセーラは言う。泣きそうな声に、切実な叫びにクレイは眉を寄せる。


「我が国の軍隊は近年では負け知らずとして名を広めているんだ。私は死なない」

「そうならない、なんて断言できる確実なことなんてあるの? ないでしょ?」

「君は卑怯だ」

「事実だもの」

「……君は折れないんだろう……」


 クレイは手で顔を覆いため息を吐く。深い、深いそれは身体中の空気を押し出すようなもの。

 しかし突然、顔を上げた。

 さらに、突如と思える話を持ち出す。


「セーラ、私と結婚してくれることへの返事は?」

「え、今それ?」

「大事なことだろう」

「ある意味我が道いってるよね、クレイちゃんって……」

「セーラ」

「はいはい。あたしのことお嫁さんにして後悔しない?」

「するはずがない」

「それなら、いいよ」

「軽いな」

「あたしに何期待してるの? それに突然すぎるクレイちゃんが悪いと思う」

「それはすまなかった」

「嘘だって。え、今度はなに」


 セーラが戸惑いの声をあげた原因は、彼女の座る前にクレイが膝をついたこと。


「一生、君の傍にいることを誓う」


 男は、取った手の甲に口づけを落とし、言った。


「……だから、突然すぎるんだって」

「それはすまなかった」

「本当に思ってる?」

「もちろん。君を愛しているから」

「どうしたの、クレイちゃ――」

「だから、一緒に生きられる案が浮かんだ」


 立ち上がった男は、女を立たせる。手を大事そうに撫でる。


「私は軍をやめ、君は傭兵をやめる」

「え……」

「決まりだ。もう決まった。君と私の意見はこれで丸く収まる」

「でも、クレイ、軍の地位が」

「なんだ、そんなことか? 確かに地位の関係で私が辞めるのは少し時間がかかるだろう。だが、出来ないことではない」

「そうじゃなくて! せっかく努力して隊長にまでなったんでしょ?」


 急な提案内容にセーラが言うと、クレイは微笑む。「なんだ、そんなことか」と同じことを口にする。


「君と生きる上で絶対的に必要なものではない。それならば、容易に捨てることができる。……そこまで気にしてくれているということなら、セーラ」

「なに」

「私をそこまでにさせた、君が責任をとって傭兵をやめることに今すぐ頷いてくれ」


 クレイが軍をやめる。

 セーラは傭兵をやめる。

 両方が、戦場から離れる。


「私が君と一緒に生きる。だから、死に場所を探すのはやめてくれ」


 培ってきたはずの大きなものを、知り合って一年ほどしか経っていないこんな得体の知れない女と生きるために、意に沿うために捨ててくれるという。

 共に生きると言う。


「……クレイちゃんって……頭良いのか悪いのか、分かんない」

「これに関しては冴えていたと自負しているが」

「これも、大真面目?」

「当然だ」


 本当に当然いう顔をしているものだから、セーラは泣きそうに笑いそうにどっち付かずの顔をする。

 馬鹿じゃないのか、と言いそうになったのに彼女の口からそれが出ることはなかった。


「……後悔、しても、知らないんだから」

「しない」


 どこまでも、大真面目に確固たる声で心の揺らぐ部分を一掃する言葉に、彼女は大きく顔を歪め、涙を溢す。手で雫を拭うことはせずに、目の前の存在を掴み引き寄せる。

 じゃあ、一緒に生きてよとセーラは愛し、共に生きたいと願うひとの胸に額をつけ囁き、クレイは共に生きると決めたひとをしかとその腕で抱き締め、愛していると囁いた。



 ――斯くして、味方陣営では剣姫と呼ばれ噂では死神と呼ばれた女傭兵は戦場から姿を消した

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茜色の傭兵 久浪 @007abc

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