フェイズ8:新たに望むもの

 廃工場を出たふたりは、近くを流れる川の土手で休んでいた。

 腕を枕に寝転がる墓守と、その横に座るネズミ。

 傾いた陽は、川面に鈍い光を流し、風景を茜色に染めている。


「昔観た映画でな。こンな感じで主役の男が海を……こっちは川だけど、とにかくそれを眺めながらくたばるってェ、エンディングがあってよ。わりと、好きだった」

「格好良いですね。……でも、マスターは不死身ですもんね」

「おう。傷はあらかた塞がってきた。雰囲気出ねェなぁ」

んです、それで。マスターは不死身すぎるくらいでんです。フヒヒッ」


 墓守は、顔をネズミのほうへ傾けた。

 この角度からだと、普段は前髪に隠れがちな双眸が、よく見える。

 綺麗な瞳だと、素直に思う。


(……ああ。思い出した。あいつも、こンな目だったな。いつもオドオドしてて、なのに妙に強情な……)


 そういうところを気に入っていた。一番の“仲間”だった。

 だから、意識の奥底で、何度も形をとったのかもしれない。


 かつて墓守は、喪った妹を取り戻そうとあがく男―――篠月秋雨しのつき・あきさめを「後ろ向きなメソメソ野郎」と軽蔑した。

 だが、その実、後ろ向きだったのは自分ではないか?

 失敗を恐れず、不可能に挑んでいく彼こそ、真に勇気ある者ではなかったか?


 自分は、喪失を繰り返すのが怖かった。

 だから何も手に入れようとしなかった。持ち続けようとしなかった。


 けれど、もう少し、手にしたモノに執着してみるのも悪くない。

 奪われそうになったなら、今度こそ自分の手で守り通せばいい。


「……オッサン秋雨にも、縁があったら謝ンねェとなァ」

「へ?」

「いや、こっちの話」


 もう一度、ネズミの顔をまじまじと観察する。

 見られていることに気づき、ネズミは硬直した。

 一応、表情を保とうとするのだが、緊張に耐え切れず、赤面してへにゃりと崩壊していく。無理をすればするほど、却って奇妙な有り様を晒す。


(おいおいおい。が、天下のマスターグレイヴ様の相棒になンのかよ? それでいいのか、俺。……ま、いいか)


 思案気な墓守を見て、ネズミは余計にあたふたし―――そして、なんとか笑顔を浮かべることができた。

 ぎこちないのが丸わかりだ。

 けれど、それでいい。

 出会った頃の卑屈なそれより、遥かに清々しい。


「ところでよ……その、なンだ。まァ、プールぐらい、俺も一緒に行ってやってもいいかもな」

「マジですか!? う、嬉し過ぎます!」

「言っとくが、泳がねェからな。ダルいし」

「やっぱマスター、カナヅチなんじゃ……」

「違うっ!」


 妙にムキになって否定する墓守を見て、ネズミの口元は自然とほころぶ。


「さて! そろそろ帰るぞっ」


 墓守は強引に話を打ち切り、脚のバネだけでひょいっと立ち上がった。

 ネズミも、慌てて続こうとして―――


「あぎゃっ!?」


 派手にすっ転んだ。


「置いてきゃしねぇから。普通に立ちゃいい」

「……はい」

「ほれ。手」


 大きく、強い手が差し伸べられている。

 ネズミはその手をしっかりと両手で掴み、立ち上がった。


 ―――楽しい。

 他愛無い会話が、楽しい。

 生きていることは、とても楽しい。


 手に伝わる温もりを愛おしみながら、ネズミは心にひとつの誓いを立てた。

 “生き延びる”だけなんて、もう止めよう。

 その先にあるものを、自分の力で掴むために、頑張ろう。

 それがたとえ仮初めの光でも、無意味なんかじゃない。

 

 自分だけじゃ無理な時は、この人に頼る。

 この人だけじゃ無理な時は、自分が助ける。

 そうやって―――


 “幸せになる”


 きっと、そうなれる。

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『Virtual Light Incognito』 田中天 @TANAKA_TEN

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