爬虫類ラーメン
休日、友人に誘われてラーメン屋に行った。
友人いわく、そこは有名店ではないものの、ラーメンマニアの間では滅法うまいとひそかに評判の店なのだそうだ。いわば知る人ぞ知る穴場ということらしかった。
市の中心街から西に約5キロ。大橋を渡り、新興住宅地を抜けた先にその店はあった。友人の車を降りて店の脇の駐車場に立つ。
周囲は木工製作所などの小さな工場がいくらかあるのみ。うら寂しいという印象が先立った。お世辞にも繁華とは言い難い町だ。
「……成程、これは穴場に違いあるまい」
しかし駐車場から店の表側へ回ってみてぎょっとした。
入口に掲げられた看板だ。
そこには赤地に黒く太い線でデカデカと『爬虫類ラーメン』と書かれていた。
爬虫類ラーメン。
これが店名なのだろうか。だとしていったいどういった意図で付けられた名前なのだ。爬虫類。ラーメン。この二つの語が私の中ではどうしても結びつかなかった。
「だ、大丈夫なのか、この店」
私は思わず友人に尋ねるが、彼はなあに見てくれは少し妙だが味は確かだよと笑うばかりだった。
友人を先頭に店内に入る。
ガラス戸を開けると、むっと中の熱気が肌に伝わってきた。
入るなり視界が白く染まった。
強い光。
反射的に目をすぼめる。
何事かと見上げれば、上の方にイベントに使うような大きなスポットライトが設置されていた。外から見るよりも内部の天井は高い造りになっているようだった。
何故ラーメン屋にこんな……。
不思議に思ったが、驚くべきことにどうやら店の照明はそれのみのようだった。
ますます妙な店だ。
看板や照明の異様さは引っかかったが、それ以外の内装に特に変わった点は見られなかった。テーブル席が十。カウンター席はない。がらんとした店内に私たち以外の客はいなかった。
ただ一人、中年の親父が店の真ん中で新聞を開いていた。
親父は調理服を着て丸椅子にどっしり構えていた。風貌から察するに、おそらくこの店の店主なのだろう。事実、友人が「おやっさん、ラーメン二つお願い!」と声を掛けると、新聞越しに「はいよ、ラーメン二丁ね」としわがれた声が返ってきた。
友人と適当な席に着く。傷と油汚れの目立つテーブルが老舗店の風格を感じさせた。冷水はセルフサービスで、私が気づく前に友人が汲んできてくれた。友人は普段はどちらかと言えば軽薄な人間なのだが、ことメシが絡むと急に気遣いを発揮する。
「随分勝手知ったるふうだが、よく来るのかい?」
慣れた様子の友人に私は訊いた。
「いや、なに。よくという程でもないけど、たまにね」
「ふうん。だけど、どうにもここの照明は落ち着かないね。光が強すぎる」
「まあ、その辺りの見てくれは妙だが、味は確かだよ」
友人は飄々と答えた。
雑談で時間を潰しているうちに10分ちょっとでラーメンが来た。
「あいよ、ラーメン二丁ね」
親父が無愛想にどんぶりを置いた。
はて。そういえばこの店主、私たちがラーメンを待っている間、ずっと入店時と同じ位置で新聞を読んでいた気がするが。少なくとも厨房に立った気配はなかった。
というか、調理の音自体が聞こえてこなかったような……。
しかしそんな私の疑問は、出されたラーメンを前にした瞬間に些細なものとしてどこかへと吹き飛んでしまった。
見た目は至ってシンプルだ。
澄んだスープと細麵。
トッピングは玉子とメンマ、それにチャーシューと海苔が二枚ずつ。
立ち昇る醤油の香りが否応なく空腹を刺激する。
蓮華でスープを一口含み、麺をすする。
うまい。
味わいに深みがあり、それでいてくどくない。
私は言い知れない多幸感が舌先から全身を覆っていくのを感じた。
私は向かいに友人がいることも忘れ、黙々と麺をすすった。そして気づけば最後の一滴までスープを飲みほし、あっという間に完食していたのであった。
「――いやあ、うまかった。正直、最初は半信半疑だったんだが、これは大当たりだった。ありがとうな、いい店を紹介してくれて」
ラーメン屋からの帰途、車中で私は友人に感謝の言葉を述べた。
「そう言ってくれると俺も誘った甲斐があったってものだよ」
「ああ。今回はこちらの完敗だ。機会があればまた行こう」
腹も満たされ、私は至極満足であった。
久々によい休日を過ごした。
友人には後で何かお礼をしなければなるまい。
……そういえば、結局あの妙な店名は何だったのだろう。
何しろ『爬虫類』+『ラーメン』だ。およそ食欲をそそる組み合わせとは思えないが、余程の理由があっての命名なのだろうか。
ラーメンの味は文句のつけようのない出来であっただけに、尚のことその由来が気になってしまった。
「……ああ、そのことか」
運転中の友人にさりげなくその旨を尋ねると、彼は事情を分かっている素振りで呟いた。
「知っているなら教えてくれ。まさかトカゲの尻尾で出汁を取っているわけでもなかろうに……」
「はははっ。そんなわけないだろ。あの味はトカゲじゃ出ないさ」
「なんだ、勿体ぶるなよ」
友人の軽い口調に、私はついつい詰問するような態度で迫ってしまった。
そんな私に対して友人はぽつりと答えた。
「……あのおやっさんさ、首筋に蛇みたいな鱗が生えてるんだよね」
「…………は?」
私は友人の言葉がすぐには理解できなかった。
鱗。
店主の首筋に鱗。
故に、『爬虫類ラーメン』。
それは。それじゃあ、あの店は――。
呆気に取られる私を尻目に、友人はまあこの辺りのラーメンマニアの間じゃ知られた話だよと言って、何でもないことのように笑うのだった。
「なに、見てくれは少し妙かもしれないが、味は確かだったろう」
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