日常系団地


 深刻な大気汚染が団地全体を覆って長い年月が経つ。


 かつてそこは市内一の工業地帯であった。とある大企業傘下の工場や研究施設が一カ所に誘致され、その企業の社員を中心に多くの人々がその団地に移り住んだ。

 

 当時その企業は仮想現実の技術開発を先駆的に進めていた。団地は研究段階における技術の実験場でもあったのだ。住区の生活の一切は高度なプログラムによって制御され、神経のごとく張り巡らされたバーチャルリアリティ・セキュリティが起こり得るすべての事故を未然に防いだ。


 同系列企業に勤める住民たちの結束意識は強く、和やかでストレスの少ない日々を志向して彼らの生活様式は次第に記号的になっていった。円滑な人間関係を目指し、ときに人間それ自体までもが仮想現実によって補われた。


 しかし、安全に制御された社会は住民から想像力を奪うことになる。


 企業と住民が一体となって進められた開発は自治体をも巻き込んで、その勢いを止めることができないままに自然環境を悪化させた。結果、団地のあった地域はわずか十数年で土地そのものを荒廃させるに至った。


 また、不況の煽りを受けて一帯の工場も閉鎖が相次ぐ。企業も本社の不祥事により仮想現実の技術開発から手を引いていった。待ち受けていたのは健康被害と大量リストラである。時代の栄華を謳歌したかに思われた団地の住民ははすでに大半が部屋を去り、わずかに残った人々もやがて高齢化の波に押されてぽつぽつと消えていった。


 残されたのは団地全体を占める、理想的なまでにシステム化された自律型生活ネットワーク。そこでは快適な団地生活を実現するためのプログラムが自動で働き続けている。汚染された黒い霧の立ち込める団地の中で、仮想の住民が以前と同じ生活を続ける。バーチャルリアリティによって再現された住民たちは大きなもめ事や諍いを起こすこともない。適度に起承転結があり、しかしあくまで類型的な人間ドラマをおよそ3カ月周期で繰り返す。


 表面的には永遠に変わらない日常が営まれているが、もはやこの団地に生きているものの姿はひとつとして無い。


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