鉄塔の影に

雪邑 基

第1話

 冬の寒さに起こされ、薄く目を開ける。布団から頭を出すと、すんだ空気に朝の光がまぶしい。布団を引っかぶって二度寝してしまいたいが、安物のせんべい布団では建てつけの悪い部屋の隙間風を防ぐことはできない。

 舌打ちして、布団を出る。窓の外を見ると、長い影を伸ばした依佐美の鉄塔が見えた。影の伸び方から察するに、まだ六時少し過ぎた所だろうか。

 ボリボリと頭をかく。いくら冬だからといって、二週間も風呂に入らなければ流石にかゆい。まずは顔でも洗うかと部屋をでて、縁側から裏庭へ。井戸の水で顔を洗うと、嫌というほど目が覚めた。

 小汚い手ぬぐいで顔を拭きながら、勝手口から台所へ入る。こんろの前では、コトコトと音をたてる鍋をお袋がおたまでかき混ぜていた。

「おはよう」

「どこが早いかね。お父さんはもう畑にいっとうよ」

 お袋はそうは言うが、親父より早く起きようと思えば日の出よりも早く起きなくちゃならない。

「親父呼んでくらぁ」

 このままここにいても小言がひどくなるばかりだ。俺は台所を出て、親父を呼びに畑へ向かった。

 家を出ると、周囲には広がるのは田畑ばかり。前まではぽつんぽつんと掘っ立て小屋が見えたのだが、先週末に起きた地震で潰れてしまった。それでも、川辺は津波で軒並み流されたし、名古屋みたいな都会じゃ空襲が酷いって聞いたから、ここいらはまだいい方か。

 冬の寂しい畑で、親父は鍬を振るっていた。農閑期、しかも正月くらい休んでもよさそうなものだが。

「おーい、朝飯だってよぉ」

 俺が声をかけると、親父が顔だけ上げて返事をした。俺だって愛想がいいわけじゃないが、明治生まれの頑固親父に比べりゃへらへらした軟弱者だ。それを嫌って、兄貴達も家を出てった。

 親父と一緒に家に戻ると、居間のちゃぶ台に湯気をあげる飯が用意してあった。

 親父はどかりと腰を下ろし、俺はラジオをつける。流れてくるのは、南方で日本軍がよろしくやっている報。

 大東亜戦争開戦から四年目、ここまできて大本営発表を全部信じるやつはいない。戦争に弱気は禁物なんだろうが、地震の報まで隠すのはいかがなものか。関東大震災は連日報じられたのに、年末と年明けて続けざまに起きた地震はほとんど報じられない。

「あんた、今日はどうなん?」

 席につこうとする俺に、飯をつけるお袋が言った。

「昨日と同じだべ。地震で崩れたとこ直すのに、まだ頭数がほしいってさ。今日は高須の方にいってくらぁ」

「鉄塔の向こうかね」

「そこまでは知らんよ。顎で使える若いのは少ないけぇ、俺は便利に使われるだけだ」

 働き盛りのやつは、ほとんどが戦争に取られた。まだ17の俺は徴兵までに多少の時間があるが、それでも同年のやつはいくらか志願で戦争にいった。ともなれば、俺みたいな横着者でも、天災時の力仕事くらいには重宝される。

 地震が起きて一週間。家は風呂釜が壊れたくらいだが、壊れた家から寒空の下に放り出された人がいくらもいる。そんな人たちの手伝いにいけと親父に命じられ、俺は復興の音頭をとる役場に丁稚として出されたのだ。

「役場の人のいうことをよく聞いて、ちゃんと働くんよ」

 言いながら、お袋が席につく。

 誰に指示されるわけでもなく、みんながそろって手を合わせ、いただきます。

 今日の朝食は麦飯と味噌汁、そしてぬか漬。なんとも寂しい。農家だから、野菜はあっても肉がない。銀シャリで肉の入ったライスカレーとまでは言わないが、せめて目刺の一尾くらいは欲しい。しかし配給がどんどん減っている昨今じゃ、満足に食えるだけありがたいのかもしれない。

 飯を口に放り込み、味噌汁で流す。味噌汁の具はかすみたいな薩摩芋だけ。味噌汁は豆腐と油揚げが好きなんだが、食い物は炊き出しに使ってくれと親父がほとんど出してしまった。具が2つも入った味噌汁なんて贅沢すぎる。

 空になった茶碗で茶を飲んで、食器を流しにつける。首をこきこきとならし、さて出かけるか。

「いってきます」

 出がけに瓶詰めの干し芋いくらか頂戴した。

 干し芋をかじりながら、何にもないあぜ道を歩く。田畑以外に見えるのは、天にそびえる8本の鉄塔。

 依佐美送信所、通称依佐美の鉄塔。長波を利用した無線通信所というのがその概要なんだが、小難しい理屈は俺にはよくわからない。そのとにかくでかい姿に、ただただ圧倒されるだけだ。

 俺の物心がついた頃には、あの鉄塔はもうあった。あれだけの地震があったのに、鉄塔はびくともしない。むしろ、どうやったら壊れるのかもよくわからない。多分、俺が死ぬ頃もあのままだろう。

 いかん、鉄塔を見上げて歩いていたら、首の後ろがかゆくなってきた。流石に今日は風呂にはいるか。しかし、風呂釜が壊れてるから、水風呂か。そう思うと、やっぱり億劫になる。さてどうするか。

 でっかい鉄塔の影にあっても、結局俺の悩みなんて小さなもんだ。苦笑しながら、俺は歩く速度を上げた。

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