マラソン
矢口ひかげ
マラソン
「なぁヤッちゃん、最後まで一緒に走ろうぜ」
柔軟体操をしているときに、僕はそう声をかけられた。
僕の友人、ケンちゃんは幼馴染だ。幼稚園の頃からよく遊んで、よく喧嘩をして、よく仲直りして、よく励ましあい、よく一緒にいて。学級が上がり、クラス替えで同じクラスになると、二人して喜んだ記憶もある。
今日は小学校最後のマラソン大会。生徒は川の傍にある校庭に集合していた。マラソンを喜ぶ者と文句を言う者がいた。
僕とケンちゃんは後者の方だった。僕は足に自信はあるが、体力があまりない。加えて去年のマラソン大会で具合を悪くしたこともあって、今年はあまり乗り気ではなかった。
だから、冒頭のケンちゃんの言葉に賛同した。お互い似た者同士、会話を交えながら仲良く並走していこうと思った。
2月の霞んだ景色の中、鮮やかな体操服を着た皆が白いラインの内側に並ぶ。
先生の合図を皮切りに皆が走り出す。僕とケンちゃんは少し遅れてから出発した。
やがて校庭を抜けて、自然堤防の上の道を走り出す。
道はまっすぐと伸びていて寄り道のしようがなかった。田舎のために周りは自然風景がそのまま残されていた。舗装されてないゆえに、荒い砂利道が走る者たちの体力を削る。
二人は予定通り駄弁りながら走った。歩を緩めると先生に怒られるため、飽くまで僕たちはスピードを落とさなかった。
「……なぁ、中学に入ったら部活に何するん?」
その中で、ケンちゃんとそんな話もした。
私とケンちゃんは別の中学校に入学することになる。そのため、学校生活を共に過ごすのは今年で最後。もう、一ヵ月もないのだ。
「うーん、まだ考えてない」
「じゃあ、いっしょにバスケしようぜ。そうしたら試合とかでまた会えるやろうし」
「バスケかぁ……」
僕は考え込んだ。確かにケンちゃんと会えることは嬉しい。中学校でもまた、仲良くしていきたかった。
しかしよく分からない、何かが、僕の心に引っ掛かった。
特に行きたい部活もない。何よりも中学校でも仲良くしたい。
だからといって、それでいいのか、と。
僕は複雑な気持ちのまま走り続けた。やがて二人の会話はなくなっていき走ることで精いっぱいだった。吐く息が苦く辛かったが、隣にいるケンちゃんはもっと辛そうな表情を浮かべていた。
だけど足だけは軽やかで、このままどこまでもいけそうだった。おそらく自分のペースで走れてないからだ。かえって疲れやすくなってしまっていたのだろう。
吐く息と頭の中は真っ白になっていく。さっきの会話のせいなのか、死ぬわけでもないのに走馬灯のようなものを見た。
いままで共に過ごしてきた友達。
彼は成績が悪くて、少し鈍くて、ぶっきら棒で、だけど優しくて頼りがいがあって……
彼とは色々なことを話した。もちろん将来の夢について語ったこともある。
彼は自動車関係に、僕は研究に勤めたいと思っている。
――将来。
そこには傍にケンちゃんはいない。数か月後の未来でさえいないのだ。
このままでいいのか分からない。ただ、友人の都合にあわせた日々を繰り返していたら、ダメな気がした。
周りに合わせてはいけない。自分のやりたいことをやるために頑張らなくてはいけないんだ――
ここで目が覚めた。気がつくとマラソンは折り返し地点を迎えて、あとは校庭に戻るだけだった。
ケンちゃんは僕の背中側にいた。そろそろ限界なのだろう。僕もわき腹に染みこむような痛みを感じ、そろそろ我慢できなかった。
躊躇いはなかったわけではない。けど、僕はケンちゃんに言った。
「ごめんね、先にいってる」
少しだけ肩が軽くなった気がした。ぐんぐんと僕とケンちゃんの差が開いていく。しばらくしてから後ろを振り向いたが、そこには友人の姿はなかった。
結局僕は先にゴールした。疲れ果ててたから時間の感覚は無かったが、ケンちゃんが到着したのはかなり後だったはずだ。
小学校の卒業式が終わり、家族と親戚の家をまわり、それが終わるとすぐに中学校の入学式と、ケンちゃんと会う機会があまりないまま、時が経った。
やがて音沙汰がなくなった。近況が全く分からずに、一年、三年、五年、そして高校の卒業式が過ぎていった。
僕は志望の大学に合格し、今のところは自分の道を突き進めている。砂利道を進むように辛くはあるけど、自分なりの努力をしていた。
受験勉強から解放されて心に余裕ができると、ふとこんなことが頭に浮かんだ。
彼は今、どうしているのだろうか。
置いていってしまった旧友のことを想うと胸が痛くなる。あのまま並走していればよかったのか、それとも無理してまで僕のペースに合わせてもらったらよかったのか。それは分からない。
ただ、あのときから僕ら二人の道は重なっていなかったのだ、ということだけは理解している。
(終)
マラソン 矢口ひかげ @torii_yaguchi
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