第13話
少女の家を通り過ぎた車は、程なくしてゆっくりと停車した。
「……意外と、近い?」
「知る人ぞ知る、という触れ込みのようですわ。最も、噂になっている時点で知れ渡っているようなものですけれど」
矛盾していそうな言葉を呟きながら、先陣を切ってお嬢様が車を降りた。彼女に手を引かれて、少女も恐る恐る外に出る。
辺りを見回しても、そこはいたって普通の道路沿いだった。二車線の道路はどこまでも続き、1分に二・三台のペースで車が通り抜けていく。車を正面にして左はだだっ広い麦畑が黄金色の穂を揺らしていて、右側は湖のある森が枝葉を伸ばしている。
放課後から更に時間が経過し、灰色の雲は益々我が物顔で空を覆い尽くしている。空気はどこか重たく、喉にねばっこく張り付くような気がした。
「予報と違って、なんだか雨も降ってきそうですね……まあ風情があると受け取りましょう。こちらですわ!」
「う、うん」
お嬢様は少女の手を取り、右側の森の方へと連れて行く。
森には、よく見たら一本の道が続いていた。落ち葉や草に覆われた中に、かろうじてコンクリートの黒が見える。
舗装は随分と前に作られたまま放置されているようで、完全に森に飲み込まれていた。左右の木々がせり出していて、かがまなければ進むこともできない。当然、車も入れそうにない。
「では、ここからは歩いて向かいますわよ! あなたは待機していてくださいな」
「あの……すいません、よろしくお願いします」
運転手に向けて、お嬢様が不遜に言う。後に続いて、少女もしげしげと頭を下げた。運転手のおじさんは、少女のおどおどとした様子に苦笑して帽子を目深に被りなおす。若い見た目をしていたが、笑うと頬に深い皺が見えた。
「こちらこそ、付き合わせてごめんね。ウチのお嬢様は、思いついたらすぐ行動に移してしまうから。今日のことも、昨日の帰りからずっと言っていたよ」
「そうなんですか?」
「ちょっと変かもしれないけれど、慣れれば彼女ほどのいい子はそういないよ。君を怖がらせたい、なんて意地悪を思いついたりするけどね」
気さくな語り口の運転手は、まるで父親のような顔でお嬢様の背中を見る。お嬢様はすっかり、獣道の奥に興味津々だ。それを確認してから、運転手はこっそりと少女に耳打ちした。
「実は昼間に下見をしたんだけどね。裏手にちょっと大きな地崩れがあったから、足元には十分注意してくれ。屋敷は見た感じ、かなり不気味だったよ。だけどもしかしたら私有地かもしれないから、器物損害とかには十分気をつけて」
少女が意外そうな顔をすると、運転手は気さくにウインクをした。
「お嬢様の無茶を叶えるのも、僕の務めなのさ。でも、君と友達になりたいっていう思いが本物だから協力したんだよ? 実際、一人で行くとかなり怖いし、雰囲気は抜群だ」
「あ、はは……ありがとうございます」
「この辺りは駐車できる場所がないからね。僕はここでお留守番だ。一応君にも僕の電話番号を教えておくから、万が一……ないとは思うけど、家の持ち主に怒られたとか。もしそんな事があったら、すぐに知らせてくれ。駆けつける」
「わかりました」
少女も携帯を取り出して、運転手さんの電話番号を登録させてもらった。運転手は含み笑いを浮かべて、会釈する。
「じゃあ、楽しんで……いや、この場合は怖がって、かな? まあ、きっと悪いようにはならないよ」
運転手に見送られて、少女も獣道に近づいた。近づいてみると、まるで木々が生み出したトンネルのようにも見える。
こちらを振り向いたお嬢様は笑顔だったが、唇はちょっと大げさにつり上がっている。楽しみの中に、若干怖さが混じっている、と言った感じだろうか。
「さあ参りましょう! ささっと突破してしまいますわよ! できれば暗くならない内に!」
そう意気込むと、お嬢様は少女の手を取った。
「え?」
「エスコートは私の義務ですから。うふふっ、怖がっても逃がしてあげませんからねっ」
華やかに笑って、お嬢様は体を屈めて森の中に踏み入った。半ば強引に少女の手を引く。
頭を屈めて、森の洞窟に踏み込む。温度なんて感じなくても、空気が沈んだのが肌から伝わった。
森に踏み込んだ、という実感。振り向けばすぐそこにあるのに、はいったばかりの入口がいやに遠くに感じてしまう。早速タバコに火を点けていた運転手が、ばつが悪そうにひらひらと手を振った。
既に肝試しスポットとして広まりつつあるのか、獣道は常に、人一人が通れるだけのスペースが確保されていた。枝には所々剪定されたような跡もある。親切な物好きが、道を切り開いてくれたのだろう。
そんな自然の洞窟を、お嬢様はずんずんと進んでいく。知らない土地、怖い場所のはずなのに、まるで秘密基地を紹介する子供みたいに勇み足だった。同い年の彼女の背中が、大人みたいに大きく見えた。
そんな風に思っていたのも、最初の1分だけ。
奥に踏み入り、空気がどんよりしてくるのに合わせて、お嬢様の歩幅はだんだんと小さくなって、大きく見えた背中はだんだんしょんぼりと縮んで、こちらをちらちらと伺う回数が増えていく。
「い、いますわよね。ちゃんとついてきてますわよね⁉︎」
「そりゃあ……」
こんなにがっちりと手を握られているというのに、抜け出せる訳がない。そう思っている間にも、歩幅はどんどん縮んでぶつかりそうになるし、握ってくる手はますます強くなる。
「あの……あんまり無理しなくてもいいよ?」
「なななな何をおっしゃいますのやら! エスコートは私の義務であり職務であってですね決して見栄とか強がりではなくホラか弱いあなたを矢面に立たせれば危ないとか私の面子とか諸々がですねーーきゃあっ⁉︎」
早口でまくしたてたお嬢様が、勢い良く一歩を踏み込む。その一歩が運悪く機の根っこに引っかかってしまい、少女の手も離れて盛大に足を滑らせた。甲高い絶叫を上げながら、腐葉土に思いっきりお尻をぶつける。
森全体が、お嬢様の悲鳴に驚いたようだった。鳥が飛び立つ音がして、木々がざわめいて、枝を揺らす。
「……あっ」
少女は、揺れた枝から落ちてくるそれに気づいたけれど、もう遅く。
ーーとさっ。
そんな音が立つほどの大きな蜘蛛が、お嬢様の額に静かに着地した。
「ひっ~~~~~~~~⁉︎」
声にならない絶叫が、鬱蒼とした森をざわざわと騒がせた。
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