第12話


 校門を出ると、やけにテカテカと黒光りする車がパパーッとクラクションを鳴らしてきた。下校しようとしていた生徒全員が、ぎょっとしてその車に注目する。

 側面の窓が開き、お嬢様が身を乗り出して少女に向かって手を振ってきた。


「お待ちしておりましたわー! さあ、お乗りになって!」


 お嬢様は目を丸くする少女なんてお構いなしに手を振って、それでも動かないと知るや、一度車から出て、少女の手を取って車に連れ込んだ。ざわざわと好奇の視線は、少女よりむしろお嬢様の方に向けられている。


「あ、あの、ちょ……さすがにこれは」

「さあさあ善は急げですわ! 廃墟に肝試しに行くのが善かどうかは置いておいて、とにかくゴーゴー!」


 意気揚々と拳を振り上げて、ゴチンと天板を叩く。それに合わせるようにして、車はゆっくりと発車した。

 車内のシーツはふかふかで、まだ新品の革の匂いがした。ガタガタと揺れることも、外の音が漏れることもなくて、そんな所からも、今まで乗ったことのない高級車であることを感じさせられた。

 そんな高級車のシートにお尻を沈めさせて、少女は大きくため息を吐き出した。


「……何も、あんな正面で待っていなくったって」

「だってあなた、気を抜くとどこかにふらりと行ってしまいそうですもの」

「う……」


 図星を指されて、言い淀む。雲隠れを考えていたのは事実だ。

 幽霊と称されるような自分が有名人であるお嬢様と一緒に行動しているなんて、あんまりに奇妙すぎる。なし崩しになかったことにした方が、互いの為であるような気がしていた。

 その罪悪感に対する戒めのように、革の香りが鼻腔をつんと刺す。普段嗅ぎ慣れているせいか、お嬢様は特に気にする様子はなくはしゃいでいる。


「私、とっても楽しみにしていましたのよ? 謎に包まれたあなたが果たしてどんな表情をしてくれるのか……想像するだけでワクワクゾクゾクですわ」

「ちょ、顔近……」


 誰かに誘われるなんて本当に初めてなのだから、そんなに期待されても、困る。

 ご機嫌なお嬢様にどう返していいか分からなくて、少女は窓の外に目を向ける。視界一杯に広がるトウモロコシ畑に、斜めに傾いた『STOP』の表札。車は見慣れた道路を走っていた。


「あ。ここ、ウチの近く……」

「あら、帰りの送迎の手間が省けますわね……こちらの方のお住まいでしたか。今度お邪魔しても?」

「んん……どうだろ。あんまり、いい顔しないかも」


 肝試しなんて言ったら頑として反対されるので、両親にはクラブの練習と言って誤魔化している。廃墟に行ったなんて聞けば、卒倒するかもしれない。

 つい、神妙な言葉使いになってしまう。お嬢様が戸惑っているのが、背後の気配で分かった。

 しかし次の瞬間には、お嬢様は腕が触れる程体を近づけて、少女の裾をいじらしくついついと引っ張った。


「もう、そんなに緊張なさらないで。私はただ、あなたとお近づきになりたいだけなのですから」

「そ、そうは言っても……」

「ハッ……もしや、怖がっていらっしゃるの? あらあら、ビギナー向けに日の落ちない放課後を選びましたのにもう涙が溢れて⁉︎ ほら、顔をお見せになって。ハンカチ使います?」


 ニヤニヤと笑うそれに、少女はムッとした。

 夜中にメアリと会っている自分を怖がりと呼ぶことが、何だか侮辱されているように感じたのだ。


「ば、馬鹿にしないで。廃墟とか、全然、怖くなんてないから」


 言葉にちょっとだけ怒気を乗せて、顔を上げる。

 お嬢様はにこやかな笑みで、自分の表情を覗き込んでいた。


「んふふっ」

「……どうしたの?」

「あなた、不機嫌だとそんな表情になるんですのね」


 満足げに呟いて、お嬢様は笑う。自分には一生かかっても作れないだろう、綺麗な笑顔だった。

 それに気圧されて、少女は二の句を失ってしまう。


「あなた、私の世間体を気にして下さっているのでしょう?」

「え……どうして」

「自分を卑下してしまうのは、とっても優しい心を持っている証なのですよ」


 そう言われて、少女はまたも二の句を失ってしまう。目の前の女の子が、自分より何歳も年上のように感じられた。

 高級そうな革の匂いは、まだ鼻に付く。

 分不相応だという思いは、ずっとわだかまったままだ。それなのにお嬢様は、簡単にそのわだかまりを吹き飛ばそうとしてくる。今も、ぴっと勢いよく人差し指を突きつけてきた。


「時にあなた。リーダーに必要な要素は何だと思います?」

「え……っと」


 急に質問されて、少女はお嬢様の全身を、足から顔までゆっくりと眺めて、


「……かわいさ?」

「あらあらありがとうございます、かわいいは万物霊長に共通する平等の価値観ですわねっ……理解ですわ!」

「う、うん」


 お嬢様の指が目の前にぐっと迫ってきて、少女は思わず仰け反る。少女を指していた指で、お嬢様は自分の胸元を指して、言う。


「私は上辺だけの関係は好みません。加えて、大して知りもせずに突き放す事も良しとは致しませんわ。温度を感じないからって幽霊みたいに扱う皆様も、それを知りながらそれでもいいやと諦めているあなたも!」

「……」

「幽霊なわけないじゃありませんか。冷血漢なんてとんでもない。私は、あなたの寂しそうな目を見るたびに胸の詰まるような思いを感じているというのに……」


 お嬢様はぷりぷりと頬を膨らませている。どうやら怒っているらしかった。

 でも、不思議と悪い気分にはならなかった。


 ……こんな風に怒られるのなんて、初めてだ。

 と、その時。道路の隆起に乗り上げて、車が大きく跳ねた。ばふんっと大きな音がして、重心が一気に傾いた。


「きゃあ⁉︎」


 一瞬体が浮き上がり、悲鳴が漏れる。体をもつれさせ、車内で盛大に転んでしまった。

 体がシートに横倒しになって、竦み上がった腰が浮いて、四つん這いみたいな姿勢になってしまっている。


「……はっ!」


 視線を感じて、めくり上がっていたスカートを慌てて直す。

 お尻が突き出されたその向こうで、お嬢様はニヨニヨと微笑んでいた。


「……ねえ? 幽霊がそんな所を着飾る訳がありませんもの」


 少女は、かぁっと頭が苦しくなるのを感じた。それを見て、お嬢様は更に声を上げる。


「あらあら、顔がバラのように真っ赤に! ねえ、照れても全然熱くないの? 恥ずかしい時ってどんな感覚?」

「し、知らないっ。知らないもん! ねえ、今の忘れて? 忘れてよね?」

「それはできかねますわ。そもそも今回の目的は、あなたの素直な反応を隅々まで知り尽くす、というものですもの!」

「う、うぅ……⁉︎」

「うふふ、幸先がいいですわ! わたし、今日はものすごい張り切っていますのよ! 最恐スポットであなたを引きずり回して、ぴぃぴぃ小鳥みたいに泣いてしまうあなたを見ると心に決めておりますの!」

「歪んでない? ねえ、なんだか歪んでない?」


 冷める気配のない二人のやりとりを乗せて、車はどんどん人気のない方向へと向かっていく。



 空は雲を更に厚くし、太陽の光を世界から奪い去ろうとしていた。

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