クトゥルー神話とは?

𠮷田 仁

 Cthulhu Mythosクトゥルー神話とは、ホラーの一ジャンルでは無く、シェアードワールドでも無い。創作史上極めて特異な存在と云うのが一番良い気がする。最近、よくジャンル横断小説と呼ばれるものが有るが、Cthulhu Mythosと呼ばれるものもホラー、SF、ミステリ、コメディ、ファンタジー、冒険もの、純文学等、幾つものジャンルを渡っており、そもそも創作媒体で云えば小説にすら限らない。コミックス、映画、音楽、ゲーム、ジュエリー、絵画、造型等、多岐に渡っている。そして確かにコミックスやゲームは始めこそ小説からの影響を受けていたが、逆にコミックスやゲームが小説に影響を与える事も有り、正に混沌としてる。それならばCthulhu Mythosの正体は何かと云うと、今日的な言葉で云うなら「巨大な、記号の集合体」だろう。Cthulhu Mythosの要素たりうる書名、地名、神名、組織名等の様々な固有名詞は小説であれ映画であれ歌であれ、作品内に登場すればそれはCthulhu Mythosと成り得る。しかも近年はCthulhu Mythos特有の概念(外宇宙から来た生物が神と呼ばれ、後、別な存在に依って封印される等)、或いはCthulhu Mythosに有りがちな話の展開(小説に登場する邪神が実在していた等)も特定の固有名詞が登場していなくてもCthulhu Mythos的であると見做され、時にはCthulhu Mythosのアンソロジーに収録されたりもしている。その辺り迄行くと異議を唱えたく成る人も少なくは無いだろうが、それでも特定の固有名詞の使用がCthulhu Mythosと成る条件と云われたら、異議を唱えたい人は多くは無いだろう。この固有名詞の使用、又は借用について研究家の森瀬綾氏は「シェアード・ワールドではなくシェアード・ワード」と述べている。シェアード・ワールドは一つの世界を切り分けるもので、基本と成る世界観の共有がスタートに成るのだが、Cthulhu Mythosには、そんなものは要らない。各々、自分独自の世界観でスタートすれば良く、固有名詞の使用に際してもその固有名詞を創作した人物の設定を引き継ぐ必要が無いのだ。本当にその単語だけ有れば良く、シェアード・ワードとは正に云い得て妙だ。この点で云えばCthulhu Mythosは「書いたもン勝ち」と云う事に成る。

 では、一体全体、何でこう云う事に成ったのか?

 それはCthulhu Mythosの成り立ちに有る。小説のゴーストライティングや添削指導を職業としていたアマチュア作家(今日の日本の同人作家に近い)のHowardハワード Philipsフィリップス Lovecraftラヴクラフト(以下H.P.L)とその仲間達の遊びに端を発している。アマチュア作家ではあるが怪奇小説の投稿雑誌Weird Talesウィアード・テイルズへ投稿して何本かが採用され掲載されたH.P.Lは文通相手の詩人Clarkクラーク Ashton アシュトンSmithスミスに小説を書く事を進め、その通りにしてWeird Talesに作品が載る様に成ったSmithがTsathogguaツァトッグァと云う神を創作したと書簡で知らせると使わせてくれと頼み、代わってSmithはH.P.LのCthulhuクトゥルーを使わせて貰うと云う事が有った。これが発端だった。しかしお互い相手の神様を使っても、そこに加えられる設定は使用する側独自のもので、手塚漫画のスターシステムに近いかも知れない。話に依ってランプは悪役として登場する事も有れば悪党であっても人の心を忘れず他者を助けるキャラクターとして登場する事もある。ハムエッグは恐ろしい悪人の場合も有れば、巻き込まれただけの一般人の場合も有る。ロックも話に依っては熱血の主人公、話に依っては冷血の悪人。

 話を戻そう。H.P.LはWeird Talesの作家陣、つまりは投稿仲間であるアマチュア作家達とも積極的に文通を行い、自分達の創作物の貸し借りを行った。今日、Cthulhu Mythosの第一期作家陣の作品群と呼ばれているものの誕生なのだが、当事者達にその自覚は無かっただろう。その意味では、架空の神話大系を創作しようなどと意気込んでいる者は居らず、只、遊んでいるだけだったのだろう。但し、後からやって来たアマチュア作家達にとっては評論でも知られたH.P.Lに認められたいと云う気持ちも有ったのかも知れない。今日的な言葉で云うなら文通と創作で行う「祭り」だったのだろう。H.P.Lは作家としてアマチュアを尊びプロを蔑視する傾向の人物で経済的困窮に依りWeird Talesへ投稿した作品の原稿料を自身の生活費に充て無くては成らない事を恥じている様な人物であった為、例え作品の投稿で生計を立てている人物でも妥協しないアマチュア精神の持ち主で有れば認め仲間とする一方、読者ウケを計算して書いたりするプロ意識の強い人物は拒絶した為、投稿小説で生計を立てているいないに関わらずアマチュア精神の強い者達ばかりが「祭り」には加わった。H.P.Lを中心とした人々にとっては楽しい季節だったに違いない。だが、その期間は長くは続か無かった。「祭り」の参加者の一人で、死後、Conanコナン等のヒロイックファンタジーの祖として有名に成るRobertロバート Ervinアーヴィン Howardハワードの自殺から半年経たずにH.P.Lは病に倒れこの世を去り、自分に小説を書く事を勧めてくれた友人の死に衝撃を受けたSmithは筆を折った。小説を書き続けた人々も後にCthulhu Mythosと呼ばれる作品は書かなく成って行った。それは後に「サイコ」の原作者として有名に成ったRobertロバート Albertアルバート Blochブロックの、H.P.Lの生前は遊びだったものが追悼にしかならなく成ってしまったと云う主旨の言葉に代表されるだろう。その中で只一人、懸命に書き続けていたのがAugustオーガスト Williamウィリアム Derlethダーレスで、H.P.Lを忘れられたく無かった彼は積極的にH.P.Lの創作したものを扱った作品を書き、又、自分独自の設定に依る作品も書き続けた。そればかりか文通仲間で生前のH.P.Lを訪ね、彼とアイスクリームの大食い勝負をやってのけた事も有るDonaldドナルド Albertアルバート Wandleiワンドレイと共にArkhamアーカム Houseハウスと云う出版社を興しH.P.Lの作品を本にして出版した。他には文通仲間の作品、或いはDerlethの眼鏡に叶った異色の人材Rayレイ Bradburyブラッドベリイなどの作品集も出したりし、そしてCthulhu Mythosの名前を冠したアンソロジーも発行した。リアルタイムでのWeird Talesを知らず、こうした本に依ってH.P.Lの諸作や所謂Cthulhu Mythosに触れた人達も出始め、60年代に入ると自分でも書いてみたいと云う人々が出始める。そうしてDerlethに連絡を取りArkham HouseからCthulhu Mythosを出すに至った第二期作家陣と呼ばれる人達が現れた。

 第二期作家陣の内、最初に登場した英国からの参加者Johnジョン Ramseyラムジイ Campbellキャンベル(後には Ramsey Campbell名義)に依ると、まだ少年だった彼が作品を書いて送った処、Derlethから自分独自のものを創作して書く様に指導されたと云う事らしい。或いはDerlethと云う人は相当真面目な人で、H.P.L達の遊びをそのままスタイルとして踏襲しようとしていたのかも知れない。いずれにせよ、こうして英国を舞台にしたCthulhu Mythosが誕生した。そしてその後に米英取り混ぜて幾人かの人々がCthulhu Mythosの作家と成り、続く第三期作家陣と成るべく人達もDerlethの指導を受けていたが、その矢先Derlethは急逝し、こうしてArkham HouseからのCthulhu Mythosは途絶える事と成った。その後Cthulhu Mythosの舞台は同人誌(一応、会社組織で社長も居るがコミケで売られている様な造りの本で通販専門)に移る事に成る。第一期の作家陣でもDuaneドゥエイン Weldonウェルドン RimelライメルはH.P.Lの二次創作を志し同人誌を発表の舞台にしていたが、他の作家陣はパルプマガジンと云う投稿先が有ったせいかアマチュアリズムを謳いながらも積極的に同人誌に発表の場を求める事は無かった。しかし読者からの投稿作品を掲載してくれるパルプマガジンが存在しなくなった時代で、第二期作家陣のBrianブライアン LumleyラムレイLinリン Carterカーター等は同人誌に発表の場を求める事に成った。そして、その他にも既にCthulhu Mythosと云う言葉を知りその名前での作品群を知った多くの人々が同人誌に、或いは既にプロの作家であった者は自作に忍ばせる形でCthulhu Mythosを発表して行ったが、その中でCthulhu Mythosの体系化を試みたのがLin Carterだった。彼は神々の系図を整え従属種族も整備し先人達の作品からの新たな取り込みも行った。しかし彼も又、病に倒れ志半ばでこの世を去る。丁度、RPG(今日のテーブルトークRPGと呼ばれているタイプ)でCthulhu Mythosが出る前年の事だ。

 RPGのCthulhu Mythosは独自設定が幾つか用意され、例えば小説ではGreatグレート Oldオールド Oneワン とかAnicientエンシェント Oneワンなどと呼ばれていて一つのグループに纏められていた邪神達は、RPGの設定では如何なる理由なのか二つに分けられている。恐らくマスタリングの問題解決の為と想われるが邪神群の中でも明らかに上位存在であるYogヨグ-SothothソトースAzathothアザトースを、元はYog-Sothothの呼称であったOuterアウター Godゴッドと云うグループに纏め、CthulhuやHasturハスター等を元のままGreat Old Oneにしており、今日ではこの設定に従って書いている作家も少なくない。又、H.P.LのCthulhu Mythosと看做されていなかった幾つかの作品やその他の先人達の作品、例えばWilliamウィリアム Hopeホープ HodgsonホジスンCarnackiカーナッキものからの取り込みやH.P.Lの”狂気の山脈にて(At the Mountains of Madness)”にインスパイアされたと云われているJohnジョン Woodウッド Campbellキャンベル Jr.の作品”影が行く(Who Goes There?)”からの取り込みも行うなど、Cthulhu Mythosの更なる拡大化が図られて行き、現在ではCthulhu Mythosの初体験がRPGであったと云う人も多く、RPGから小説に導入されて行ったものも少なくない。 一方RPGのCthulhu Mythosが台頭して行く中、小説作品の方は時代の変化に伴いオンデマンド等、安価な費用でペーパーバックが出版出来る様に成り、又、アマゾンに代表される通販システムが発達しているせいか、同人誌出身のインディーズ系出版社や自費出版もの等が、皆、ペーパーバックスのアンソロジーや作品集に移行し、一見、毎年多くの出版社からペーパーバックが出されている様であるが、日本なら大半がコミケ等で売られているものだ。それでも日本に較べれば圧倒的に数が多い。又、電子出版もし易く成った為、中には最初からキンドルで作品を発表する人も多数登場する様に成って行った。Cthulhu Mythosの書き手の人達のFBを見ると、中には職業をIndependent Writer & Publisherとしている人達が居り、つまりは自費出版業、いやキンドルだったら費用は掛からないから自主出版業とでも云うべき人達で、これが今日のアメリカに於ける同人作家の姿なのだろう。H.P.Lが尊んだアマチュア精神いまだ健在なりと云ったところだ。

 こうして見るとCthulhu Mythosは元々はアマチュア作家を自認する人々の「祭り」であり、小説に限って云えば、それが形を変え今日も続いていると云えるだろう。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クトゥルー神話とは? 𠮷田 仁 @ZEPHYROS

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ