気遣い
「う~ん……う~ん……」
次の日の昼休憩。三年生のクラスが並ぶ階、その端っこで私は唸りながら円を描くように歩き回っていた。
「うんうんうるせぇな。早く行けよ」
「ちょっと待って。もう少し……」
階段に腰掛け、面倒臭そうに蜷川が私に声を掛けてくる。
今から容疑者候補の三年生に話を聞きに行く。昨日帰ってから家で覚悟を決め、当たって砕けろ! と自分に言い聞かせていたが、いざその場に立つと揺らいでしまう。先程から「よし!」と「いや、まだ……」という気持ちのループが続いていた。
「たかが話を聞きに行くのに、何をそんなに躊躇う?」
「いや、だって三年生よ? 怖いじゃない」
「何が怖いんだよ。同じ人間だろ。別に人喰いのオークに話を聞きに行くわけでもないのに」
例えを異次元から取り入れる辺り蜷川らしいが、今の私はそれに近い心情だった。
「だって、ちゃんと話してくれるか分からないし……」
「分かんねぇなら尚更だろ。ここで歩き回ってたって何も始まらん」
「そりゃあそうだけど、やっぱ心の準備が……」
「その準備にどれだけ使う気だ。昼休み終わるぞ」
私と蜷川、二人がここに着いてから十分程経っているだろうか。昼休みは五十分なので残り四十分。時間は限られている事は分かっているが、なかなか最初の一歩が踏み出せない。
「だいたい、何であんたとペアなのよ」
「それはこっちの台詞だ。文句なら自分に言え」
三年生の聞き取りに行くと決めた後、全員が嫌々の態度をずっと取っていた。なんとしても連れて行きたかったが、誰も重い腰を上げる気配もなく、このままでは本当に私一人で行かされかねない。そこで私は一考し、くじ引きをしてそれを引いた者に付き添ってもらう。そう提案したのだ。
五人全員でゾロゾロと向かうよりその方がいいだろうと伊賀先輩も賛同し、ちょうど空になったティッシュ箱を使ってくじを作った。箱からくじを引く際、全員物凄い真剣に手を入れ、結果蜷川が当たりを引いたのだ。
当たりを引いた蜷川は心底悔しがり、残り三人は手を上げて喜んでいたが、みんなそんなに嫌だったの!?
「本当は明里か伊賀先輩辺りに引いて貰いたかったのに、よりによってあんたなんて……」
「お前が落ち込むな。どちらかと言えば俺の方が被害者だぞ」
「あんたならイカサマでもして当たりを引かないようにするかと思ったのに、普通に引くなんて……」
「俺はカイジか何かか?」
文句を言いながらも、こうして蜷川は私に付き添っている。放り投げずに決まった事をやり遂げようとしているので、私もこれ以上愚痴は言わないでおこう。
「よし、行こ――ああ、でも……」
「……はあ~、ったく。しょうがねぇな」
未だに躊躇っている私に見かねたのか、深い溜め息を付くと蜷川は階段から立ち上がって私に近付いた。
「おら、後ろを向け」
「な、何で?」
「いいから、早くしろ」
蜷川に促され、私は彼に背中を向けた。
「両手を横に伸ばせ」
言われたようにゆっくり腕を横に広げる。十字架のような形で私は立っていた。
な、何をするつもりかしら?
……ツン。
「イッヒァァァァ!」
突然、脇腹辺り感触が走り、私は思わず甲高い声を上げてしまう。すぐさま脇を抱え振り向くと、両手の人差し指を立てている蜷川の姿があった。どうやら指でつついたらしい。
「なっ、なっ、なっ……」
顔が熱くなる。身体を触られた恥ずかしさも募って言葉が上手く出てこない。
「どうだ、少しは落ち着いたか?」
「……は?」
「大抵の人間は脇が弱い。そこを不意に触られれば誰だって反応する。そして、緊張を解すにはもってこいの部位だ」
「いや、あんただからって――」
「俺の母親がよくやっていたんだ」
その言葉に私は言葉を止めた。
「若い声優は現場に着くとガチガチになっていたらしい。だから、よくこうして緊張を解していたみたいだ。俺も昔、何かと緊張した時はこうして脇をつつかれた」
どうやら、この方法は蜷川の母親特有のリラックス促進方法だったようだ。そして、蜷川は私の緊張を解そうとそれを実行した。
こいつなりに私を気遣ってくれたのか……これはお礼をしなくては。
そう思った私は蜷川にゆっくり近付いた。
「どうだ、緊張がなくなったろ? そんじゃあ、さっさと聞き取りに――」
「フンッ!」
「うぼあっ!?」
射程圏内に入った私は蜷川の腹部目掛けてお礼の膝蹴りをお見舞いした。
「ちょ、おま……何、で?」
「何でもあるかボケぇ! 女の子の脇に触るとかセクハラのなにものでもないわ! この変態!」
同性ならともかく、異性に触られて黙っていられるほど私も穏やかではない。
「セク、ハラ? セクハラってのは、下心ある、やつがするもの、だろ。お前、相手に、下心なんか覚え、るか」
「んだとこら!」
蹲って苦しそうに唸る蜷川に上から罵声を浴びせる。悪びれた様子もない所が余計に腹が立つ。
「ほら、さっさと行くわよ。いつまで蹲っているつもり?」
「ふ、ふざけ、るな。お、お前がやったんだろ。それに、さっさと行くとか、どの口が――」
蜷川の文句を無視して私は先に歩を進める。先程の戸惑いが嘘のようになくなっていた。足取りが軽い。
悔しいが、蜷川のおかげであることは間違いない。私は決して口には出さなかったが、心の中で感謝の言葉を紡いだ。
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