魅力
次の日。
時刻は四時三十分辺り。今、私は伊賀先輩と喫茶店で向かい合っている。注文した飲み物が来るまで会話はなく重い空気が流れていたが、先輩が届いたコーヒーを一口飲むと口を開いた。
「驚いたよ。まさか、由衣ちゃんからおばさんの話が出てくるなんてね」
「すいません、無理言って」
「いいよいいよ。何か大事な事を聞きたい雰囲気を感じたから」
放課後、私は校門で伊賀先輩を待っており、姿を現すと近付いた。
****
「伊賀先輩」
「……何?」
「あの……少しお話があるんですが」
「話は明日するはずでしょ?」
「そうですが、できれば今日したいんです。その……蜷川の事で」
「それなら祐一に――と言いたいところだけど、祐一なら今日は学校に来てないわよ。たぶん、家でアニメを観てるわ。それに、私も話すことはない。明日まで待ちなさい」
先輩は私の横を通り過ぎようとするが、腕を掴んで阻止する。
「待ってください! お願いです、聞きたいことがあるんです!」
「由衣ちゃん、いい加減に――」
「あいつの……蜷川のお母さんの事を聞きたいんです!」
すると伊賀先輩は驚愕の表情でこちらに振り向いた。
「由衣ちゃん、どうしておばさんの事を?」
「それは……」
「……いいわ。話をしましょう。近くに喫茶店があるからそこで」
****
そして現在、私と伊賀先輩は二人きりで喫茶店にいる。落ち着いた感じのあるお店で、ここならゆっくり、そしてきちんと話し合いができそうだ。
「さて、まずは私からいいかしら? 由衣ちゃんはどこからおばさんの事を?」
私は昨日の出来事を話す。その間、伊賀先輩は黙って聞いていた。
「へ~。あの刑事さん、祐一と面識あったんだ」
カラカラ、とスプーンでカップの中を混ぜながら、まさかあの出来事の場にいたなんてね、と過去に耽っている。
「その、赤澤刑事が言っていた事は本当なんですか?」
「本当よ。祐一は一度、暴力沙汰を起こした。まだ子供だったから咎められることはなかったけど」
「じゃあ、蜷川が暴力を奮った理由も?」
「そう。お母さんを貶されたから」
先輩に肯定され、昨日赤澤が話していた内容を思い出す。
『その男性は友人と話して歩いていました。内容はあるアニメについてです。あのキャラクターにあの声優は合わない。亡くなったことで声優が変わり、むしろ新しい声優の方がしっくりくる。死んでよかった、と。そう話した途端、祐一君が彼らに攻撃を始めたそうです。私は攻撃している祐一君を止めましたが、止められると今度はその場で泣き始めました。後から知りましたが、その亡くなった声優というのは祐一君のお母さんだったそうです』
「じゃあやっぱり、蜷川のお母さんは……」
「うん、声優をしていたよ」
ということは、昨日調べた声優はやはり蜷川の母親である。
「藤瀬勇子、でしたよね。魔法少女カミナの主人公の」
「よく知ってるね」
「昨日ネットで調べましたし、小さい頃私も見てました」
「うん、私も見てた。戦いのシーンはいつもテレビに向かって応援してた」
先輩も私と同様、あのアニメの虜になっていたようだ。しかも、その声を担当していたのは幼馴染みのお母さん。嵌まらないわけがない。
「おばさんはよく私達の遊び相手をしてくれたわ。公園で遊んでくると言うと、自分も行くと言ってね」
「いい人だったんですね」
「そうね。でも、ただ遊び相手をしてるわけじゃなかったのよ」
「というと?」
「研究よ」
「研究?」
私も最近知ったんだけどね、と前置きしてから先輩は続ける。
「覚えてる? 魔法少女カミナの主人公、カミナってすごく子供っぽい声だったでしょ? そのせいか、おばさんはああいう子供の声を担当することが多かったの。だけど、遊んでいるシーンや話し方でよく苦労してたみたい。子供らしさをどう演じればいいのか、ね」
「そのための研究?」
「そう。何せ、実際の子供の遊ぶ姿を見ることができるんだからね。楽しい時の声のトーン、息遣い、何気ない会話はどうやり取りしているのか。これ以上参考になるものはないもの」
なるほど。しかも、自分の子供と遊んでコミュニケーションも取れる。一石二鳥だ。
「時々、私と祐一の前でカミナを演じてもらったこともあったわ。カミナが目の前にいるみたいで、私はいつも興奮してた」
****
『魔法少女カミナ! あなたたちの悪巧みは、私が絶対止めます!』
『わ~! カミナだカミナだ!』
『ぼくもやる。まほうしょうじょカミナ――』
『だめよゆういち。ゆういちはおとこのこでしょ。カミナはわたしがやる』
『じゃあ、ぼくはなにをやればいいの?』
『このまえでてきたなぞなぞはくしゃくやって』
『え~、いやだよ~。ぼくもカミナやりたい』
『はいはい二人とも、喧嘩しない』
****
「男なのに魔法少女やりたいって……」
伊賀先輩の過去の話を聞いて若干引いてしまう。
「あはは。普通男の子ならヒーローものだよね。でも、祐一はいつもカミナの真似事をしていた。ポーズもそうだけど、特に台詞は強弱をつけて似せていた。それだけお母さんが大好きだったのよ。それは、今でも変わらない」
「もしかして、蜷川が声優が好きなのも……」
「うん。お母さんの影響が大きい」
やはりそうか。蜷川の声優好きはどこか印象が違っていたが、ただ声優が好きというだけではなかったのだ。
「これは私の想像だけど、祐一は声優を求めることでお母さんの存在を認識しようとしてるんだと思う。声優を通して、お母さんに会っているのかもしれない」
「さっき、蜷川は家でアニメを観てると言いましたよね? そのアニメって……」
「うん。魔法少女カミナ。たぶん、一気に何話も観ているわね。祐一は、何か辛かったり嫌なことがあるといつも魔法少女カミナを観るの」
学校を休んでアニメを観る。その理由は一つ。カミナを演じるお母さんに会っているのだ。家族で録ったホームビデオよりも、アニメの方が蜷川にはお母さんを身近に感じられるのだろう。
辛いこと……それは間違いなく私が声優を貶したからだ。声優なんかお遊びでやっている、と。大好きなお母さんが一生懸命仕事にしていた声優を貶したから。
「私が……私がバカにしたから……」
「違うよ。由衣ちゃんは別におばさんをバカにしたわけじゃない。そうでしょ?」
「で、でも!」
「祐一だって分かってる。由衣ちゃんの言葉がおばさんに向けられたものじゃないって」
果たしてそうなのだろうか。たしかに、私は蜷川の母親に向けて発言したわけではない。しかし、直接でなくとも間接的に蜷川の母親を貶したことになるのではないだろうか。蜷川が怒るのももっともな気がするのだが。
「由衣ちゃんは声優が嫌い。それは、声優に似た自分の声のせいで過去に嫌な事があったから。だから祐一も殴らなかったのよ。由衣ちゃんが声優を嫌っていることを理解していたから。でもね、それでもずっと由衣ちゃんに声を要求していたのは、自分の声を好きになって欲しかったの。やり方はあれだけど、祐一は祐一なりに声優の魅力を伝えようとしていたのよ。台詞を言わせることで、その声はとても素晴らしいものなんだって。お母さんが自分の声に誇りを持っていたように、由衣ちゃんにも自分の声に自信を持って欲しかったのよ」
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