大事なもの
声優の、声の魅力を伝えたい。
自分の趣味の押し付けではない。ただ好きだから伝えたいのではない。声の大切さを感じて欲しい。蜷川はそれを伝えたいのだ。
「祐一はお母さんが好き。そして、そのお母さんが大事にしていた声が大好き。だから、由衣ちゃんが言った言葉に反応してしまった」
「声が、大好き……」
「特定の人の声だけじゃない。人にはそれぞれ独自に持つ魅力ある声がある。その声に誇りを持って欲しい。祐一はそう願っているの。そして、それがおばさんとの約束だった」
「約束?」
「もう知ってると思うけど、おばさんは癌で亡くなったの。入院していて、私と祐一はよく病院にお見舞いに行ってたんだけど、ある日おばさんは祐一にこう話したわ」
****
『祐一。一つお母さんと約束して。それは、声を大事にする事』
『こえを?』
『そう。声はね、万能なんだよ。声一つからその人の感情を読み取ることができるの。強く言ったり弱く言ったりすることで、その人が何を思っているのか判断できるのよ』
『よくわかんない』
『じゃあ、例えば……楽しい~! と、楽しい……。どっちの方が楽しそう?』
『さいしょのほう! ほんとだ、ぜんぜんちがう』
『でしょ? 声一つで伝わり方が変わってくるの。正しく相手に自分の気持ちを伝えるなら、しっかり発言しなくちゃいけないの。だから祐一、声を大事にしてね』
****
「それって……」
聞き覚えのある台詞。前に同様の内容を聞いており、その時の会話を思い出す。
『声はその人物のあらゆるものを表現できる伝達機能だ。高低はもちろん、強弱で喜怒哀楽を的確に相手に伝えることもできるし、受けとる側も声から相手がどんな感情を抱いているのか判断することができる。云わば、声は万能なんだ』
「覚えてる? 祐一のあの台詞。おばさんから教えてもらったものなの」
声を大事にする。声優らしいというか、声を仕事にしている声優だからこその内容だ。
「その約束の数日後、おばさんは亡くなったわ。そして、それがおばさんとの最後の約束になった」
気を紛らわすかのように、空になったカップの縁を指でなぞる伊賀先輩。私はその動きをじっと見ていた。
大好きなお母さんと最後に交わした約束。蜷川が守らないはずがない。私にただ台詞を言わせるだけではなく、声を録音するという行為まで及んでいたのは、その約束があったからなのではないか。その一瞬だけでなく、大事な声だからこそ保存しておきたかったから。
「祐一はおばさんとの約束を守り続けているわ。その一つがりっちゃんよ」
りっちゃん? なぜここで彼女の名前が?
「実はね、りっちゃんは祐一に助けられたのよ」
「助けられた?」
「もし祐一に会わなければ、りっちゃんは学校を辞めていたわ」
「な、何で?」
「いじめよ」
いじめ!?
「りっちゃんもあんな声の持ち主だから注目されていたというか、からかわれたりしたの。特に男子に」
それは私と同じ……いや、少し違う。
「だけど、暴力まではいかなかったけど男子に注目されたことで数名の女子から因縁をつけられたりしたらしいわ。調子に乗るな、って。それから物を隠されたり、机に落書きをされたりしたみたい。やることはてんで幼稚だけど、りっちゃんの心には大きな傷が刻まれた。それにより、りっちゃんはクラスで孤立してしまったの。内気な性格も災いして余計にね」
私は口に出して否定し続けていたが、りっちゃんは性格上何も言えなかったのだろう。女子からの圧力。それにより、その後のクラスメイトの接近も対応できず、愛想をつかれたりっちゃんは独りぼっちになった。典型と言えば典型だが、知り合いがその被害者であったと思うと胸が痛い。
「本当は人とお話ししたい。でも、自分の声が引っ掛かり周りの視線が気になって行動できない。そのジレンマがどんどん積み重なっていき、独りでいることにとうとう堪えられなくなって、転校寸前まで追い詰められてたの」
「そんな……」
「でも、そんなりっちゃんを助けたのが祐一」
いじめを止めに入った? まさか、あの蜷川がそんなヒーロー的な事を?
「釘宮理恵の声に似ている人がいると聞くと、祐一は飛んでいったわ。それで、教室のドアを開くなりこう叫んだわ」
『くぎゅうを寄越せぇぇぇ!』
うわ~、言いそう。安易に想像できるし、ザ・蜷川とも言える台詞だ。というか、やはり声目的か。正義感とかそういうのではなかった。
「それで、りっちゃんを見つけると周りなんかお構いなしに早速要求したわ」
****
『あんたか? 釘宮理恵の声に似ているというのは』
『え、え? あ、あの』
『頼む! その声を聞かせてくれ!』
『あ、ああ、その』
『早く、早く!』
『いや、そ、その』
『カモン! ツンを、デレを!』
『い、嫌……』
『おおい、縮こまるな。そこは見下すように「はあ? あんた何言ってるの? バカじゃないの?」だ!』
『こ、来ないでくだ――』
『さあ! 力の限り振り絞って』
『……さい』
『ん?』
『うるさぁぁぁい! 私は……私はそんなこと言いません!』
『……』
『あっ……ごめんなさ――』
『グッジョブ……』
『えっ?』
『グッジョォォォブ!』
『ひいっ!?』
『釘宮理恵キタァァァ! なあ、あんた!』
『は、はい!』
『その声、俺にくれ!』
****
初対面でその対応!? 飛び抜き過ぎじゃない!? どう考えても大迷惑でしょ!
「まあ、こんな出会いだから最初りっちゃんは祐一を怖がっていたわね。というか、避けていたわ」
でしょうね! 誰でもそうなると思います!
「でも、祐一のそのまっすぐなアプローチにりっちゃんもだんだん心を開いていったの。これまで面白半分で近付いてきた人達と違い、祐一は声を通してりっちゃんに正面から向き合っていた。この人は違う、自分を見てくれている、って。そりゃあ惚れちゃうよね」
そういえば、りっちゃんは蜷川に好意を寄せていた。なぜこんな男を? と当初は思っていたが、今の話から無理もないと感じる。孤独だった自分を助けてくれた。手を差し伸べてくれた。何も想わないはずがない。
「あの、先輩も声優に声が似ているじゃないですか? その、りっちゃんみたいなことはなかったんですか?」
「あったわよ」
「あったんですか?」
「私も例外じゃないわ。中学の時、似たような事をされたわ」
「辛くなかったですか?」
「平気よ。だって私は、自分の声に誇りを持ってる。おばさんは私にとってヒーローだった。アニメの主人公だからじゃない。声を出す堂々とした姿を見て格好いいと思った。だから、私も堂々とすることにした。似ているからとか、周りなんか関係ない。これが自分、伊賀静なんだ、って」
「これが……自分……」
伊賀先輩の言葉が胸に突き刺さる。
私はこれまで何か大事な事を忘れていたような気がした。声が嫌い。声優が嫌い。声をなるべく表に出さないようにしよう。そういつも考えていたが、それを理由に自分を隠していたのではないか、と。
「由衣ちゃんも同じ事をしろとは言わないわ。由衣ちゃんも過去に辛い事があったんだから、自分の声を嫌いになってもいい。それは人それぞれだと思う。でもね……」
カップを握る私の手に、伊賀先輩がそっと自分の手を重ねる。
「その過去の出来事だけで声優や声を否定するのは止めて。命懸けで声優をやっている人もいるし、ただの声好きじゃなく大事にしている人もいる。それだけは忘れないで」
添えられた先輩の手のひらから優しい温もりを感じる。そして、その温もりは私の中にある冷めきった何かを暖めているかのようだった。
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